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村便り:2017-04-12(水) (てつがく村に新人)
投稿日:2017-04-17(月)

「てつがく村」農園に新人が登場! 職場の旧同僚、今年3月末で定年退職した男性である。

研究室が近かったので、何回か丹波黒豆のエダマメをあげたことがある。彼は大のエダマメ好きらしく、丹波黒豆の美味に感動し、冗談まじりに(まったくの冗談で?)、退職したらエダマメを作りたい、と言っていた。私は旧の職場で非常勤をやっているので、彼に出会うことが時々あり、退職後の予定をきくこともあった。彼は退職をきりに、教育から退きたい意向だった。かといって、別の職種に就くつもりもない。そんな話を聞いたので、退職1カ月前頃に、エダマメ作りのために私の畑に招待する手紙を書いた。すると、彼がその気になった、というわけである。

招待状を書きながらも、私の中には不安もあった。彼は、都会育ちなので農耕の経験はない。そういう人は農耕に対して勝手なイメージを作っている、という思いが私の中にある。そして何度か作業をしたあとで、やめてしまう。そんな不安である。手紙のあとで、彼に会うことがあったので、まず軽い気持ちで見学にきてほしい、と伝えた。しかし、彼の方の本気度は私が思っていた以上に強い様子だった。自分はやると決めたことはすぐにはやめない、とも言った。私の知る彼の性格からして、そうだろう、と思う。高校生のときには硬式野球部に入っていたそうだから、肉体的にハードな状況の経験もある。その性格と経験が、私の不安を軽減しはした。

私が不安と期待との間を揺れ動くなか、彼は今日からやってくることになった。夏までは、論文を本にする仕事があるので、週に3回程度やってくる、とのこと。(サラリーマン時代、私はH市内に住んでいて、「てつがく村」までは車で小一時間かかった。彼は40分程度だから、私の感覚からすれば、通えぬ距離ではない。)だから、たんにエダマメ作りだけではなく、百姓全般をやることになる。私の期待は、だから、私の相棒になってくれることである。いい相棒であれば、仕事ははかどるし、意欲面でも刺激になる。むろん最初はいろいろと手ほどきをしなければならないが。

最初、簡単なオリエンテーションをしたあとで、さっそく、種蒔きをした。まずは、エダマメ。発芽直後の鳥害を防ぐためポット育苗。気温が低いので温床の隅にいれることにする。さらに、キャベツミニ白菜浅黄系九条ネギポワロ。これらはプラグトレイに蒔き、露地で育苗。種蒔きはほとんど新加入の相棒にやってもらった。

新人は、キャベツの種を蒔くとき、キャベツがこんな小さな種からできるのか、と驚いたり、ネギの種蒔きと聞いて、ネギも種から育てるのに意外な面持ちをしたり、私にとっては微笑ましい反応をしていた。
村便り:2017-04-08(土) (ウリ類の育苗)
投稿日:2017-04-09(日)

今日は、雨催いの空で小雨が降ったりもする一日であった。雨読のタイミングではあったか、作業小屋で、遅れ気味の温床育苗の種まきをした。


(クリックで画像の拡大)
温床育苗。50穴のプラグトレイが3つ並んでいる。ナス、ピーマン、トマト。
踏み込み温床は3月19日に完成して、3月22日に最初の種蒔きをした。トマトピーマンナスである。これら3種類のうちで一番発芽が早いのはトマト。一週間もたてば発芽が始まった。

ところが4月3日朝、気温が氷点下になったときに、発芽して双葉の状態であったトマトは寒害を受けてしまった。零度近くなるとナス科の苗はしおれてしまう。それは今までの経験から分かっていた。だから、朝の温度が5℃にみたないと予想されるような時は夜の間、苗に莚をかけて保温してやる。4月3日朝も予報によれば警戒すべき温度にまで下がる可能性はあった。しかし、2日は雨の降り出す14時頃まで昼食抜きで野良仕事をして家に帰ったので、夕方またわざわざ畑に戻るのが億劫になり、苗の防寒はせずじまいだった。ところが3日の朝、霜が降り、トマト苗はしおれてしまった。一部はもちなおしたが、大部分は枯れてしまった。

その後、モクレンの満開を機に温度があがり、春が一気に進み始めた。追い立てられるように4月上旬に予定している種蒔きにとりかかった。今日はウリ類の種蒔き。蒔いたのは、ズッキーニカボチャスイカソーメンウリニガウリキュウリスイートコーンである。唯一ウリ類でないスイートコーンは50穴のプラグトレイに蒔いたが、それ以外のウリ類はセルボックスと称するトレイを使った。従来はビニールポットに種蒔きしていたが、今年は、たまたまホームセンターで見つけたトレイを使ってみることにした。プラグトレイは稲の育苗箱にちょうどおさまる大きさだが、セルボックスは育苗箱に二つおさまる。ひとつが16セルだから二つで32セル。ビニールポットの場合、育苗箱に32個おさまる大きさのものを使うから、空間的にはだいたい今までと同じ育苗環境になる。

さらに、しおれてしまったトマト苗を補うため、トマトも蒔いた。
☆ 2017-04-06(木) ☆ モクレン
投稿日:2017-04-07(金)

畑と屋敷の境にあるモクレンが満開になった。モクレンの白い花は寒さに弱い。開花してから霜が降りると茶色くしおれてしまう。そして、開花後の降霜は珍しいことではない。


(クリックで画像の拡大)
満開のモクレン。
 モクレンのすぐ後ろは月桂樹、その後ろに見えている枝は山桜。
3月31日(金)は季節外れの雪が降った。雪が舞う、といった程度ではなく、村では夕方には雪が積もった。その時はモクレンは蕾か咲きはじめたばかりの状態であった。モクレンの花がやられるかと思っていたが、蕾は強いようである。何の被害も受けなかった。そしていま満開。

このモクレン、正確な記憶はないが20年近く前に母が苗木を植えたものである。正確には、母に依頼されて妹が植えたものである。私には事前に何の相談もなく、植えられたあとに、気づいた。妹に詰問すると「おばあちゃん[母]が、どこでもええけん、植えといてくれ。あとから植え替えることができる、と言ったから」と母に責任を転嫁して、かわした。野菜苗を移植するならともかく、木の移植は簡単にはできない。私はむかついた。

それからモクレンは植え替えられることもなく、隣の月桂樹と競り合いながら大きくなった。最近は、月桂樹の丈をつづめて、モクレンに枝を伸ばす空間を広げてやろうか、と思っている。

モクレンのことを書き始めたのは、それがここで生育し始めた経緯の記憶を綴りたかったからではない。つい綴ってしまったのは、モクレンを見るとよくそのことを思い出すからである。

閑話休題。私にとってモクレンは、とくに開花の頃は、目につく。それゆえ、季節の進行の指標みたいに見ているところがある。

「暑さ寒さも彼岸まで」と直前の「天地人籟」に書いたが、春の彼岸は暦上で固定している。しかし、寒暖は年によって早まったり遅まったりする。自然は暦ではなく実際の寒暖に反応する。だから、暦上の日にちよりも、春なら開花が寒暖の変化をより正確に示す。その意味で、モクレンは「季節の進行の指標」なのである。(むろん、モクレンの開花ではなく、ソメイヨシノの開花でもいい。)

モクレンの開花は今年は少し遅いのかもしれない。モクレンが咲くころになるといよいよ春の暖かさが始まる、という気がしないでもない。その満開をめどに、私は、温床の苗に夜のあいだ防寒のために莚をかぶせてやるのをやめる。気温が明け方に氷点下になると発芽したばかりのトマトとかナスとかがしおれてしまう。モクレンの開花はそのような寒さが遠のいたことを示すように思える。
☆ 2017-03-28(火) ☆ 拳が咲き、春が駆け上る。
投稿日:2017-03-28(火)

朝起きると、石油ストーブの火がついたままになっていた。灯油はあまり入っていなかったが、最小の火力にしていたので、一晩燃え続いたのだろう。メーターは燃料切れ近いことを示している。灯油は、買い置きの18リットル缶は空っぽ。もう一つのストーブに少し残っているだけである。「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸もすぎ、4月も目前なので、今冬の暖房はこれで終わりにしよう。

朝食が終わり、洗濯物を干しに二階の物干し台に出ると、向いの山に拳の花が咲いていた。見えるのはまだ2本だけ。ここより100メートル近く標高の高い村ではまだ拳は咲いていない。しかしすぐに村から見える灰ヶ峰の北斜面を拳は咲きのぼる。その速さは私にとって、春の速歩を具現する。花の上昇とともに野良仕事もどんどん忙しくなる。

今日これから野良仕事。
村便り:2017-03-05(日) (今日も春の畑を耕耘)
投稿日:2017-03-06(月)

春のシーズンが始まる前の準備作業。今日も畑の耕耘。

耕耘する畑には、まだ冬の野菜が残っている。


(クリックで画像の拡大)
横の畑の耕耘。
 耕耘機の左側、薄緑色の株が二つ見えるが、それはアルティショ[artichaut(fr.) アーティチョーク]。「てつがく村」のトップページでは蕾をつけている西洋大アザミ。
 すぐ右側の畝には、分かりにくいが、そら豆が育っている。5月後半に食べごろになる。そのすぐ右の畝に、赤茶けた小さな株が数株あるが、芽キャベツ。茎に芽キャベツが鈴なりになっている。等々。
菜っ葉類(ビタミン菜カツオ菜水菜)は薹立ちの気配を見せている。ロケット[ルッコラ。サラダに使う。]はそれらに先立って2月の下旬から薹が立ち始め、花も咲き始めた。

白菜は残っていたものを数日前に収穫して、新聞紙に包んで囲った。両親(むしろ父と言うべきであろうか)がやっていたのを真似しているのだが、両親はさらに上下を逆さにして立てていた。逆さにするのは、薹立ちを遅らせる処置だと思うが、どれほど効果があるか分からない。なかには、生育が遅れて結球しないままに冬を越したものがある。それは畑に残した。菜の花を食べるためである。白菜の菜の花は、茎が太く、おいしい。

ブロッコリーは主たる花蕾は収穫してしまった。でも、そのあと小さな花蕾がつくので、それを食べている。だから、まだ畑に残しておく。芽キャベツ[choux de Bruxelles(fr.)]もまだ収穫できる。ほかには、キャベツ大根人参ヤーコンが残っている。小屋にはジャガイモが保存してある。去年の秋ジャガ、さらに、萎びながらも、これも去年の、春ジャガがある。

店の野菜コーナーに行けば、遠くの産地から運ばれてきた「商品」としての農産物が並んでいるが、農家は、店頭には並ばないような、すなわち、出荷できないような、いろいろな生育ステージの野菜 も 食べながら、身を養う。四里四方の野菜、それが自給できる野菜であり、また、時々の身に合った野菜とも言えるかもしれない。

そうした春先の野菜がある場所を避けながら、昼から耕耘をした。


(クリックで画像の拡大)
スコップの右隣はノビル。その右は自然生えの人参、その右、画像の右端はカリフラワー。
時間は前後するが、午前中は、昨日、畝に生えていた草を刈り払ったので、その草を耕耘予定の畝から移動させた。草を刈り払っていた昨日、思わぬ収穫物があった。人参とノビルである。人参はブロッコリーの畝に生えていた。去年春に近くの畝で薹立ちしてできた種子が自然に散らばって生えたものと思われる。。じつは去年の秋に生えているのには気づいていたが、大きくなるとは思っていなかった。抜いてみると食べられるほどに成長していた。ノビルは畝の端に生えていた。掘ってみると種球が大きい。その畝は昨秋に耕耘しているから、そのときすでに畝に生えていたものと思われる。いったんは掘り返され、ふたたび活着して、冬の間に種球が大きくなったのだろう。このくらいまでに大きくなるなら、秋播き春収穫の野菜として栽培できるかも、という思いが浮かんだ…でも、やらないだろうな。

今日、ウグイスの声を今春はじめて聞いた。数日前、従姉がはじめて聞いた、と言っていた。けっこう上手い鳴き声だったので、どこかで練習してからやってきたのかもしれない。

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