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村便り:2012-02-29(水) (名残雪)
投稿日:2012-03-02(金)

 今日は水稲苗の注文の締め切り日。私は苗は自分で作らず、農協の育苗センターに注文する。今年の田植えは5月27日に予定しているが、苗の注文はこの時期になる。注文書を提出するため、出勤途中で村の農協支店に立ち寄った。

雪景色
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雪景色。村の最高峰、灰ヶ峰(標高737m)の頂きは雲に隠れている。
 昨日の天気予報によれば、夜から明け方ころまで雪が降ることになっていた。しかし、自宅のあるH市市街は、朝起きて見ると、雨が降った形跡がある程度だった。ところが村に近づくにつれて雪が見えだし、村に入ると一面の雪! 曇り空の下の雪景色は、ふとスキー場に行くときよく通る県北の町と見紛うほどだった。村は山間部とはいえ、瀬戸内海から峠ひとつを隔てるだけなので、そんなに雪は降らない。しかも二月ももう終わりである。こんな雪をなんと呼ぶのだろうか。名残雪?

 先週末、村で、はじめて鶯の鳴き声を聞いた。もっと前から囀っていたのだろう、と思われるほどに上手な鳴き方だった。今の時節、冬と春が交錯しながら、ゆっくりと春が進んでいく。しかし、今日はさすがに鶯は木陰で体をふくらませて、じっと雪を眺めているだけだろう。


草刈り
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草刈り。
 この頃は雨が多い。春の長雨、菜種梅雨にはまだ早いような気がするが、こうも降られると、畑の準備ができない。先週末、空いた畑の草刈りをした。まだ草は伸びてはいないが、耕耘機で鋤きこむには少々成長が進んでいる。そこで草刈り機で地上部を払った。草を一緒に鋤きこむか、刈った部分は除いて鋤くか決めかねているが、雨が降ってはそもそも耕耘ができない。播種期が近づくと、地上部は鋤きこんでも腐りきらないから、除いてから耕耘しなければならないだろう。それにしても気を揉ませる雨、雪である。
SkiAgain4:2012-02-18(土) (今シーズン最高のコンディション)
投稿日:2012-02-29(水)

 ここのところ降り続いた雪で山の積雪は十分。今日は芸北国際スキー場に向かうことにしました。

SkiAgain4 の傾向
 今シーズン、雪遊びをした日と場所を列挙すると以下のようになります。

①12月23日 恐羅漢スノーパーク(同僚と二人)
②12月29日 瑞穂ハイランド(子どもと二人)
③ 1月 3日 芸北国際スキー場(子どもと二人)
④ 1月21日 恐羅漢スーノーパーク(一人)
⑤ 2月 4日 芸北国際スキー場(一人)
⑥ 2月10日 恐羅漢スノーバーク(一人)

 去年のシーズンまではほとんどが子どもと一緒だったのですが、今シーズンは、今日も含めて、単独行(といっても、スキー場に行けば、たくさんの雪遊び客と一緒なのですが)は四回。子どもと一緒に雪遊びに行くのは、部活(硬式野球部)がオフで、かつ学校が休みのときなのですが、その機会が今シーズンは減った、というわけではありません。子どもは来年に大学受験を控え、そろそろ本腰を入れて勉強をしなければいけないという気持ちが強くなったようです。そのため、去年までだったら雪山に行っていたような日は勉強のかきいれ時にしようと考えているようです。子どもが親離れしていくのは、成長の証であるのですが、そもそも、このSkiAgain、子どもがきっかけで始まったわけですから、雪遊びの存在理由が減ったような気がしないでもありません。

 上のリストを見ていただければお分かりのように、昨シーズンまでのようにスキー場にバラエティーがありません。一人だと滑走を楽しむしかありません。そこで、滑り応えのあるスキー場を選ぶようになりました。リストにあがっている三つのスキー場は、H市内から一時間から一時間半で行けるスキー場のなかで、積雪量・雪質、広さ、コースの多様さでトップクラスではないかと思います。

雪によるスリップ事故で、恐羅漢に行き先変更
 さて、今日は私の経験した今シーズンのなかで、一番雪の多い日でした。芸北国際スキー場に行くコースとして今日は、高速道を使って戸河内インターで降り、そこから一般道を走るコースを選びました。インターに近づくと高速道の走行路にも積雪がある状態でした。戸河内の町を抜けると道は傾斜を増します。10分ほど走ったあたりでしょうか、車列が動かなくなりました。しばらく待っていましたが、上から下りてくる車に尋ねると、どうもバスがスリップして通行できない状態のようでした。そこで、予定を急遽、変更して、戸河内まで引き返し、そこから林道経由で恐羅漢に向かうことにしました。


恐羅漢スノーパーク全景
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内黒林道からみる恐羅漢スノーパークの全景。2月10日。
 頂上付近は雪雲に隠れている。逆三角形の林が二つのエリアを分けている。左側が、去年までは「おそら国設スキー場」、右側が「民営スキー場(通称)」と呼ばれていた。国設エリアの方が広いし、コースもバラエティーに富んでいる。
 恐羅漢は、したがって、今シーズンで四回目になります。このスキー場は二つのエリアがあり、昨シーズンまでは、おのおの別の会社が経営していました(二つのエリアは行き来できるので、共通リフト券はありましたが)。ところが、今年からどうもひとつの会社に統合されたようです。それにともない、料金も安くなりました。ですから、このスキー場は割安感があります。その気持ちが、このスキー場に向かわせるのかしれません。
(欠点を言えば、アクセスが悪い、リフトが旧式、食事がまずい、でしょうか。私としては、食事が一番残念な点です。ちなみに、H県のスキー場で食事が一番おいしいのは、スノーバーク寒曳です。あくまで私感ですが。)


内黒林道入り口の看板
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内黒林道入り口の看板。
内黒林道入り口でタイヤチェック
 さて、内黒林道の入り口まで行くと、スキー場関係者らしきおじさんがタイヤのチェックをしていました。「四駆でスタッドレスですね? じゃ、気をつけて言ってください。」と私の車を確認しました。その横では二台の車がチェーンをつけている様子でした。林道の入り口には看板が立ててあり、道路状況に応じて、チェーンなしで走れる車が指示してあります。この林道は狭くて傾斜がきついので、積雪が多いと、スタッドレスをつけていても四輪駆動でないと危ない、と思います。でも、タイヤチェックははじめての経験です。それほど今日の雪は多いということでしょうか。


ゲレンデに上がる坂道
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ゲレンデに上がる坂道での渋滞。
ゲレンデ目前にして、またもスリップ事故
 内黒峠を越え、林道を下りきると、今度はスキー場に上がる坂道です。この坂道は傾斜がきつく、曲がりくねっています。しばらく上ると、ここでも車列が止まってしまいました。ここまで来ると、もうスキー場を変更することはできません。諦めて待つことにしました。原因は、二、三台の車がスリップで上れなくなったことのようです。車が脇に寄せてあるあたりを走っていると、急に氷の上を走っているかのような感覚が伝わってきました。動けなくなった車は、もしかしたら、路面に流れだしていた水が凍結し、そこで駆動輪がスリップしたのかもしれません。このスキー場は、積雪が多いときは、四駆でないと駄目ということでしょうか。


ゲレンデのコンディションは上々、でも体力は衰退
 やっとゲレンデの駐車場に着いたのが、昼前の11時。気温は零下5度でした。インターネットの気象情報で終日氷点下になることを知っていましたので、防寒はしっかり準備してきました。ゲレンデを後にする夕方5時頃は氷点下7度でしたから、やはり終日氷点下だったようです。それに、ほぼ終日、雪。ただガスは出ていなかったので、視界は、滑降するには、良好でした。雪質も上々、スキー板の下で、キュッキュッと鳴るような雪でした。

 滑降すると、体力の衰えを感じます。ゲレンデのトップからリフトの乗り場まで滑降すると、息が上がってしまいます。また、脚にかかる負担のせいで、一気には滑り降りることができません。ひとくぎり滑り、すこし止まって脚の、とりわけ太股の、緊張を解き、また滑り降りる、といった具合です。年齢のせいもありますし、また、冬になり、農作業が少なくなって運動量が減るためもあるでしょう。

車に残る雪
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車に残る雪。
 雪遊びをおえ、車に帰ると、車には雪がたくさん積もっていました。帰りも、行きと同じ内黒林道を走り、高速道経由で一時間ほどかけて、自宅近くの駐車場に帰ると、車には雪がまだ残っていました。積雪量と気温の条件がかさならないと、こういうことはありません。ともかく、満足した一日でした。

 (2012年2月29日投稿)
村便り:2012-02-25(土) (カブトムシの幼虫)
投稿日:2012-02-28(火)

 春の畑作シーズンが本格的に始まる前に、畑の準備をする必要がある。冬の間にやろ.といろいろと予定を立ててはいたが、冬は足早にすぎてしまおうとしている。気がつくと、三月も間近。

催花雨
 この二月は雨が多かったように思う(もしかしたら記憶違いかもしれないが)。春先の雨を「催花雨」というらしい。最近、はじめて知った言葉である。二月終わりの雨も、そういうのかどうか知らないが、この頃の雨は、冬の凍るような雨とは大分おもむきが違う。いわれれば、たしかに花芽を目覚めさせるようなやわらかさがあるような気がする。二月十九日は二十四節気の「雨水」である。水ゆるみ、草木が芽生える時節の謂であるから、二月下旬の雨を「催花雨」といっても、おかしくはないかもしれない。そのような風流な思いも、しかし、すぐに心をせき立てる。催花雨は畑をも潤し、草や野菜が目覚めるからである。

 今日は、まず踏み込み温床の整理をすることにした。三月の半ばに温床で育苗を始める。そのために、三月始めには温床の枠づくりをする。予定をそのように逆算してくると、そろそろ、昨春、作った温床を片づける頃になった。


イノシシに荒らされた温床
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イノシシに荒らされた温床。
 去年の3月24日。温床に種まきしたトレイを入れて、二日目のことである。
 
整理を始めた温床
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整理を始めた温床。
 育苗ポットはすでに整理を終わり、画像左下に写っている。温床の枠は外して温床の上においてある。まだ堆肥は掘り出していない。
 
カブトムシの幼虫
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温床にいたカブトムシの幼虫。
 一匹、飛び抜けて小さい幼虫がいるが、これもカブトムシか? もしかしたら、カナブン?
 
温床の堆肥の掘り出し
 去年の温床は二度、イノシシに襲われた。最初は、育苗開始間もないころ、二度目は、鉢替えした苗が大きくなり始めた初夏。イノシシは温床の堆肥のにおいに引き寄せられて来たのだろう。温床の枠を壊し、堆肥を掘り返した。獲物(ミミズとか虫の幼虫とか)を探したと思われる。二度目の来襲で、昨シーズンは、畑作する心がくずおれてしまった。そして、温床には、荒らされた苗をそのままにしておいた。その苗は先週、片づけた。そして、今日は、中の堆肥を掘り除いた。

 先週、温床の堆肥を少し掘り返してみた。堆肥にはよくカブトムシの幼虫がいる。じっさい、掘り返すと三匹の幼虫が出てきた。幼虫がいるとなると、経験からすれば、温床全体で二十匹はいる。今日は、その幼虫をすべて掘り出すつもりでもあった。ところが、幼虫は四匹しか出てこなかった。場所から考えて、三匹は先週の幼虫と同じものと思われる。一匹は極端に小さかった。幼虫がいることからして、ここに産卵したことは間違いないだろう。しかし、四匹しか残っていない。理由は私には分からなかった。


冬眠を覚まされたカエル
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冬眠を覚まされたカエル。
 画像上部の、茶色の細長い筒はゴム手袋の指。
 
ナメクジの卵
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ナメクジの卵。
ワラグロの、重畳する命の世界
 温床の幼虫をあてにしていた。或る人から、カブトムシの幼虫がほしい、と頼まれていたからだ。わずかしかいないのが分かって、私はあわてた。カブトムシの幼虫がいそうな場所は、もう一カ所ある。「村便り:2012-01-28(土)/01-29(日) (寒起こし)」で書いた、休耕田のワラグロである。温床での作業が一段落してから、今度は田んぼに行った。ワラグロの堆肥化した藁を少しずつ剥がすようにして探すと、はたして今度は幼虫が次々と出てきた。その数、四十八匹。その人には二十数匹という数を伝えていたので、安堵した。

 ワラグロには、冬眠中の小さなカエルと、ナメクジとその卵が見つかった。カエルは少したつと迷惑そうに動き始めた。邪魔をして申し訳ない気がしたので、カエルは、寝床にしていた堆肥化した藁と一緒に、十二月に新しく作ったワラグロのそばに移動してやった。ここなら目覚めるまで平穏に過ごせるだろう。ナメクジの卵は…これも申し訳ないが、その辺りに投げ捨てた。


自然を生きる倫理
 カブトムシの幼虫にしても、カエルにしても、ナメクジにしても、田んぼにある、が作ったワラグロの中に棲んでいた。いわば私の所有権の及ぶ範囲内に彼らは棲んでいた。だから、私は、自分の所有物を分贈与するように、カブトムシの幼虫を或る人にあげる。そのように、はっきりと意識してではないが、思っていた。

 しかし、その思いには、なにか理不尽なところがあるような気がしてきた。

 田んぼが田んぼであり、ワラグロがワラグロであるのは、また、それらが誰かの所有権のもとにあるのは、私を中心にした人間にとってである。私の世界での、人間の世界での、田んぼやワラグロとしての用途であり、所有権である。他方、カブトムシにとっては、ワラグロはワラグロではなく、産卵場所であり、孵化した幼虫にとっては、住処であり、食料庫である。ワラグロはカブトムシの世界にあっては、人間の世界におけるのとまったく違う様相と意味合いをもつ。ワラグロは、二つの同等の価値をもつ、また、それぞれが固有の価値をもつ、世界の重なり合いである。

カブトムシの幼虫のためのベッド
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カブトムシの幼虫のためのベッド。
 堆肥から掘り出したカブトムシの幼虫は、ふつうは、別ところに作った堆肥のベッドに移動してもらう。たまたま私の力が比較的強大であるがゆえに、彼ら世界を破壊してしまったせめてもの償いである。でも、それから先の面倒はみない。たとえば、ベッドがイノシシに掘り返され、餌食となっても、それは二つの命の世界の出会い、重なり合いの、いわば自然の理にしたがった結果であり、私が介入すべき筋合いの事柄ではない。

 ところが、幼虫たちを、自然の理から外れた仕方で、私の手から他の人の手に渡し、自然の理に外れた環境に置くのは、かれらの世界に対する越権であり、侵犯ではなかろうか。越権とか侵犯とかは、むろん法律にかかわることではなく、倫理にかかわることである。倫理とは、自然を生きる倫理である。

 そんなことを考えていると、なにやら居心地の悪い気がしてきた。

 カブトムシの幼虫は二グループに分け、一グループは畑の隅のドングリの木の下にベッドを作り、そこに放した。もう一グループは段ボール箱の中に堆肥を詰め、その中に潜ませて、別の場所に旅立たせた。到着した新しい環境のなかで、彼らの生を全うしてほしいものである。
村便り:2012-01-28(土)/01-29(日) (寒起こし)
投稿日:2012-02-06(月)

 先週末の作業で終わらなかった藁を広げる作業を土曜日に済ませ、日曜日に、田んぼの土をトラクターでひっくり返した。脱穀後、最初の荒起こしを寒の内に終える、という目標は今年は達成できた(ただし、5畝ほどの田んぼ一枚は残ったが)。昨シーズンに比べて、1カ月早い荒起こしである。



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耕耘。
 写真を撮るために、トラクターから離れたので、ロータリー(回転刃)は上げてある。
 写真の奥は、北。一番奥に見える開いたV字形の山並みの麓は、熊野の町。江戸時代末期からの筆の産地。「なでしこジャパン」に国民栄誉賞の記念品として贈られた化粧筆で、一段と有名になった。
耕耘してひっくり返した土
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トラクターの運転席から見る、ひっくり返した土。
 手前に見える車輪は、右前輪。
寒起こし
 日曜日は風のある寒い日。トラクターに乗って操作するだけだから、体はあたたまらない。地下足袋に脚絆の足がとくに冷えた。田んぼの土は乾いているので、動きやすい地下足袋にしたが、寒さを考えるとゴム長がよかったかな、と後悔した。

 トラクターの回転刃は締まった土を、広げた切り藁の上からひっくり返す。湿った土は稲や草の根が張っているので、粉砕されず、塊となって転がる。切り藁は、土に混ざる、というよりは、土塊に絡みつく。

 藁は、切って堆積した状態では、そのまま冬を越しても腐らない。そして、暖かくなってからはじめて鋤きこんだのでは、田植え後、水の張った地中で腐って、ブツブツとメタンガスを放出する。しかし、冬の間に(経験的には、遅くても二月中に)鋤きこんでやれば、代掻き頃には腐って崩れる。鋤きこむと表現したが、土と混和する必要はない。土に直接触れているだけで十分である。

 土は、細かく砕く必要はなく、ざっくりと起こすだけでいい。すると、冬の間に、凍みたり、乾燥したりを繰り返して、自然に崩れる。藁も腐った土を春に起こすと、代掻きの準備が整う。



セキレイ
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羽の間に空気の層を着て、着ぶくれしたセキレイ。
伴は野の生き物たち
 土をひっくり返すと必ず鳥がやってくる。今日はカラスとセキレイがやって来た。掘り出された虫や籾を狙うのだろう。今から十数年前、その頃は耕耘機で田起こしをやっていた。まだ四、五歳だった子どもが、私が耕耘するあとからついてきて、起こされた土の中から虫を見つけては声をあげた。当時、私は《子連れ狼》的な生活をしていたので、寒くても、子どもは私にくっついてきた。ふとそんなことを思い出した。しかし、いまは子どもは成長し、私は百姓する《孤狼》(孤老?)となり、伴は野の生き物たちだけとなった。

カブトムシの幼虫?
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カブトムシの幼虫?
 昨シーズン作ったワラグロがある。その田んぼは昨シーズンは休耕したが、今シーズンは水田に戻す予定なので、耕耘の前に、ワラグロの残骸を焼却した。残骸の上の方は、藁の形が残っていたが、底の方は、堆肥化していた。その部分は田んぼに撒いてしまおうと思って、掘り返すと、中から幼虫が出てきた。形状、大きさから判断するに、どうもカブトムシの幼虫のようである。田んぼは山からかなり離れているが、親カブトムシはここまで飛んできたのだろうか。幼虫がいると分かると、その堆肥の《揺籃》を崩してしまう気にはならなかった。後日、幼虫を堆肥ごと別の場所に移動させてから、耕耘することにして、今日は《揺籃》はそのままにしておいた。




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鉄パイプの笛。
風に鳴る《笛》
 荒起こしが終わると、トラクターを田んぼから出す前に、車輪や回転刃にくっついた土をざっと落とす。その間、強い風が田んぼを吹きわたっていた。風が吹くとどこかで、ピュー、といった音がする。笛の音のようでもある。何もない吹きっさらしの場所でいったいどんな笛が鳴っているのだろうか、と音をたどると、トラクターの、穴の空いたパイプだった。いままでもこの音は耳にしていたが、今日はじめてその正体が分かった。風がトラクターのパイプを吹いていたのだ。
村便り:2012-01-22(日) (田んぼで藁を広げる)
投稿日:2012-01-27(金)

南天とヒヨ
 南天の実がふと目を引いた。ありふれた木だが、冬枯れの季節、実のたわわについた房が陽光を受けて赤く輝くのは印象的である。

南天の実
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南天の実
エンドウ
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実エンドウ。

 去年の11月1日に蒔いた。発芽してから藁を敷いた。藁は防寒と抑草のため。

 エンドウのこちら側、藁の間からわずかに顔を出しているのはソラマメ。また、手前にの枝は梅。蕾はまだまだ小さくてかたい。
 屋敷や、屋敷前の畑には南天が所々に生えている。わざわざ植えたものもあろうが、鳥が落とした種から生えたと思われるものもある。今年はまだ実がたくさんついている。年によっては春先までにすっかりなくなってしまうこともある。鳥が啄むからである。おそらくはヒヨである。啄む現場を目撃したことはないが、ヒヨが頻繁に飛来する年には南天の実がなくなる。南天の実はだから、ヒヨの飛来の指標となる。

 むろん何か指標がなければヒヨの飛来が分からないわけではない。彼らは夜陰に紛れたり、物陰に身を隠しながら、不意をついてやってくるわけではない。それどころか、ピー、ピーヨと寒気をつんざくように正々堂々《名のりをあげ》てやってくる。だから、南天の実は、飛来の指標にもなるが、むしろ彼らの飢えの指標であると言えるかもしれない。

 ヒヨの食欲はすさまじい。野菜をまたたくまに食べてしまう。いまは亡き隣のおばあさんが、その健啖ぶりを評して「あいつらは日にちじゃなあ、時間じゃ」と言ったが、まさにそのとおりである。しかも、食いっぷりが半端ではない。ホウレンソウの畝であれば、まるでバリカンで刈り払ったかのように食べ尽くす。

 今年はエンドウの生育がいい。二月になれば支柱をたててやろうか、と思っているほどである。そのエンドウもヒヨに狙われる。やっと伸び始めたツルの先っぽを啄む。それでもエンドウは、残った葉っぱの根元から新しいツルを伸ばして生長するが、収穫に影響する。昨秋は畑の植え付けが不調に終わったので、いまある野菜でヒヨの餌食になりそうなのはエンドウくらいである。

 南天の実を見て、その鮮やかな赤を愛でるよりは、エンドウが気になった。山が不作であれば、ヒヨは里に降りてくるだろう。


田んぼで藁を広げる
 今日は田んぼでの作業。脱穀機が切った藁を広げる作業である。


脱穀風景

脱穀。

 右側は、脱穀し終わった稲架。

 脱穀機はこちら側が前。右側の台に稲束を載せる。そこから、稲束をコンベアに載せて右から左に移動させる間に脱穀がおこなわる。ついで、稲束は、脱穀機の左側に付けてある藁切り機に送られて、カットされて左側に排出される。脱穀機の前側についている筒は、脱穀中のゴミを吹き出すためのもの。

 背後にも藁がたまったところが二カ所あるが、そこの横に稲架が立っていた。
藁を広げる
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藁を広げる。
 脱穀機には藁切り機が付けてある。脱穀の際には普通、それを使って、同時に藁を切る。切った藁は稲架の周りに排出されて溜まる。藁を切るのは、田んぼに有機質肥料として鋤きこむためである。だから、鋤きこむ前に、藁の塊を田んぼ全体に均等に広げる必要がある。「藁を広げる」とはそういう作業である。

 作業は手作業。フォークを使ってふり撒いたり、一輪車に載せて運んでから手で撒いたりする。ともかく時間のかかる単調作業である。

 コンバイン[刈取りと脱穀を同時にこなす機械]で稲刈りをすれば、作業はだいぶ楽になる。コンバインは刈取りのために田んぼ全面を走り回り、走り回りながら切った藁を背後に排出するからである。しかし私は百姓にできるだけ金をかけない主義。それに金をかけるほど収入があるわけではない。機械がなければ今の時代、稲作はできないから、バインダー[刈取りして、稲束を結束する機械]と脱穀機[ハーベスターとも呼ぶ]はもっている。《コンバイン+天日干しのための稲架+脱穀機》の収穫システムは、《コンバイン+乾燥機》のシステムよりははっきりと安くつく。しかし、金をかけなければ、手間と時間がかかる。販売して利益を上げようととすると、その分、米の価格を高く設定しなければならない。すると、競争力が弱くなる。競争力が弱いと淘汰される。…などと考えていたら私のような小農・貧農はやっていけない。資本主義の論理を無視しなければ、やっていけいない。あるいは、その論理とは違う次元にあるのかもしれない。

 《妄想》休題。早く藁を広げおえ、寒の内に田んぼ(の土)をひっくり返しておきたい。土に混じった藁は冬の間に腐り、ひっくり返された土は、凍みたり融けたりしながら、春までにぼろぼろになる。
 てつがく村の
  ひろば(BBS)
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