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村便り:2016月04月03日(日) (人参を蒔く畝を作る。)
投稿日:2016-04-04(月)

人参を蒔く畝を作った。播種は3日後の予定。

人参は2月7日にトンネル内に蒔いたものが、最初の間引きをするくらいに成長している。そして、おそらくは5月下旬頃には収穫できる大きさに育つはず。今回の播種は、したがってシーズン2回目である。収穫は7月になってからになる。(3回目は、梅雨が明ける前の7月、4回目は8月下旬。人参は1シーズンで4回種蒔きをする。)


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人参の葉の部分を根元から切り除く。
 

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葉を切り取った人参は土の中に埋める。画像は土を被せる前の人参。
 
他方、去年の8月終わりに蒔いた人参は、春になり薹立ちを始めた。薹の立つままにしておくと、地上部は太い茎が伸びて先端に花が咲き、根部の方は、根を貫通して硬い芯ができ、食べられなくなる。そこで、まだ畑に残っているものを3月下旬に全部抜いて、茎を根元から切り取り、土のなかに囲った。茎を切り取っても、切り取った根元からまた茎が発生してくるので、薹立ちは防ぐことはできないが、遅らせることはできる。2月に蒔いた人参が収穫可能になるまで、囲った人参を掘り出しながら食べる。

さて、人参畝を作るところは、前後左右に他の作物が植わっている(最後の画像を参照)ため、耕耘機を入れるのは窮屈なので、四つ鍬[土を起こす鉄製の部分がフォークのように四つ股に分かれている鍬]で土起こしをした。まず、前作の残りや、冬の間生えていた草を除き、カキ殻石灰肥料を撒く。それから土起こしをして、溝をつけて高畝にしてから整地する。


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蒔き条は、畝の方向(画像では左右)に対して直交する方向(画像では上下)につける。そのような蒔き条を、「縦ガンギ」と呼ぶ。肥料はガンギ間に入れるのであるから、肥料溝も縦ガンギになる。
 溝には白っぽい肥料が入っているが、これは米ぬか。前日に精米したので、その時に出た糠を発酵鶏糞(これは茶色で土の色と変わらない)と一緒に溝に入れた。
 肥料の上に土を少し被せてから、肥料を土と混和する。
 

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今回は抜いた草を「あんこ」として入れた。
カキ殻石灰肥料は酸度矯正のためだが、それ以外にも肥料は必要である。ただ、肥料が土になじまないうちに種蒔きをすると、根菜類の場合、根が、強い肥料分に阻まれて、うまく伸びない可能性がある。そこで、石灰以外の肥料(私は発酵鶏糞を使用する)は、ガンギ[蒔き条]とガンギとの間に溝を掘って入れ、根の伸長に影響がでないようにする。

今回はさらに、抜いた草も、肥料用の溝に入れた。草も畑のうちである。だから、畑の外に捨てるのではなく、畑の中で処理するようにする。乾燥して焼いたり、今回のように、土の中に埋めたりする。なお、土に草を埋めるのは、今は亡き隣のおばあさんが「あんこ」と称して教えてくれた方法。



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人参畝の完成。
 人参畝の左の畝に植わっているのは、手前から、タマネギ、ノラボウ菜、(誘引の藁がさがっているところは)エンドウ。人参畝の向こう端は、ネギ。その向こうに、隠れて見えないが、2月に蒔いた大根。その右横の畝の緑は、2月に蒔いた人参。
再度、整地して、畝作りは完了。6日(水)には、従姉の友人がやってきて、2月に蒔いた人参の間引きをやってもらう。その友人は、(間引きだけでなく)人参の種蒔きもしたい、と言っているらしいので、6日に種蒔きのスケジュールを合わせた。

村便り:2016月03日30(水) (やっと田んぼに出た。)
投稿日:2016-04-01(金)

やっと田んぼに出た。


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藁焼き。
 今日は西から強い風が吹いた。背後の山は灰ヶ峰。
 

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画像は、3月31日のもの。この日は曇り、風はさほど強くなかった。
 

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上の画像の右側の山。掃部城と呼ばれている。辛夷が満開状態である。
 灰ヶ峰の辛夷は、まだ中腹あたりまでしか咲き登っていない。
 

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野菜の少ないこの時期、薹を手折って食べる。今晩の野菜。
 後ろ側の菜の花は、左が白菜、右がノラボウ菜。
 前の野菜は、左がブロッコリー、右が芽キャベツ。いずれもそろそろ終わりである。
コブシ(辛夷)は田起こし桜の別名がある。この辺りでの咲き始めは3月終わりなので、時期的には、「暑さ寒さも彼岸まで」の頃に合致する。寒さも和らぎ、やっと、冬の間は寒風が吹き抜けていた田んぼに出ようか、という気になる頃である。稲作の通常のスケジュールからすると、冬の間に一度、起こしておいた田んぼに出て、春の田起こしの準備を始める。だから、田起こし桜なのであるが、私にとっては、少し意味合いが違う。

じつは、脱穀したあとの切り藁を田んぼに広げて鋤きこむ冬の田起こしを、私はしていない。田んぼには、脱穀したとき稲架の周囲に積み重なった切り藁がそのままの状態で残っている。田植えまでの日にちを考えると、切り藁は邪魔者である。田んぼに広げるのに手間と時間がかかる。また、それを鋤きこんでも、田植えまでに腐熟して堆肥肥料になるだけの日数がない。未熟堆肥として鋤きこまれた藁は、田植えのあと、土中からメタンガスを発生する。だから田起こし前に、まずその邪魔者を処理しなければならない。このところ晴れが続いたので、堆積した切り藁は乾いている。翌々日は雨になりそうなので、この辺りで焼いて減量しようと考えた。切り藁は、表面は乾いているにせよ、堆積の中は湿っているので、完全には燃えない。それでも、かなり減量はできる。

折からの強い風のなか、藁に火を放った。風にあおられながら、藁は燃えた。焼却作業にはさいわいなことに、乾燥して風があるにせよ、乾燥警報は出ていない。警報が出ていると野焼きは禁止である。

明日も藁の野焼きの続きをやり、やっと私の田起こしがはじまる。

村便り:2016-03-23(水) (温床育苗を始める)
投稿日:2016-03-25(金)

温床育苗を開始。


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蔓に覆われた温床跡。
 

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藁を踏み込んだ温床。
 

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藁カッター。
 踏み込む藁束の数は300ほど。今年は250束を踏み込んだ。これだけの数になると、腕の力で裁断する押し切りでは時間がかかりすぎる。そこで、藁カッターを使う。
 藁カッターは、脱穀あと田んぼで藁束を裁断するために買った。現在は、藁カッター付きの脱穀機があるので、そのお役は御免になり、一年に一度、温床作りに使われるだけになった。
 

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温床育苗。
 種はプラグ・トレイに蒔く。プラグとは、トレイのマスのこと。
 トレイは、しばらくは、夜の寒さを防ぐために、夜の間は上にムシロなどを被せる。さらにビニールで被覆する。
2年のブランクの後の再開である。退職前の2年間は、サラリーマン稼業か忙しかったので、できなかった。その間に、温床の場所は蔓性の草に覆われてしまった。まるで眠れる美女のお城状態である(じゃないか  笑)。若き白馬の騎士ならぬ、年老いた農夫は、まずその蔓を切り除き、温床用の窪地を掘り直すことからはじめた。3年前に温床に踏み込んだ藁は土同様になり、藁の形状は残していなかった。毎年更新していたときには、腐食した藁の中からかぶと虫の幼虫(これが温床《城》の、肌白き《美女》)が出てきたが、今年は、一匹も出てこなかった。

一日がかりで温床の枠を作った。そして藁の踏み込み。

まずは、トマト、ナス、ピーマンの育苗を始めた。いつもなら3月半ばに育苗を始めるので、今年は1週間ほど遅い。温床の枠組みを作ったのも、いつもより2、3日遅かったのだが、それから、踏み込みをする藁を裁断するカッターを出してみると、燃料コックのところからガソリン漏れを起こしていた。JAの農機センターに修理を依頼したが、部品の在庫はなく、メーカーに発注しなければならなかった。部品の到着を待つ間に、さらに数日かかった、というわけである。

これでやっと春の種蒔きが本格的に始まった。

村便り:2016年03月14日(月) (お花盛りはえぐ味盛り)
投稿日:2016-03-14(月)

冬のほうれん草はおいしい。甘味がある。冬の寒さに耐えるため、ほうれん草がため込んだ栄養分のためだ。(甘味は、収穫して時間が経つと変化する。店頭に並ぶものでは味わえないことがある。また、冬以外の季節は、いくら新鮮でも甘味はない。)


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薹が立ちはじめた、ほうれん草。
 茎が伸び、葉間が広がっているのがお分かりだろうか。
 

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薹が立ち、蕾をつけた、ビタミン菜。
 ビタミン菜は癖のない葉菜類である。比較的近年作り出された品種。薹は太くて、しかも癖がない。だから、冬の間にとり残した株は、菜の花として利用する。
 

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ブロッコリー。
 ブロッコリーは主茎の花蕾を収穫したあと、今度は側枝から出てくる花蕾を食する。《落ち穂拾い》的な収穫であり、これは普通、市場に出回らない。(先日、JAの産直市場に、側枝花蕾が並んでいた。産直市場だから、ありうる商品なのかもしれない。)
 画像は真上からのものなので、花蕾が側枝から出ている様子が分かりにくい。
3月になるとほうれん草は薹立ちを始める。先日、収穫しようとすると、薹立ちが始まっていた。茎が伸び、葉間が伸びてくる。新しい葉っぱの色が鮮やかになる。(この現象は、菜っ葉類一般に共通。)早く食べてしまわないと、と焦る思いで収穫した。その夜さっそく茹で、食卓に並べる前に味見をした。茎の部分は甘味があったが、葉っぱにはえぐ味が感じられた。このえぐ味は、薹が立った野菜の味であり、冬にはない。再度、茎の部分を味わうと、甘味の中にえぐ味が混じっているではないか。二、三度、味見の後しばしためらったが、捨ててしまった。

この時期の畑は、薹が立った野菜でお花畑になる。その中から、まだ薹立ちの始まっていないもの、薹がおいしいものを選んで収穫する。高菜系の野菜やふだん草は比較的薹立ちが遅い。白菜は薹が太く味に癖がないので、食用にする。薹は一般に、それを食用にする野菜でなければ、美味しくない。茎がかたかったり、えぐ味があったりする。これは、自然の普通の摂理かもしれない。薹立ちは結実の前段階であり、ついで花が咲き実を結ぶ。だから、子孫を残すための自己防御策として、他の生物に食べられないようにする。(虫たちは、アクの強い野菜はあまり好まないようである。人間と同じである。)薹が立ってもおいしいような野菜は、人間の手が不自然に入れられ改良された結果なのかもしれない。

春先は、夏野菜の植えつけをしながら、冬野菜のなれの果て、味わいはあるけれど店頭には並ばないもので食いつなぐ。

村便り:2016月03日05日(土) (耕耘)
投稿日:2016-03-06(日)

春のような暖かさのなか、午後1時過ぎに畑に出た。

2月の寒いときに、井戸水を汲みあげるポンプが凍結して使えなくなった。ポンプ屋に修理を依頼したが、「寒いときに直しても、また凍結するもしれん。3月になって暖かくなってから修理にいく」との返事。ポンプは井戸の傍、吹きさらしのところにあるので、その判断も当然か、と納得し、修理を待った。

水がないと農作業には不便である。野菜を洗ったり、機械の泥を落とすのに水がいる。だから、ここのところ、水が必要のない作業をやっていた。しかし、まだポンプ屋は来てくれない。ポンプをその業者から買ったわけでもないし、もうかる仕事ではないし、他にも仕事があるだろうし、と思うと、修理をせっかちに督促する気にはならなかった。

春の本格的な農繁期を目前に控え、とうとうしびれを切らして、今日は耕耘機で畑を耕すことにした。

草が生えた畑
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草が生え放題の、屋敷裏の畑。1月26日撮影。
屋敷の裏にある畑は、一昨年(2014年)秋にジャガイモを作って以降、草が生えるままになっていた。今春から、その畑で植えつけを再開するつもりなので、草を1月終わりに刈り払い、2月半ばに焼き払った。草を2月に処理したのは、寒いうちに一度、土を起こしておきたかったからである。すると、土は寒気にさらされて、凍みては融けて砕け、扱いやすくなる。結局、それができなかったが、せめて、3月終わりか4月始めに種蒔きが始まるまでに、一度は耕耘しておきたかった。

畑の耕耘
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畑の耕耘。
 向こう=下側から耕耘をはじめている。
 耕耘していないところに撒かれている白いものは、米ぬか。
 耕耘した部分の一部に作物が植わっているが、それはラッキョウ。2012年秋に植えつけてから3年あまり。半分は収穫してラッキョウ漬けにしたが。
1年あまり耕さず大草の生えるままにしておいたので、土は締まり、草の太い根が地中を縦横に走っている。そのため、低速でゆっくりと耕耘した。時間を計ったわけではないが、耕耘が完了するまでに2時間はかかっただろうか。耕耘機は、扱うのにけっこう力がいる(トラクターは、ハンドルとレバーの操作で事足りるが)。だから、耕耘が終わった時点で、一日の作業は終了にしたい気持ちだったが、明日は雨の予報なので、それからさらに、周囲に鍬で、排水用に溝を掘った。終わると18時も過ぎ、暗くなっていた。

帰宅して食事中、両腕にしびれたような感覚があった。体調急変の兆しか、と不安になった。でも、よくよく考えてみれば、久しぶりに力仕事をしたからだった。


屋敷横を流れる井手
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屋敷横を流れる井手。
 左側が屋敷。手前、井手に接した洗い場がある。小さいころ、井手は、側面は石、底は砂地だった。貝などの生き物が棲息していた。三面をコンクリートで固められた今は、たんなる流水路になってしまっているが。
 耕耘機を洗ったのは、すぐ上に見えている、生活道から屋敷に入るためのグレーチングの上。
(耕耘機を洗う水はどうしたか、ですって? 屋敷の横を通っている井手[用水路]の水を汲んで、泥を流しました。昔は、井手の水は、田んぼに入れるだけでなく、多用途に利用していました。野菜や農機具を洗ったりもしていました。井手の水を取水する小川から屋敷までは人家がなく、家庭排水の流れ込みは心配する必要はありませんでした。今日は、昔にかえって、井手の水を利用したというわけです。ポンプに繋いだホースで洗うように隅々まで流すことはできませんでしたが、大きな泥は落しました。)

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