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村便り:2010-01-06(水) (ヤーコンの粕漬け、その1:下漬け)
投稿日:2010-01-07(木)

 ヤーコンを粕漬けにするため、まず下漬けをした。初めての試みなので、手順についての情報を本とインターネットから入手した。手順は以下の通りである。

ヤーコンの皮を剥く
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ヤーコン皮を剥く。ヤーコンはしばらく水にさらす。
 
ヤーコンの下漬け
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ヤーコンの下漬け。
 大きいヤーコンは縦方向に二つに割った。樽は10リットル。重石は5kgのもの。水の上がりを促進するために200ccほど差し水(水に対する重量比にして10%の塩を加えた塩水)をした。翌朝には水が上がっていた。
 (追記:差し水は必要なかったかもしれない。)
(1)ヤーコンの皮を剥き、水に短時間さらす。水にさらすのはアクを抜いて表面が変色するのを防ぐため。
(2)ヤーコンを、重量比にして4%の塩で下漬けする。ヤーコンには塩をすりつけるようにしてまぶす。下漬けは一週間。
(3)熟成粕を使って本漬けにする。

 今日は(1)と(2)に従った下漬けである。((3)の本漬けについては、後日、別記事で紹介する予定。)



 ヤーコンについては、うまい利用法が見つけられずにいた。今年は二度目の栽培であるが、根塊は掘りあげてスクモを入れた段ボール箱に保存したままにしていた。

 昨年の12月の半ば、葬儀に参列するため、日本海に向かって開ける、東北の或る地方に行った。その地方では雪が二日前くらいから降り続いていた。私は羽田からその地方に向かう飛行便に搭乗したが、その便は天候状況をみきわめるため出発が遅れたほどであった。

 葬儀は、彼が生まれ育った小さなお寺で、降りしきり、降り積もる雪のなか執り行われた。本堂を包む、雪の静寂、本堂の中まで這い入る寒気、親族と親しい友人たちだけからなる参列者、本堂に響く読経の声と鉦。そのなかで、私より五歳ほど年下の彼が生きてきた生涯をしみじみと思った。三カ月前、電話で彼と交わした最後の短い、むしろ短すぎた、といまでは悔やんでいる、会話も思い出した。彼の故郷を訪れたのは初めであったし、彼の家族全員に会ったのも初めであった。その初めてが、こういう機会になってしまった。

 乗り継ぎ空港の羽田に向かう飛行機から虹を見た。よく見ると、その虹は雲に映った機影を取りまいていた。機影の背後に隠れた太陽が作った虹である。じつは、彼の訃報を受け取ったとき、私は、その数日前、稲刈りの田んぼから見た虹を思い出した。あの虹は彼が私に送った最後の signe de vie[フランス語で「消息」の意。英語に直訳すれば、sign of life] 、したがって別れのサイン、だったのかもしれない(むろん、合理的に考えれば、私の思いなしにすぎないが)。そして、葬儀に合わせたかのような豪雪。彼はサインをいつも天空から届けてきた。

 雪が降りしきり、降り積もる
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雪が降りきしり、降り積もる。
 控えの間から本堂を見る。画像上中央の銀杏は本堂の正面に立っている。割干し大根が、この地方の、そしてこの寺の、質素で堅実な生活ぶりを象徴しているようにみえる。
 葬儀のあとの食事が終わり、控室に戻った。酒を飲んだりしながら参列者と会話を交わしていた。その席に粕漬けが出されていた。私は粕漬けの素材を尋ねた。ヤーコンであった。そのお寺で漬けたものだそうである。そうか! と思った。私はヤーコンは漬け物の素材にも適さない、と思い込んでいた。しかし、粕漬けならヤーコンの甘みが活かせる。(あとからインターネットを調べて分かったことだが、その地方ではヤーコンを栽培してところがあり、加工品としてヤーコンの粕漬けもある。)ちなみに、彼も酒は好きだった。

 こうした経緯で、むしろ《因縁》で、ヤーコンの粕漬けが始まった。
村便り:2010-01-05(火) (沢庵漬け)
投稿日:2010-01-07(木)

 二年ぶりの沢庵漬け。大根は12月23日に干し始めたので、今日で2週間。トマトの支柱から降ろして、葉っぱの部分は短く切り詰め、板の上で転がしながら揉んだ。それから、沢庵漬けの素をこしらえた。大根は5kg(乾燥重量)。それに対して、塩400g(大根との重量比で8%)、昆布50g、唐辛子10g、糠1リットルを混ぜ合わせて素にした。

沢庵漬け
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左の金盥のなかは漬け物の素。記事で処方したほどの分量であれば、大根を詰めた一段ごとに、両手ですくえる量を振りかけるとちょうどいい。
 
沢庵漬け
(クリックで画像の拡大)
重石は二個使った。石は現地調達。左側の樽は白菜漬け。
 時折小雪が舞う寒い日。黙々と作業をしていると過去の沢庵漬けの光景が思い出されてくる。初めての冬は、しんしんと雪が降り積もる日だった。掘っ建て小屋のような作業小屋の軒先で、雪を避けて作業をした。その翌年の春先に父が逝った。葬儀のあと、親族や近所の人たちが集まって食事をするとき、その沢庵漬けを出した。

 それから2年ほどあとだろか、まだ4歳だった子どもが私の作業を見ていた。唐辛子には触らないようにと注意をしたのだが、その年齢である、好奇心から唐辛子をいじった。その手で自分の眼をこすったのである。[眼が]痛い、痛い、と大泣きをした。

 農作業に没頭して無念無想、とはいかないものである。単調な作業のときはいろいろな想念が脳裏に湧いては過ぎ去る。

 普通、大根は40リットル樽に漬ける。しかし今年は少量なので、新たに15リットルの樽を購入して、それに漬けた。大根はできるだけ隙間のないよう樽に詰める。詰めおえると、そのうえから、切り離した葉っぱで覆う。重石は近年は購入した専用の重石を使っている。15リットル樽には、その重石は大きすぎて入らない。以前は、自然石を使っていた。その自然石が井戸端に放置してある。今回は、それを重石として使った。


 なお、沢庵漬けに関しては、
「沢庵漬け 2000-12-30」で詳しく書いたことがあります。
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