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村便り:2009-04-05(日) (第二温床を踏み込む)
投稿日:2009-04-08(水)

作業(畑)(第二)温床の藁の踏み込み
管理藁裁断機の格納

 4月2日と3日の朝に枠組みを作った第二温床に藁を踏み込む作業をやった。昨日やるつもりだったが、雨のため中止。今日に日延べした。

ジョウビタキとボケ
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 ジョウビタキとボケ。
 一カ月前ほどの「村便り」にも紹介したが、畑で作業をしているとジョウビタキがやってくる。同じ個体だと思われる。いつもやってくると、人を恐れないのはジョウビタキの習性であるとはいえ、私に馴れてきたのか、という妙な(たぶん)錯覚をおぼえる。
 ここのところ暖かく、温床はいらないのでは、と思えるほどである。第一温床はナス、トマト、ピーマン、アマトウガラシ類、つまりナス科野菜の育苗のためだが、第二温床はサツマイモと里芋の芽出しが主目的。百姓を始めたころは4月始めに温床をひとつだけ作っていた。そして、サツマイモと里芋を伏せ、空いたスペースにナスの種を蒔いていた。やり始めると凝る性格なのか、温床栽培を拡大して、いまは二つの温床を時期をずらせて作っている。第二温床では、芋類のほかに、ウリ類の育苗もする。


温床、藁の踏み込み
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 藁の踏み込み。
 裁断機で切った藁はブルーシートで受け止める。その藁を向こうの温床に踏み込む。藁は60束ほどを裁断したもの。
 右側は、第一温床。ナス科野菜を育苗中。晴天なので、ビニール被覆の両端を開けて、温度調整をしている。
 

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 洗浄した藁裁断機。18時。
 温床の踏み込みは時間がかかる。準備作業や後片付けを含めると一日仕事になる。おまけに藁の踏み込みは単調作業。裁断した藁を温床内に少しずつ入れる。入れる度に《発火剤》(発酵鶏糞と米ぬか)を撒いて、まず荒っぽく踏む。発火剤を藁に混ぜるためである。それから如露で水をまいてから丁寧に踏み込む。この作業を何度も繰り返す。今回は藁束を190束ほど踏み込んだが、その作業だけに4時間半近くかかった。狭い温床内を長靴をはいた男が麦踏みに似た動作でゆっくりと動き回る。酔狂なことよ! と自分自身でも思ったりする(私を見た他人は間違いなく、そう思っているだろう)。苗を買ったとしてもそんなに高くつくわけではない。踏み込み温床育苗の手間と時間を考えれば、むしろ安いと言えるかもしれない。ドン・キホーテである。

 8時半に作業を始め、昼食を挟んで、藁を踏み終えたのが15時過ぎ。ほかにまとまった仕事をするだけの時間は残っていないので、藁裁断機の格納作業をすることにした。今度使うのは秋の稲の収穫以降なので、洗浄し、ガソリンを抜いた。
村便り:2009-04-01(水) (降る時を知っているのか? 名残雪)
投稿日:2009-04-04(土)

 夕方から雨が降り出した。帰宅途中、畑に寄って温床の世話をしなければならない。夜間の低温を防ぐため、叺[かます]を育苗ボットの上に被せ、温床全体を被覆するビニールをぴったりと閉めるのである。村に向かう車のフロントガラスに当たる雨粒はしだいに霙[みぞれ]に変わり、村に着くころはむしろ雪と言えるほどになっていた。車載温度計の指す外気温は1℃。春になって寒さのぶり返しがあるのは普通のことだが、四月に入って雪とは、エイプリル・フールの今日にあわせて言えば「うっそー!」である。



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名残雪、ピンぼけ画像。
 先週末の講中親睦旅行のとき、ある人が、最近の《地球温暖化》に関連させながら、「昔ぁ、四月になっても雪が降るときがあった」と言っていた。私は四月になってからの雪は記憶にない。遅い雪としては、小学校の卒業式のとき、ぼた雪がひとしきり激しく降ったを覚えている。その雪とともに記念写真を撮っているので記憶に深く刻まれているのかもしれない。

 ただ四月初めは春といえど寒かった(いまでも寒い)。今はそんな風習はなくなったが、四月三日には子どもたちが《節句》と称して、(当時としては)豪華な弁当を作ってもらい、山に《花見》に出かけていた。四日、五日も《残り節句》として、弁当の残りをもって遊びに行った。

 なぜ《節句》というのか確かなことは知らないが、旧暦三月三日の節句を太陽暦に読み替えたからか。《花見》と言っても、山に行って花が咲いているわけではない。せいぜいコブシが咲いているくらい。全体にまだ冬枯れの姿である。それでも、質素な食事しかしていない当時ゆえに、手作り羊羹とか、玉子焼きとか、そのほか普段は食べないようなものが入っている弁当はめったにないご馳走であり、加えて、サイダーなどのビン入り飲料を携えての山遊びは、子どもにとっては待ち遠しい大イベントのひとつであった。《とっぴん》と称する節句専用の飲料もあった。ひょうたん型のガラス瓶に入った甘い色水であり、たしか木の栓がしてあった。


 もうそんな時代の名残は現実には残っていないのに、今夕はなぜか名残雪。山奥は積雪になるだろう、と思いながら(あっ、"SkiAgain" の名残雪かも)、そそくさと温床の世話をして帰途についた。
村便り:2009-03-30(月) (飲み疲れの残るからだで人参を播種)
投稿日:2009-04-04(土)

播種(畑)ニンジン

 3月28日(土)と3月29日(日)は講中の一泊旅行だった。

 講とは葬礼の互助組織のこと。葬儀がまだ自宅と村の火葬場で行われていた時代は生活していく上で不可欠の組織であった。その時代には講山の管理が毎年、講中総出で行われていたし、それ以外にも親睦的な集まりが定期的に行われていた。しかし、市営の火葬場を使うようになり、また、参列者への賄いが講中による手作りではなく仕出し弁当になり、さらにまた、葬儀場も民営の専用ホールを利用する家もでるようなった今は、講中からの援助は昔ほどの重要さはもたなくなった。昔は講から八分にされると生きていけなかったが、便利になり経済的にも裕福になった現在では、講の援助がなくても葬儀を営むことができるほどになった。それにつれて講組織は弱体化していく運命にあった…

 弱体化から講を救ったのは、あるいは、弱体化の歩みを遅らせたのは、講山の一部が市によって買い上げられてできた現金の財産だった。その使い道として年に一度の親睦旅行が始まった。現金ができたのなら構成員で分配すればいいではないか、という考えがあるかもしれないか、組織の性格上、おそらく財産の分配はできない。「総有」という概念がある。財産の管理は組織に属し、個々の構成員には財産権はない。すなわち、構成員は財産の分割を要求することは、たとえ組織を離脱するときでも、できない。そして、個々の構成員に属する権利は、組織によって益をうける権利になる。講とは、おそらくそういう意味での「総有」的組織なのである。村有地への入会権、水利集団に属する農業用水路への水利権なども、そのような「総有」的関係にある。講は、言ってみれば《前近代的》な組織なのである。

 《前近代》的所有関係と人間関係が、《近代》の進展につれて消滅していくのは自然なことなのかもしれない。ところが、講は消滅をまぬかれた、あるいは、消滅が延期された。

 今年の旅行の目玉は、有馬温泉と洋上クルージングだった。参加者は二極化している。小学生までの子どもか、定年退職後の年代に属する高齢者かである。サラリーマン現役は私を含めて二人しかいなかった。働き盛りはすっぽりと抜けている。参加者の年齢層は、講の行方を暗示しているようにも思える。消滅? もしかしたら、再生?

 …などと、久しぶりに理屈をこねてみたが、講旅行の、私の《実態》といえば、酒びたり(笑)



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代わり映えのしない畝の画像ですが… 何もないと寂しいので、付けておきます。
 向こうの不織布がかかっているのは、3月27日にダイコンを蒔いたところ。ニンジン畝にもこのあと不織布をべた掛けした。
 まだどこかに、旅疲れならぬ、飲み疲れが残るからだで、今日(月曜日)の夕方、先週の金曜日に準備していた畝に人参を蒔いた。春蒔金港五寸[@サカタ]と金港四寸[@サカタ]。金港四寸は去年の残り種。五寸よりは若干早生のようである。
村便り:2009-03-27(金) (春は端境期、ダイコンを蒔く)
投稿日:2009-04-02(木)

播種(畑)ダイコン(時無大根、カザフ辛味大根)

 春先は野菜の端境期である。秋に蒔いた野菜は2月になると薹が立ち始める。春の種蒔きは露地では3月下旬に始まる。だから、菜の花(アブラナ科の薹)を食べる。一般に菜っ葉類の菜の花はおいしく、根菜類の菜の花はおいしくない。

 昨秋はじめて、のらぼう菜を蒔いた。菜の花を食べる、と種袋に書いてあったが、食べ方はいま一つはっきりしなかった。菜の花専用種であれば冬の間にも薹が立つ。しかし、のらぼう菜は春になってから薹が立った。食べてみると、やわらかく、癖のない味である。薹のたった植物にありがちなアクの強さもない。それで、食べ方が分かったような気がした。のらぼう菜は端境期にもおいしく食べられる野菜として利用することができるのではないか。

 菜っ葉類でも薹の立つのが遅いのが高菜である。5月になって薹が立つので、春の端境期には貴重な菜っ葉である。

 分葱[わけぎ]も端境期の野菜である。3月から4月に利用できる。しかし、5月になると葉が硬くなる。

 生鮮野菜以外に冬に仕込んだ漬け物もこの時期に活躍する。

 春は山菜の季節でもある。蕗の薹土筆[つくし][たけのこ][わらび]等の若菜を摘む。考えてみれば端境期を補う植物である。



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 ダイコンを蒔いた畝は春草に覆われていた。その草を昨日と今日で草取り鎌で刈り取った。草も畑のうちである。そこで、草を畑に返してやった。
 私は畝の方向と直交する方向に種を蒔く[縦ガンギ]が、ガンギ[蒔き床]とガンギの間に溝を掘り、そこに草を入れて踏んだあと、土を被せる。いわば、土に《あんこ》を入れるのである。
 画像で畝の隅に並んで立っている緑のポールは、蒔き床の目印。ポールとポールの間に草を入れる。
 

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ダイコンを蒔いて不織布で畝を覆ったところ。手前は、ほうれん草と人参を蒔く予定。
 今日はニンジンを蒔こうと思っていたが、種を忘れてきた。そこでダイコンを蒔くことにした。ニンジンにしろダイコンにしろ3月下旬に蒔く。ダイコンは2カ月後、ニンジンは3カ月後に根を食用にするが、それまでに間引き菜も利用する。ダイコンでも二十日ダイコンを蒔けば1カ月もすれば根を食べられる。

 蒔いたのは、時無大根とカザフ辛味大根。カザフ辛味大根はいままでは秋蒔きしかやっていなかったが、ふと種袋を見ると春にも蒔けるようになっていた。上半分が緑色の丸い形をした、清々しい辛味のあるダイコンである。そこで今春、試してみることにした。

 春蒔き大根は薹が立つのがはやい。発芽してしばらく間に低温にさらされると薹が立つのが早まるそうである。だから、マルチとかビニール被覆とかで温度を確保するといいのだが、不織布をべた掛けしてごまかした。
村便り:2009-03-26(木) (コブシとモクレン)
投稿日:2009-04-02(木)


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霜にやられたモクレン
 今春は暖かくなるのがはやい。庭のモクレンも、コブシに負けず開花を始めた。ところが今朝は冷え込み、霜が降りた。井戸端にある水道も凍って、朝のうちは水が出なかった。モクレンに目をやると霜にやられていた。はやばやと花弁を開いた花などは無残にも全体が茶色に萎んでいた。山はもっと冷え込んだはずである。しかしコブシの花が霜に負けるのは見たことがない。冬枯れの山にいちはやく春を告げる花らしい強さである。
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