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村便り:2012-02-25(土) (カブトムシの幼虫)
投稿日:2012-02-28(火)

 春の畑作シーズンが本格的に始まる前に、畑の準備をする必要がある。冬の間にやろ.といろいろと予定を立ててはいたが、冬は足早にすぎてしまおうとしている。気がつくと、三月も間近。

催花雨
 この二月は雨が多かったように思う(もしかしたら記憶違いかもしれないが)。春先の雨を「催花雨」というらしい。最近、はじめて知った言葉である。二月終わりの雨も、そういうのかどうか知らないが、この頃の雨は、冬の凍るような雨とは大分おもむきが違う。いわれれば、たしかに花芽を目覚めさせるようなやわらかさがあるような気がする。二月十九日は二十四節気の「雨水」である。水ゆるみ、草木が芽生える時節の謂であるから、二月下旬の雨を「催花雨」といっても、おかしくはないかもしれない。そのような風流な思いも、しかし、すぐに心をせき立てる。催花雨は畑をも潤し、草や野菜が目覚めるからである。

 今日は、まず踏み込み温床の整理をすることにした。三月の半ばに温床で育苗を始める。そのために、三月始めには温床の枠づくりをする。予定をそのように逆算してくると、そろそろ、昨春、作った温床を片づける頃になった。


イノシシに荒らされた温床
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イノシシに荒らされた温床。
 去年の3月24日。温床に種まきしたトレイを入れて、二日目のことである。
 
整理を始めた温床
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整理を始めた温床。
 育苗ポットはすでに整理を終わり、画像左下に写っている。温床の枠は外して温床の上においてある。まだ堆肥は掘り出していない。
 
カブトムシの幼虫
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温床にいたカブトムシの幼虫。
 一匹、飛び抜けて小さい幼虫がいるが、これもカブトムシか? もしかしたら、カナブン?
 
温床の堆肥の掘り出し
 去年の温床は二度、イノシシに襲われた。最初は、育苗開始間もないころ、二度目は、鉢替えした苗が大きくなり始めた初夏。イノシシは温床の堆肥のにおいに引き寄せられて来たのだろう。温床の枠を壊し、堆肥を掘り返した。獲物(ミミズとか虫の幼虫とか)を探したと思われる。二度目の来襲で、昨シーズンは、畑作する心がくずおれてしまった。そして、温床には、荒らされた苗をそのままにしておいた。その苗は先週、片づけた。そして、今日は、中の堆肥を掘り除いた。

 先週、温床の堆肥を少し掘り返してみた。堆肥にはよくカブトムシの幼虫がいる。じっさい、掘り返すと三匹の幼虫が出てきた。幼虫がいるとなると、経験からすれば、温床全体で二十匹はいる。今日は、その幼虫をすべて掘り出すつもりでもあった。ところが、幼虫は四匹しか出てこなかった。場所から考えて、三匹は先週の幼虫と同じものと思われる。一匹は極端に小さかった。幼虫がいることからして、ここに産卵したことは間違いないだろう。しかし、四匹しか残っていない。理由は私には分からなかった。


冬眠を覚まされたカエル
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冬眠を覚まされたカエル。
 画像上部の、茶色の細長い筒はゴム手袋の指。
 
ナメクジの卵
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ナメクジの卵。
ワラグロの、重畳する命の世界
 温床の幼虫をあてにしていた。或る人から、カブトムシの幼虫がほしい、と頼まれていたからだ。わずかしかいないのが分かって、私はあわてた。カブトムシの幼虫がいそうな場所は、もう一カ所ある。「村便り:2012-01-28(土)/01-29(日) (寒起こし)」で書いた、休耕田のワラグロである。温床での作業が一段落してから、今度は田んぼに行った。ワラグロの堆肥化した藁を少しずつ剥がすようにして探すと、はたして今度は幼虫が次々と出てきた。その数、四十八匹。その人には二十数匹という数を伝えていたので、安堵した。

 ワラグロには、冬眠中の小さなカエルと、ナメクジとその卵が見つかった。カエルは少したつと迷惑そうに動き始めた。邪魔をして申し訳ない気がしたので、カエルは、寝床にしていた堆肥化した藁と一緒に、十二月に新しく作ったワラグロのそばに移動してやった。ここなら目覚めるまで平穏に過ごせるだろう。ナメクジの卵は…これも申し訳ないが、その辺りに投げ捨てた。


自然を生きる倫理
 カブトムシの幼虫にしても、カエルにしても、ナメクジにしても、田んぼにある、が作ったワラグロの中に棲んでいた。いわば私の所有権の及ぶ範囲内に彼らは棲んでいた。だから、私は、自分の所有物を分贈与するように、カブトムシの幼虫を或る人にあげる。そのように、はっきりと意識してではないが、思っていた。

 しかし、その思いには、なにか理不尽なところがあるような気がしてきた。

 田んぼが田んぼであり、ワラグロがワラグロであるのは、また、それらが誰かの所有権のもとにあるのは、私を中心にした人間にとってである。私の世界での、人間の世界での、田んぼやワラグロとしての用途であり、所有権である。他方、カブトムシにとっては、ワラグロはワラグロではなく、産卵場所であり、孵化した幼虫にとっては、住処であり、食料庫である。ワラグロはカブトムシの世界にあっては、人間の世界におけるのとまったく違う様相と意味合いをもつ。ワラグロは、二つの同等の価値をもつ、また、それぞれが固有の価値をもつ、世界の重なり合いである。

カブトムシの幼虫のためのベッド
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カブトムシの幼虫のためのベッド。
 堆肥から掘り出したカブトムシの幼虫は、ふつうは、別ところに作った堆肥のベッドに移動してもらう。たまたま私の力が比較的強大であるがゆえに、彼ら世界を破壊してしまったせめてもの償いである。でも、それから先の面倒はみない。たとえば、ベッドがイノシシに掘り返され、餌食となっても、それは二つの命の世界の出会い、重なり合いの、いわば自然の理にしたがった結果であり、私が介入すべき筋合いの事柄ではない。

 ところが、幼虫たちを、自然の理から外れた仕方で、私の手から他の人の手に渡し、自然の理に外れた環境に置くのは、かれらの世界に対する越権であり、侵犯ではなかろうか。越権とか侵犯とかは、むろん法律にかかわることではなく、倫理にかかわることである。倫理とは、自然を生きる倫理である。

 そんなことを考えていると、なにやら居心地の悪い気がしてきた。

 カブトムシの幼虫は二グループに分け、一グループは畑の隅のドングリの木の下にベッドを作り、そこに放した。もう一グループは段ボール箱の中に堆肥を詰め、その中に潜ませて、別の場所に旅立たせた。到着した新しい環境のなかで、彼らの生を全うしてほしいものである。
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