てつがく村 を飾った 写真 たちが再登場します


村の入り口 2004

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田起しを見るジョウビタキ
(12月19日10時)

田を鋤くと必ず鳥たちがやってくる。

12月半ばの週末、稲刈り後はじめて田を起した。今年は稲刈りが近づいても、台風などの影響でなかなか田圃が乾かなかった。10月半ば、乾ききるのが待てず、ぬかるむ田圃で稲刈りをした。その後、重量のあるコンバインは所々に深い轍を残した。雨が降れば轍に水がたまり、なかなか乾かなかった。乾かなければ、トラクターを入れて秋起しをすることができない。水はけをよくするために横手[田圃の縁に沿って掘った入水用・排水用の溝]を浚ったり、田圃の中に溝を掘ったりした。12月半ばになってようやく、晴れた日が続いて田が乾き、また時間的な余裕ができた。もう冬起こしと言うべき季節になっていた。

田を起こしはじめるとジョウビタキが一羽やってきた。トラクターを動かす目印に田圃の隅に立てている棒に止まって、起こされていく土を見ている。トラクターが大きなエンジン音をたてて近づいても逃げる気配はない。ときどき何かを見つけたのか、田圃に飛び下りた。
他にも二、三羽のセキレイ(セグロセキレイ?)とカラスが一羽やってきた。セキレイは棒に止まることはせず、最初からひっくり返された土の上を歩いた。
鳥たちは土中から掘り出されたミミズや蛙などを捕食する。トラクターの音を聞きつけるのか、どこからかトラクターの姿を見つけるのか、必ずやってくる彼らは私にとって田起しの供である。
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出穂まもない初秋の田圃
(9月2日17時)

前の写真から一カ月半経過した同じ田圃の様子です。

8月25日にうるち米(粘り気の強くない普通の米)の出穂が全面的に始まった。もち米は五日余り早い。
出穂が始まると、稲作が大きな山をまたひとつ越えた、といった安堵感がうまれる。
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夏、早朝の田圃
(7月15日6時)

今年は梅雨明けが例年より九日ほど早く、7月11日頃であった。しかし、梅雨入りが5月29日頃で、六日ほど早かったので、梅雨の期間は短かったわけではない。言わば、梅雨の期間全体が例年より一週間ほどずれただけである。そのおかげか、年によっては五月、井手を流れる水が少なくなり、田植えの準備を進めることができず困ることがあるが、今年は水に不自由することはなかった。

今年は、稲作について、私にとっては画期的な年である。昨夏、購入したトラクターを使って田植までの作業のほとんどを自分一人でこなした。田植だけを、乗用型田植機をもっている人に委託しただけである。画期的なのは作業の上だけではなかった。意識の変化も共に生じた。一言で言えば、稲を作る、という意識が生まれた。これまでは、水管理にしても施肥方法にしても、稲の生育の仕方を詳しく知らずに、大雑把にやってきた。ところが、作業のほとんどを自分でやってみると、一方では、稲の生育と、他方では、代掻きに至る一連の作業、施肥方法、水管理、雑草管理などが、互いに関連をもって意識されるようになった。稲作に関する本を何冊か読みもした。

水管理に関しては、田植えから一カ月ほどは、田の土が露出しない程度に水深を保つようにする。
田の土が露出すると、そこに雑草が生える。たとえば、稗がそうである。(塊茎から発芽するクログワイなどは水の中でも発芽する。)苗が活着するまで、草を水で抑えて抑えておいて、田植え後十日あまりして除草剤をまく。まいたあと少なくとも一週間ほどは、湛水状態にしておかないと、効果が薄い。
水を湛えておくのは、書物によれば、保温して稲の生育を促進するためでもある。だから、水は早朝入れるのが理想である。すると、日中、水が温まり、夜間も保温効果が続く。
田植えの準備をしているときは、平日でも早朝や夕方に作業をする日が続いた。その時は、田植えが終われば楽になる、と期待していた。しかし、田植えが済み、植え継ぎが済んでも、期待していたほどには楽にはならなかった。早朝、出勤途中に、田圃に寄り、水をあてている間、他の作業をして時間をすごす、という日が続いた。
七月も上旬が過ぎると水の管理も楽になる。表面に水たまりが見えなくなると水を入れる、ということを繰り返す。田の土がいつも充分に湿っている、飽水状態に保つ。

水管理が楽になった、と思ったとたんに梅雨明けである。雨が降らないと、幅40cmの井手はめっきり水が減ってくる。水の引き方にはルールがないので、田が乾いてくると皆が一斉に自分の田に水を引く。困るのは、井手の終端部に位置する田圃の所有者である。その一人である私は、梅雨明けからは毎朝、田圃を見回ってはため息をつき、井手を流れる水量を見てはため息をつく。上の方の田圃には水がたっぷり、下の方の田圃は乾いてひび割れ。そういう季節にこれからはなる。

写真は、朝の露が乾ききらない、涼しい田園風景をお届けします。右前方が東。太陽が上がり始めています。
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サラダバーネット
(5月1日14時)

畑に生息するハーブたち

(ハーブは、とくににおいを(も)楽しむ食用植物と理解し、ネギやシソなどの伝統的に利用されてきた野菜を除く。)

今、農園では幾種類かのハーブ(香草)が花をつけている。サラダバーネット*(写真)、タイム*、コリアンダー、ルバーブ*、ロケット、ワイルド・ロケット*である。(名前のあとにアステリスク*がついたものは、多年草。)ハーブ園といったものを作っているわけではなく、畑のあちこちに、多年草の場合は、他の野菜の栽培に邪魔にならぬよう、隅っこに、生えている。ハーブに分類されるうるもので、農園に住みついているのは、ほかに、サフラン*、バジル、イタリアン・パセリ、フェンネル*、ホースラディッシュ*、ミント*、レモンバーム*(ミントの一種)である。今年からナスタチュームも仲間に入れようと思い、現在、育苗中である。

サフランを除いて、私が農耕を始めてから、農園に導入した。植えたものの利用していないものもある。コリアンダーは私は好きだが、家族がにおいがきついと言って嫌うので、食卓に上がることはない。ホースラディッシュはなかなか利用する機会がない。ルバーブは一群(3株)しかないので、葉っぱを切り取ると弱って消えてしまうが怖くて、利用できない。サフランは、花をつけたときにその存在を思い出すだけである。

サラダバーネット
写真のサラダバーネットは、去年、種から育苗した。いまは、20株ほどがかたまって「生息」している。薹がたたないときは、地面から葉っぱが四方八方に広がって茂り、名前が示すように、サラダに利用する(葉っぱの形は、左下の写真を参照。)。冬の間も、青々としている。花が咲くのを見るのは今春が初めてである。蕾は松かさに似ている(写真、左上)。蕾を構成するひとつひとつのブロックが花をつける。そのブロックごとに実がひとつ、つくと思われる。今のところ株は十分にあるので、採種するつもりはない。

ハーブの中には、実を落として自然に生えてくるものがある。コリアンダーは雑草のような生命力がある。フェンネルも増えていく。イタリアン・パセリは消えない程度に発芽する。ところが、ロケットは種はたくさんできるのに、発芽するものは少ない。だから、毎秋、わざわざ種蒔きをする。サラダバーネットの場合はどうなのか、楽しみである(増えすぎると困るが・・・)。

ワイルド・ロケット
ワイルド・ロケットは去年、種苗カタログで発見して、栽培を始めた。春に育苗して定植したものは、自然畝で育てたが、成長しないうちに虫に食われ、いつのまにか消滅してしまった。残った種を秋に、自然畝に直播きした。数株が発芽したが、春の例があったので、以降の生育を期待しなかった。小さな草姿で冬を越し、春になると成長をはじめ、花をつけた。ワイルドの名にふさわしく、たくましい様子は、昨春のように虫にやられてしまうような気配はない。
(ワイルド・ロケットの写真はここをクリック。)

ワイルド・ロケットという名前だが、一年草のロケットの野生種であるかどうかは確かでない。葉の切れ込みは、ワイルドの方が深く、葉の幅も狭いが、お互いよく似ている。葉の緑は、ワイルドの方は白味がかっている。味は、辛味があり、ごまの風味がするのは共通しているが、ワイルドの方がもっと刺激が強い。花は、一年草は白いが、ワイルドは黄色で小さい。種は、いずれも小さいが、ワイルドの方がより小さい。このような類似と相違のゆえに、私自身は、野生種を育てているつもりでいる。
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早春の畑
(3月14日14時30分)


今年は春の歩みがいつになくはやい。地球の温暖化が心配されている時勢では、この常ならぬ歩みは不安である。寒さが和らぐ今を通り越して、頭にははやばやと夏の水不足が浮かんでくる。今冬、雨が多かったわけではないので、いっそうのこと不安である。

三月になると畑が忙しくなる。初旬には踏み込み温床を作り、トマト、ナス、ピーマン、シシトウなどの種を蒔いた。一昨日は休暇をとって、下旬から本格的に始まる春の種蒔きに備えて、空いている畑を耕耘機で鋤き、畝立てをした。

今、畑でとれるものは、菜っ葉類では、小松菜、ビタミン菜、高菜、ホウレン草、マーシュ、果菜類では、ブロッコリー、根菜類では、子芋(休耕田で作っている)、ビート、ニンジン、それにもう薹が立ち始めたが、ダイコン、薹を食べるものでは、紅菜苔などである。しかし、これらは晩秋から冬にかけて収穫したものの残りであり、遅からず薹が立つ。漬け菜類(上に挙げたものでは、小松菜、ビタミン菜、高菜)は、さらに菜の花を食べることできるが、それ以外のものは薹が立てば、食用としては終わりである。一番薹立ちが遅いのは高菜で、五月はじめである。
春は、だから野菜の端境期である。残り物や菜の花を食べながら、漬け物で不足を多少なりとも補う。白菜の漬け物は、おそらく四月中は食べられるだろうし、沢庵はそろそろ食べごろになる。

端境期を過ぎて、初夏の味を提供してくれる空豆と豌豆が今、春の生長を始めようとしている。豌豆のためには、すでに支柱を作った。やがて、ひげのような手を伸ばしてよじ登り始めるだろう。写真の自然畝に見えるのは空豆である。
写真に見える畝はすべて自然畝である。空豆の右隣の畝は、こちら側半分は草だけが生えており、真ん中辺りに、ニンニクが9本、畝を横切るように植わっている。家の台所で料理に使われようとしてた小ぶりのニンニク(「こんちゃん農園」産)に、鱗片が9片も入っているのを発見した。ふつうは多くても1球につき8片である。私はニンニクの酢漬けを作っている。材料として小さくてにおいの少ない早生ニンニクを使っているが、どうも大きさが安定しない。においはきついかもしれないが、小ぶりで鱗片が多いのはニンニク漬け向きだと思い、台所から持ってきて植えた。「新品種」ができるかもしれない(?)
同じ畝の続きには、去年の赤オクラの木が枯れたまま残っている。赤オクラは、青いオクラと違って、実が大きくなっても硬くなりにくい。「こんちゃん農園」の定番作物のひとつである。
ニンニクの向こう側に見える、こんもりとした黄緑の塊は、水菜(この水菜、食べられないことはない)。その向こうは、二種類のニンニク(早生ニンニクの茎は食べられるが、家族が嫌うので、残念ながら食用にはしない)。さらにその向こうに、何本ものの枝を腕のように伸ばして斜めに立っているのは、富有柿。背景右に見える山は、おなじみの(?)灰ヶ峰。灰ヶ峰の方角が南である。

以上、こんちゃん農園の近況でした。
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夜明け
(1月下旬7時30分)

初秋に唐辛子の写真を掲載してから四ヶ月近くが経ったが、更新されない写真をよそに季節は着実にめぐり、真冬になった。今冬は十二月半ばに降雪があったきり、雪はない。写真はじつを言うと、約一年ほど前、村の入り口の写真に使おうと思って撮ったもの。しかし出番がなく、お蔵入りしてたのを取り出してきた。

去年の秋あたりから、妙な季節感覚を覚える。たとえば、稲の株が残る冬の田圃を耕耘している時、すでに春の荒起こし、初夏の田植が間近に感じられる。むろん農耕のスケジュールはいままでも頭のなかにあった。ただ、六ヶ月ほどの先の農作業は、まだ遠い先のように思われていた。それが、ほんの近くに感じられだしたのである。
遠い先が間近に感じられるだけではない。その感覚に比例するかのように、時の経過がはやく感じられる。このままだと、これから年ごとに少しずつ時間が加速するようにも思われる。この時間感覚は、大きな螺旋を描きながら経めぐっていた季節が、経めぐる螺旋をどんどん狭めはじめた、といった具合にイメージ化できるかもしれない。
加齢が時間を加速させ、経験が時の形象と概念を沈殿させ結晶させる、ということは知識としてあった。しかし、その二重の知識が見事にひとつの体感になったことに軽い驚きを覚える。
農耕経験はまる八年になる。その経験が知らず識らずに時間の形象を沈殿させていたのだろう。私はまた別の経験をもっている。サラリーマンとしての経験である。その経験から生まれる時間の形象を意識したことはない。たしかに一年一年が区切られてはいる。そして、一年一年が少しずつ加速しているのを感じる。しかし、その時間はおそらくは螺旋とは別の形をもっている。だからこそ、妙な季節感覚に驚いたのである。
ふたつの時間は、結局はふたつの生の有り様に根をもつ。ふたつの生の有り様は、しかし私という、ひとつの肉体の有り様である。とすれば、もっと具体的な生の根底があるのではないか、とおぼろげながら考える。農耕を生きながら、深いところから躍動する生を感じることができたら、と思う。

今年もよろしくお願いします。

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