てつがく村 を飾った 写真 たちが再登場します


村の入り口 2001

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サイズ500 X 516

ここをクリックすると笛と太鼓の音が聞こえてきます。(1分)
秋祭り(竹内神社)
(10月8日、午後)

村には二つの神社がある。ひとつは、村の平坦部に、もうひとつは、灰ヶ峰の山腹に登る斜面にある。それぞれ名前は、多賀雄神社、竹内神社という。
竹内神社の祭りの名物と言えば、高い幟である。大きな木の台に太く長い孟宗竹を取り付け、さらに、その竿の先端に、枝で飾った竹を継ぐ。幟は秋の空に向かってそそり立つ。
祭りの前々日に幟を立てたり、祭りが終わった当日の夕方、幟を倒したりするときは、一本の幟でも何人もの男たちが共同して作業しなければならない。それでも、重い木の台が倒れかかったりしてヒヤリとすることがある。
祭りはいまは、自治会で実施しているが、かつては、若者たちが中心となって行っていた。竹内神社の地区は、二つの谷に分かれている。祭りになると、二つの谷の、強く勢いのある男たちがそれぞれの幟を競って立てた。高い幟は、遠くから見ても社の存在をはっきりと示す。村の力を象徴するかのようでもある。
いまは若者たちは少なくなり、彼らだけでは幟立てはできない。しかし、幟はいまも昔のようにひときわ高く秋の空に立っている。

幟−写真拡大はここをクリック
サイズ300 X 441
(左の写真は境内に立っている幟。右側の3本は東谷の幟、左側の3本は西谷の幟である。木の台は、石製の穴に深く差し込まれている。それに竿を乗せて支え、さらに竹を継ぐ。「三段幟」である。)

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サイズ500 X 592
ゲシに咲く花
(9月終わり、午後)

稲刈りが近づくと、田の水を落とす。4カ月ほど水の入っていた田圃を乾かし、稲刈りをやりやすくするためである。鎌で刈っていたころも、むろん田の水を落としていた。しかし、多少水が残り、ぬかるんでいても、なんとか稲刈りはできた。泥に足をとられないように、刈った稲の切り株に足を乗せ、刈り進んだ。ところが、機械化された稲刈り、とくに、刈り取り、脱穀、藁切りと散布を同時にやる大型コンバインを使う場合には、田圃は乾いていないと作業ができない。
田の水を落とすためには、ムナクトを切り、横手[田圃の周囲をめぐる鍬の幅程度の水路]がある田圃では、横手の泥を浚って水はけをよくする。ダブ[湿田]で作業すると、全身泥だらけになったりする。
ムナクトとは、田圃の畦に作られた排水口である。ムナクトは、田植え前に切り開き、そこにまた田土を入れて、田の水が流れ出ないようにする。稲が小さいころは、ムナクトの高さを調整して、水深をあんばいする。。そのムナクトは4カ月も経つと畦の他の部分同様、固くしまってしまう。すると、なかなか排水口を掘り開けることができない。じつは、それを見越して、ムナクトを作るとき一工夫する。排水口の底に藁を敷き、その上に田土を乗せる。秋にムナクトを切るとき、藁のところに鍬を入れると、排水口をふさいでいた土が簡単にはずれる、という寸法である。写真の中央右に、掘りあげたムナクトが見える。

畦花
ムナクトを切り、下の田圃におりて、ゲシを見たときである。赤紫の小さな花がいくつも咲いていた。大きさは2cmたらず。普段なら気にとめない地味な野草である。ところが、上の田圃の法面[この法面をゲシと言う]のあらちこちらに、いくつも咲いている赤い花は、秋の澄んだ明るい光を受け、草の緑の背景から、目に鮮やかに飛び込んできた。上下の田圃の段差が1mほどあり、下の田圃に立てば目につきやすい高さに咲いていたせいもあるのかもしれない。私は作業の手を休め、しばし目に快い刺激を楽しんだ。

(花の色は、モニターで見ると薄い紫だが、実際にはがかったである。生身の目と機械の目との感受性が異なるためか、カメラの腕がないためか、色については「写」になっていない。今回は色が命なので、残念である。なお、この草の名前を私は知らない。)

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サイズ500 X 447
わしゃ、畑猫じゃ
(9月9日、午後)

ハッハッハ、これで有名になれどぉ。わしゃ、「てつがく村」の畑を餌場にしちょる猫じゃ。仮面ライダーみたいな顔で、かっこええじゃろう。
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わしの生い立ちを少々。わしゃ、6、7年も前からこの一帯を縄張りにしちょる黒猫(♀)の息子じゃ。お母ちゃんは、野良猫で捨て猫。
お母ちゃんの話じゃぁ、お母ちゃんがほんまにこまい頃ぁ、飼い主は、それりゃ黒猫でもかわいかったけん、かわいがりょうったげな。ほいじゃが、ちいとおぉけぇなりゃ、黒猫は気味がわりいじゃろう。おまけに、雌猫じゃ。飼い主は、めんどうなことにならんうちに、ゆうて、お母ちゃんを車に積んで、この辺に捨てたんじゃ。ほいでも、お母ちゃんは、飼われちょった経験があるんで、人なつっこい。そのおかげで、人間からときどき残り物をもろぉたりして、とうとうここに住みついた。それからぁ春と秋の年に2回、欠かさず、子どもを生んだんじゃげな。ほいじゃが、子どもは、わしの前は、一匹を除いては、みんな生まれて何カ月かすると姿を消した。その度に、「野良猫はなかなか生きられんもんじゃの」と、この辺の人間はため息をついたげな。
わしも生まれたときは4匹きょうだいじゃった。ほいじゃが、今じゃとうとう、ひとりっきりになってしもうた。わしもときどき人間に残り物をもらう。ほいじゃが、それだけじゃ、ひもじゅうてしょうがなぁ。生きていけん。ほいで、お母ちゃんに教えてもろうて、虫とか、蛙とか、鳥とかを捕って食うようになった。
餌場として、よぉ、「村の世話人」の畑を使わせてもろうちょる。このおっさん、何を考えたんか知らんが、畑に草を生やしちょるし、めったに耕耘機を使わん。お母ちゃんの話じゃ、去年の秋ごろから、こがいな状態になったんじゃげな。まあ、おかげで、虫はおる、蛙はおる。山ん中いきゃ、ほりゃぁ、虫やネズミはおるで。ほいじゃが、イタチとか野犬とかがおって、いびせぇ[恐い]。それにくらべ、ここにゃ、わしより強いもんはおらん。お母ちゃんは別じゃけどの。じゃんけん、わしの天下よ。
「村の世話人」のおっさん、このまえ、わしが蛙を食べょぉったら、「おい、ちょっと待っちょけぇ。写真にとるけん。」と、デジカメをとりに走ろうとした。わしゃ、いびしょぉなって、まだ蛙を食べきらず、蛙の足が口から出たままじゃったが、走って逃げたわいの。まあ、今日は何も食べょぉらんけん、おとなしゅぅ撮られちゃった。
おっさんの話じゃ、わしの写真はつなぎじゃげな。このごろぁ、ええ写真がとれんけん、わしでも撮って一時しのぎをしょぉ、ゆうこっちゃ。いままぢゃぁ虫が主人公じゃったけん、虫を胃袋におさめちょるわしが出ても、そがいにおかしゅうはなぁじゃろう。
写真の説明をせえ、ゆうことじゃけん、簡単にやるの。ええやぁ。
あんたから見て、わしの右手は、草だらけのなかに生えちょるトウモロコシ。後ろの方は、もう枯れはじめちょる。手前の方は、7月下旬に種を蒔いたやつで、雄穂が出だしたところじゃ。つぎに、左手は、寒冷紗の中に、ブロッコリーじゃのキャベツじゃのが植わっちょる。中は、右手と同じように草だらけ。寒冷紗はチョウチョウよけじゃげな。わしのおるところは、ゆわんでも分かるじゃろうが、溝。どうしてか知らんが、人間はここしか通らん。おい、おっさん、このぐらいでええかのう。
ほいじゃ、「てつがく村」に来たら、わしに声をかけてくれんさいの。Salut! MIAOU-ou-ou.
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サイズ500 X 470
炎天下のカマキリ
(8月半ば、午後)

炎天下、雌穂の出始めたトウモロコシにカマキリがいた。昆虫は何でも好きな子供が見つけて、声を上げた。ノートパソコンの故障のため長い間、画像の更新ができなかった私は、「入口の写真」にしようと、急いでシャッターを切った。
この日は台風の接近のため天候が不安定だった。夕方、雨が降ったかと思うと、東の空に虹が出た。その虹を見ているうちに、低い雲が東からどんどん動いてきて、突然激しい夕立になった。小屋に雨宿りして、いい雨だが農作業の予定が狂う、などと喋っている大人を尻目に、子供は大はしゃぎで雨の中を走り回った
今年はセミが多い。夏の晴天が始まってしばらくは、子供は週末に畑に行くと、セミの脱け殻探しに熱中し、夕方には大人が両手でもつかみきれないほどの殻を集めていた。セミは5年前後地中で暮らし、地上に出てからは1、2週間で命尽きると言われている。そのため、古来、セミは生のはかなさの象徴にもなっている。「生のはかなさ」で言えば、カマキリの方がはるかに短命である。
しかし、写真のカマキリは、生をはかなむ表情をしているだろうか。強い日差しもなんのその、トウモロコシの葉に大股開きで止まり、どうだい、とばかりに、カメラの方を向いている。鮮明な影が、生の確かさを映している。
虫の短命をはかなむのは、人の、しかも知恵のついた大人の、感傷である。虫に対する感傷、といよりはむしろ、虫に己を投影しての感傷である。人でも、知恵が「熟する」以前の子供は、虫と戯れさえすれ、感傷はもたない。弾けるような息づかいで、風を雨を太陽を生きる。数年を生きる知恵と数十年を生きる知恵の、一体いずれが短命で、いずれが長命なのだろうか・・・
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サイズ450 X 519
コガネグモ
(7月、小暑の頃)

コガネグモを探していた。むろん、てつがく村に登場していただくためである。すると、井戸の近く、手入れもされず枝を絡み合わせながら伸びているツツジの陰に、一匹巣を張っていた。しかし、カメラマンの腕が悪く、巣の方はうまく写し出すことができなかった。写真の中央が、ほぼ巣の中央である。巣の中央から三方に伸びている太い糸のジグザグと、写真左下に写っている二本のミントとジグザグの一本との交差関係から、巣の位置を「見て」いただきたい。なお、コガネグモは、村では「だいじょうぐも」と呼んでいる。名前の由来は分からない。
小さいころ、コガネグモを捕ってきては、家の近くに放していた。蜘蛛は目の届く範囲に巣を張る。つまり、飼っていたのである。なぜ飼っていたか、というと、蜘蛛同士を喧嘩させるためである。棒の両端にそれぞれ一匹の蜘蛛を止まらせ、尻をつつく。蜘蛛は棒の中央に向かって進む。二匹は出会ったところで喧嘩を始める。強い方が相手を太い糸でがんじがらめにしてしまう。勝った蜘蛛が止めを刺す前に、負けた蜘蛛を取り上げ、巻きついた糸を外してやる。手に握った蜘蛛が掌の中でもがく感触が、いまでも甦える。小さいころ、コガネグモは宝物だった。

(この写真は、最初は「女郎蜘蛛」というタイトルで掲載した。しかし、女郎蜘蛛は別種の蜘蛛であり、コガネグモが間違って「女郎蜘蛛」と呼ばれることがある、と友人に教えられた。本を調べてみても、たしかにそうであった。そこで、最初のタイトルを変更し、説明文中の「女郎蜘蛛」も「コガネグモ」に訂正した。)

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サイズ530 X 595
天と地/生と命

ビックリグミの実の汁を吸う蜂
(写真上−6月半ば、夕方−)

黒ずんだ赤色に熟したビックリグミに蜂たちが取りついていた。グミ(村では「グイビ」と呼ぶ)の実は、鮮やかな赤の状態では、まだ渋みが残っている。しかし、黒ずんだ完熟状態になると渋みが消えて、甘い。昔はグミの実は子どもたちのおやつであった。しかし、子どもたちが減り、もっと甘いものが簡単に手に入るようになると、グミは実をいっぱいにつけたまま、見向けもされずに立っている。野良からの帰り、甘味を求めてグミに手を伸ばし見上げると、次の命を包み込んだグミの実を何匹もの蜂が吸っていた。蜂たちは見捨てない。

毛虫にたかる甲虫
(写真下−同日、朝−)

毛虫の季節である。今年は毛虫が多いようにも感じる。野良に出るとき、ふと地面に目をやると、死んだ毛虫に、小さな蟻や甲虫(名前は知らない)がたかっていた。当たり前の死と生の循環である。子細に見ると、二匹だと見えた甲虫が、二組、都合四匹いることが分かった。命の慌ただしく増殖する季節である。
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サイズ530 X 470
トノサマガエル
(5月終わり午後)

タマネギを収穫していた。タマネギを植えている畝は、自然農法に移行しようかと思っているので、草は必要以上に刈り取らなかった。だから、畝は、昨秋タマネギ定植の折りに撒いた切り藁の上に、ホトケノザが枯れて重なり、さらにオオイヌノフグリが種をつけて枯れはじめている状態である。草をかき分けると小さな虫たちが沢山出てくる。孵化して間もないてんとう虫の幼虫もいる。朱色がかった黄色なので、何かの種が落ちているようにも見える。
蛙も、数は多くないが、珍しくない。虫を狙ってやって来るのだろう。トノサマガエルがいた。いや、形からするとトノサマガエルだが、色が薄い。その蛙は、タマネギの畝から、ソラマメの畝に移動した。ソラマメの畝の両端にはライ麦が植えてある。その麦の下でじっとしていた。写真はその時のものである。
家に帰って百科事典を開いた。すると、トノサマガエルは雌雄で色が異なり、雌は灰白色である、と書いてあった。すると、写真は雌のトノサマガエルなのだろうか。ミクロな「てつがく村」、第二弾でした。
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サイズ505 X 461
てんとう虫(ナナホシテントウムシ)
(5月20日昼下がり)

畑仕事のおり、てんとう虫が目に留まった。てんとう虫そのものは珍しい存在ではない。ただ、五月の強い陽射しのもと、乾いた虫(?)の下に頭を入れたままじっとしている様子が注意を引いた。アブラムシなどを食べるてんとう虫の食性から考えて、写真のように大きな虫を食べているとは思えない。・・・もしかすると、脱皮して間もないてんとう虫なのだろうか。すると、頭の上の虫は、彼(彼女)の脱け殻か。脱皮したての身には、陽射しが強すぎると、彼(彼女)は日傘代わりに自分の脱け殻を被っているのかもしれない。・・・こんな想像をしてみるが、てんとう虫の脱皮を一度も見たことがないので、確信はもてない。(図鑑を調べみたが、脱け殻は、セミのそれのように、硬いようである。ヘビの脱け殻は柔らかいが。すると、てんとう虫は食事中か・・・)
ともかく面白い光景だったので、今回はてんとう虫殿に登場願った。ミクロな「てつがく村」もまた乙なものではありませんか?
ついでにナミテントウムシを見たい方は、ここをクリックしてください(少々ピントがずれていますが・・・)。さあ、何匹いるでしょう。
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サイズ500 X 564
花盛りの峠の山桜
(4月8日朝10時頃)

苗代町西條(にしじょう)から、焼山町本庄水源地に通じる山道。
西條から峠を越えたところに、山の斜面に根を張った大きな山桜がある。
本庄水源地は桜の名所であり、花の時期には一般公開される。

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450 X 450
てつがく村にも春が・・・
(3月)

左上:咲き始めた梅 (3月20日)
左下:蕗の薹 (3月7日)
右下:タンポポ (3月24日)
背景の写真は、1月中旬のとんどです。

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とんど
(1月中旬、午後)

正月の行事を締めくくる火祭り。小正月頃に行われる。
記憶では、村の世話人が小学生低学年の頃から一時途絶えていたが、近年復活した。
ここをクリックすると、とんどが燃え上がります。

村の入り口 2000

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てつがく村
depuis le 1er avril 2000