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ひろば(BBS)

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2006-04-13 ☆ エシャロット

《長い間の念願だったエシャロットの種球を手に入れて、この春、植えつけた。収穫は夏の終わりになる予定だが、はたしてうまく育つだろうか?》
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   エシャロットの収穫 (2006-07-08)

- エシャロットの記憶- エシャロットの種を求めて- ついにエシャロットの種球を手に入れる- 作型


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送られてきたエシャロット。
 物差しがわりに使っている茶色の角棒で大きさは分かっていただけると思う。黒のマジックで記した太い目盛りの間が10cmで、中間の細い目盛りが5cmの箇所を示している。
 エシャロットの下に青いラベルが見えるが、そのラベルには、「植物病虫害検疫通過証 保証付き植物」という文字が見られる。エシャロットを送ってもらうとき心配だったのは、入国の際、検疫に引っかからないか、ということだった。ラベルは、封筒の中に入れられていた包みに貼られており、かつ封は開けられたように見えないので、入国の際その効力を発揮することはなかっただろう。しかし、仮に封が開けられて(外の封筒には内容物が明記されてた)中のエシャロットがチェックされたとしても、ラベルが貼ってあるので、没収されることはなかったと思われる。友人の細かな配慮に感謝したい。

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植えつけたエシャロット。(3月26日)
 株間は大きくなった状態を想像して決定した。むろんこのあと覆土した。

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発芽したエシャロット。(4月9日)
 手前の二株は、発芽して三日ほどたったものと思われる。この写真では、芽を出したのは三株しかないが、結局7片の種球はすべて発芽した。
エシャロット(仏:échalote − 英語では、シャロット shallot)をご存じだろうか?ワケギに似た鱗茎を利用する。ワケギ同様、葉茎を利用することもあるようだが、私の知っているのは鱗茎利用だけである。

エシャロットの記憶
初めてエシャロットを食べたのはフランス留学中であった。もう長い間味わったことがないので記憶は不確かになったが、タマネギのようにピリッとした味だったように思う。夏に、そのエシャロットを鱗茎の軸にそって薄くスライスして、揉んだキュウリに混ぜ合わせて食べた。調味料としては、酢を主体にして、醤油と唐辛子を加えたように記憶している。暑い夏に食べると食欲がわいた。

エシャロットの存在と食べ方は、もしかしたら、当時よく行き来していたスリランカの友人から教えてもらったのかもしれない。スリランカでもエシャロットを食べるらしく、その友人は、ニンニクのように精が出る、と意味ありげな笑みを浮かべて説明してくれた。当時、友人も私も十分若かったので、精をつける特別な食べ物は必要ではなかったが、それでも、あるいはそれだからこそ、褐色の薄い皮に包まれ、紫色がかって締まった鱗茎が魅惑的な塊のように見えた。

エシャロットの種を求めて
帰国してからはエシャロットとは縁が切れた。日本ではまずお目にかかれないからである。しかし、パリの屋根裏部屋の思い出とともにエシャロットは何度も脳裏によみがえった。ある時、我が家で自家採種し保存してあったワケギの種球を見てエシャロットとそっくりであるのに気づき、それを口にしてみた。しかし、姿は似ていても味は違った。違うだけでなく、食用には向かない味がした。

二足草鞋の生活を始めてあまりたたない或る年、秋の種を購入するために種苗カタログを見ていて、エシャロットを見つけた。「グレーシャロット」という品種名で、まさしくパリの屋根裏部屋で食べていたものであった。早速購入して植えつけた。ところが、母がワケギと勘違いし、こんなところに余計なワケギが生えていても邪魔になるだけ、と思い抜いてしまった。抜き棄てられたものを探し出してまた植えつけたが、施肥の仕方もうまくなかったせいで、貧弱なエシャロットしか収穫できなかった。今度はうまく作ろうと気持ちを新たにして次年度のカタログを探したが、エシャロットは出ていなかった。その年だけに単発で発売した種だったのかもしれない。

二、三年後だったか、今度は別の種苗会社のカタログに「エシャロット」が載っていた。送られてきた種はエシャロットには見えなかったが、ともかく植えつけた。はたして伸びてきた葉茎は、以前栽培した「グレーシャロット」とは趣が違い、むしろラッキョウに似ていた。収穫期に掘りあげてみると、ラッキョウ以外には見えなかった。ワケギやエシャロットは薄くて乾いた表皮に包まれているが、その「エシャロット」はむき出しの鱗茎だった。食べてみてもラッキョウの味だった。

書物を調べてみると、日本では若ラッキョウを「エシャロット」と称して販売していることが分かった。念のために、種苗会社に電話して、ヨーロッパのエシャロットと同じ品種かどうか質問した。最初に電話に出た案内嬢では埒が明かず、いったん電話を切って、折り返し別の担当者が電話をかけてきた。エシャロットと名前がついているがラッキョウではないか、という私の質問に、その担当者は、ラッキョウではなくエシャロットであり、種は日本で長い間エシャロットを栽培している地域から供給している、と答えた。私は、その種苗会社の「エシャロット」とフランスで食べていたエシャロットの違いを指摘しながら、さらに、問題の「エシャロット」はラッキョウではないか、と問い詰めた。すると担当者は、違う、と突っぱねながら、最後に、エシャロットもラッキョウも学名は同じですよ(*)、と捨てぜりふに近い説明をした。

(*)学名は、一部は重なるが、完全に同じではない。完全に同じだとすれば、ラッキョウを「エシャロット」と名前をつけて販売しているからにほかならない。今でも、その種苗会社に限らず、「エシャロット」というラッキョウが怪しげな説明をつけて販売されている。

日本でエシャロットの種球が販売されていないのは、エシャロットが日本の食習慣に入り込めないからではないだろうか、と考え、もしエシャロットを栽培しようするなら、外国から種を輸入するしかないか、と思い始めた。以後、二度輸入種を手に入れたことがある。一回は、フランスから日本に来たフランス人に種を頼んだ。しかし、その種は、鱗茎ではなく、抽薹した花が結実したものであり、しかもF1種(一代交配種)であった。F1種ではなく、普通の(固定種の)エシャロットが欲しい私は、せっかくのその種を蒔かなかった。もう一回は、タイから来た人が、タイのエシャロットだといって鱗茎を二、三個くれた。表皮の様子からしてまさしくエシャロットであるが、形状は小さい球であった。もともと食べるためにもってきたらしく、すぼみ始めていたが、その鱗茎を植えつけた。そのエシャロットは今でも自然畝の片隅で生き続けている。

だからエシャロットは、フランスから帰国後の私にとって、幻の野菜であり、なんとか手に入れる手だてがないかと夢見る野菜であった。

ついにエシャロットの種球を手に入れる
二、三年前から、フランスの友人に頼んで送ってもらおうか、と考え始めていた。この三月に機会があり、エシャロットの種球を数個でいいから送ってもらえないか、とメールに書いた。私は九月に植えつけを予定にしていたので、その前に送ってもらえばよい、と書いたところ、しばらくして、エシャロットが送られてきた。しかも、いま植えること、と指示した手紙がついていた。

植えつけ時期に私は困惑した。日本に帰って最初に手に入れた「グレーシャロット」の栽培説明書には、秋に植えつけて春に収穫する作型が説明してあった。ワケギと同じ作型である。エシャロットとワケギの類縁性は指摘されていることなので、その作型は私には妥当なものだと思えた。だから春植えは奇妙に思えたのである。さらに友人は園芸には無縁の人である。それだけによけい、春植えの指示に私は戸惑いを感じた。そこでメールで友人に確かめたところ、すぐに返事が戻り、園芸をやっている人に尋ねたら、いますぐに植えて、夏の終わりに葉茎がしおれたら収穫する、と説明した、と書かれてあった。なおも疑念を抱きながらも、私は三月二十六日に植えつけた。すると一週間余りして発芽した。

作型
発芽しても植えつけ時期が正しいとは限らない。疑念が消えぬまま、私は図書館で栽培関係の書物を数冊、調べてみた。そして、ヨーロッパでは春植えが行われている、との記述を見つけた。「オランダやフランスでは主に球を料理の味つけに用いているが、4月15日以後に前年度産の貯蔵球を植えつけ、夏の間生育させ、8月末以後葉が退色したころ肥大した鱗茎を掘りあげている。」(『野菜園芸大百科 10』農山漁村文化協会,1989年刊)その記述でやっと疑念が晴れた。春植えの作型はすくなくともフランスでは可能なのである。すくなくとも、と書いたのは、オランダやフランスと私の村との気象条件が同じではないからである。同じ書物に「シャロットはその栽培地と生育状況からみて、生育適温は20℃前後と思われ、日本では夏は高温に過ぎ、冬は低温に過ぎるため西南暖地[の秋植え]か夏季の冷涼地[の春植え]が栽培に適すると思われる」([…]は私による補足)と書いてある。西南暖地寄りの私の村は、フランスに比べれば「夏は高温に過ぎ」る。だから、作型としては秋植えが好ましいのではないか、と考えられる。ただ、春植えの利点として、鱗茎の肥大に障害となる抽薹が少なくなる(同書)ことがあるので、試してみるだけの価値はあるだろう。

ともかく春植えの作型が存在することが確かめられたので、村の気象条件ではどのような生育をするだろうか、との問題意識をもちながらも、いまでは疑念なしに栽培を続けることができる。あとは夏の終わりに、若き屋根裏部屋の味が記憶からよみがえるかどうかが楽しみである。
 
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