☆ 2006-05-01 ☆ 晩春の山の色
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おおよそ西方に掃部城[かもんじょう]を見る。掃部城[標高421m]は一番奥の山。見事な「錦織」とは言えないが、晩春の落葉樹林の様子は分かってもらえると思う。
なお、山名の由来になった掃部城はこの山頂ではなく、右下の小丘(写真には写っていない)にあり、現在、掃部城と呼ばれている山には二の丸があったようである(『呉市史 第二巻』1959年による)。
私が小学生だった昭和三十年代には山にはハゲが目立った。掃部城も例外ではなかった。山頂には水晶が出るので、採りに登ったことがあるが、登り道のところどころで、花崗岩の風化した土からなる山肌が露出していた記憶がある。『呉市史 第二巻』に載っている山の写真でも、何本かの尾根筋がハゲている。第二次世界対戦後、ハゲ山にはハゲシバリが植林され、また人が木を切りに山に入らなくなったので、村から見える山は今では木が生い茂り、ハゲはない。木に覆われても、掃部城の山頂への道はかろうじて残っているそうである。
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晩春の山は不思議な色をしている。山桜の花が灰ヶ峰[村を取りまく山の中での最高峰、標高737m]の頂上付近からも姿を消すと、いよいよ新葉の季節である。新葉の色は木の種類によってさまざまである。黄緑、白っぽい緑、薄い赤茶といった、いろいろな新葉が山腹を覆う。だから落葉樹の多い山は、枯色のキャンバス地を色とりどりの斑点で塗りつぶしたような、暖色系の淡黄緑とでもいうべき色になる。
さらに、その不思議な色には柔らかい量感がある。新葉の色の淡さのゆえもあろう。だが加えて、色の対比対照によって樹形がきわだつからだろう。落葉樹の大木は枝が広がる。だから、山腹は近目には、三次元のふくらみのある扇子をいくつも開いて重ねたように見える。遠目には、凹凸のある錦織のように見える。
晩春は、春から初夏にかけての山肌が独特の色合いを見せる時節である。それは、変化のはやい季節の短い時節であるがゆえに、私は今まではとりたてて注意を向けたことはなかった。考えてみれば、四季のある風土では、秋の紅葉に対称的な時節であると言えよう。
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