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ひろば(BBS)

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2003-08-05 ☆ 田の草取り
(旧暦 78日)

−長い梅雨も明けて稲の生育は順調−新手の雑草も「順調に」生育−夏休暇は田圃「合宿」−草取りという美田

長い梅雨も明けて稲の生育は順調

5月30日の記事で、兼業農家は「趣味」だと書いてから2カ月余りが過ぎました。例年より1週間も遅く梅雨が明け、梅雨明け後もぐずついた天気が続きましたが、稲は順調に育っています。
ただ、稲の生育に日照不足の影響はあるようです。すぐ上の田圃は早生が植えてあります。田植も早く、我が家より2、3週間も早い5月中旬には終わっていました。その田の所有者によれば、去年の日記には、8月1日に穂が出始める、と書いてあるそうです。しかし、今年はまだその気配はありません。
我が家の場合は、中手を作り、田植も6月始めですから、いまのところ日照不足の影響を受けているのかどうか、はっきりとは分かりません。だから、順調に育っているように見えるのかもしれません。もっとも、多少出穂が遅れたとしても、西日本ですから、冷害の心配はないでしょう。

新手の雑草も「順調に」生育

「順調に育っている」のは、稲だけではありません。
先週の始め、早朝に田の草取りをしました。1週間ほど早朝草取りをして、雑草をあらかた退治するつもりだったのです。除草剤を使う以前は、田の草取りは、1番草、2番草、3番草といって、3回行ったそうです。手植え時代は、田植は6月後半でしたから、盆過ぎの出穂まで約2カ月、2、3週間おきに田の草取りをやっていた、ということでしょうか。(私は、手植え時代の稲作の経験はまったくありませんから、「2、3週間おき」というのは推測です。)いまでは、除草剤を使うので、水管理さえきちんと行えば、田を這う(腰を低く屈め草を抜いていく作業は、まるで田の中を「這っ」ているように見えます)必要はなく、草を拾う程度で雑草退治はできます。草が多い我が家の田圃も、ここ数年、少しずつ退治をやってきた結果、除草剤効果も相まって、稗は少なくなりました。私の思惑では、これで時間と身を削って草取りをすることはなくなり、稲作は少しは楽になる予定でした。
ところが、稗との戦いをやっているあいだに、新手が着々とはびこり始めていたのです。
そのことに気づいたのは、去年、稲穂が充実し始めたころ、稲の間に立っている稗を刈り取ったときです。青々と繁った、稲の条間に足を踏み入れました。すると、青々と見えたのは、稲の葉ではなく、雑草だったのです。ホタルイやクログワイが条間に密生していました。オモダカも生えていました。ホタルイ(カヤツリグサ科ホタルイ属)やクログワイ(カヤツリグサ科ハリイ属)は、イグサによく似た雑草です。また、オモダカはクワイに似ています(いずれも、オモダカ科オモダカ属)。しかし、取るには多すぎ、また草丈も高くなっていたので、去年はそれらを踏みつけながら、稗を刈り取りました。
ホタルイ
蛍藺(ホタルイ)
細長い葉の途中に花がついているが、写真でははっきりと確認できない。種子で繁殖する。
黒慈姑(クログワイ)は、地上部はホタルイによく似ている。ところが、軟らかい泥の中で引き抜くと、発達した地下茎が一緒に出てくる。。今の時期だと、地下茎の先から発芽している場合もある。地下茎で増殖するのが、ホタルイと違う点である。さらに秋になると地下茎には塊茎ができて、それが来年発芽する。
ホタルイは種子、クログワイとオモダカは塊茎によって繁殖します。それらが生えてきたときの一番の防除策は、抜き取ることです。種子を生産させず、塊茎を太らせないことです。しかし、去年、種子は存分にまき散らされてしまいました。ホタルイの種子の寿命は10年以上もあるそうですから、これから10年はホタルイとつきあわなくてはいけないことになります。また、塊茎に関しては、たとえ抜きとることができなかったとしても、稲刈り後、秋耕をして塊茎を太らせる地下茎を分断し、冬耕して塊茎を寒風に晒して死滅させれば、次年度、発生量を少なくすることができます。ところが、昨年は12月になってやっと耕起しただけでした。塊茎はしっかりと太り、次年度を待つ態勢が整ってしまっていたのです。
クログワイとオモダカには、田植前後に撒布する草枯らし(除草剤)は効きません。前年度の稲刈り以後の不精がそのまま芽を出します。ホタルイには効くと思いますが(除草剤の効能書きを確認しながらこの記事を書いているのではないので、間違っているかもしれません)、発生期間が長く、除草剤の効果がなくなってからも発芽するようです。
好条件が揃って、新手はきわめて「順調に育っ」てしまったのです。

夏休暇は田圃「合宿」

新手の雑草の繁茂を目にしては、早朝草取りといった悠長なことはやっていられません。放っておけば、今年度の稲の収量が格段に落ち、来年度はさらなる繁茂で稲を作るどころではなくなるからです。そこで、夏休暇をとり、集中して草取りをすることにしました。制度上、7月から9月の間、3日連続して夏休暇をとることができます。試験期間は終わりきってはいませんでしたが、私の場合、すべて授業の試験をレポート提出に代えているので、試験はありません。そこで、7月30日(水)から8月1日(金)まで夏休暇をとりました。3日間で、雑草を退治してしまうつもりだったのです。
問題の草は、我が家では一番広い田圃(7畝、700u)と2番目に広い田圃(5畝、500u)に生えています。一番広い田圃では、半分以上の面積を草が覆っています。最初の予定では、最初の田圃は全面、次の田圃は一部、草取りができる、と考えていました。しかし、結果は、最初の田圃だけが、やっと半分済んだきりでした。

3日間、1日平均7、8時間ほど、田の中を這いずり回りました。じつに単調な作業です。中腰で前かがみになり、水の中から草を右手で抜き取る。抜いた草は左手で束ねてもつが、手はすぐに満杯になる。その草を稲の条間に置く(この草は最後にはまとめて田の外に出します)。そこで顔を上げふと一息つく。そしてまた、チカチカと肌をさす稲の中に顔を埋める。田圃の中は、水が張ってあるため、意外と涼しい環境です。それでも、炎天下の作業です。脱水症にならないように、ときどき水を補給します。
3日連続して、一日中、田の草取りをしたのは今回が初めてです。除草剤以前の田の草取りの疑似体験をしているような気もしました。昔の人はいったん草がはびこると手に負えなくなることをよく知っていたので、ていねいに草取りをしていたのだと思います。だから、雑草の種は、現在の我が家の田圃よりも格段に少なかったのでしょうが、それでも、3番草まで取っていたのです。手で取る以外に、草を駆除する方法がなかったのです。そして、草を駆除しなければ、米がとれず、生きていけなかった。だから、現代人には気の遠くなるほど単調で、からだを酷使する作業を黙々と続けたのでしょう。

炎天下の草取りをしながら、ふと大学1年生のときの夏合宿を思い出しました。私はワンダーフォーゲル部に入っていました。夏休みに、1週間ほどかけて南アルプスを南から北へ縦断しました。歩きはじめて2日目だったかと思います。炎天下、急な坂を稜線に向かってのぼっていました。その最中に、私はダウンしてしまったのです。新入部員はからだが馴れていないのに、荷物は一番多く担がされます。私を含め新入部員の何人かはダウン寸前だったのです。誰かがダウンしてくれれば、最初に落伍した者の屈辱を味わわず、しかも休める。他の新入部員から、そういった思いをこめた感謝の声をかけられたのを覚えています。そこで、隊列は長い休みをとりました。そして、私は荷物も減らしてもらいました。しかしその代わり、夜のミーティングで上級生からきつく叱責されました。
いまはダウンしたとしても誰も叱責する者はいません。しかし、また同時に、誰も助けてくれる者もいません。稲作りから脱落してしまうだけです。だから、草は全部取りつくすことができなくても、時間と体力の許すかぎり取ります。そうすれば、来年度は取った分、草は減ります。こうして何年か(何年も?)かけて草を減らしていくしかありません。脱落しない方法はこれだけです。
今年の夏、大枚をはたいてトラクターを購入しました。一生稲作りをしたとしても元のとれぬ機械を買った以上、簡単に稲をやめるわけにもいきません。半農半サラの二足草鞋からの退路はまたひとつ、塞がれてしまったのです。いなむしろ、意識としては、退路が塞がれた、というよりは、この生活をとことん前進する、といった方が正確です。トラクターの購入も田圃での「夏合宿」も同じ意識のふたつの表現なのです。

草取りという「美田」

南アルプス北上の最終登頂目標は聖岳だったか赤石岳だったか、実家にあるにちがいない昔のノートを開かなければ分からないほど、ワンゲルの夏合宿は遠い昔の記憶になりましたが、炎天下でからだを動かしていると、その遠い記憶が甦えってきました。
しかし、今度は数日先の目標ではなく、草が少ない田という、何年もの先の目標に向かって、それゆえ若い日ほどがむしゃらではなく、無理をせずに無理をするといった足どりで歩きます。若い日にははっきりと見える目標に向かって突き進んでいきましたが、いまは目標にはさほど強い吸引力はありません。そのためか、夏の田圃の中、稲の株元をひとり黙々と這い回ること自体が目標のようにも感じられさえします。「美田」は長い苦労の結果ですが、一年もあれば田は荒れてしまいます。そして荒れた「美田」を回復するには、荒れた年月の何倍もかかります。今回、その当然の理が身に沁みました。しかし、他方、「美田」を回復する過程そのものが「美田」であるような気もするのです。この、ほとんど黙然とした思いが、これまたおそらく当然の理のように、くさぎるからだの中に、くさぎるからだの動きにつれて、感じられたのです。

思えば、去年もこの時期に田の草取りをしていました(コラム記事「8月6日」)。去年は稗刈りでした。今年の草は、ホタルイ、クログワイ、オモダカ。おそらくこれからも毎年、「美田」で草取りを続けるでしょう。
 
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