☆ 2002-09-08 ☆ 道うち
□9月8日(日)は地区の道うちである。道うちとは、道路周辺の草を刈ったり、側溝を浚ったりする作業で、1年に一度9月始めに行われる。いまは、軽自動車でさえ入りにくい農道までも舗装されているので、道うちと言っても午前中2、3時間で終わってしまう。しかし、道路が舗装されていなかった時代は道うちは実質的な意味があり、それだけ重労働であった。雨が降れば、農道は溝から溢れ出た水で浸食される。1年経てば、土を入れなければいけないほど浸食された部分も出てくる。補修しなければならない溝もある。だから、鎌で草を刈り、鍬で溝を整備し、人力で土を運んだ。生活道を協同作業で維持したのである。
棕櫚縄
大根は蒔けるか
□5日遅れでも10日遅れでも雨が降れば蒔ける。しかし、いま畑は乾燥しきっている。育苗しているものは適期が来れば定植せざるをえない。たとえば白菜はあまり遅れると白菜にならない。すなわち、結球しない。だから8月終わりに、遅くとも9月始めに、蒔いて育苗する。(育苗するのは、幼苗期のハムシの食害を防ぐためである。)しかも、白菜は本来移植を嫌う作物なので、本葉4枚までに定植しないと活着が悪くなる。だから播種して2週間程度すると否応なく定植せざるをえない。しかし、直播きの場合は極端に乾燥していると種蒔きを見合わせる。蒔いても発芽が悪いし、発芽を揃えるために灌水する手間はかけられない。8月に照っても、たいてい9月に入ると「大根雨」は降るものであるが、今年はその気配がかけらも感じられない。 □8月半ばに、休耕田に蒔いたソバも乾燥の影響で(だと思う)、発芽が悪かった。大根の発芽率は、種袋に記載されているものによると、85%である。秋大根の場合、丁寧に蒔けば、90%は発芽する。ソバの場合、種袋の発芽率は90%である。そのソバが50%を下るような発芽率であった。練習のつもりであったから、来年の種さえ採れればいいのではあるが、やはりショックであった。 □むろん8月半ばと9月に入ってからでは、いくら乾燥といっても条件は違う。9月に入ると地面からの蒸発が少なくなる分、乾燥していても地面が湿ってくる。しかし、今年は異常である。これから1週間の天気予報を見ても、雨は来そうにない。稲の方は、晴天にもかかわらずそこそこに水はあったので、むしろ出来はいい。しかし畑の方は、今秋は記憶に残る年になるかもしれない。 (9月9日掲載) |
|
[先頭に戻る] |
|
☆ 2002-09-06 ☆ 夏の野菜
畑の農繁期
渇いた体が欲望する命の精 □これで「農耕日誌」の夏の部は終了します。次回からは「農耕日誌」も季節に合わせて秋になります(なる予定です)。 |
|
[先頭に戻る] |
|
☆ 2002-08-10(土) ☆ 畔豆
□8月はコラム記事を1度書いたきりで、もう9月になりました。
□8月10日(土)はフシワラ井手の池の水を抜く。今夏2度目である。
□畝を作りおえて休んでいるところに、井手頭[井手の代表者。通常、その井手沿いで耕作地が最大の家が務める]がやってくる。いまは水のあて方を、「時間水」[田圃の広さに応じて時間を決めて配水する]方式から浸水方式[わたしが勝手につけた名前。田圃全体に水が行き渡るまで配水する方式で、水の入り具合は田圃の耕作者が確認する]に変えたので、井手頭は、池の水を抜く日には何度も井手や田圃を見回り、水のあたり具合を確認しながら、池から流れ出る水を加減したり、支流への水の流れを調整したりする。「何ぃ、植えるんな?」公務員を定年退職して3年ほどの井手頭は立てたばかりの畝を見て尋ねる。
畔の姿
□夕方5時ごろから我が家の田圃に水があたり始める。畑からポット育苗した青大豆を運んできて、作ったばかりの畝に定植する。田圃といえど、乾ききっている。しかも耕転したばかりなので土に含まれていた水分も飛んでしまっている。そこで、井手の水量が豊富なのを利用して、わたしはたごに水を汲んで、その水を天秤棒で担いで畝に運ぶ。そのわたしを見かけた上の田圃の所有者が「そがいなもん、ようあったの。ひいじいさんのころのじゃないか」と笑う。プラスチック製のたごなので、むろんひいじいさんの時代のものではないが、たしかにたごを担ぐ姿は珍しくなっている。
□ところで、この日も井手のジンクスは外れませんでした。夜から明け方にかけて雷を伴った雨がたっぷりと降ったからです。梅雨明け以来、はじめてのまとまった雨でした。ジンクスを外すことのない井手頭は、もしかするとユーモアたっぷりの名気象予報士かもしれません。 | |
[先頭に戻る] |
|
☆ 2002-08-06 ☆ 8月6日
池の水を抜く |
|
[先頭に戻る] |
|
☆ 2002-08-01 ☆ 炎天三話
夏荒れする農園
子芋の元寄せと枯れ草マルチ
□子芋[サトイモ]は、3回目の元寄せ。サトイモはこの時期になると、親芋についた子芋から芽が出ている。子芋も葉を伸ばし、また子芋をつける。最初の親芋から言えば、孫芋である。子芋から出た芽は、子芋自身が太り、さらには孫芋がつくように、そのままにしておく。父は、9月終わり頃には芽を切る、と言っていた。子芋の茎をそのままにしておくと、本物の親芋になって、芋の味が悪くなるからかもしれない。しかし、わたしは、回す手がないことがよくあるので、必ずしも切り取らない。 □子芋の元寄せを行ってから、畔の草刈りをする。ふたつを同時に行ったのは、理由がある。梅雨が明けると晴天が続くので、乾燥を嫌う子芋のために、畝に草マルチをしようと考えたからである。畔の草はマルチの材料である。 □子芋に限らず、黒ポリマルチを使った栽培はよく見かける。マルチは、乾燥防止と抑草の効果がある。ポリマルチの場合、たしかに効果は高い。しかし、「皮膚呼吸」ができず「毛」も生えなくなった土で育つ子芋はどこか病的な雰囲気がある。ポリマルチを使わない作物と使ったのとの両方を食べ比べたことはないし、ましてや成分分析などしたことはないので、たんに印象にすぎないかもしれない。たとえ印象にすぎないにせよ、さらに、ポリマルチ使用は或る生き方を内包している。分析総合主義だとか、人為主義だとか、効率主義だとか、抽象的な言葉を使えば、(そしてここではそれらの言葉の内容については省略するが、)そんな生き方を内包している。そして、そのような生き方、ないしは思想がそもそも「病的」であるように思えるのである。わたしは、そのような思想を受け入れがたいからこそ、ポリマルチは使わない。そして、ポリマルチを使わないことも、またひとつの生き方、思想だと思っている。 □1ガンギあたり2株、都合100株余りある子芋のすべてに草マルチをし終える前に、家路につく時間になった。裸の数ガンギは、マルチをしたガンギとの比較対象のためにそのままにしておこうと思う。 □一日、汗は流れっぱなしだった。一体、どれだけの水が体から抜けていったのだろうか。ちなみに、作業中に飲んだ水(わずかに塩を混ぜてある)は3リットル。それでも、夜はビールをがぶ飲みし、さらに夜は喉の渇きで目が覚める始末。(この時期、朝から晩までぶっ続けで農作業はできない。12時から3時間ほどは日陰とか家で休む。)
炎暑の完熟ジャガイモ
真夏の暗鬱
□7月30日(火)の朝、青大豆をポットに蒔いた。種は、去年は作らなかったので、一昨年のものである。
□夕方、黒豆の畝の草を刈る。1時間ほどかかっただろうか、刈り終えるころ(18時30分過ぎ)には、日は山の向こうに沈みかけている。短くなった日を実感させるような速さである。
□帰宅する前に、畑で水を必要とする野菜に灌水する。ナスに水をやっていたときである。従姉が「今年のナスは元気がないね。トマトも大けぇならんし。」とわたしの畑を見ながら声をかけてきた。わたしは生返事を返して、水をやり続けた。
□通いの週末農耕が肉体的にきついのには耐えられる。しかし、作物がうまくできてくれないと、こたえる。除草剤をかいくぐって成長したヒエ、肥料障害のナス、追肥の手間をかけてやれないトマトなどの野菜、それらが頭の中をめぐる。意気阻喪し、暗澹たる思いで帰途についた。 |
|
[先頭に戻る] |
|
★ 次の5記事 ★
★ 前の5記事 ★
「てつがく村」についての感想や意見をお聞かせください
・ 書き込み板(BBS)
〒 e-mail