天地人籟タイトル  
 
サイト内検索
 
▲次の記事
●記事一覧
▼前の記事
 
村の入り口
(TopPage)
 
 
ご感想やご意見は ...

ひろば(BBS)

e-mail
2003-03-07 ☆ 白菜漬け後日談
(旧暦 25日)
(この記事は「白菜漬け」の続編です。)

ここのところ更新が滞っています。2月中は、学校の仕事がとにかく忙しく、文章を綴っている余裕がほとんどありませんでした。3月に入りやっと一息ついたのですが、今度はそれまで手を着けることができなかった仕事を始めなくてはならなくなりました。記事種は2、3頭にあったのですが、文章にできませんでした。
そこで今日は短い記事をお送りすることにします。

☆ ☆ ☆

昨年末に初めての白菜漬けに挑戦した。その後日談である。

白菜は本漬けにして数日後から食べ始めた。参考にした漬け物の本に、3日目ごろから食べられる、と書いてあったからである。塩味について言えば、少し塩が少なかったかな、という印象だった。本漬けのとき、塩はほとんど加えなかったのが失敗だったかな、と思った。何度か食べたが、やはり物足りない。そこで、本漬けにしてから1カ月経ったころ、塩を足した。漬け物の上から塩をばら撒いたのである。分量にして、原材料の4%。ところが、今度は塩味が強くなりすぎた。そのため、塩抜きをして食べた。
塩を加えてすぐに気づいたことがあった。
「白菜漬けは数日後から食べられはするが、1カ月くらい経たないと味がこなれて来ない。その頃になると、最初はかたく、生のままのような歯触りだった根元の方もしんなりとして、塩味がしみてくる。すると、塩味は、足りない、という最初の印象と違い、ほどほどのからさに感じられてくる。」
塩を加える直前に取り上げた白菜が、まさにそういう塩梅だった。
だから、本漬けの際の塩の量としては、「気持ちだけ」の量でよかったということになる。もう少し増やして「少量」でもよいかもしれない。

塩以外に、唐辛子、昆布、するめ、柚子の皮を加えた。その結果の味については、賛否両論あった。家族は、「うるさい」味と否定的に評価した。塩と唐辛子程度の、すっきりした味の方がよかったようである。ところが、母は「おいしい」との評価であった。わたしが味の秘密を明かすと、味の謎がとけたような納得顔をした。わたしは自分が漬けたこともあり、深みのある味だと感じた。

冬の漬け物でわが家の定番となっているのは、沢庵漬けである。沢庵漬けは12月終わりに仕込むから、食べ始めるのは3月始めになる。味がなじみだすのは、漬けてから2カ月後だからである。すると、それまでは漬け菜とか大根や株の葉っぱとかの一夜漬けしかない。一夜漬けもいいのだが、もう少ししっかりした味の漬け物が欲しい。白菜漬けの初挑戦がまずまずの成果をおさめたので、来年からは白菜を定番に組み入れようかと考えている。12月始めに3カ月分漬け込む。(あるいは、12月始めと終わりの2回に分けて漬ける。)今年は、10個、20kgを漬けて、1カ月余りで食べたので、30個も漬ければ、3カ月はもつだろう。
昔風、あるいは田舎風の口のせいか、食事のとき漬け物が欲しい。今までだと、春の始めから夏の始めまでは沢庵漬け、夏の間はぬか漬けを食べていた。晩秋から冬にかけては、一夜漬けでつないでいた。一夜漬けは、やはり物足りない。食を進ませる、というかむしろ、ご飯を食べさせるような力に欠けている。白菜漬けがあれば、一夜漬けでつなぐ漬け物の空白期間が大分埋まる。

・・・こんな風に考え出すと、8月末に白菜を播くときのことにまで思いがいたってしまいます。どんな品種にすればいいか。何株植えればいいか、などなど。食の一年を考えて一年の農耕を行い、収穫物を自分で食べる、自分の食欲は自分の手で満たす。食の自給こそ、百姓の醍醐味ではないでしょうか。そして、それがこれがすべての根本ではないでしょうか。無農薬栽培、有機栽培、食の安全、はては自然との共生と、果てしないご託を並べる前に、まず額に汗して百姓の醍醐味を実践する。すると、すべては、思想までがついてきます。食は生き方の根本ですから。人生は唯農論です。(ようろうナントカ先生の「唯脳論」ではありません。)
さて、さて。いつもの大風呂敷癖がでたところで、今日のお話は終わりにします。

 
先頭に戻る
 


てつがく村
depuis le 1er avril 2000