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ひろば(BBS)

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2003-02-22 ☆ 石臼
(旧暦 122日)

−春が頭を出し、ふくらむ−農協の精米所−家庭用精米機−石臼

春が頭を出し、ふくらむ
昨日、2週間ぶりに畑に出た。
そろそろ蕗の薹の季節である。駐車場にしている屋敷跡(他家所有)の一角に蕗が繁るところがある。春の気配が感じられるようになると、いつもその一角に目を向けては、蕗の薹が出ていないか確かめる。2週間前にはまだ出ていなかった。ところが、昨日は小さな薹がいくつも頭をのぞけていた。大きさからして、ここ1週間以内に出たものであろう。
実家の隣に白梅の木がある。その花は、駐車場の蕗の薹同様、わたしには春の訪れを確かめる目印になっている。木は隣家の屋敷に植えられているが、剪定などされておらず、野梅ともいえる雰囲気がある。見ると、つぼみが並んでいる枝にひとつだけ半ば開いた花があった。
寒の戻ることはあるにしても、春はたしかに始まっている。(去年の記録と比べると、今年は春の歩みはほんの少し遅いようである。)

農協の精米所
昨日は金曜日である。しかし、精米のために有給休暇をとった。
わが家では米は籾のまま蔵に保存しておく。籾摺りをしてから玄米で保存する家もある。また、出荷する場合も玄米にする。しかし、籾のままの方がおいしく保存できる。籾は播けば芽を出すのに対し、玄米は発芽能力は失っていることからして、おいしいのは当然のことである。だからわが家では籾で保存し、1カ月に1度ほど、精米することにしている。
精米は農協の精米所を利用する。農家によっては、自家用の籾摺り機や精米機をもっているが、村のたいていの農家は農協を利用する。わたしは蔵から籾の入った25kg位の袋を2つ出し、軽トラックで精米所に向かった。
ほんの2、3分で精米所に着く。ところが、この時期は火曜日と金曜日が営業日のはずなのに(時期によって営業日が異なる。たとえば秋の収穫期には連日営業する。)、鉄製の扉が閉まっていた。おや、と思ったが、係のおじさんの軽トラックは表にとまっている。よく見ると、扉はすこし開いていた。中に入ると、おじさんは高い天上の、がらんとした部屋に、ストーブを前にして坐っていた。「今頃ぁ、人が少なぁんじゃけん。」おじさんは人懐っこい笑顔を浮かべて立った。
おじさんが機械のスイッチを入れると、籾摺り機と精米機が大きな音を立て始めた。2台の機械は、米選機を挟みホースで連結されていて、袋から籾を流し込むと、精米された米が出てくるところまで、一連の工程になっている。まず籾殻が別室に排出され(籾摺り機)、つぎに小米が選別され(米選機)、最後に糠がはぎ取られる(精米機)。
籾殻[村では、スクモと言う]は必要に応じて、大きなビニール袋(立てると1m位にはなるだろうか)に入れてもって帰る。播種後に土が乾燥するのを防止したり、作物を防寒したりするため、畝に撒くなどして利用する。小米はそのままにしておく。溜まった小米は、鶏を飼っている人などがもって帰るのだろう。糠は必ず持ち帰る。漬け物の糠や肥料に利用する。

精米機
精米が終わり、係のおじさんと立ち話をした。
「今頃ぁ、人が少ないんや。」とわたし。
するとおじさんは、「ほうよ。この前は、昼から1人しか来んかった。1人しか来んでも、おらんにゃいけんしのぉ。これじゃ赤字じゃわい。」
わたしはさらに訊いた、「なんで少ないんじゃろう。いっぺんにひいて、それをずぅっと食べるんじゃろうか。」
「ほうじゃろうで。まあ、寒いときゃ、それでもええがの。夏になったら、長ごう置いちょったら、わりゅう[悪く]なる。それに、今頃ぁ、自分方[ジブンガタ。自宅]で籾からひく箱みたいな機械があるけんの。」
よく聞いてみると、おじさん自身、その機械をもっているとのことであった。「なんぼ[いくら]するんや」と尋ねてみた。
「25万円よ。○○にええこと言われて、買わされてしもぉての。あいつと話しちゃ駄目じゃわい。すぐ買わされる。」○○とは或る農機会社から農協の農機センターに出向している人のことである。この村も担当していて、農機具が故障したりするとすぐに駆けつける。そのついでにセールスもするのだろうか。わたしも機械の故障などで何度かお世話になったことがある。
「25万円も払ろうたら、損じゃろう」とわたし。するとおじさんは、「ほぉよ」と笑いながら、「まあ、ほいじゃが、その箱に米を入れちょって、要るときにちいと[すこし]ずつでもひけるけん、便利じゃわいの」と付け加えた。

石臼
村に農協の精米所がいつできたのか知らないが、おそらく戦後だろうと思う。そう推測するのは、隣のおばあさんから何度か、昔は米を搗くのは女の仕事だった、という話を聞いたからである。おばあさんは今93歳だから、結婚したのは20歳だったすると、その話は戦前のことのように思われる。そして、わたしのはっきりした記憶には、自宅で米を搗いていた情景はない。それらのことから、精米所の開設時期を推定したのである。
わたしの小さいころは、どの家の土間にも石臼があった。石臼はダイガラと呼ばれる木枠の下に据えられていた。ダイガラをイメージするには、シーソーを思い浮かべてもらえばいい。シーソーは支柱を境にして左右が同じ重さでバランスがとれている。しかしダイガラの「シーソー」は一方の先に杵が取りつけられていて、そちら側の方が重い。杵が落ちる所に石臼が据えられる。そして、もう一方の端を足で踏んでは放す。「シーソー」には、からだを支えるためにつかまる手摺りと、足場とが取り付けられている。だから、ダイガラに乗り足で杵を操作すれば、力の弱い女性でも長時間作業ができたのである。
おばあさんの話によれば、毎晩、食べる分だけ米や麦を搗くのが女の仕事だったそうである。「なにがなんでも、石臼をつかんにゃ、寝られんかった。麦はつくのに三晩くらいはかかった。その麦(押麦ではなく、丸麦)を二回炊くんよ。二回炊かんにゃ、麦は食べられんかった。」おばあさんの話を聞いていると、夜闇の中をドン、ドンと少し間をおいては響く低い石臼の音が聞こえてきそうであった。「なにがなんでも」とおばあさんはゆっくりと言った。たとえ子どもが重い病で苦しんでいようと、搗きおわるまでは子どもの傍には行ってやれない・・・そのくらいの辛さがこもっているような語気であった。おばあさんは昔話をいつもこう締めくくる。「昔ゃ、今のもん[者]が聞きゃ、馬鹿なことをしょぉったもんよ。ほいじゃが、そうせんゃ、生きていけんかった。今のもんに話しゃ、馬鹿じゃ言われる。」そう言いながら細い目を遠くに向ける。

「馬鹿な」石臼搗き時代から半世紀、今は家庭用精米機が便利な生活を保証してくれる。わたしはと言えば、石臼と小型精米機の間にとどまっている。農協の精米所が閉鎖されれば話は別だが、わたしはたぶん家庭用は買わないであろう。石臼だけはまだ残っている。20数年前までは藁屋根の家が建っていた屋敷にいつか家を新築することがあれば、その石臼にダイガラをつけてやりたいと思っている。せいぜい餅つきに使うくらいではあろうが、あのドン、ドンという音をまた聞いてみたい。はたして「馬鹿」と片付けることのできるような音であろうか。

 
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