☆ 2002-11-14 ☆ 豆類の播種
□11月に入ると今年最後の種蒔きをする。来夏、5月終わりから収穫を始める豆類である。我が家では、空豆とエンドウ(スナックエンドウと実エンドウ)を蒔くことにしている。絹さやエンドウを蒔いたこともある。実がわずかにふくらんだときに、さやごと食べるエンドウである。しかし、採り遅れると、さやがすぐに硬くなるため、また、スナックエンドウと実エンドウに加えて作らなければならないほどには絹さやえんどうを必要としないため、我が家の定番にはならなかった。
空豆
エンドウ
忙しさの総量 |
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柿の食べ方
□我が家では柿は、甘柿1種(富有)、2本と渋柿2種(西条、品種名不明)、各々1本、都合4本が畑の隅に植えてある。 □甘柿は、渋が抜けてからまだ堅いうちに食べる。10月に入ってから食べごろになる。わたしはまだわずかに渋が残り、噛むと歯茎を削るかと思えるほどに強い歯ごたえのあるのが好きである。その硬質感には、秋の澄んだ冷気が柿に浸透し、果汁を結晶化させたような感覚を覚える。 □渋柿は、あわせる(あわせ柿)か干し柿[吊るし柿]にして食べる。「あわせる」とは、村では渋を湯抜きすることを言う。辞典・事典を調べると、「醂[さわ]す」(さわし柿)と言うのが標準的なようである。わたしは干し柿は好きだが、あわせ柿は噛むとグシャッと崩れるような触感がどうも好きになれない。渋柿は熟柿になると渋が抜けるが、ズルッとした感触なので、さらに抵抗感がある。
隔年着果
□渋柿の豊作に母も気づいて、干し柿にするからもいでくれ、と言ってきた。干し柿はいつも母が作る。そこで母と二人で西条柿をもぐことにした。
サズでもぐ □もぎ取った実は枝の一部を残しておく。皮を剥いたあと、藁縄にその枝を引っかけて干すためである。なお、皮は乾かして沢庵漬けの材料に使う。柿の皮を加えると甘味が増すからである。
干し柿は彼岸を過ぎてから
□早生晩生の違いはあるかもしれないが、同じ時期の西条柿も事情は似たようなものであろう。すると、彼岸を過ぎたすぐよりも、10月に入り、果皮が柿色に色づき、しかも果肉がまだしっかりと堅いころが、もぎ時と言える。だから、彼岸を過ぎてから干し柿を作れ、ということは、柿の実が成熟の極に達し、命の種を守る6か月間の営みの蓄積がまだそっくり生きているときが、干し柿作りの時節である、ということであろう。
光と土の精髄 |
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☆ 2002-10-17 ☆ バレエ・スタジオ アンダンテ
□先週、木曜日の夜、O君から電話があった。「先生、土曜日の夜、お暇ですか?」O君は、かつて、わたしの大学院のゼミの常連であり、現在は札幌にあるH学園大学で専任教員をしている。専門は映画論。日本映画に詳しい。彼が夜の都合を訊いてくるとすれば、目的はひとつ、酒を飲もう、ということである。「うん、暇だけど。」とわたしは答えた。
□Hさんもゼミの常連であった。しかも、わたしのゼミの、第1号の受講生である。いまでも彼女がはじめて研究室に入ってきたときのことを覚えている。学期始め、午後1コマ目の時間が始まる前、ポニ−テ−ル(だったと思う。クラシック・バレエをする女性はなぜか長髪が多いと感じるのは、わたしの思い込みにすぎないのでしょうか)の女の子が部屋に入ると、「先生の授業をとりたいですけど」と小さな声で用件を告げた。「えっ、ぼくの授業?専門の授業なら別の時限だよ。」大学院の授業はその学期から担当を始め、しかも、わたしが属する教育科目にはわたしの授業を受けにくるような学生はいなかったので、大学院のことは意識にはなかった。それにその時は、午後2コマ目の一般教養の授業に心は向いていた。「大学院の授業なんです」と彼女は言い加えた。「大学院?」「そうです。この時間にある大学院の授業です。」彼女に教えられてはじめてこの時間帯は大学院の授業をすることになっていたことを思い出した。
□土曜日、約束の場所に行くと、O君とHさんに加えて、Gさんもやってきた。Gさんは以前、O君とHさんの所属していた講座の事務室にいた。てきぱきと仕事をこなす利発な(しかも、かわいい)女性である。それがゆえに、講座事務室での仕事は物足りなかったのかもしれない。いまはプログラミング関係の会社で働いている。Hさんとは年齢的に近い(同年齢?)ためもあり仲がいい(とわたしは感じている)。だから、O君が誘ったのかもしれない。
□その夜、主役はむろんHさんであった。酒宴が進んだあるとき、O君がわたしに向かって「先生、Hさんは[舞台に立つと]すぐに分かりますよね。他の人と踊りが違う」と確かめるように訊いた。わたしは「うん」と煮え切らない言葉を返した。「やっぱり、他の人とは違うよ」彼はHさんに向かって繰り返した。
□若い人が、それも親しい、友人のような人が、人生に向かって船出していくのを見るのは、掛け値なしにうれしい。数年前、O君が札幌に旅立ったときもそうであった。そしていまはHさんである。飲みながら話していると、彼女からは強い決意のようなものが感じられる。航路はけっして穏やかではないから、決然とした態度が彼女には必要なのである。 □呑兵衛のわたしは、その夜もいつものように、宴がたけなわになるころには、友たちと話すよりは酒と話すことが多くなった。しかし、その夜はいつもと違い、Hさん主宰の「バレエ・スタジオ アンダンテ」のチラシを繰り返し見ていた。 □最後に、「バレエ・スタジオ アンダンテ」の宣伝をしておきます。(「バレエ・スタジオ アンダンテ 生徒募集」のチラシから引用。)
□なぜ「アンダンテ」か、ですって?彼女の指導方針、とぐらいに答えておきましょう。 |
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☆ 2002-10-04 ☆ 秋吉台
□先週末は、農作業をせず、子どもと一緒にキャンプに行った。 □キャンプ地は、秋吉台にある秋吉台家族旅行村オートキャンプ場(山口県美祢[ミネ]郡秋芳町)である。秋吉台は、ご存じのように、日本最大のカルスト台地であり、大鍾乳洞「秋芳洞」がある。わたしが最初にここを訪れたのは、小学校の修学旅行でであった。当時は広島から秋吉台に行こうとすれば、バスと汽車を利用して、1泊はしなければならなかった。だから、小学校の修学旅行で立ち寄るには適当な遠さにあった。しかし、いまでは山陽高速道を2時間で駆け抜け(時速80kmで計算)、一般道を30分も走れば着いてしまう。当時のわたしよりも低学年である小学生の子どもを助手席に乗せ、ハンドルを握っていると、月並みながら、やはり隔世の感を抱かざるをえなかった。
秋の色は彼岸花色
畑としてのドリーネ
暗い時をこえて泳ぐアカモチ
ふたたび曼珠沙華 |
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☆ 2002-09-24 ☆ 初秋、畑の農繁期
農繁期の里程標
□9月21日は仲秋の名月。その日に合わせて、今年はじめての子芋を掘り上げた。夏の乾燥で葉は成長が止まり、さらには枯れたりしたものもあったが、掘り上げた株は、大株を選んだにしても、予想以上のできだった。吝嗇なわたしにしては太っ腹になり、4株も掘った。1株は従姉に、1株はたまたま広島からやってきた弟に、半株は老母に配り、そして残りの1株半は我が家にもって帰った。途中、暗くなった山道でススキを取った。その夜、残念ながら外は曇っていたが、部屋にススキを飾り、子芋を茹でた。わたしは若い子芋を茹で、醤油を少しつけて食べるのが大好きである。そして、芋類が大好物の子どもはと言えば、仲秋の名月の説明は上の空で聞き、ひたすら子芋を口に運んだ。 |
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