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☆ 2002-03-14 ☆ 今日も、荒起こし −農耕日誌−
午後から雨になる!
□朝6時半頃、起きてすぐに見あげた空は、薄雲が広がり、いかにも数時間後には雨が落ちてきそうな様子をしていた。しかし、家を出るころには雲も消え、さらに、田圃で仕事を始めた頃には、天気予報は誤報かと思われるほど晴れ渡った。なんだ、これなら、朝、不機嫌に急いで家を出るほどでもなかったか、と明るい空を見ると照れくさいような気もしてくる。ともかく、作業開始。夕方まで天気がもってくれると儲けもの。 □わたしは鋤きながら、昨日の、おばあさんとの話を思い出していた。おばあさんは、麦の話だけではなく、田圃絡みの他の話もした。おばあさんがわたしに何度か愚痴をこぼしたことがある。昨日もその話が出た。
田圃はきわまで、ていねいに鋤く □そのように、わたしは昨日のおばあさんの話を反芻しながら、耕耘機について歩いた。
やはり、雨が |
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☆ 2002-03-12/13 ☆ 荒起こし −農耕日誌−
□3月12日から3日間、有給休暇をとって、田圃で荒起こしまでの作業を行った。今年度、作付けを予定している田圃の3分の1は、荒起こしできなかった。荒起こしは、荒地[アラジ。苗代作りの最初の作業]までに、2回行う予定。 □3月13日(水)
「絶滅危惧種」
□ゲシに上げた泥をふと見るとイモリが二匹いた。土の中の水の層に潜んでいただろう。この横手では春の溝浚いのとき、よく見る。陽光を受けて身体が光っている。あまり動かない。イモリは冬眠するかどうか知らないが、まるで雌雄一緒に冬眠していたかのような風情であった。わたしは二匹を一緒につまんで、浚った溝の水の中に帰してやった。
□横手浚いをしていると、軽自動車1台がやっと通れる幅の農道を軽トラックがゆっくりと下ってきた。わたしが作業している近くで止まったトラックから、上の田圃の持ち主が降りてきた。挨拶をして雑談を始める。その人は定年退職して5年あまりの歳である。わたしが鍬を使う仕事をしているのを見ると、「がんばるのぉ。わしゃ、力が衰えてきたわい。この頃は、一日一日衰えてくるような気がする。」最近は田の耕起は、耕耘機かトラクターを使う。その人はトラクターをもっている。しかし、それでも鍬を使う仕事はなくなりはしない。その人は以前にも、田圃で鍬を使うのはきつうなった、と嘆いたことがあった。 □わたしは身体が続くまで農耕するつもりであるが、一体何歳までできるだろう、と考えることがある。父が70歳をこえた頃、述懐したことがある。「おやじ[すなわち、わたしの祖父]が、70をこえたら百姓はつらぁわい、ゆうたことがある。70なってみて、おやじのことが分かる。ほんまにやる気が起きんようなる。」祖父も父も兼業農家。しかし祖父の時代の方が農地は広かった。今と違い、すべてが人力と牛に頼る稲作りである。それをなんとか70歳まではやってきたのだろう。すると、第二次世界大戦は終わり、父は復員して、祖父に代わって、最初は専業のつもりで農業を始めた。計算してみると、その頃、祖父から聞かされた言葉ということになる。 □トラックの主は70歳にはまだ数年ある。その人の弱気の言葉を聞き、父の言葉を思い出すと、70歳あたりが身体の限界なのであろうか、と思ってみたりする。トラックの主の子どもは、百姓はやらない、と断言しているらしい。わたしも子どもはいるが、今の時代、村に残って百姓をやる、とは強く期待できない。すると、今雑談している私たち二人は「絶滅危惧種」であろうか。ひとりは後継者の期待なしに、もうひとりは強く期待せずに、身体のきかなくなるまで百姓をするのだろうか。 □「あんたは、なんぼ[いくつ]なったんかいの。」答えると、「あんたも、はあ、そがいな歳よの。まあ、お互い、あんまり無理せんで、やろうで。」その人はまたトラックに乗ると、下って行った。
□横手浚いが終わると、屋敷に帰り、耕耘機をもってきた。いよいよ荒起こしである。
□耕耘機の耕起は危険でもある。耕起する時になると、鋤の部分にも駆動力がかかり、いわば3輪駆動の状態になる。しかも、鋤の方が回転が速い。土が固いと、鋤が土に深く食い込まず、土を蹴って回転することになり、その回転力で耕耘機が人間のコントロールを振り切って「走り」出す。耕耘機の前に人がいたり、崖であったりすると大変なことになる。わたしも何度かヒヤリとしたことがある。 □逆に、土が軟らかいと、車輪がうずりこみ[埋まりこみ、スタックし]引き出すのに一苦労する。焦らず、車輪のまわりをスコップなどで掘って、あぶみ[鉄やアルミ製の渡し板。耕耘機やトラクターを渡すのに使う。目の詰まった梯子のようになっている。]をかませる。そして、耕耘機の上に乗って体重をかけ、あぶみの上を通して、耕耘機を脱出させる。 □今日は、田圃に入ったところで、排水のために掘った溝に早速スタックさせてしまった。まわりをスコップで掘るだけで脱出できたが、久しぶりの耕耘機なので扱いの勘がすぐには戻らないようである。今日鋤くのは休耕田で、一昨年の稲刈り以来、一度も鋤いていない。だから土が締まっている。そこで、1速でゆっくりと鋤いた。一町[ヒトマチ]、3畝[セ]ほどを鋤いてから、2時頃、遅い昼食にする。夕方までに、二町[フタマチ]、都合8畝を鋤く。
麦を蒔きたい!? |
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☆ 2002-03-09/10 ☆ 今年は水が少ない? −農耕日誌−
□3月9日(土) 酒抜きに田圃仕事
□一日中晴れの暖かい日。
□田圃での作業としては先週の続き。横手を浚っていると、セリが生えている。セリは田圃によく生えている草であり、むろん食用になる。母が自分の継母に聞いたと言ってよく話す。「セリは田植え以降は食べるなよ。蛭が卵が産むけん。」今でも田圃に蛭はいると思う。ただ昔と違って、水の入った田圃へは裸足ではなく、膝までの長さのゴム靴[田靴]で入るので、蛭に吸いつかれるということはない。だから、「蛭が卵を産む」という話には実感がない。しかし、セリを見るたびに、繰り返し聞かされた母の話を思い出す。
□畑に帰って、2週間前に蒔いた大根と人参の発芽具合を確認する。ビニール・トンネルのなかで、大根はすでに発芽していた。双葉の状況から判断して、先週半ばに発芽を始めたのであろう。発芽率は、目測では、8割弱だろうか。秋に比べて発芽率は少し劣る。人参の方は、発芽し始めたのがほんのわずか認められる、といった程度であった。この調子では、かなりが芽を出すまで、あと数日はかかるだろう。 □実家に帰ると、洗濯をしていた母が「今年ぁ、雨が少ないかね。洗濯をしょぉっても、2回洗うと、水があがる[井戸水が少なくなって、モーターが水を吸い上げなくなる]んよ。大雪も降らんかったし、雨が降っても大降りになることはなかったし、今年[の冬]ゃ雨が少ないかもしんれんねぇ。」と言う。そういえば、この時期たいていは水のありそうな横手なのに、干上がっているところが多い。去年は冬の間、雨(雪)がよく降った。おかげで、夏は雨があまり降らなかった割りには、田の水には困らなかった。とすれば・・・今年の夏は水に苦労しそうで、いまから心配。予想が的中しなければいいが。 □昨夜の痛飲の傷跡は、夜になっても残っていた。それでも、午後3時間余り働くと喉が渇き、腹が減る。夕食には、ビールを飲み、ご飯もたっぷり食べてしまった。 □3月10日(日) 鍬耕
□週に一回の家族デー。朝は天気がいい。しかし、新聞の天気予報を見ると小さな雨マークが。3月中のいつか、晴れの続いたときに有給休暇をとって田を鋤こうと思い、今週あたりを狙っていたので、今年は水が少ない、との昨日の心配はどこへやら、えぇっ、雨ぇ、と呟いてしまった。農耕のスケジュールをサラリーマンとしてのスケジュールに合わせなければならない兼業農人の身勝手な嘆きである。
□畑に着いたのは11時。風は強い。子どもと二人で田圃に子芋[里芋]掘りに行く。子芋は4月はじめに温床に伏せる。そのために3月半ばには種芋を掘りあげ、2週間ほど置く。置くのは、腐ってしまう種を除くためである。今日は、(種芋でなく)食べるための株の最後を掘りあげた。6株。 □午後からは畑作業。まず、子芋とサツマイモを温床の下準備をする。畑の一角を30cmほど掘り下げた(それ以上掘ると赤土の層になる)。来週にはそこに温床を準備する予定なので、温床の詳しい話は来週の「農耕日誌」に書きます。
□3月下旬から本格的な春の播種シーズンが始まるので、畝を用意しなければならない。自然農法畝を拡大しようと思っているが、まだ人参や野菜は自然畝では自信がない。そこで今春の人参と大根は慣行農法で栽培する。その畝をそろそろ準備しておかなければならない。 □まず、人参の畝から。人参は同じ場所に作るといい人参ができる、と言われている。連作が有利にはたらく数少ない野菜のひとつである。今までは畝作りには耕耘機を使っていたが、今年は自然畝拡大のため耕起すべき畝が少なくなったので、鍬で耕すことにする。それに、鍬を使った方が土とより直接対話できるので、労力とか時間とかを度外視すれば、いや少々の労力や時間がかかっても、鍬耕が好きである。 □秋から春先まで草の生え放題だった畝から草を除いたあとで、苦土石灰と溶リンを撒いてから、四つ鍬で土を起こす。苦土石灰と溶リンは土壌酸度の矯正のためである。四つ鍬は角度の関係で深く土に突き刺さる。それから、てこの原理も利用しながら、土を起こす、ないしは、ひっくり返す。大きな土の固まりは、鍬の横で砕く。四つ鍬は、鍬がざくっと土中に突き刺さる感覚が腕に伝わってくる。大地を相手にしているという、たしかな手応えである。 □2、3日前までは草の生えていた畝なので、生きた草の根が出てくる。この根は播種前の整地のときレーキにまつわり邪魔になる。作業効率のことだけを考えれば、草は生やさない方がいい。大きなミミズは散見されるが、ミミズの数は思ったほど多くない。目につきにくい小さなミミズは多いのかもしれないが。 □つぎに、三つ鍬で畝をかき回すようにして、肥料を混ぜ込み、土もさらに砕く。最後に、平鍬で溝の土を畝にあげる。 □わたしは鍬を使うときは、しばらく作業をすると、できるだけ右左を替えて鍬をもつようにする。そうでないと、片側の腰だけに負担がかかるからである。 □播種1週間前にさらに肥料を入れるが、今日の作業はここまで。 □4時前、とうとう雨が降り出した。つぎに大根の畝を耕そうと思っていたが、今日の仕事はこれで打ち切ることにする。
□雨は畑から広島に移動中が一番激しかった。広島の街中に入ると、西の空が明るくなり、家に着くと、太陽が雲の向こうから射しはじめていた。お湿り程度の雨である。明日からのことを考えると、いいような、悪いような雨であった。 |
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☆ 2002-03-02/03 ☆ シーズン始めは身体が痛む−農耕日誌−
□3月2日(土) もう追い出し牛ではいられない
□朝は晴れ。昼前から曇りだす。今日のメインは田圃での仕事。
□白菜と広島菜はいよいよ菜の花が食べごろになる。
□先週土曜日にビニール・トンネル内に蒔いた大根はまだ芽を出していない。秋大根であれば、3日ほど、夏から秋にかけての人参ならば1週間すれば発芽を始めるが、やはり低温のせいだろう。この様子だと、発芽までに、大根は10日ほど、人参は2週間はかかるだろう。
□畑を見回っているうちに11時近くになる。軽トラックに平鍬、三つ鍬、四つ鍬、スコップ、鎌などを積んで田圃に向かう。(田圃は屋敷/畑から歩いて5分のところにある。軽トラックを使うのは農具の運搬のため。農具が少ないときは一輪車で運ぶ。)2月中は「追い出し牛」でいいが、3月にもなると本気で田圃に出なければならなくなる。田植えは5月末だが、今から準備をしておかないと、間に合わなくなる。
□以上のふたつは、春の耕起以前にやっておく。最後にできれば、畦切り。畦は畦塗り(漏水防止のため、畦に泥を塗りつけること)をすると幅が広くなる。そこで、新たに畦塗りをする前に、前年に塗っただけの土を切り崩しておくのである。畦切りは耕起あとでもできる。
□今日は、去年の田植え頃から気になっていた作業をした。苗代を作るとき、トラクターが一段高い隣の、他家の田圃の石垣の一部を壊した。もう3、4回は壊している。石垣のきわを通るとき、少し飛び出た石を引っかけて、引きずり出してしまうのである。耕耘機の力ではありえないことだが、トラクターはやってしまう。今日は、引きずり出された大きな石(なんとか持ち上げることのできる程度の重さ)を二つ石垣に戻し入れ、さらに横手を作ることにした。この部分には横手は必要ない。しかし、横手でも作って、隣の田圃との間に緩衝地帯を作っておかないと、トラクターがまた石垣を壊してしまう。
□負担のかかりすぎた腰が心配だったので、丹念に整体、というか、正確には、ヨーガ。ヨーガは偏った使い方をした身体を修復してくれる(ような感覚がする)。そして、凝り固まった疲れがほぐれる。疲れすぎると眠れないこともあるが、ヨーガをすると熟睡でき、疲れもとれやすい。だから、農作業のあとはできるだけヨーガをするようにしている。ヨーガのおかげで、今までのところ、なんとか身体が「壊れ」ないでいる、と思っている。 (注) 横手は田圃内部の水路である。田圃が傾斜地にある場合、ウワコウ田(上向田と書くのか。田圃の上半分)の上端に沿って、あるいは、田圃の左右端に沿って作られ、導水路と排水路に使われる。田圃によっては、井手(農業用水路)から直接水が引けないところもある。その場合、水を引ける上の田圃から、横手経由で水を入れる。また、ウワコウ田は概してダブけている[湿田気味である]。上から水がずって来るからである。そこで田圃の上端に沿って横手を設け、上からの水を田圃の外に排出する。稲刈りが近づいて田圃の水を落とすとき、利用する。 (元に戻る) □3月3日(日) ♪あかりをつけましょ、ぼんぼりに
□今日が雛祭り。別名、桃の節句。だから、桃が満開なのか。今日を目処に、「雛祭り」の曲を横笛で吹けるようになろうと練習したが、半音が続くところなどの指遣いが難しく、すんなりとは吹き終えることができない。笛熱はまだまだ続いています。
□朝起きると、腕に違和感がある。筋肉痛とまではいかないが、久しぶりの力仕事の余韻が残っている。手に豆もでき、両手の中指、薬指、小指の付け根が硬くなっている。人指し指には豆ができにくい。鍬を握るとき、主に中指、薬指、小指を使うためであろうか。冬の間は柔らかだった手のひらが、ゴツゴツしてくる季節になった。
□今日は家族も畑に来る日なので、畑で作業することにする。一日中、晴天。
□今日鍬を使ったのは、苗床を作るときだけ。しかし、昨日からの疲労もあり、家に帰ると、腕の付け根が痛んだ。 |
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☆ 2002-02-23/24 ☆ 今年の初種蒔き −農耕日誌−
□2月23日(土) □9時過ぎに家を出る。雲の多い晴れ。村に入るともやがかっており、花曇りとでも言いたい様子であったが、季節としてはまだ早い。比較的暖かいので、大気中の水分が霜にならず、浮遊しているためであろう。 □実家近くの駐車場に着くと、小さい蕗の薹が目についた。今年は3月も半ばになると村に梅が咲き始めた。今度は蕗である。(今日はデジタルカメラを忘れたので写真を撮れなかった。去年、同じ場所で撮影した蕗の薹をご覧なりたいかたは、ここをクリックしてください。)
ビニール・トンネル被覆の早蒔き大根と人参
大根と人参は自然畝に蒔く □土の表面を削るとミミズの小さいのが出てくる。春に向けてすでに孵化したものであろうか。ミミズが多くなったという印象を抱かせるくらいの数である。 □2月24日(日)
□先週、先々週と日曜日は雨が降ったので、土日連続して野良に出ることはなかった。今週末は久しぶりに連続「出勤」である。今日は昨日よりも暖かく、さらに春めいた感じがする。 □わたしは、まず畑のあちらこちらに転がっている野菜残さや枯れ枝を燃やすことにした。午前中はそれらを集める作業をして、午後、火をつけた。焚き火となると子どもは大喜びである。火照って顔が真っ赤になりながら、枯れ草を火に投げ入れたり、弱まった火を木切れで引っかき回したり、火がついて煙を出している木切れを松明のように掲げて走ったり、焚き火を存分に楽しむ。遊びながら、火とのつきあい方を覚える。
□子どもは幼稚園の年少組(3年保育)のときから、週末になると一緒に畑に来るようになった。その頃は、1年間父子二人の生活をしていたので、土日にはわたしと一緒に畑に来ざるをえなかったのである。子どもは大人のまねをしたがる。わたしが鍬を担いで歩くと、子どもは手鎌を納屋から探してきて、担いでみる。腰に鎌を差していると、古く切れなくなった鎌をズボンに差し込んで歩く。その鎌で木の枝を削る。耕耘機で耕していると、後ろからついてくる。一輪車をなんとかバランスをとりながら押してみる。だから、簡単な仕事を頼むとうれしそうにやる。
□閑話休題。
□近くの竹藪から従姉が竹を切ってきた。豆のウロ[支柱]を立てるためである。まだ日は十分に高い。しかし、我が家は引き上げることにした。「わしゃ、はあ[もう]帰るでぇ。」従姉に声をかけた。「はあ、帰るん?」「わしゃ、風邪気味なんじゃ。ほいじゃ、さよなら。」 |
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