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ひろば(BBS)

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2006-06-30 ☆ 今年の田植始末記

《今年の田植えがそれまでの田植えと違うところは、ひとつは、去年までは委託していた田植えを自分でやったこと、もうひとつは、長年休耕していたダブ[湿田]を田に戻そうとしたことである。》
- 中古の乗用田植機を購入する- 田植機を使う- 16年間休耕していたダブを復田したい- トラクターでダブを代掻きする- 田植機が埋まった!


(クリックで画像の拡大)
復田を試みた田んぼ。広さは二畝半(250m2)。
 右の畦に沿って、稲が四条植えてある。途中、ラインが切れているところで、田植機が最初にスタックした。向こう側で植え筋が最終的に途切れているところで、二度目のスタックをした。そこに見える水たまりは、スタックした跡。写真では分かりにくいが、二度目にスタックした場所は、右側の畦の長さの半分くらいのところである。
 左側に見える轍は、田植機が二度目にスタックしたとき救出に入ったトラクターのもの。
(クリックで画像の拡大)
私が購入した中古の田植機と同機種。操作しているのは、一昨年まで委託していた人。2000年6月の写真。
6月4日に田植えをした。今年の田植えがそれまでの田植えと違うところは、ひとつは、去年までは委託していた田植えを自分でやったこと、もうひとつは、長年耕作していなかったダブ[湿田]を田に戻そうとしたことである。

中古の乗用田植機を購入する
すでに何度か書いたことだが、一昨年まで委託していた人が去年の田植え直前に脳梗塞で倒れた。そこで急遽その人のいとこに代役を頼み、去年の田植えはしのいだ。しかし、委託していた人は後遺症のために農業をやめてしまい、また、彼のいとこは、代役は一年限りしかできない、と頼んだ最初から念を押していた。私の村では稲作を引き受けてくれる人はほとんどいない。山間部の小さな村であり、農業従事者のほとんどはサラリーマンを兼業している人か、定年退職した年配の人かである。若い専業農家は一人もいない。したがって、稲作を続けようとすれば自分ひとりですべてをこなすしかない状態になってしまった。

父が使っていた古い歩行型田植機は、トラクターを購入した際に処分した。だから、なによりもまず田植機を手に入れなければならなかった。そこで、収穫が終わった去年の秋、JAの農機センターへ相談に行き、中古の乗用田植機が出たら連絡してもらうよう頼んだ。作業は一人でしなければならないし、また、疲労度からしても、歩行型より乗用型の方が欲しいと考えたからである(新品は高いので、私のような自給的農家には手は出ない)。三月だったか農機センターからの連絡で、春の農機祭りで買い換える人がいたので、中古の乗用田植機(8年間ほど使用)が出た、との情報を得た。値段を訊くと、歩行型田植機の新品とだいたい同等であった。また、作付面積を考えれば、中古でも丁寧に使えさえすれば一生ものだ、との説明もあり、その田植機を購入することにした。

メーカーによって整備された田植機は、田植えが半月後に迫った五月中旬に作業小屋に届けられた。もっと早く納入してもらうことはできたが、小屋の中がなかなか片づかず、その時期になった。田植えで実際に使う前に、マニュアルをしっかりと読み、エンジンをかけて操作を練習しようと思っていた。しかし、田植えの準備に追われて時間をとれず、ぶっつけ本番で操作することになった。

田植機を使う
田植え当日は、農機センターの若い職員が来てくれた。彼は、田植機を軽トラックに載せロープで固定するところから、説明してくれた。田植え作業も模範を見せてくれた。私が三畝ほどの田んぼ一枚を指導をうけながら植えたところで、彼は引き揚げた。

乗用田植機を使えば、自給的農家である我が家程度の耕作面積であれば、田植えは半日で済んでしまう。肉体的な疲労もほとんどない。ただ、乗用田植機は作業上、ひとつ難点がある。重心が高く不安定なので、田んぼへの出入りに十分な注意が必要なのである。我が家の、というか村の、田んぼは、ゆるやかではあるが傾斜した地形にあり、しかも圃場整備がしてない。だから、出入りする農道との間に段差がある田んぼが多い。そんな田んぼの出入りは、急斜面を上下するか、あゆみ[金属製の、梯子状のもの。それを二枚使い、左右の車輪を乗せて、段差や溝を渡る。]を渡すかしなければならない。最近は、運転者は機械から降りて、前部についたハンドルを操作して田んぼの出入りができる機種も発売されている。しかし、私が購入した旧式の田植機は、そのような装置はついていない。機械に乗ったままで出入りするので、機械が倒れれば、一緒に倒れるしかない。そのことを思うと、出入りの際は文字通り肝が冷える。運転席に坐らず、機械の前側にある出っ張りに足をかけて後ろ向きに立ち、ハンドルを操作する曲芸的な運転をする人がいる。そうすれば、機械が倒れても機械から飛び下りることができるだろうが、私にはできない(曲芸的な運転法は、重量バランスをとったり、後退のさいに視界を確保したりする目的もあるようである)。

ともあれ、出入りの問題を除いては、田植機はそんなに操作の難しい機械ではない、というのが実際に使っての感想である。(むろん、細かい反省点はいくつもあるが。)

他方、自分で田植えをすれば、好きな植え方を選ぶことができる。いま私のやりたいと思っているのは、粗植である。粗植したほうが、病虫害に強い稲ができるし、収量もあがるらしい、というのがその理由である。機械は旧式ゆえ、株間は20cmまでしか選択できない(条間はどの機械でも30cmである)が、株数は調整できる。標準は、一カ所、3株から5株であるが、2株から3株を目安に植えてみた(株数に幅があるのは、現在の田植機では株数を正確に決めることはできないからである)。来年は、標準植えの田んぼと粗植の田んぼとを作り、比較してみようと考えている。

16年間休耕していたダブを復田したい
今年の田植での新たな目標は、自分で田植えができるようになったことと関連しているが、平成元年に最後の植え付けをしてから16年間も休耕しているダブ(湿田)に植え付けをすることであった。

我が家の田んぼは、村を南北に走る県道を挟んで両側にある。その一方の側は、我が家の田んぼに限らず、一般にかなりの湿田地帯である。その湿田地帯に、我が家は三枚の田んぼをもっている。一枚は、水を入れると腰まで浸かるような、深いダブ[強湿田]であり、牛耕の時代には牛が入ることができず人間が代掻きをしていた。むろん、機械は耕耘機はいうまでもなくトラクターも使えない。ここはもう20年以上作っていない(正確にいえば、耕作放棄している)。一番広い田んぼ(五畝ほどの広さ)は一部「底無し」(*)の箇所があるが、耕作している。
(*)田んぼは一般に、堅い地盤の上に作土を入れた構造になっている。だから、水を入れて代掻きをしたあと田んぼの中を歩いても、足は堅い地盤に支えられるため、泥の中に深く入り込むことはない。しかしダブと呼ばれる田んぼでは、その地盤が深い位置にあったり、さらには地盤がしっかりしていない。地下水位が高いので、そのような土質になってしまうのである。
今年、復田しようと試みたのも、耕作放棄しているところほどではないにせよ、深いダブである。土はどんなときでも乾ききることはない。耕耘機を使った場合、一番乾いている時期になんとか耕耘できる、といった土の状態である。だから、作業を委託していたときには、その田んぼで稲を作ることは憚られた。もしトラクターや田植機が埋まってしまうと、委託した人に迷惑をかける、と思ったからである。

トラクターでダブを代掻きする
トラクターを買った次の年、おそるおそるトラクターをその田んぼに入れてみた。すると、タイヤが深く埋まる箇所があるにしても、スタックはしなかった。一般的に、耕耘ができれば、水を入れて代掻きもできる。さらに次の年、今度は代掻きを試みた。しかし、代掻きを始めてすぐにトラクターが泥の中に沈みだしたため、スタックへの恐怖心にかられて、あわてて田んぼから出た。しかし、今年はとうとう、代掻きにも成功したのである。

ただ、代掻きをして感じたことは、「底無し」と思えるような箇所がある、ということである。代掻きは、荒代掻きと植え代掻きの二度する。二度目の代掻きのとき、片側の車輪が深く沈んでトラクターが傾き、沈んだ側に心持ち横滑りしながら前進したところがあった。一回目の代掻きのとき車輪が土を深く掘り、さらに二回目の代掻きで同じ轍を走ってさらに深く掘ったため、と推測される。底さえしっかりしていれば、代掻きをするたびに「底」が深くなる、ということはない。(ちなみに、我が家のトラクターの重量は、約800キログラムである。)

このダブだけは他の田んぼより三日遅れて代掻きをしたので、田植えも遅らせた。田植機の操作の指導に来てもらった農機センターの若い職員に田んぼの状態を説明し、田植機を入れても大丈夫だろうか、と尋ねた。彼は何のためらいもなく、大丈夫ですよ、と答えた。私はその返事に力を得て、それから三日後の夕方、ひとりで田植えを始めた。

田植機が埋まった!
その田んぼは半月を縦に伸ばしたような形をしている。あるいは徳利を縦に割ったような形をしている、といってもよかろう。その形の直線部分に沿って「底無し」のところがある。そこから田植を始めることにした。手順を考え、まず田んぼに入ったところを植えて、今度は地盤の堅いところを通って反対側に移動し、そこから最初に植えたところに向かって植えることにした。その手順にしたがって、田んぼの入り口から三メートルほど植えた。そして、田植機を止め、植え付け部を上にあげ、さらに少し前進した。それから後退して、堅い側に移動しようと思った。ところが、そこで田植機が泥に埋まって動かなくなったのである。300キログラムもある機体であるから、一人ではどうにもならない。私は農機センターの若い職員の携帯電話に連絡した。もう五時を過ぎていた。さいわい帰り支度をしていた彼をつかまえることができた。事態を説明すると、じゃすぐに行きます、と彼は電話を切った。農機センターからは車で10分程度に駆けつけることができる。しばらくすると彼が到着した。近所の、土建会社の資材置き場にいた若者ひとりにも応援を頼んだ。あゆみを両前輪にかませ、一人は田植機に乗り、二人は押したり引っ張ったりして、田植機を泥の中から引き出した。

農機センターの若い職員は、今度は僕がやってみます、と言って、続きを植え始めた。しばらく植え進んだところで、彼は機械を止めて一息入れた。すると前進するベクトルがなくなった田植機はその重量すべてをまっすぐ下に向かうベクトルに預けてしまった。またしても田植機は泥の中に埋まってしまったのである。資材置き場の若者はすでに帰っていた。二人では引き上げることはできない。トラクターであげましょう、と若い職員は提案した。私は屋敷に帰りトラクターを運転して戻った。トラクターを田んぼに入れ、田植機とロープでつないだ。ゆっくり!超低速の1速(**)で前進してください!と田植機に乗った職員は私に指示した。するとトラクターはゆるゆると、しかし悠々と田植機を引きずりだした。
(**)私のトラクターは、主変速に「高速」、「低速」、「超低速」の三段階、副変速は1から5の五段階がある。「高速」は移動用に、「低速」は作業用に、「超低速」はたとえば段差を越えるときに使う。
「一度止まってしまったのが失敗です」と若い職員は言った。「でも、今日はこれでおしまいにしましょう!」見上げると太陽はもう近くの山の向こうに沈みかけていた。

復田への挑戦は、今年はそこで終わった。私のような境遇では、田植えのような手間や労力のかかる仕事はやり直すことができない。それだけの時間とエネルギーの余裕がない。むろん、できれば、地盤の堅い部分は田植機で植え、残りは手植えをして、田植えを完了したかった。復田は以前からの夢であり、しかも、代掻きまで終わっている田んぼだからである。しかし、来年に期待するしかなかった。

湿田の改良法
深いダブを、トラクターで代掻きし、乗用田植機で植えることができる田んぼにする一番確実な方法は、地盤から作り直すことである。重機のある現代では難しいことではない。実際、村でそんな工事をした田んぼを見たことがある。工事の粗筋を示すと…まず作土を剥がす。ついで、田んぼ全体に瓦礫を敷きつめる。その上にマサ[花崗岩が風化してできた砂]を敷く。そして作土を戻す…こうして地盤が堅い田んぼができあがる。しかし、工事費は高くつくはずである。

安上がりな方法は、「底無し」の部分に何年かマサを入れることである。マサは泥より重いので、代掻きを繰り返せば、深いところに溜まって堅い層を作る。このやり方で土壌を改良した田んぼは、問題の田んぼがある湿田地帯にもある。また、田植に失敗したあと、農機センターの職員から勧められた方法でもある。

たしかに問題の田んぼは昔から耕作するのが難しいダブではある。しかし、今回のことを反省すると、不用意にトラクターで代掻きしたことに失敗の原因のひとつがあるのではないだろうか。重いトラクターで何度も同じところを通過すると、その場所が地盤の軟らかいところであれば、「底」が車輪に掘り下げられてどんどんが深くなる。実際、底の深いところを歩いてみると、トラクターの轍の跡と、そうでないところでは、明らかに足の埋まり方に違いがある。田植機はトラクターの轍にはまって、スタックしたのである。

業なタブをそのまま復活させたい
できるだけ田んぼそのものには手をつけずに、復田したい。機械化とともに見捨てられた業な[苦難をもたらす]ダブに、その価値を取り戻したいのである。農業の近代化(機械化)にともなって、全国規模で圃場整備が行われた。機械が使えるように、地盤が固められ、区画が広げられた。私の村でも、圃場整備の計画があったそうである。実際、昔、父が、いずれ圃場整備されて田んぼも作りやすくなる、といったことを話していたのを思い出す。しかし、村人の反対(その理由についてはここでは述べない)で、計画は実行されなかった。だから、村の田んぼは今でも「近代化」以前の区画のままである。すると、機械の使えない田んぼは見捨てられることになる。

今回、田植えに失敗してはじめて、この田んぼが父の晩年から耕作休止になっていた理由がはっきりと分かった。父は晩年は田植えや稲刈りを委託していた。もしかしたら代掻きも委託していたのかもしれない。去年までの私が、委託した人のトラクターや田植機がスタックしては申し訳ない、と漠然と考えていたことを、実際に耕作したことのある父ははっきりと意識していたのであろう。だからこそ、田植えを委託しはじめたのを契機に、この田んぼの耕作をやめたのである。

ダブをそのままの状態で復田するといっても、いまのところは、機械をまったく使わないつもりはない。たとえ全面積でないとしても、なんとか乗用田植機は使って田植えをしたい。すると、代掻きの際、機械の車輪で底を掘り下げないようにしなければならない。そこで考えたのは、トラクターではなく、耕耘機を使うことである。耕耘機は軽量である。その耕耘機に鉄車をつけて代掻きをすれば、トラクターほど底を掘り下げないはずである。さいわい、耕耘機はいまも使っているものがあるし、それに付ける鉄車も父の時代に使っていたものが残っている。耕耘機はトラクターよりはるかに労力と時間を要求する。しかし、せいぜい二畝半の田んぼである。私のような境遇でも、やってやれないことはない。

来年は、したがって耕耘機による代掻きで復田に挑戦するつもりである。もしそれでも失敗したら?次の方策を考えてはいる。しかし、それはいまは語らないことにしよう。
 
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