「手の記憶」
最近読んだ本の中に「手の記憶」という言葉があった。その言葉の文脈はこうである。
「藁塚は、野に積まれた庶民の手の記憶。それらはけっして芸術作品ではないが、米作りを中心とした祖先の営みや、民族の記憶をも彷彿とさせる。」(藤田洋三『藁塚放浪記』石風社、2005年12月刊)
藁はかつて様々な生活用具の材料として使われていた。思いつくままに挙げてみれば…帽子、合羽、草履、藁沓。縄、筵、叺 [かます] 。藁屋根。また、家畜の飼料や敷料にも使われた。藁塚は、材料としての藁を屋外で保存しておくための工夫である。多くは、円筒状に藁を重ねて、頂上は円錐状に仕立てて雨除けにする。私が小さいころには村でも見かけることもあったように記憶するが、役牛がいなくなり、藁屋根がなくなり、また藁は切断して田に鋤き込むようになった今は、見ることはない。それとともに、藁を使う技術も忘れられていく。そのような技術は、手から手へと伝えられる技であり、生活がその技を必要としなくなれば、技の記憶は途絶えてしまう。
隣のおばあさんはかつて、男が町に働きにいく道中に履く草鞋を毎晩編んでいたそうである。しかし、いま村の生活者で、草鞋の編み方を知っている者がどれだけいようか。むろん私は知らない。私が知っている藁を扱う技は、稲束の結わえ方、縄の綯 [な] い方のほかには、温床などの藁枠を編む仕方くらいである。
藁枠の編み方は父から教えてもらったが、父の死後はっきりと思い出せなくなり、近所の人にまた教えてもらった。私は藁枠は、踏込み温床を作るときと、ゴボウを蒔くときに作る。
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・ただ私の手は物覚えが悪いので、記憶を図の形でメモに残し、毎回それを見ながら藁枠を編んでいる。手の記憶は手に任せていただけでは、消失してしまう危険がある。そこでこの記事では、手の記憶を画像と文章にしておくことにする。
枠組みに藁を編みつける
三番目の画像を見ていただきたい。(画像の詳細は、クリックして拡大するか、印刷して確かめてください。印刷すると、A4判用紙一枚におさまります。)右の列は、枠組みの内側から見た図、左の列は、枠組みの外側から見た図である。藁を編みつける方向は矢印で示してある。(方向は、作業環境や作業者の利き腕によって変わりうる。)編み方は、右の列の説明図(1から4)に従って説明する。右の列の図で分かりにくい場合は、左の列の図(1から4は、右の列のそれぞれの番号に対応している)を参照していただきたい。
藁は一掴みほどを一房として順に編みつける。一房の分量を具体的に言えば、バインダー[刈り取り結束機]で束ねた稲束ひとつから六から七の房が取れる。
最初の房は枠の内側に縛りつける。縛りつけないと固定しない。次の房からは枠の外側から編む。また最初の房とは違い、縛りつけない。縛りつけなくても固定する。(1 を参照。)
房は、次の房を巻き込んで、最後には、先を自分と次の房との間に挟み込み外側に出す。(2から3を参照。)図では、房と房の間に隙間があるように描いてあるが、実際は、(3)の状態で、二番目の房を一番目の房の方に寄せて、両者を密着させる。以後、同じ動作を繰り返す。(4を参照。)
藁枠には内側と外側の区別がある。2番目の画像を見ていただきたい。手前の短辺でよく分かるように、外側には(3)の段階で挟み込んだ房の先が出ている。逆に内側に出ていると、温床の面積がその分狭くなる。だから、内側と外側を区別しなければいけない。
作業を内側から行うか外側から行うかは作業環境によって異なる。私は、温床の場合は、枠の内側が広いので、内側から行い、ゴボウの栽培畝の場合は、内側が狭くなるので、外側から行う。