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ひろば(BBS)

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2006-02-01 ☆ 山小屋訪問

広島から岡山県の東北部の県境まで車を4時間半運転して、インターネットで知り合った人の山小屋を訪問した。知り合って1年ほどになるだろうか、とうとう《メルヘンな》山小屋の《メルヘンな》住人との遭遇を果たした。彼らの山小屋は、そして彼ら自身は、どのように《メルヘン》であったか?


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大茅[オオガヤ]スキー場。
 あわくら温泉(村営国民宿舎)から10分ほどのところにある。スキー客は以前に較べれば減少しているそうである。駐車場は、以前は有料だったそうだが、いまは無料。スキー客は道路脇に思い思いに駐車する。
 スキー場に向かう畑や林に鹿の影が見られた。一見のどかな風景であるが、これほど警戒心なしに鹿が里に出てくると、農作物の被害も少なくないだろう。
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kaoさんとkunさんの山小屋。
 県道から渓流沿いの林道に入りほんの少し上ると、やや鋭角に右折する枝道があり、それが山小屋に続く。車は山小屋近くまで入れた。
 傾斜のきつい三角屋根は雪対策のようである。この傾斜だと、雪は屋根に積もってもやがてずり落ちる。
 二階建て。外からは分からないが、中はログが積んであるところもある。むろん材料の丸太はまわりの杉林から調達したもの。初めて伐採したという杉が、一階から二階に通じる螺旋階段(階段は、杉を半分に割ったものが使ってある)の支柱になっていた。
 時間があれば浸かってみたかったのが、風呂。屋根の傾斜のままの壁には杉の丸太が使ってある。
 山小屋とは直接関係ないが、食事のとき出された水がとても美味しかった。近くの湧き水だそうである。近年は有名になって遠くからも汲みに来る人が絶えないとのこと。
除雪された県道から雪の積もった杉林を上る林道に入る。するとすぐ右手前方に三角屋根の山小屋が見えた。屋根からは煙が立ちのぼり、人の気配が感じられた。坂を上る車は踏み固められた雪の凸凹にしたがって揺れる。同乗している家族が「あっ。山小屋で、来た来た!と言っているよ」と小さく叫んだ。とうとう山小屋に来た!

2月25日と26日、岡山県の北東の県境を旅行した。目的は、温泉と雪と山小屋である。私は以前からインターネットで知り合った人の山小屋を訪問したいと思っていた。しかし、その山小屋は、広島からすれば、岡山県の一番遠いところに位置している。利用する高速道路だけで250kmほどもあり、気軽に行けるところではない。一泊旅行を考えなければならないが、家族で旅行するとすれば、山小屋訪問だけで家族全員の同意を得られそうもない。そこで、温泉と雪をセットして家族に提案した。寒がり女は温泉と聞いて、重い腰をやっと上げる気になったようだが、子どもはどの目的をとっても大喜び。
利用した高速道路、中国道は広島県の帝釈峡あたりの標高の高いところでこそ道路脇に雪が残っていたが、岡山県に入ると雪のかけらもなくなった。失望したのは子ども。でも遠方に見える高山が白いのを見て、また期待を膨らませた。高速道を兵庫県の佐用ICで下り、そこから一般道を北上して夕方、暗くなるのが間近になったころ、最初の目的地である「あわくら温泉」(岡山県西粟倉村)に着いた。ここまで来ると、今年が雪の多い年のせいもあるが、雪がたくさん残っている。子どもは宿の窓から外を眺めながら「今まで来た温泉のうちで最高の温泉になりそう。雪はあるし、山小屋にも行けるし」とはしゃいだ。
翌日、午前中は宿の近くの村営大茅スキー場で遊んだ。こじんまりとしたスキー場でリフトは一基しかないが、子どもが遊ぶには十分。子どもはいくら遊んでも飽き足りない様子だったが、山小屋を訪問する約束の時間が迫ってきたので、2時間ほどでスキー場を後にした。目指す山小屋は、そこから30分ほどの東粟倉村(平成の大合併以前の旧称)にある。

杉林の中の林道を少し上り、山小屋に右折するところに来ると、向こうからkaoさん(♀)とkunさん(♂)らしき人がやってきた。(「kaoさん」、「kunさん」はインターネット上の名前。この記事では、この《インターネット名》を使う。)kaoさんが、私のインターネット上での知り合いである。BBSで語り合ったり、メールを交換したりしたことはあるが、直接会うのは初めてである。それどころから、写真を見たことすらない。だから、顔の見えないインターネットでの情報からイメージを膨らませて、生の出会いを不安まじりに期待していた。
一言で言えば、お二人とも気さくな方である。(フランス語で言えば、aimable, sympa, accueillant とでも表現できようか。−フランス語になじみのない方、ごめんなさい−)これでは具体的なイメージは湧かないだろうから、もっと具体的に言えば…
kaoさんは、インターネット上で抱いていたイメージと少しずれていた。インターネット上では、お喋りで、おもしろ楽しく、でも少しドジなおばさん、といったイメージだったので、会う前までは、そのイメージを容貌と立ち居振る舞いにも当てはめて想像していた。たしかに、言葉数は多い。これはインターネット上でも現実でも同じだったが、容貌は意外におとなしい。kaoさんのメールに、いかにも冗談といった口調で、これでも昔は「物静かな乙女」だった、と書いてあったが、冗談どころか、「物静かな乙女」がそのまま齢を重ねたように見えた。また立ち居振る舞いに関しても、同じ「物静かな乙女」が「子育て戦争」(こういった表現が彼女のHPにあったような記憶がある)など人生経験を積んだ身につけたものと言えるものだった。会う前は、ずっこけ漫画のおばさん主人公を思い描いていたのだが、みごと期待を裏切られた。
彼女はいわばネット人格と現実人格の二重性を生きているようである。でも相対立する不道徳な二重性ではなく、現実人格が、インターネット上の自由な空間にふれて、それまでは発揮する機会の少なかった己の一部を自然に解放し発展させたゆえの二重性と言える。だからだろう、二重性に気づいても、そこに、騙されたような、不快なギャップは感じなかった。

kunさんは風貌はイメージ通りである。山小屋の住人にぴったりとはまっている。ただ予想外だったのは、kaoさんから得た事前情報から寡黙な人柄を想像していたのだが、実際はざっくばらんな口の持ち主だったこと。
ホームページを通して知ってはいたが、山小屋を実際に目にすると、kunさんのこだわった情熱にはあらためて感心した。山小屋をもちたい、と思う都会生活者は多いだろう。そのなかで、さらに思いが強く、かつ金銭的な余裕がある人が実際に山小屋を所有する。しかし、山小屋を自分で作ると人になると稀だと思う。kunさんはその稀な人である。
彼はサラリーマン稼業のかたわら、長年の夢かなって手に入れた山林に、10年以上も前から山小屋を一人で建設している。建築士の資格をもっている、というから、元来その方面の作業は好きなのだろう。しかし、それにしても、山林の一部を切り開き、基礎を作り、また伐採した杉材をも使いながら、そのうえ、サラリーマン稼業の合間をぬい、自宅から1時間半をかけて毎週末かかさず山に来ては、ひたすら建設作業を続けるのは、並の情熱ではできない。それを10年間やってきた、という。
彼はけっして出来合いの材料を購入することはしない。材木は自分の山の杉を伐採する。また、山小屋建設にあてるお金は最初から決めていたそうだから(彼から教えてもらった具体的な金額は挙げないが、土地購入と建設にかかるだろう費用を考えれば、桁外れにつましい額である)、自分で作ることのできない建築資材(たとえば窓枠)は中古品や廃材を再利用してコストダウンをはかっている。
山小屋を初めて目にしたときの、なにか独特な印象は、あるいはそのような彼の情熱とこだわりが醸しだしたものかもしれない。この山小屋に来る途中でいくつかの山小屋を目にした。おそらくは山好きの都会生活者が建てたものだろう。きれいにログが積んであったりする。しかし、そのような山小屋は都会生活からの一時的な待避所であり、風景の中で、いわば虚構空間を構成している。それに対し、kunさんの山小屋は初めて見たとき、陰になった杉林の中で、直立する杉たちと同じ方向性をもつ三角屋根が、杉たちと同様、地面から生え伸びているように思えた。屋根から立ちのぼっていた暖炉の煙は、なかの住人の息づかいであると同時に、森全体の息吹のようであった。山小屋は、まさしく 森.の.住人の住処だった。
山小屋は、まだ完成はしていないが、生活はできる状態になっている。山小屋建設に余裕ができた3年前から(すなわち、建設作業に没頭した10年間の後に)、林道を出たところにある休耕田を借りて野菜作りをはじめたそうである。農耕を経験したためだろうか、kunさんは「自給自足」という言葉を話の中で何回か口にした。それに関連して、野菜の種取りの仕方も話題にした。かつて農耕の民は自家採種していたに違いない、と言いながら、しかし村人は採種の仕方を知らない、と不思議がっていた。彼は、自己採種をしながら野菜を作る自給自足を考えているようだった。今回、ほとんど雪に埋もれた畑をみせてもらった。その畑は、かたくなに森にこもっていた山人が里に出て行こうとする徴のように見えた。山小屋は北斜面に建っているため日当たりが悪い。しかし、畑に来ると、そこも日照条件は悪いとはいえ、日差しはある。その日は寒い日だったが、日差しを顔を受けながら気持ちよさそうにしているkunさんの顔も、また同じ徴のように見えた。
サラリーマン稼業を続けながら、自.力.で.山小屋作りをする。今度は農耕による自.給.自.足.を夢みる。ふたつは、寡黙と言葉という他者との繋がりの違いを別にすれば、同じ連続線上にある、と私は思う。こだわりの情熱をもってもの作りに打ち込む人には、もの作りが生業にせよ趣味にせよ、はっきりとした生き方がうかがえるような気がする。それも、思想としての生き方ではなく、日々の挙措にあらわれる、地についた生き方である。

昼は、芋から手作りのこんにゃくが入った牡蠣鍋を御馳走になった。山小屋の中を案内してもらったり、スノーシューを借りて(ただし、2足しかないので、私は履かなかった)雪の中を散策したりした。広島への到着時間を考えて、3時半には分かれを告げる予定であったが、楽しんでいるうちに、とうとう5時になり、夕暮れに急かされてやっと帰途についた。交通量のまばらな中国道の闇の中をひた走り、広島に着いたのは、4時間半後の夜の9時半であった。
その夜は、酒を飲みながらも山小屋が頭を離れず、なかなか眠くならなかった。

kaoさんとkunさんのホームページ「訓ちゃんの土木研究所」
http://www.nexside.com/kun/
kunさんの名前が冠してあるが、ホームページの実際の運営者はkaoさん。
 
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