天地人籟タイトル  
 

サイト内検索
 
●記事一覧
▼前の記事
 
村の入り口
(TopPage)
 
 
ご感想やご意見は ...

ひろば(BBS)

e-mail
2006-01-05 ☆ 年越し蕎麦

《年末の年越し蕎麦は、南郷蕎麦粉を使って自家製の蕎麦を作った。蕎麦を打つのはこれが三度目の経験である。》
- 蕎麦作り今昔- 蕎麦を打って食べる


12月31日に蕎麦を打ち、年越し蕎麦にした。


蕎麦作り今昔
最近では村で蕎麦の栽培はほとんど行われていないが、かつては少量ではあるが栽培されていた。私の記憶にある限りでは、年越し蕎麦にしたり、蕎麦掻きにしたりして食べた。

年越し蕎麦を打つのは、学生時代に一度だけ見学したことがある。今から30年ほど前、今は90歳半ばの隣のおばあさんが、母と一緒に、おばあさんの家で蕎麦打ちをするのを、粉を捏ねるところから蕎麦を茹でるまで見学した。その時「[作り方を]よお、覚えときんさいよ」と言われたが、今思い出してみると、断片的な記憶しか残っていない。

わが家では、蕎麦は父の時代に栽培するのをやめた。理由は、製粉してくれるところが近くになくなった、といったことだと記憶している。私が百姓を始めてから数年して、ふたたび蕎麦を作った。そして、その蕎麦を、新しく購入した家庭の製粉器で粉にして、打ってみた。自分で栽培した蕎麦を打ったのはそれ一回である。蕎麦はそれから二度ほど蒔いたが、試験的に少量の栽培しただけであり、粉にはしなかった。


蕎麦を打って食べる
ところが去年は、青森の人から送っていただいた種(品種は階上早生)を蒔いて今まで以上の量の蕎麦を作った。むろん粉にして蕎麦を打とうと思ってである。しかし、収穫後、箕で大まかに風選したままで放ってある。というのも、12月に、同じ青森の人から、今度は製粉した南郷蕎麦(八戸市南郷町の特産という意味での命名で、品種は階上早生)を送っていただいたからである。そこで、当面の粉が手に入ったので、収穫した実の方は年が明けてから粉にすればいい、と考えたのである。

大晦日には、その南郷蕎麦粉を使って蕎麦を打った。

(クリックで画像の拡大)
延ばし終わった蕎麦に蕎麦粉を振りかける。折り畳んだときの、くっつき防止のためである。

(クリックで画像の拡大)
蕎麦を切る。わが家には、蕎麦切り包丁はおろか、和包丁もない。そんなことはお構いなしに、シェフは汎用包丁を使ってさくさくと切る。包丁やまな板にこだわらないフランス料理のシェフならではの技(?)

(クリックで画像の拡大)
切り上がった蕎麦。これだけでも食欲が刺激されませんか?
蕎麦打ちはわが家のシェフに一任した。彼女にとって蕎麦打ちは三度目の経験である。蕎麦の経験は浅いが、長年の経験がある菓子とパン作りの技術を応用して、蕎麦打ちをこなす。私はといえば、彼女の手際をただ眺めているだけである。だから、以下の説明は素人が上っ面を観察しただけのものであり、細かいコツまでは立ち入ることはできない。


@蕎麦は小麦粉(中力粉、いわゆる「うどん粉」)を混ぜる。割合は、蕎麦8、小麦2である。その粉を水で捏ねる。水は、重量比で粉の半分を使う。
A捏ねた粉は、キャンバスの上で麺棒を使って延ばす。キャンバスの上には、捏ねた粉がくっつかないよう、必要に応じて蕎麦粉を振る。
B延ばし終えて薄い層状になった蕎麦を折り畳む。畳む前に、くっつき防止のため、蕎麦粉を振る。蕎麦は三回ほど折り畳む。
C蕎麦を切る。


夕食時、年越し蕎麦はてっきり温かい汁蕎麦と思っていたが、出てきたのはざる蕎麦であった。ざる蕎麦は子どもの要望とのことであった。温かい蕎麦で身体をあたためて大晦日の寒さをしのぎ、年を越したいと楽しみにしていたが、子どもが望むなら仕方ないか、と諦めて、それでも打ちたて、切りたての蕎麦に舌鼓を打った。つけ汁には、蕎麦の薬味として辛味大根を加えた。(昨秋は、辛味大根として三種類の大根を蒔いたが、できれば近いうちに「雑記帳」でそれらの大根を紹介したい。)

私は蕎麦の通ではないので、蕎麦の微妙な香りや味を利き分けることはできないが、美味しいとは感じた。ただシェフの評によれば、南郷蕎麦は上品な感じであり、以前、わが家で栽培し、初めて操作する製粉器で手さぐりで粉にした蕎麦の方が香りが強かった、とのことであった。評は当たっているかもしれない。送っていただいた蕎麦は機械化された製粉センターで製造されたものである。送り主の方に、そのセンターでの製粉過程を詳しく教えていただいたが、香りを出すため、後からわざわざ殻を粉に混ぜるようである。裏返して考えれば、機械から出てきたばかりの粉は、雑味のない純粋な粉の状態にある、ということであろう。それに対し、自家製粉した蕎麦は堅い殻までも粉末状になって混じっている。石臼で挽いた昔の粉と同じである。麺を口に含めば、ザラザラした舌触りがする。いわば「田舎蕎麦」である。(ただし、わが家の製粉器は速度の調整できず、高速で石臼が回るぶん香りが飛んでしまい、手挽きよりは香りが弱いはずである。)二つの蕎麦粉の、「上品」と「香りが強い」という違いは、そのような製粉過程によるのだろう。

蕎麦を食べた後、もちろん茹で汁も飲んだ。一杯だけではなく、二杯、三杯とお代わりをした。

また、年を越して元旦にも、昼に蕎麦を食べた。今度は温かい汁蕎麦である。準備するときから蕎麦のにおいが台所から漂ってきた。朝のお屠蘇が効いていたせいか、蕎麦を食べた後は、茹で汁を二杯、三杯と言わずお代わりをした。残った茹で汁を捨てるのが惜しいくらいであった。

(なお、蕎麦は500g使った。出来上がりは、五人分ほどの蕎麦になった。)
 
先頭に戻る
 


てつがく村
depuis le 1er avril 2000