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ひろば(BBS)

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2005-08-19 ☆ 私も走り続ける…

《通いの一人兼業農家は畑の草取りもままならない。ややもすれば破綻しかねない状態だが、今秋は稲の収穫をいつもの人に委託できなくなり、私の兼業農家は正念場を迎える。》
- イノシシ防御の「電気」柵- 通いの、一人、兼業、農家の畑は草ぼうぼう- 今秋は一人兼業農家の正念場か…


今夏二度目のイノシシ侵入の日の夕方、当面の処置を畑近くに住む従姉に頼んでいたが、やはり気がかりで、レポート読みを早めに切り上げて畑に行った。


(クリックで画像の拡大)
 草ぼうぼうの「横の畑」。
 左端は屋敷の一部。屋敷の擁壁は手前から奥へ北西に伸びている。擁壁に沿って、電気柵が張ってある。イノシシが左の屋敷から右の畑へ侵入するのを防ぐためである。
 畑は○印のつけてある松と電信柱が他家の畑(荒廃している)との境である。写真中央あたりの左右に下向きの矢印(↓)を結んだ線が、慣行畝と自然畝との境。自然畝は手前、慣行畝は奥である。慣行畝も自然畝同様、草が繁っているのがお分かりいただけよう。
 写真には「横の畑」全部は写っていない。「横の畑」全体は約四畝。
イノシシ防御の「電気」柵
朝、従姉には、電気柵(電気は通していないダミー)の延長と、柵の周囲の草刈りを頼んでおいた。

畑は屋敷の周り三方にあり、それぞれ、屋敷を基準にして、「前の畑」、「横の畑」、「裏の畑」と呼んでいる。電気柵はそれぞれの畑でイノシシが侵入する側と思われる周囲に張りめぐらしている。したがって、畑は完全に囲い込まれているわけではない。しかし、今回のイノシシ侵入を受けて、サツマイモが植えてある「横の畑」は周囲全体を電気柵で囲むことにした。

また、柵は電気を通すと、周囲の草刈りに気を配らなくてはいけない。電気が通るアルミ線に草が触れると漏電するからである。電気が通してなくても、アルミ線が張ってあることを(イノシシに)分かりやすくするため、柵は草に埋もれない方がいい(と思っている)。電気柵は今は半ば草に埋もれている状態だから、草刈りをしなければならない、と判断した。


通いの、一人、兼業、農家の畑は草ぼうぼう
夕方五時ごろに畑に着くと、従姉は草刈りを終え、電気柵にアルミ線を張ろうとしているところだった。納屋で急いで仕事着に着替えて、従姉から作業を引き継いだ。

電気柵を張り終えて畑を見回した。横の畑は半分ほどは自然畝(「自然」農法を試行する「畝」)である。その部分は、当然のことながら草が生えている。そして残り半分の畝では慣行農法を行っている。ところが、その部分も一部を除いて、草が生い茂っている。草が覆っているのは、タマネギとジャガイモを収穫した跡や今春以来何も栽培していないところである。草は生やそうと思っているわけではない。何も栽培していないところは、理想としては、草が少し伸びはじめると耕耘して除草し、次の作期に備える。今からあと半月もすると秋の農繁期に入る。この時期の慣行畝に草が生い茂っているのは、夏の間、除草や耕耘に回す手がなかったからである。

田圃で精出せば、畑が草ぼうぼうになる。畑で精出せば、田圃がヒエだらけになる。身一つの兼業農家は、悔しさをかみしめながら、草の旺盛な生命力を傍視するだけである。

今秋は、破綻しかかっている一人兼業農家の正念場か…
今秋は、一人兼業農家の正念場になるかもしれない、と思っている。

稲刈りを委託していた人が病に倒れたため、今秋は自分で稲刈りをしなければならないかもしれない。少しずつ機械を買い揃えて、いずれは自分一人で稲作をやろうとは考えていた。二年前にトラクターを購入したのは、その第一歩である。しかし、状況が急変し、稲作一人立ちの計画を前倒し、今秋から実行に移さなければならないような雲行きになった。

稲の収穫の機械化には二つの体系がある。ひとつは、コンバイン(刈り取り脱穀機)+乾燥機の体系であり、もう一つは、バインダー(刈り取り結束機)+天日干し+脱穀機の体系である。後者が、従来の収穫法を機械化したものである。前者の体系は大幅な省力化と時間の短縮を可能にしてくれる。後者の体系は、それなりの人手が必要であり、また天日干しという自然に依存する部分があるがゆえに、時間の短縮は期待できない。機械の購入費は、前者が後者に較べて二倍あまり高くつく。

稲刈りを二カ月足らず先に控えた今、体系の選択を迫られている。購入費と天日干しへのこだわりからすれば、後者の体系である。しかし、そうすれば一人兼業農家で対応できるかどうか。サラリーマン稼業のことを考えれば、土日をはさむ四日ほどで稲刈りと稲架掛けができなければならない。すると、何人かの人手が必要である。その人手を頭で計算しながら、いま二つの体系の間を揺れている。

畑作も今はほとんど孤軍奮闘の状態である。二年ほど前までは老母が草取りを手伝ってくれていたが、今年からは収穫を除く作業を、一人でやっている。畑に生い茂る草を見ていると、はたして今秋、満足な植え付けができるだろうか、と不安になる。自然農法畝を今まで以上に拡大し、活用せざるをえないかもしれない。
(孤軍奮闘の状態にあって、従姉にはよく手伝ってもらっている。たとえば、初春の、温床での育苗は彼女の助力なしには成り立たない。温度を見ながらのシートの掛け外し、水やりなどはすべて彼女にやってもらっている。曲がりなりにも畑作を続けていられるのは、彼女のおかげが大きい。)

通いの一人兼業農家の生活は破綻の危機に立っている、というより、もうとっくに破綻してはいる。ずっと以前から破綻してはいる。破綻しながらも、なんとかバランスを保ってきた。いま心配なのは、そのバランスがとれなくなってしまうのではないか、ということである。


でも、走り続けます!今更、歩いても詮ないことですから。
 
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