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ひろば(BBS)

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2005-07-31 ☆ イノシシの夏

《イノシシが畑を荒らした。近くの山で始まった工業団地を造成する工事に追い立てられたのだろう。私はあわててイノシシを防ぐ柵の周囲の草刈りをして、イノシシに対して柵の存在を強調した。》
- 穂肥- イノシシが畑を荒らしている!- イノシシ出没の原因- イノシシの侵入を防ぐ柵


穂肥
先週の金曜日(7月28日)、一日休暇をとって穂肥をまいた。穂肥は、稲が茎のなかで幼穂を形成しはじめる直前に施す肥料である。品種によって施す時期は違うが、私が作っているヒノヒカリ(中生品種)の場合、出穂25日前が施肥適期である。我が家は例年(そして今年も)6月始め田植えをし、出穂は8月25日前後になるので、7月終わりから8月始めが適期になる。ただ今年は梅雨の前半が晴天続きだったので、出穂が早まる予想である。(稲の生育は、積算日照時間によって決まる。)


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 田圃から工業団地造成地を遠望する。
 写真中央の左上に赤茶の地肌が出た山がある。それが造成が始まった旧ブドウ園の一部である。我が家の屋敷と畑は、写真右端の、中央から少し上に鼠色の壁の家が見えるが、その家の、二、三十メートル右奥にある。

(クリックで画像の拡大)
 イノシシがかじったソーメンウリ。
 上のウリは熟しかけているが、下はまだ未熟。下のウリは上に向いた部分のかなりの表面がかじり取られている。ウリは自然農法(不耕起、不除草を原則とする農法)畝で栽培している。葉がしおれているのは、昼間の日差しと暑さのせい。
イノシシが畑を荒らしている!
施肥は夕方することにして、午前中は水がない田圃に水を入れたり、今年は畑に転換している休耕田で青大豆の植え付けの準備をしたりして、昼に屋敷に帰った。暑い日中、納屋で休む前に、屋敷まわりの畑を見回った。すると、7月8日に定植したサツマイモの苗が4本掘られているのを見つけた。1本は完全に掘り出されていたが、残りは、探るように掘られただけであった。直観的に、イノシシが来た、と思った。さらにソーメンウリが2個、かじられていた。それでもう、犯人はイノシシだと確信した。サツマイモは定植後一カ月も経っていないので、根はまったく肥大していない。すこし掘っただけでイノシシは分かったのであろう、畝の端の4本が荒らされただけであった。ソーメンウリは、おそらくカボチャだと思い食べ始めたところ、不味いので、かじっただけでやめたのではあるまいか。


イノシシ出没の原因
先日、近所の畑がイノシシに荒らされた、という話を聞いた。五、六年前から、イノシシが畑に出没しはじめた。しかし、イノシシは山に近い畑だけをあさり、里に深入りすることはなかった。我が家の畑はイノシシの行動範囲内にあったので、それを契機に、電気柵を畑の周りにめぐらした。電気柵は、ここ二、三年外していたが、昨秋、収穫前のサツマイモを荒らされたので、また張りめぐらした。先日イノシシが荒らしたのは、わが家の畑よりさらに里に入った畑であり、そこはまったくの無防備であった。何軒かの屋敷まわりの畑を荒らし、サツマイモを掘り返し、カボチャを食い荒らしたそうである。

イノシシが里での行動範囲を広げたのは、理由がある。梅雨が明けてから里近くの山が造成されはじめたからである。村には、今から約四十年前に開設されて、すぐに経営に失敗したブドウ園があった。ブドウ園は村の多くの家が山を出し合って開園したものである。ブドウ園跡地を処理するのに、様々な事情が絡んで、三十年あまりの時間がかかり、ほんの数年前、市が買い取る形でやっと決着がついた。荒廃した跡地を高価な優良農地として買い取った市は、一部を工業団地として造成し、売却する決定をした。その造成工事が里近くで始まったのである。

木が切り払われ、ブルドーザーが山の一部を丸裸にした。まるで毛をむしりとられて素肌が露出したかのように、山は赤土の地肌を見せた。そして、棲息場所を失った動物たちは周辺に逃避した。山の生物たちの身に起きた、そのカタストロフィがイノシシの異常出没の原因なのである。

我が家の畑は、大まかに電気柵(ただし、まだ電気は通していないダミー)をめぐらしているので、イノシシの出現には軽い衝撃を覚えた。ただ電気柵は完全には閉じた形状をしていないので、隙間からイノシシが入ったことは十分に考えられる。隣の畑もサツマイモがやられていた。経験からして、イノシシは柵がしてあるところには入ってこない。実際に電気が通してある柵もあるので、警戒するからであろう。ただ、我が家の畑の場合、電気柵が草に半ば埋もれている。電気を実際に通すとなると、草はきれいに刈らなくてはいけない。そうしないと、草に触れた針金から漏電して、柵としての効果がなくなるからである。しかし、いまはダミーにすぎないので、草刈りの管理は怠っていた。

イノシシの侵入を防ぐ柵
イノシシの侵入を確信した私は、まさに泥縄、炎天下を鎌で草刈りをはじめた。少しずつ、アルミの電線を張った電気柵が草の中から姿をあらわした。草刈りは、イノシシに電気柵の存在をはっきりと知らせよう、という意図なのだが、効果のほどは分からない。さらに侵入口と思われるところには新たに柵を設けた。

さすがに夏の日中、少し草刈りをするとすぐに息があがった。草刈りのあと、納屋に入って身体を地面に横たえると、体中から汗が噴き出した。そして、作業あとの激しい動悸はなかなかおさまろうとはしなかった。息苦しささえ覚えながらもペットボトルの水を何口か飲んだあと、私は地面の硬さを背中に感じながら、汗まみれの午睡に入った。


イノシシたち、山を追われた生き物たちの喘ぎは、私の束の間の労働からの喘ぎをはるかにこえているはずである。私の喘ぎはひとときの休息を要求するだけである。しかし、かれらの喘ぎはかれらの命を直撃する。そして彼らの命が危機にさらされていることは、私たちに無関係なことでは決してない。

言いたいのは、畑が荒らされる、ということではない。命がめぐる場である土地を金銭の尺度でしか見ない。人間だけのものではない土地に占有権があると信じ、そこから利益を引き出そうとする。私は、権利の主張には必ずそれにふさわしい責務の負担がある、と考えている。担おうとしなければ、きっと担わされる。今の問題では、人間はふさわしい責務を負担しようとはしていない。責務があると思ってもいないだろう。そのようなときには、私が思うには、責務は生存の危機といった過激な形で我々の身に降りかかってくる。その意味で、彼らの危機は我々に無関係ではないのである。


午睡から覚めた私はけだるさを感じながら、穂肥を軽トラの荷台に積んで田圃に向かった。
 
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てつがく村
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