天地人籟タイトル  
 
サイト内検索
 
▲次の記事
●記事一覧
▼前の記事
 
村の入り口
(TopPage)
 
 
ご感想やご意見は ...

ひろば(BBS)

e-mail
2005-07-22 ☆ 黒豆の定植

《梅雨が明け、黒豆(丹波黒豆)を定植した。今年は家族も参加して作業をした。》
- 豆の栽培法- 家族で定植- 「農耕暦」考


広島県は7月18日に梅雨が明けた模様、という記事が19日の新聞に載っていた。しかし実感としては7月15日(金)が梅雨明けである。


(クリックで画像の拡大)
 休耕田。畝幅は120cmほど。
 豆の畝のすぐ左側に植わっているのは、里芋の一種の八つ頭。今年初めて栽培する品種。八つ頭の左側は、普通の里芋。この芋は自己採種を繰り返している。豆の右側は八月後半にソバを蒔く予定である。
豆の栽培法
実感の梅雨明けの翌々日、すなわち17日(日)に黒豆(黒大豆)の定植をした。黒豆は7月1日に播種して育苗していたものである。近所の人たちは地床で育苗し掘りあげているようだが、私はポット育苗する。育苗するのは、大豆は発芽したとき豆が割れて双葉のように地上にあらわれるので鳥に狙われやすいからである。

自家採種の種を使って1ポット一粒蒔きで160ポット育苗し、定植したのは148ポットだから、発芽率は九割以上(93%)である。大豆は発芽率が高いが、豆が莢にくっついていた跡のある部分を下側にするとさらに発芽率が上がる。跡の部分から発根するので、その部分が下側だと、双葉状になった豆が土からすっと持ち上がるのである。しかし、上側にして土に埋めると、豆が土からうまく出ない場合がある。また、土中の水分が多すぎると豆が腐るので注意しなければならない。

黒豆の品種は、「丹波黒豆」と呼ばれる表面が蝋を塗ったような光沢のある大粒種である。長い間、1ポットに二粒蒔いていた。二粒とも発芽すれば、間引かずに一カ所二株にした。種袋には一カ所、一株が二株にする、と書いてあり、二株にすれば一株より収量が上がりそうだ、と考えたからである。しかし、他方で、一株の方が豆の肥大がよく、逆に収量が上がるのではないか、と思いがあった。そこで、昨年は一株と二株を比較栽培してみた。結果は、豆の肥大は一株の方がよかった。収量に関しては比較しなかったので分からないが、今年は肥大のよい一カ所一株に統一して栽培することした。

播種後は、一度、倒伏防止のため元寄せ[土を株元に寄せること]してやり、本葉五枚くらいで芯を止める。摘芯しないと、かなりの大株になり葉は繁る。まだ摘心することを知らなかった頃、隣のおばあさんが日陰のない田圃にやってきて、強い日差しを避けるために、我が家の休耕田に育っている黒豆の陰に小柄な身を寄せて休んでいたのを思い出す。さて、大株になると豆のつきは悪い。放任すると、どうも身体を大きくすることにエネルギーが向けられるようである。それに対して、摘心すれば豆つきがよく収量があきらかに上がる。(元寄せは収量には関係ないように思える。)


家族で定植
定植の日は、久しぶりに家族もやってきた。ここ二カ月ほど、最初の一カ月は子どもの都合で、七月に入ると梅雨のために、家族は畑に来ることはなかった。

子どもは、久しぶりの田舎に、「空気がいいにおいがする」と喜んだ。「[市街地の]おうちの方にいるとこんなにおいはしない。」暑く湿度の高い夏のエネルギーを旺盛に取り込んで成長する植物のにおいに、これまた成長の途上にある子どもの身体が反応した言葉のように聞こえた。

休耕田に畝を作る作業は朝からはじめた。雨が続いたせいで土はまだ柔らかかったが、除草のため一度耕耘機で土をひっくり返した。梅雨明けの日差しは厳しい。水分を補給しながら作業を続けるが、昼近くになると身体の動きが鈍くなり、一挙手一投足にあえぐほどである。まるでインターバル・トレーニングをやっているかのように、ひとしきり作業をすると、荒くなった呼吸をしばらく整え、また作業に取りかかる。

夏場は正午から午後三時までは休養をとる。一日で一番暑い時間帯だから、野良仕事はまず無理である。三時過ぎに作業を再開してもまだまだ身体を動かすのがつらい。五時近くになってやっと身体が楽になる。

午後一時間ほど作業して畝はできあがった。定植は家族に手伝ってもらうことにした。家族は基本的に、一週間に一度畑に来るが、収穫が主たる作業である。私より遅れてやってきて、私より先に帰宅する。時々草取りをしてもらうことがあるが、それ以外の農作業は滅多に手伝ってもらうことはない。

農作業は一人でやると鬱陶しいことがよくある。しかし、家族が手伝ってくれると、たとえ大きな戦力にならないにせよ、心が軽くなる。作業も人数以上にはかどるような気がする。

私と子どもがシャベルで、定植する穴を次々と掘っていく。子どもは私が指定した場所を、シャベルを両手でもち力まかせに土を掘りあげる。「これ以上、力は出ない!」と言いながらも楽しげにシャベルを動かす。子どもの母親(qui?)がその穴に苗を植えていく。私たちも穴を掘り終えると、苗を植える。やり方を教えると、子どももぎこちない手つきで何株か植えた。作業の途中に五時のサイレンが鳴った。(村では朝六時、正午、夕方五時に小学校にあるサイレンが鳴る。サイレンが鳴りはじめたのは、正確な記憶はないが、ともかく私が小学生の頃である。)日の長い夏場でも、五時のサイレンが鳴ると家族は引き上げる。定植が終わると、家族は先に返し、私は片づけの作業を行った。


「農耕暦」考
暑い時期に種蒔きした黒豆は、十月に枝豆として食べ、十一月の終わりに収穫する。昔は黒豆に限らず大豆は田植えが終わったころに蒔いたようである。今の田植えは、稚苗を植えるので、手植え時代よりも少なくとも二十日早くなる。麦を作らなくなり、また機械化され作業時間が短縮されたからであろう、実際には、田植えはもっと早くなった。我が家は六月の始めに田植えをするが、育苗期間の差だけを考慮した場合、我が家の場合が昔の稲作と同じ暦であるように思われる。ともかく昔流に大豆を蒔くとすれば、六月終わり、ないし七月始めということになる。昔はよく畦に大豆を作っていた。棒の先で穴を一カ所に二つあけ、そこに豆を蒔き入れていたそうである。

日本の農耕はその暦を稲作を太い縦糸として組み立ててきた。稲作から委託の作業を少なくし自分でやる部分を増やした近年になって、そのことが実感として分かってきた。稲は育苗から収穫まで、中生の場合、六カ月近くかかる。一年の残りの六カ月も時期によって多寡はあるが、作業がある。そして稲作の暦に他の作物の暦が横糸のように組み込まれる。畦豆はまさに、そのような農耕暦を栽培期だけではなく栽培場所によっても象徴する。

食卓を想像していただきたい。ご飯のまわりに副食が並ぶ。副食の野菜はその季節のものが使われる。(もっとも今は施設野菜や輸入ものが増えて、季節感は薄れているが。)その野菜を作るために、稲作の縦糸にからめて畑作をする。食卓に並ぶものは自分で作る。私の考えでは、これ(すなわち、自給)が農耕の基本である。家族で食べきれない作物があれば、それを非農家に供給する。またしても私の考えでは、これが販売の原則である。残り物を売るのではあるが、自分の身体に入れるのと同等のものを売るのである。まさか自分が食べるものに農薬をたっぷり使ったりする人はいないはずである。食の安全は、私の言う原則を大きく外れるときに、危うくなるのではなかろうか。(むろん、言っていることは、あくまでも原則である。もっといえば理念=理想(idee)である。)


作業が終わり、定植の終わった畝を見る。畝には豆が一直線に並ぶ(多少凸凹はありますが…)。畝を区切る溝はすっきりと掘りあげられている。眼差しは、仕上げたばかりの作品を見るときのような心地よさを感じる。この或る種の審美的な感覚は農耕の快感のひとつの源泉である。
 
先頭に戻る
 


てつがく村
depuis le 1er avril 2000