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ひろば(BBS)

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2004-11-12 ☆ 秋吉台(「天地人籟」番外篇)

《ど素人「地質学」者の秋吉台紀行》

−カルスト台地にキャンプ−カルスト地形−山焼き−鍾乳洞−長者ケ森

カルスト台地にキャンプ

先週末、子どもとキャンプに行ってきた。夏休みにキャンプをした時、秋になったらもう一度行こうか、と軽い気持ちで口にした約束を実行するためである。行き先は秋吉台。二年前にも秋吉台でキャンプをしたことがあったが、その時のキャンプ場(山口県美祢郡秋芳町)は、カルスト台地、秋吉台の一角にあった。今度は、秋吉台からわずかに外れたところにあるキャンプ場(美祢郡美東町)にテントを張った。
今回のキャンプでは、「天地人籟」に書く記事の種を探そうという気もなかったし、また、たまたま発見するということもなかった。だから、本当はキャンプをわざわざこのコーナーで語ることはない。しかし、さる人から、カルスト台地の写真を見せてくれないか、と依頼されていた。その人は学生時代に地質学を専攻したそうである。だから、地質学者の目から見たカルスト台地の写真を希望したのだと推測するが、私は地質学にはまったくの門外漢、結局、オブジェやアングルや図取りがいかにも素人といった平凡な写真しか撮れなかった。それでも、約束を果たすために、何枚かの写真を掲載することにした。

一泊のキャンプであった。キャンプ場は町営の複合レジャー施設の一部をなしていたため、自然の奥深くに来たという感覚(幻想?)を味わうことはできなかった。おまけに、近くにはサファリーランドがあり、夕闇の中から場違いな動物の鳴き声が聞こえてきた。朝の三時ごろ、寝る前にビールや酒を飲みすぎたため、トイレが我慢できずに起き出したとき、思いなしか動物園のようなにおいがして来もした。どんなキャンプ場でも目を輝かせ、跳ね回る子どもも、今回ばかりは気分が高揚しきらなかったようである。
いかにもキャンプだと思えたのは、夜からたち始めた霧が明け方にはあたり全体をすっぽりと覆った時だった。テントもタープもぐっしょりと濡れ、タープの下においていた紙類も湿気をたっぷりと吸っていた。余りの濡れ様に、チェックアウトの午後一時までにテント類が十分に乾くかだろうかと、大げさな心配をしたぐらいだった。
太陽があがり霧が晴れると、子どもと一緒にドライブをすることにした。目指したのは「秋吉台少年の家」と称するところ。行ってみると研修用の宿泊施設の様であった。そこから秋吉台の一角に踏み入れた。

カレンフェルト
(1) カレンフェルト

説明板
(2) 説明板(カレンフェルト)

溶食紋
(3) 溶食紋

ドリーネ
(4) ドリーネ

ドリーネの底
(5) ドリーネの底

大正洞
(6) 大正洞

カルスト地形
(1)の写真は研修施設からすこし登ったところで撮ったもの。いかにも秋吉台らしい地形を撮ったつもりである。その地形の説明は、(2)の写真で撮った説明板にあるので参照していただきたい。
(2)の説明板で言及されている「溶食紋」は(3)の写真に見られる。(1)の石灰岩柱にしろ、この溶食紋にしろ、石灰岩の溶けやすさを端的に教えてくれる。
石灰岩が水に溶けやすいのは、草原のあちこちに穿たれたドリーネと呼ばれる窪地の存在でも分かる。(4)の写真がドリーネのひとつをおさめている。全体として漏斗の形をしているが、底は広い。底の広さは(5)の写真を見ていただければ分かる。二年前にキャンプしたところでは、キャンプ場内にドリーネがあり、底が貸し農園になっていた。石灰岩台地の畑は酸度矯正が不要なのだろうか、とその農園を見てふと考えたことを思い出すが、実際にはどうなのだろうか。土壌酸度計測器を携行すれば、疑問は解決するだろうが、今回、せっかく秋吉台を再訪したのに、計測器の携行までは頭が回らなかった。

山焼き
さて、写真を見ると秋吉台は草原であるのに気づかれると思う。三枚の写真を撮ったあたりは、笹が茂り、その中に萩がぽつぽつと生えているような植生だった。可憐なリンドウも散見された。じつは、秋吉台は春先に山焼きがされて、こうした植生が保たれているそうである。

鍾乳洞
石灰岩は溶けやすいため、地中からしみこんだ水が地中に洞穴を穿つ。いわゆる鍾乳洞である。秋吉台で一番有名なのが秋芳洞。それ以外にも大正洞や景清洞(キャンプ場のある複合施設内に入り口がある)がある。(6)の写真は大正洞の内部である。秋芳洞は、観光できる部分は広々としているが、大正洞の方は狭い。写真の部分は特に狭い。私は大正洞を見学する三十分ほどの間に、何回か頭を天井にぶっつけて痛い思いをした。
大正洞と景清洞は地下でつながっているそうである。もしかすると秋吉台の地下では、知られないトンネルが縦横に張りめぐらされているのではないだろうか。そんな想像をしていると、ジュール・ベルヌ(Jules Vernes)の『地底旅行』が、まんざら荒唐無稽とは言えぬフィクションとして思い出された。

長者ケ森
昼食を終え、キャンプを撤収したのは午後二時近く。規定のチェックアウト時間は一時だから、一時間近く超過している。今までの経験から、チェックアウト時間を一時間ほど超過ぐらいでは別料金はとられないことが分かっていたので、慌てずにキャンプを畳んだ。帰りは、前日と同じように、カルスト台地を貫くスカイラインを走った。子どもは前日見た広々とした光景が気に入った様子で、同じルートで帰途につくことを教えると喜んだ。途中、台地では唯一の原生林、長者ケ森に立ち寄った。森といっても広めの屋敷程度の林である。この森には平家の落人でかつて一帯を支配していた一族の屋敷跡との言い伝えが残っている。ドリーネの写真は長者ケ森周辺で撮ったもの。(長者ケ森も写真におさめましたが、個人情報が含まれいてる−つまり、子どもが写っている−ので、残念ながら公開しません。)
それからは高速道をひた走り、三時間ほどで自宅に到着した。
 
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