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ひろば(BBS)

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2004年8月9日(月曜日) ☆ うわっ!足の指が!

《機械化された現代の農業は危険と隣り合わせである。機械の取り扱いを間違えば、大怪我につながる。使い慣れている草刈機で足の指を怪我した。》

慣れと油断が怪我につながる。一昨日(8月7日土曜日)、畦の草刈りをしているときに、草刈機で足を怪我した。

畦とゲシ
畦とゲシ
上の田圃(写真左側)と下の田圃(写真右側)との高低差は七十センチである。このゲシを刈っている時、足指を怪我した。
前日の続きで、一昨日は朝九時頃から草刈りを開始した。前日は金曜日だったので、朝七時から一時間草刈りをして、出勤した。一昨日は土曜日なので出勤の必要はない。メンパ(曲げ物とも言われ、檜や杉の薄い板をまげて作った容器)にご飯をいっぱい詰めた昼食を自分で作り、ゆっくりと野良に出た。すでに日は高く、温度も上昇し始めていた。少し動くとすぐに汗になる。時折、水筒から水分を補給しながら、畦を刈り進んだ。

田圃は緩い斜面にあるので、上下の田圃の高低差は、大きいところで七十センチはある。畦の草刈りで面倒であり、神経を使うのは、段差をなす斜面(「ゲシ」と呼ぶ)である。斜面は土のところもあれば、自然石を重ねた石垣のところもある。草刈機(刈払機とも言い、2サイクルのガソリンエンジンで動く)は普通、水平なところを刈るのに適した構造になっている。斜面を刈るのに特化した草刈機もあるが、私は普通のものしかもっていない。だから、ゲシの草は、草刈機を斜めに傾け、からだも傾けて、つまり無理な姿勢で、回転刃を下から上へ、あるいは上から下へと移動させて草を切り払う。

草刈機
草刈機
草刈機は、黒いベルトで左肩にかけ、本体の方は右体側に据え、ハンドルを両手で握る。そして、先端の回転刃を右から左に移動させて草を刈る。回転刃は左回転。手鎌(赤い柄)を比較のために並べて写した。
写真右上角に、回転刃を拡大した。突起の左隅に鋼鉄の細片が埋め込まれているが、何とか分かるかと思う。
草刈機の刃は、金属製とナイロン製のものがある。私は、金属製の刃を使っている。その刃は円盤状であり、周囲に四十六個の突起があって、それぞれには鋼鉄の細片が埋め込んである。その突起が回転しながら、草をなぎ払う。草だけではなく、細い木でも切断する能力がある。当たる角度によっては、鋼鉄の細片は欠けることなく、石までも削ってしまう。それほど強力なだけに、回転刃は地面に食い込んだり、石やコンクリートにあたって跳ね返ったりして、人間のコントロールから外れそうになる。

(ナイロン製の「刃」は、ナイロン製の紐を回転軸に挟んだもの。見た目には、二本の紐が高速で回転しながら草を払う。石の多いところでも、紐はしなやかに石をこなすので、草刈機が跳ね返ることはない。)

草刈機を使うときは、服装に気をつける。からだに向かって小石などが飛んでくることがあるので、必ず眼鏡をかけ、顔はタオルなどで覆い、手袋をはめ、長袖長ズボンの服装で、長靴を履く。いわば完全防備である。一昨日は田圃の中に入ることもあるので、田靴を履いていた。田靴は、柔らかくて薄いゴムでできている、膝までの長さがある靴である。

田靴
田靴
田靴の左足。二股に分かれた左側の真ん中あたりに縦の裂け目が見える。そこを、からだに向かって草刈機の刃が走った。
最後のゲシを刈れば仕事が終わる、という時だった。草刈りを始めて二時間ほど。日は高く上り詰めようとしていた。草刈機はハンドルを両手で握って操作する。両手で握っていれば、回転刃が少々跳ね返っても、抑え込むことができる。しかし、両手でハンドルを握ってはゲシの草は刈りにくい。私はハンドルでない部分をもって、回転刃を右下から左上へ動かしていた。もう少しでゲシを刈り終えようとした時、草刈機が躍り上がってきた。正確には覚えていないが、おそらくは回転刃が土に食い込み、左回りの刃は土の中を走り抜けて私の方に向かって動き、左足を切り裂いた。

痛みとは言えぬ激しい感覚が左足を走った。一瞬、骨を砕かれた足指を想像した。見ると田靴は爪先が切り裂かれていた。田靴を脱ぐと、靴下も切り裂かれ、第二指と第三指の間に血が見えた。ひどい出血というほどではなかったが、井手の水で足を洗うとひどく沁みた。自分では負傷した箇所を細かく確認する勇気はなかった。


実家に帰り、隣町の医院に電話した。十二時まで診察をしている、と言う。時計を見ると十一時半だったので、手短に事情を説明して、自分で軽トラックを運転して隣町に向かった。負傷した左足はクラッチを操作するだけなら、十分動かせた。

患部を診た形成外科医は、第二指の小指側が切り裂かれて、縫合する必要がある、と説明した。局部麻酔をして、四針縫ってもらった。処置が終わったあと、その医師は縫った箇所を図を描いて説明してくれた。第二指の小指側の側面を二針、第二指と第三指の股の部分を二針縫った。指の両側面は感覚神経が走っているが、その感覚神経の片方が切断されている可能性がある。神経は繋ぐことはできるが、大人の場合は回復が思わしくない。また、繋がなくとも反対側の神経が伸びてきて、多少の代替はしてくれる。医師は丁寧に説明してくれた。抜糸は一週間後だそうである。

治療をしてもらっている間、その医院の老先生(形成外科医はその先生の息子)がやってきた。じつは、その先生には小さい頃からいつも診てもらっていた。「元気そうじゃね。色も黒うなって。大学の先生をやりょうるようには見えんの」と笑いながら、野良着のまま診察台に横たわっている私の頭の方から声をかけてきた。私は広島市内に住んでいることもあって、老先生には長い間会ったことがない。父の病−結局は、それが死につながった病−の説明を受けたとき以来だろうか。「これじゃ、しばらくは仕事はできんの。」私は患部の状態は判断できなかったので、明日からでもまた農作業をしようと思っていた。それを口に出すのは、大人げないと思い、黙っていた。

治療が終わって歩きだすと、左足が踏ん張れない。長靴を履こうにも、左足が入らない。老先生の言う通り、しばらくはおとなしくするしかないようであった。


当たり前のことだが、切り裂かれた足の痛みを感じながら、人間はなんとも脆いものなのか、と思った。からだを守るものは薄い皮膚のみ。草刈機を動かしているときは、人間は鋼鉄製の刃となって、草をなぎ倒し、石を削る。トラクターを運転しているときは、ロータリー(耕耘刃が回転する装置)となって、地面に食い込み土を掘り返す。しかし、扱いの不注意で草刈機が自分を襲い、ぬかるむ田の土に足を滑らしてロータリの下に転んだとき、人間のからだはひとたまりもない。機械を使いながら何度となく目にした、刃の先で切り裂かれる蛙たちやミミズたちと選ぶところはない。そのような機械を使って農耕をし、生活していることをしっかりと肝に銘じなければいけない。怪我をしないためにも、怪我をさせないためにも。


傷の状態を家族に説明すると、家族は「休みができて、いいんじゃない。少しは休まなきゃ」と涼しい顔である。たしかにそうである。怪我か病気にならないかぎり、疲れが溜まったぐらいでは休まない。(休めないくらいに作物を作っている。)一週間では土日、一日では朝晩、年がら年中、百姓をしている。その様を、餡の入ったもちの横断面を想像しながら、思い描くことがある。横断面は一週間を表象している。餡を本業の部分だとすれば、皮は百姓の部分である。すると私の生活は餡が厚い皮にはさまれている「どら焼」状態である。まあ、だから、私は二足草鞋の週末農民、というより、「どらえもん」に近い。ということで、「てつがく村のどら衛門」はこれから一週間ほど、優雅ではあるが、痛く、しかも心休まらない、休暇に入ります。
 
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てつがく村
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