日 々 想 々 | 2000年 |
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沢庵漬け 2000-12-30□□□( 付録:こんちゃん農園風沢庵漬け )
□12月の終わりに沢庵を漬ける。
□沢庵漬けにする大根は、9月の初めに蒔く。いくつかの作物に関しては、蒔く日にちが決まっていて、秋大根もそのような作物である。隣のおばあさんは、種蒔きの適期を「蒔きサゴ」と言う。「サゴ」という表現は、このおばあさんからしか聞いたことがない。今は廃れてしまった言葉か、あるいは、おばあさんの里での言葉であろう。大根の「蒔きサゴ」は、9月10日である。8月は雨が少ない。しかし、不思議なことに、9月に入ると、まるで、大根を蒔いてくれ、と言わんばかりに雨が降る。おばあさんはその雨を称して、「大根雨」と言う。 □大根は、まず間引き菜として利用される。
昔の種は純度が低かったので、間引きがどうしても必要だったらしい。地方地方で自己採種も行われていた。しかし、今は種苗会社の種が幅を利かせている。種の純度が上がるのはいいが、地方独特の野菜は姿を消す。生物界全体において生じている、種の多様性の危機という現象の一例を、野菜の種にも見るような気がする。種苗会社が品種改良し、純良な種を供給するのと、環境破壊によって多くの生物種が消えていくのと、何の関係もないように見えるが、実際には深いところでつながっているのではないか。□つぎに、「抜き葉」として利用される。「抜き葉」は、新聞(「日本農業新聞」)の投稿欄で読んだ利用方法である。間引きが済むと、根が肥大するまでは、大根は抜けない。小さいのを抜くのは、もったいないからである。ところが、その投稿欄によると、新鮮な葉っぱを、大根から1枚「抜く」。1枚程度であれば、大根の成長に支障はない。1枚ずつ数本の大根から「抜け」ば、一夜漬けとか、味噌汁の具とかに利用できる。投稿者は、間引き以降は、「抜き葉」として大根を利用する、と書いていた。すると、間引き菜に「抜き葉」を加えれば、大根は、秋から初冬にかけて、随時利用できることになる。 □最後に、沢庵漬けである。私は「本務」との関係上、授業が終わり、気持ちに余裕のできる12月下旬に漬けることにしている。 □大根を漬ける1週間前、屋敷のそばを流れる井手に重石をいくつも漬けて、洗っていた。去年の沢庵漬けなどの樽は、漬け物を食べ終わった後、そのままにしておいたが、今年の沢庵を漬けるためには、樽と重石を洗っておかなければならない。前の漬け物の汁などがついた重石をまず井手に漬けておいてから、残さを田圃に捨てに行った。田圃から帰り、固まった汚れが水で緩んだ重石を洗い始めていた。そこに、隣のおばあさんが通りかかった。「あんたぁ、なんしょぉるんな?」「漬け物の石を洗よぉんよ。」私は、束子を持った手を休め、次の週末に大根を漬けるつもりであることを説明した。 □すると、おばあさんは去年漬けた沢庵のことを話し始めた。「去年の大根は、塩ばっかり入れて漬けちゃったぁ。塩をよけえ[沢山]入れると、虫はわかん。ほいじゃが、(家の若いもんが)そがぁな(塩)辛あもんは食べられん、言う。」 □おばあさんは、昔風に大根を漬けたのだろう。「4斗樽に4升の塩」と父母から聞いたことがある。試しに重量に換算すると(1斗樽に大根が15kg入り、1升の塩は1. 8kgとする)、大根60kgに対し、塩7.2kgとなる。大根に対する塩の重量比は、12%というわけである。手元の漬け物の本(雑誌「家の光」1966年9月号付録)によると、沢庵漬けを夏越しさせる場合、1斗樽に塩を1.4kg入れる、とある。上の試算と同じ基準で計算すると、塩の重量比は9%である。この本によれば、漬け物の素にざらめ糖を加えるから、その分、塩の分量が少なくなっているのかもしれない。田植えの農繁期には、沢庵をおかずにしていた、という話を聞く。すると、昔は梅雨時までは保存したのだろうから、「4斗4升」は肯ける塩の分量である。私が漬けた去年の沢庵は、塩が6%だったが、それでも、塩味が強いと感じたから、「4斗4升」の沢庵は、1切れで、ご飯1膳を食べることができるくらいの塩梅かもしれない。だから、おばあさんの家族が、昔風の沢庵漬けに辟易したのも、無理もないことである。 □「4斗4升」で驚いていてはいけない。おばあさんは、さらに話を続けた。夏にブドウ園(「井手の水」参照)の仕事に出た時のことである。「○△に漬けもんをもって来んさったんよ。皆が分けてもろうて、弁当を食べたんじゃが、辛かったのぉ。どのぐらい塩を入れんたんか聞いたら、4斗樽に7升入れた、言いなさった。」私は驚いて、「4斗樽に4升、は聞いたことがあるが、7升も入れたら、辛ろうてかなわんじゃろう。」「うん、辛らあ・・・ほいじゃが、辛うまいんよの。皆に配るんじゃけん、1つ充てにしか回らん。ほいじゃけん、よけいにうまい。汗も出とるしの。」おばあさんは、そう言いながら、20年ほど前の夏を懐かしむように笑みを浮かべた。 □それから1週間後、納屋で沢庵を漬けていた。そこに、おばあさんか通りかかった。「おお、ほぉじゃ。あんたに、塩の量を聞いとこぉ、思おての。この前、石を洗うのを見て、わしも大根を干したんじゃが、あんたぁ、きっちり計って漬けるが、わしゃ、いっつも適当につけるけんの。」私は自分の塩加減を説明した。 □おばあさんは、また、昔話を始めた。おばあさんは、私にとって、私の知らない昔の出来事、今は廃れた習慣、昔の生活や農耕の技の記録簿である。おばあさんは、折にふれて、私に話してくれる。私も、この人に聞いておかなければ、昔は永遠に失われてしまう、と感じているから、仕事の手を休めて耳を傾ける。「昔ゃ、沢庵は漬けんにゃいけんもんじゃった。沢庵だけは、漬けちょけよ、何があるか、分からんけん、と言わりょぉった。」 □「何があるか、分からんけん」の「何」とは、葬儀などを指すのだろう。葬儀は「講中」によって営まれる。「講中」は、葬祭互助会のことであり、村には大小いくつもの「講中」がある。式場の設定、帳場、参列者への料理などを受け持つ。最近は、主たる料理は、仕出屋に頼み、講中は「八寸」と呼ばれる煮物などを作る。料理に必ず添えて出されるのが、大きな容器に盛られた沢庵である。父の葬儀の時である。講中の或る人が、「漬け物がないなら、うちに漬けてあるけん、もって来るよ。」と親切に言ってくれた。その人は、父は前年の秋から入院していたので、沢庵は漬けてはいないだろう、と考えたのである。ところが、前年は、12月に、父から漬け方を教わって、私が初めて沢庵を漬けた年だった。その沢庵が、3月初めに行われた葬儀の時には、ちょうど食べ頃になっていた。だから、葬儀には私の漬けた沢庵を使った。父は自分が蒔いた大根の漬け方を私に教えて、この世を去ったのである。百姓は自分では食べられない(米の)1作がある、という話を聞いたことがある。父にとって、この沢庵はまさしく、その1作になったのである。 □おばあさんは、「漬けもんは財産じゃ、言わりょぉった。ほいじゃけん、どうしても漬けよぉった。」と結んだ。 □沢庵を漬けて数日後、年末の餅つきの日、また、おばあさんに出会った。「おばさん[私は、おばさん、と呼びかける]、大根、漬けたんや。」「うん、漬けた。あんたに、塩の量を聞いたが、すぐ忘れてしもうて、ええ加減に塩を入れといた。」 □沢庵を漬け終わり、餅を搗くと、もうそこに新しい年が来ている。 |
付録:こんちゃん農園風沢庵漬け (写真は、クリックすれば拡大されますが、最初の写真以外は、さほど大きくなりません。)
大根を干す。
□大根は、漬ける前に干す。肉質が柔らかくなり、甘味も出るからである。 大根を揉む。
□大根の葉っぱは、根元を残して、切り取る。葉っぱは後から利用するので、取っておく。 漬け物の素を配合する。
□沢庵漬けのポイントになるところだが、材料の配合については、まだ、こんちゃん農園風の定式が出来ていない。 大根を詰める。
□素を混ぜ合わせると、いよいよ大根を樽に詰める。
「蓋」をする。 □最上層まで詰め終えると、上から残りの素を振りかけて、大根葉で蓋をする。葉っぱは、根元に近い方を樽の中心側にして、菊の花状に、下が見えないほどに敷きつめる。さらにその上に板を置いて、重石を重ねる。石の重さも目安があるのだろうが、今までは勘で適当に重ねていた。今年は、初めて石を計量し、大根の重量の約1.5倍の石を重ねた。1週間もすると、水が上がるはずである。 □味がよくなるのは、2カ月ぐらい経ってから。でも、たいていは、待ちきれないで、1カ月も経つと、味見を始める。さあ、今年はどんな味になるか。ホームページから、本物の沢庵をお届けできないのが、残念。 |