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井手の水 2000-09-06

9月に入ると、さすがに朝晩は涼しくなった。8月の終わりになっても厳しい残暑が続いていたが、先週末、3日ほど断続的に雨が降り、やっとその残暑も洗い流されたようだ。

今年の夏は日照りが続き、田の水に不自由した。7月に入ると、まるで「梅雨明け」状態。7月末に空梅雨が明け、8月も雨らしい雨は降らなかった。それでも灰ヶ峰の山頂が雲で隠れたり、夕方になると一雨来そうな雲が現れたりすることが何度もあったが、思わせぶりな雲を見せるだけで、肝心の雨は落ちて来なかった。住んでいる広島市内や大学のある西条(東広島市)で夕立があっても、村に行ってみると乾いていることが、一度ならずあった。四囲の低い山に遮られて、村が雨の空白地帯になっているかのようであった。

8月には4回も池の水を抜いて、日照りを凌いだ。以前は、池の水を抜くときは、「水番」といって、各戸1人ずつを出し、共同して上流の田圃から順に水をあてた。池からの水は勢いが強いので、水をあてるために、田圃の取水口のところで井手を堰くと、水は堰をオーバーフローしてしまう。したがって、複数の取水口で井手を堰き、同時に複数の田圃に水をあてる。そのため、手分けして水のあたり具合を見張らなければならない。多人数の「水番」が必要な訳である。田圃に水が這うと、堰を切って、さらに下流の田圃に水をあてる。私自身、大学生のころ、「水番」を経験したことがあるが、最近は、耕作する田圃が減ったことと人手がないことから、「水番」はやらなくなった。そのかわり、時間水にしたり、水のあたり具合を各戸の判断に任せたりしている。

渇水期になると、隣の田圃のお兄さん(私より年長という意味で「お兄さん」)が、「昔ゃ、こがいに水が無あこたぁなかった。今頃ぁ、作らん田がおゆう[多く]なったけん、こがいになったんよ。田を作りゃ、上の田から水がずって来るけん、水はある。」とよく言う。実際、農道を挟んで私の田圃がある側では、休耕田がないので、私の田圃に上側から水が「ずっ」て来る。私の田圃だけを見ても、一番上の区画に水をあてると、少しずつ下の区画に水が下りていく。ところが、農道の反対側で私の田圃と同じ水準にある田圃は、その上に二町(「ふたまち」。田圃の区画は、「ひとまち」、「ふたまち」と数える)、長い間の休耕田があり、耕作田から「ずっ」てくる水はその休耕田で吸収され消えてしまう。「今頃ぁ、うだりがのうなったけん、[田圃が]よお乾く。」と、その田圃のお兄さんは言う。漏水防止のため、畦を塗る代わりに、ビニールマルチで畦を覆う田圃も目立つ。それでもやはり、水は「ずる」。

稲作では、漏水防止に工夫を凝らしてきた。畦を泥で塗るのは、古典的な工夫である。ビニールマルチを張ったり、コンクリートで畦を固めたり、あるいは、代掻きを丁寧にやってみたり、水を漏らさないように苦心する。「溜めた水は逃がさない。」たしかに、これは、水を有効に使うための合理的な発想である。しかし、その発想の理の下にはもっと深い理がある。一区画の田圃だけで考えると、なるほど水は漏らしてはならない。ところが、一帯の田圃全体から考えると、この部分の理は怪しくなる。井手の水が少ないときにはいっそう、そうである。水が少ない時には、井手の下流の田圃にはなかなか水が回って来ない。上流のあっちこっちで井手が堰かれるからである。私の田圃は井手の終点あたりに位置しているので、水の少ない時には苛々したり、ため息が出たりする。ところが、上流の田圃に較べて、下流に位置している分だけいっそう、水不足に苦しむかと言うと、必ずしもそうではない。どこから水が「湧いて」来る。上の田圃から水が「ずり」、順次下の田圃を潤すのである。計算したわけではないが、もしかすると部分の理が貫徹された場合よりも、一帯の田圃全体をずり落ちる水の、自然な理に従って配水された方が、一帯を潤す水の総量は少なくて済むかもしれない。少ない水のずっと「合理的な」使い方ができるかもしれない。とすれば、全体をずりながら流れる水の理の前に、部分の理は霞んでしまうのではあるまいか。

この全体の理は、おそらくは、はからずも生まれた理であろう。水を必要とする作物のために、水を溜める場所をわざわざ開く。下への漏水を防ぐため、底を赤土で固める。横からの漏水を防ぐため、畦を泥で塗る。漏水防止という人間の理が田を開く。ところが、自然には自然の理があり、水には水の動きがある。いくら人為を凝らしたところで、材料は、赤土であれ、泥であれ、畦を築く石であれ、自然からの借り物である。だから、開田の人為空間に、再び自然の理が働き、水が動く。そして、はからずも、人為を包み込む自然がもつ理によって、水利の意図が補完される。

渇水期になると、同級生の言葉も思い出す。「水が無あのは、井手をU字溝にしたけんよ。水が出ても、すぐに流れて無あようなる。」

私の田圃の大部分が関係している井手(フシワラ井手と呼ばれている)は、村を流れる川の上流から取水し、途中で大きく二手に分岐しながら、村の中央まで水を引いてくる。そのため、田圃に水があたり始めるまでの行程が長い。だから、昔は、井手堰きは大変だったそうである。しかし、今では、幅40cmほどの井手は、川からの取水口から終点まで、底面と側面はコンクリートで固められたり、U字溝が入れられたりしている。だから井手堰きといっても、取水口付近の水路に川から流れ込んで溜まった砂を除くのと、井手周辺の草を刈るのとが主たる作業で、比較的楽である。しかも、水路が整備されていると、途中で漏れる水も少なくなる。昔の井手堰きでは、古い綿などをもち寄って井手の穴を塞さいだそうである。しかし、今では穴開きの心配をする必要がなくなった。川から取水した水は、途中で流失することなく田圃まで流れ着くのである。だから、水を無駄なく利用するという観点からすると、「U字溝」は水路の合理的な整備である。ところが、フシワラ井手は、関係する田圃が多いせいで、「雨が三日降らんかったら、すぐ涸れる」と言われるくらい水量が乏しい。水路の整備をしてこれである。すると昔はもっと不自由な思いをしていただろう、と考えるのが道理である。

ところが、最近、「昔ゃ、この井手が一番水の勢いが強かった」という話を聞いた。実際そうでなければ、この井手にこれほど多くの田圃が依存していなかったかもしれない。ではなぜ、水量が減ったのであろうか。たしかに、同級生の言うように、底面と両側面の三面をコンクリートで固めてしまったのも、その一因であろう。三面コンクリートの井手は、農業用水路というより、むしろ排水路である。雨が降れば、水は激流となって流れ去ってしまう。日照りが続けば、涸れてしまう。我が家の屋敷沿いには井手が流れており、その水を利用するための洗い場が作ってある。小さいころの記憶をたどれば、洗い場は、底は砂地、側面は石積みで、シジミやタニシやカニがいた。洗い場になっているところは、ちょうど井手の曲がり角で、おそらく水流が遅くなり、そのために水量も多かったのではあるまいか。このような作りの水路では、流れはゆったりと下る。増水しても水は、一部は、今は一面の放棄田となっている、井手の最上流の谷地田を始めとして、休耕田など見えない下流までの田圃に入り、残りは、井手の直線部と屈曲部では速度を変え、砂や石積みや草などに減速され、ときに周囲に溢れ出ながら、水路を下っていく。一気に流れ下りることはない。だから、洪水になるほど水路から溢れ出ることはまれである(注1)。こうして増水分は、まず、あちらこちらに「貯水」され、ついで地表水としてまた水路に戻ったり、田圃を順次「ずっ」たり、地下水になったりしながら、穏やかに流れ下る。つまり、昔の井手は流水量の調整を自然にやっていたのだ。それが、コンクリート張りになった今は、粗暴に水を流すだけになっている(注2)

しかし、フシワラ井手の水の勢いが一番強かった理由は、増水時の自然な流水調整のためだけではないと思う。ここからの話は想像に近くなるが、水は、最初の田圃に至る長い行程のおかげで、勢いを増したのではないか。かつて、井手は、川からの取水口から最初の大きな分岐点までは、山林の際を通り、場所によっては木立の中を潜りながら、流れていた。フシワラ井手は、井手が分岐して里に入るところから始まり、溜め池への取水口を過ぎるとすぐに谷地田である。コンクリート溝の場合、水は漏れ出ない代わりに、溝の外から水が流入することも少ない。ところが、コンクリートやU字溝で整備する前の井手には、山林から地表水や湧き水が流入していたのではないだろうか。

現在、井手に沿って歩いてみても、そのような様子はない。しかし、昭和40年以前と今とでは、里に入るまでの井手の環境が変化している。昭和40年までは、山林であった。ところが、昭和40年からは、村で共同してブドウ園を開いたため、井手周辺の山林は伐採された。ブドウ園は、担い手が確保できないのが原因で、数年にして廃園に追い込まれ、その後は、荒れるにまかせてある。あれから20年が経過しているが、山はブドウ園開園以前の状態には戻っていない。山林というよりむしろ原野である。去年の冬、かつて秋になれば松茸を採りにいっていた山を歩いてみた。そこも旧ブドウ園である。しかし、ところどころに高い木があるだけで、松茸がよく生えていた松林の辺りは、荒れ野になっていた。

井手に水がないのは、なによりも、日照り続きのためである。しかし、それにまつわる事情を一つ二つと解きほぐしていくと、如何ともしがたい御天道様の機嫌の裏に人事が透けて見えてくる。かつて井手の管理は大変な労力であった。鎌で草を刈り、鍬で底の砂や小石をさらう。崩れたところは土を入れ、石を積まなければならない。おまけに、水は漏れる。水路をコンクリートで固めてしまえば、維持の労力は相当に軽減される。しかも、水漏れの心配もなくなる。川から引いた水を田圃で有効に使う。この目的に照らせば、コンクリート溝は合理的な整備である。しかし、それはあくまでも人間の合理である。自然の合理に従えば、人為は、一つの機能のために多くの諸条件をないがしろにし、他の諸機能・諸価値を排除することである。コンクリート溝は、密やかに田圃を養っていた森からの流入水をないがしろにした。それに、山林の「有効」利用を目的とする農業開発による森林の伐採と山の荒廃が、追い打ちをかける。また、整備された井手の、高い排水機能は、増水に対する緩衝地帯としての機能を排除した。それに、都市の繁栄と快適に吸い込まれた農耕人が残した耕作放棄田が、追い打ちをかける。昔に帰れ、都会人よ帰農せよ、と言おうとしているのではない。干上がった田圃を前にして、里に出てからのエネルギーを蓄えるように森の中をひっそりと流れる井手の水を想像し、地中をゆっくりと「ずる」田圃の水を実感すると、人間に従った合理に走る現代の私たちのあやうさをもまた、思わざるをえないのである。

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(注1) 昨年6月の洪水のさい、隣のおばあさんが「わしがここに[嫁いで]来てから、これで3べん目じゃ。」と言っていたところから察するに、おばあさんは60年ほど前に嫁いできたので、井手が原因の洪水はこれまでは20年に一度の割合で起こったことになる。ただ、井手の整備が洪水の頻度にどう関係しているかは分からない。 [本文に戻る]

(注2) 昨年6月の洪水を思い出すと、水害はある意味で人為によると考えられるケースもあった。手近な例を引けば、私の畑などの表土が流されたのは、急激な増水が井手を一気に下り、我が家の屋敷の横での井手の湾曲に水がせき止められる形になって、大量に井手を溢れたためである。隣のおばあさんの話によれば、彼女が最初に遭遇した井手からの溢れ水は、こんな鉄砲水的なものではなかったようである。 [本文に戻る]

 
用 語 集
池の水を抜く
溜め池の水を放流し、田圃に水を入れること。
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水をあてる
田圃に水を入れること。
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井手
農業用水路。幅40cm程度である。
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水が這う
田圃全体に、土が湿る程度に、水が行き渡ること。
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時間水
耕作面積に応じて、水をあてる時間を割り当てること。
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水がずる
上の田の水が地中を通って、下の田にしみ出ること。
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うだり
上の田から漏れてくる水。
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井手堰き
春、田圃での農作業が本格的に始まる前に、井手に溜まった砂や石を取り除いたり、井手周辺の草を刈ったりして、井手の水を流れやすくする作業。
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