てつがく村の入り口に戻る
  日  々  想  々 2001年  次の記事
記事一覧
前の記事
> 農耕の合間に >
 
とんどの炎 2001-01-18

とんどで正月の行事は終わる。村では一時期、とんどが途絶えたことがあった。途絶えたのは、私が小学校の低学年の頃だったと思う。だから、私には子ども時代のとんどの記憶はほとんどない。途絶えた本当の理由は知らない。はっきりしているのは、祭りを喜ぶ子どもたちが、いなくなったからではない、ということである。今と違い、村のあちこちには子どもの姿が目立っていた。すると、火事を誘発しやすい、という防火上の理由だろうか。あるいは、古臭い風習など続けても意味がない、といったことだったのだろうか。いずれにしても、とんどの火が消えたのは、戦後の高度成長期の始まりとほぼ時を同じくしている。

正月の行事を思いつくままに挙げてみる。すでに年末の「餅つき」から正月は始まる。餅つきは、12月28日か29日である。それから大晦日にかけて、「お節料理」を準備する。年が明ければ、正月三が日は餅とお節料理で食いつなぐ。御馳走三昧が終われば、7日の「七草がゆ」。「鏡開き」は1月11日。鏡餅でぜんざいを作れば、体が温まり、仕事に取りかかる勢いがつく。最後に、小正月の頃、「とんど」でしめ縄などを焼き払う。残り火で焼いた餅を食べて一年の無病息災を祈り、日常に戻る。

さて、サラリーマンとしての私の年末年始のスケジュールはどうか、というと、12月28日が仕事納め。授業は23日より前の最後の週日に終わる。28日までびっしりと働くわけではないが、それでも、学生の冬季休業が始まれば、授業期間中にできなかった仕事を片づけなければならない。仕事始めは1月4日。授業が始まるのは、今年は1月9日。9日は1コマ目から授業があるので、7日あたりからそろそろと準備を始める。仕事始めの日とされた「鏡開き」よりも早く、講義ノート開きをしなくてはいけない。ましてや、「とんど」は、仕事の日常がすっかり戻ってしまってからの正月祭りである。慌ただしく正月が始まり、慌ただしく終わる。

鏡開きまでゆっくりと仕事を休んでいた時代があったかどうかは知らない。ただ、記憶の中では、正月の数日はハレの日であり、前後から際立っていた。気持ちの上だけのことではない。立ち居振る舞いからして、ハレの日であった。子どもであった私は、身なりを整え、正月にしかしないような遊びをした。大人たちにも、何か普段とは違った挙措が感じられた。しかし、長じるに従って、正月の晴れがましさに、日常の冷めた空気が混じってきた。大人び生意気になった私がもう正月遊びに興じることがなくなった、という個人的な事情のせいではない。私が大学生のころになると、峠を越えて街に下りれば、ぽつりぽつりではあるが開いている店が目立つようになった。社会全体が正月を日常の色に染めて行った。そしていまや、正月は、束の間の息継ぎの時間、ないしは、晴れやかに飾られてはいるが、おおっぴらに日常である時節になってしまった。

考えてみれば不思議である。生活は便利になった。かつては労力と時間をかけてやっていた作業を、今は、色々な機械が肩代わりをしてくれるようになった。私の祖父の時代には、峠一つ越えた軍港の町で働くため、朝晩、1時間余りも山道を歩いた。今は、車を使えば15分程度の道のりである。時間も体力も大いに節約できるようになった。家事だって楽になった。朝早くから起き出して、煙たい目にあいながら、釜で飯を炊かなくていい。冬に、洗濯板で衣類をしごきながら、素手で洗い物をする必要はない。女たちは家事に縛りつけられることが少なくなり、社会に出て行くことができるようになった。しかし、便利になり、余裕ができたはずなのに、むしろ忙しい。もっと正確に言えば、気ぜわしい。

現代人、とりわけ都会人は、自分たちの2、3世代前の人たちが想像もしなかったような環境の変化の中で、いろいろなストレスに晒されながら生活している。気ぜわしい、という言葉は、そのような生活を感覚的に表現しているだろう。そして、心身をすり減らす生活環境から一時脱出してリフレッシュしたい、という都会人の願望に応えるかのように、最近は「グリーン・ツーリズム」という言葉がしばしば見聞きされるようになった。グリーン・ツーリズムとは、田園の宿泊施設に長期的に滞在し、緑豊かで長閑な自然の中、農村の純朴な人たちと交わりながら、園芸に時間を過ごし、都会生活では失われていたゆとりと安らぎを取り戻そう、というものである。

私は、一方の足を農耕に突っ込んではいるが、重心が残っているもう一方の足では、都会生活にしっかりと根付いている。だから、ときに、都会生活の息抜きをしたくなり、中国山地の奥深くに向かって車を走らせたりすることがある。その時は、グリーン・ツーリズムを願望する人たちと思いは同じである。瀬戸内海沿岸の街中から、一般道を辿り、場合によっては、ほとんどすれ違う車のない山道を遡りながら、連なる山に分け入る。すると、こんなところに人家が、と思うような山里に出ることがある。私の村も、近くの港町から峠を越えて初めてやって来た人の目には、山深い里のように映ることもあるようである。その村に生まれ育った私にして、車の前に開けた山里は、時間が止まっているかのように思われる。野良に出て働く人があれば、時間が流れだすが、それでも、ゆったりとしか流れない。

「ゆったり」は、グリーン・ツーリズムの都会人が田園の主要な属性として求めるものである。しかし、実際には、「ゆったり」は、農耕の時の流れ方を言い当てはいない。

或る春先、休耕田の草刈りをやった。その田圃は、牛も使えない(だから、機械も使えない)湿田で、長い間休耕している。田圃一面に生えていたセイタカアワダチソウを刈り払った後、一息ついていた。すると、すぐ上の田圃の主人が声をかけてきた。私からすれば、その人とは、名字を知っている程度の関係しかない。ところが、その人が始めた昔話によると、その人は若い頃、頼まれて私の家の田圃を鋤いたことがあるそうである。初めて耳にした話である。話を聞いてみると、たしかに、その人は、私の家の田圃の状態をよく知っている。実際に鋤いたものでなければ、こうまで細かくは知らないはずである。突然、その人との関係が深くなったような気がして、耳を傾けた。

「昔ゃ、牛を使こうて、犂で鋤きょぉったんじゃけん、時間がかかった。犂はこのぐらいの幅よ。」その人は、両手で犂の幅を示した。20cmもあろうか。「ほいじゃけん、同じところを何べんも行ったり来たりせんにゃわからん。今頃ぁ、耕耘機やトラクターであっとゆう間に鋤いてしまう。昔のことを考えりゃ、今頃の百姓は、百姓じゃなあ。」

牛に犂を引かせて、農人が同じところを何度も行き来する。畦が自然の地形に沿いながら湾曲した狭い田圃で、ひっくり返された田面がわずかずつ広がっていく。そして、作業の速度に合わせるかのように、ゆったりと時間が流れていく・・・グリーン・ツーリズムにうってつけの風景である。しかし、外から見た光景とは違い、田を鋤く農人の中には、ゆったりと流れる時間はない。犂は牛の歩みとともに進む。日が向こうの山に落ちてしまわないうちに、この田圃は鋤き終えてしまいたい。傾く日に気が急きながらも、農人は牛の歩みに一歩一歩ついていくしかない。農人自身も牛を御し、犂を支えながら歩くからには、けっして楽ではないが、だからといって、すぐに息が上がるというわけではない。いわば呼吸のリズムで、田が鋤かれて行く。吸えば吐き、吐けば吸う。ときに、息継ぎをする。だから、農人の中に時間が流れているとすれば、それは呼吸のリズムである。時間は、それと意識されるような存在にはなっておらず、からだの働きである。

私は、しかし、農耕の時をはっきりと描き出そうとしたあまり、鋤く農人を少々表面的に表現してしまったかもしれない。現実には、農人の中に流れる時は過酷でさえあった。町に働きに行くため、早朝から起き出して田圃で仕事をする。泥を落とし身繕いをして、町まで1時間余りの山道を急ぐ。出勤前に一仕事するという経験は私にはないが、隣のおばあさんがときに話してくれる私の祖父の時代には、農繁期には男たちはそのような生活を生きたようである。女たちも辛苦した。皆が寝ても、牛に餌をやり、米や麦を足踏み臼で搗き、町に働きに出る男たちが履く草鞋を編んだ。「ほんまに、今頃のもんから見りゃ、馬鹿みたいじゃろうの。ほいじゃが、昔ゃ、みんな馬鹿働きをしたもんよ。」おばあさんも、「今頃の百姓は、百姓じゃなあ」とよく言う。

手間隙のかかる作業を黙々とこなす、百姓の馬鹿働き、これが、「ゆったり」と流れる時間の実体であった。農耕の時は、「ゆったり」を本性とするわけでもなく、そうかといって、いつもとりたてて「気ぜわしい」というわけでもない。喜怒哀楽、様々な思いが込められた生活そのものであった。してみれば、「ゆったり」という形容詞は、むしろ、田園をイメージする都会人自身の時間に関わるのではあるまいか。

便利になったのに、忙しい。便利になればなるほど、なぜか、ますます余裕がなくなる。おそらくは、これが都会人の生活感覚ではあるまいか。しかし、すこし考えれば、この感覚は理の当然である。21世紀最初の年、1月の新聞には、21世紀は「○○の世紀」という表現がよく目につく。「ロボットの世紀」、「生命科学の世紀」といったバラ色の21世紀像が提案される。生活は、これからもっと便利で安楽になり、身体環境は、もっと守られ整えられるだろう。たぶん、それは法外な期待ではあるまい。しかし、ロボットにしろ生命科学にしろ、魔法のように、無から突然生じるものではない。人間と自然のエネルギーが投入され、変形されなければ、それらは生まれることはない。それに、ロボットを作るとすれば、材料費だけでも生半可ではないが、製造が可能になるまでに開発などに費やされるエネルギーになると、量り知れない。そのエネルギーをいったい誰が負担するというのか。社会を構成する一人一人でないとすれば、いったい誰なのか。こうして、便利になればなるほど、私たちは忙しくなる、という悪循環がたしかなものになる。

忙しい、というだけであれば、農耕にも存在する。田植えの準備は、牛を使っての作業であれば、時間がかかる。未明、小屋から牛を出し、一緒に田圃に向かう。田圃まで歩いて行く時間は短いほどいい。道をいくら歩いても、その分、田が勝手にできてくれるわけではない。だからといって、牛の歩みをそうそう速めるわけにはいかない。田圃の中に入れば、牛の歩みはもっと遅い。未明から夕暮れまで、何日かかけて田圃を作る。農業機械のなかった時代、田植えや稲刈りの農繁期は本当に忙しかっただろう。

ところで、生産性を考えれば、田圃までの時間は無駄な時間である。移動時間が短くてすむトラクターでも使えば、より多くの時間を作業にあてることができ、しかも、作業効率がいい。また、乗用型の農機であるから、広い圃場でも、疲労を感じる間もなく、一気に作業を終えてしまうことができる。むしろ、乗用型であるがゆえに、つい一気に作業をしてしまう。トラクターに乗る農人は、むろん、都会人ではない。しかし、鋤く農人とトラクターに乗る農人との在り様の違いに、すでに都会人の時間が見えている。

鋤く農人の、何も産まない田圃への道行き、遅々としてしか進まない田圃作りには、生々しい息づかいが聞こえる。道行きは、農人にとってはすでに野良仕事の一部分である。そこで聞こえるのは、たしかに、ぬかるむ田土を歩む息づかいではない。それでも、まだ寝床にいるだろう子どもたちの寝息を思いやったり、今日一日の作業を思い描いたりしながらも、田圃での息づかいになめらかに続いていく、つまり生活から出てくる、息づかいである。田圃に入れば、水の跳ねる音と共に、牛と農人の、勢いある息づかいが聞こえてくる。一日、聞こえてくる息づかいに変化はあるが、生活の様々の局面を、身をもって生きる農人から聞こえてくることには変わりない。

トラクターに乗る農人にとっては、作業は息づかいと共に進むことはない。息づかいの代わりに、高いエンジン音と、有無を言わせず土を鋤きあげる回転歯の音とが、作業の進捗を刻む。農人の生身のリズムと、作業のリズムは相噛み合うことはなく、牛と農人の、生身の能力をはるかに超えた、速度と作業量で田は作られる。同じ面積だけを耕作するなら、むろん、機械を使った方が、安楽であり、余裕も生まれる。しかし、大型農機を購入すれば、以前と同じだけの労働をしていたのでは、生活が成り立たない。息継ぐ間もなく、次の田圃にトラクターを入れ、作業を続ける。トラクターであれば、しかも、そのように長時間、作業を続けることができる。鋤く農人にはあった「無益な」、「無駄な」時間が削られ、息継ぎが必要でなくなる。そして、作業効率が高まった、息つく間のない生産の時間だけが残る。

トラクターに乗る農人の時間は、都会人の、ひいては、現代人の、時間と軌を一にしている。いずれにおいても、時は、もはや生身のリズムと歩みを共にすることはない。時は、無駄な時間を圧縮し、できるだけ効率のよい瞬間を続けて産出しようとする「時計」によって刻まれる時間になる。「ゆったり」と流れる田園の時間は、「時計」の時間に従って「生き」なければならない都会生活の不合理から生まれる幻影である。都会人の時間の病理を逆様に表現している。

「今頃の百姓は、百姓じゃなあ。」すぐ上の田圃の主人も、隣のおばあさんも、昔の労苦と今の安楽を思い、そう言ったのであろうが、私には「今頃の百姓」が農耕の本質を忘れてしまったことへの嘆きのようにも聞こえる。農耕において、己の命を忘れ、己の命と他の無尽の命との結び合いを忘れて、つまり、生身の時を忘れて、時を「時計」の時間に置き換えてしまった「今頃の百姓」への嘆きのようにも聞こえる。「今頃の百姓」とは、都会人、つまり、現代人のことでもある。

鋤く農人のリズムが、生身の一日のリズムであるとすれば、一年を刻む様々な農耕行事は、生身の一年のリズムである。私たちの生身は、昼夜の交代に従って、リズムを刻み、季節の移り変わりと共に、リズムを刻む。戦後の、もっと一般的には、近代の、生活は、そうした生身のリズムを忘却し、逆に、「時間」によって生身を律してきた。そして、多くの「無益な」古臭い行事は捨て去られ、あるいは、日常のアクセントに矮小化された。むろん、私は復古主義を唱えようとしているのではない。1月の闇夜に燃え上がるとんどの炎が私たちの生身でもあるような時を、どのようにして生き戻すことができるか、という問題の手前を掘り下げてみたかったのである。時は、もともと、私たちの生きることそのものだからである。

[先頭に戻る]


てつがく村
depuis le 1er avril 2000