てつがく村コラム

サイト内検索(完全一致検索)
 
2002-12-21 ☆ いっそ冬眠してしまうのが・・・

前の記事を書いて1カ月が過ぎた。今年は「コラム」に主として「農耕日誌」を書き続けてきたので、読者の方(といっても数少ないであろうが)の中には、冬になり農作業がなくなったので「コラム」も休止したのだろう、とお思いの向きがあるかもしれない。しかし、作業量は春夏秋に比べてたしかに減りはしたが、冬になってもいつものように、週末には畑に出かけている。それだけの仕事は十分にある。

夏から秋にかけては、作業量が手から溢れ出てしまうほど多いため、週末だけでなく、平日でも、朝晩、田圃や畑に寄っては仕事をする。それでも追いつかないときは、有給休暇をとる。ところが、稲刈りが済んだ頃から、仕事が減ってくる。しかも、日が短くなるので、朝晩の時間は使えなくなる。一日の生活時間は夏と同じである。朝、5時過ぎに起き、朝食を済ませ、6時半に家を出る。夕方、6時に学校を出る。しかし、朝にしろ夕方にしろ、外は仕事ができるほど明るくはない。11月の始め、夕方、エンドウを蒔いたが、薄暗がりのなか、手さぐりで作業をする有り様であった。いきおい、畑から足が遠のく。すっかり冬になるころには、週末にしか村に行かなくなった。
作業量が減る。日が短くなる。すると、寒さのせいもあろうが、腰が重くなる。週末の朝、村に出発する前、新聞を読んだりしてぐずぐずするようになる。野良に出ればすぐに体も気分も上向きになるのは分かっているのだが、どうも体が動きたがらない。心も重く縮こまっている。

就寝から起床までは約7時間である。わたしは寝つきのいい方である。ただ、心配事があると夜中に何度か目が覚める。目が覚めるとしばらくは眠れない。気温のせいもあるにしても、春から秋にかけては、なかなか熟睡できなかった。農作業に追いつけず、やり残した作業が強迫観念のように眠っているわたしを襲ってくるからである。するとそれに乗じて、他の様々な気がかりも襲ってくる。暗闇のなかで何度も寝返りを打つ。脳髄の奥底まで突き刺さってくる想念があれば、目を見ひらき暗い天井をじっと見つめることもあった。
ところが秋が深まるころから、就寝から起床までが、そのまま睡眠時間と重なるようになった。息せき切って追いかけていかなければならないような農作業がなくなったからかもしれない。だから、やり残した作業が夜の寝床を襲うことがなくなったからかもしれない。だが、感覚的には、農耕の1シーズンをおえた後の疲れ、あるいはむしろ、快い虚脱感のようなものが体を弛緩させている、と思える。体が睡眠を要求するのである。

猫は(一般に、四季のある地方に住んでいる動物はそうであろうが)秋になるととたんに食欲が増し、体が太り、毛もふさふさとした冬毛になる。その変化のめざましさは、本当に感心するほどである。しかし、省みれば、わたし自身、猫と同じ変化をしている。
我が家の稲刈りは10月半ばである。したがって、新米を食べ始めるのは10月後半から11月始めになってからである。そのころには9月に蒔いた大根や漬け菜類が畑にあふれかえるようになる。休耕田には子芋が、防寒のためスクモ[もみ殻]をかぶせられた畝の土中に、太り終えたばかりのみずみずしさをまだ保ったまま眠っている。収穫後保存してあるジャガイモやタマネギは十分に残っている。飯がつやつやと張りのある新米になったこともあって、わたしは1カ月ほどの間、夜になるとたらふく食べては眠った。
実際、体重も夏と冬では2kgほど違う。わたしは痩身である。夏の間は、夏ばてというより激しい農作業のせいで、腹部をつまんでも皮しかつまめない。ところが、そのわたしでも冬になると、ズボンのベルトが腹部を締めつけると感じるほど脂肪がつく。
作物の収穫期と体の要求が見事に符合している。収穫される作物の質と体の要求も符合している。見事なのは偶然ではあるまい。食物連鎖の上位にある人間は、他の生命を摂取することなしには自分の生命を維持することはできない。わたしたちは、遠い昔から、季節季節の生命(植物・動物)を摂取しながら、その季節を生きていく自分の体を作ってきたのである。農耕生活をするようになってからは、土地土地に応じて、必要な作物を選択しながらひとつの作物体系を作ってきた。だから、その作物体系がわたしたちの、一年を生きる体なのである。

農作業が減る。体と心が出無精になり、眠りをむさぼる。作物の収穫期が来て、体に脂肪がつく。(脳にも脂肪がつき、「コラム」記事のヒントも思い浮かばなくなる。)それは季節の節理であり、体の生理である。しかし、二足草鞋のもう一方の体の中には、規則正しくリズムを刻む時間が流れている。わたしはその時間のほとんどを空調のきいたコンクリート製の部屋の中で過ごす。体でありながら、体の生理は捨象される。季節の節理が部屋の中までは入って来ないからである。
それでも、コンクリート製の建物を包んで季節は動く。わたしは結局、体であることをやめることはできない。ならば、いつまでも勤勉な時間を放りすて、いっそ冬眠してしまうのが、人としての理にかなうのかもしれない。

 
先頭に戻る
 
2002-11-23/24 ☆ 稲刈り後の田圃での作業

田圃での藁集め
先週末と今週末は田圃で藁集めをした。
稲の刈り取りと脱穀を一緒にやるバインダーは、同時に稲藁を裁断して排出する。だから、稲刈りあとの田圃の表面は切り藁に覆われているが、厚さにはむらがある。
来年休耕する予定の田圃には、レンゲとクローバーのが蒔いてある。種を蒔く時期は、稲刈りの準備として田の水を落としたあと。立っている稲の上からばら蒔きにする。すると、稲刈り時にはすでに発芽しているものもある。ところが、稲藁が厚く積っているところでは、発芽できない。だから、藁を少し除いてやらなければならない。しかし、裸地であっても発芽にはよくない。おそらくは、土の表面が乾いて発芽に必要な湿り気が十分でないためと、せっかく発芽しかけても次第に厳しくなる寒さにやられてしまうためであろう。だから裸になっているところには藁をかけてやる。
休耕予定の田圃では、さらに、堆肥や踏み込み温床の材料として畑で使うための藁も集める。来年も稲を作る予定であれば全量鋤き込んで肥料にするが、休耕にするのでその必要はない。それに、休耕して草が生えると、藁を鋤き込む以上に田圃が肥える。レンゲとクローバーの発芽に必要な藁だけを残して藁を集めると、たっぷり十分な量が集まる。それを、畑に運ぶまで、田圃の隅に積み上げておく。

(クローバーは今年初めて蒔いた。レンゲやクローバーには肥料効果のほかに、抑草効果がある。しかし、レンゲは花が終わって6月になると枯れ、今度は雑草が繁茂する。来年も田にするつもりなら初夏までの抑草で十分だが、休耕するつもりなので、抑草期間は長い方が望ましい。そこで、繁っている期間が長いクローバーを試しに蒔いてみた。抑草効果が長続きするようなら成功である。)
続けて稲を作る田圃では、厚さのむらを均す。ひとつは、藁の肥料効果を均一にするためと、またひとつには、耕耘機で鋤きやすくするためである。厚く積もっていると、耕耘機は土は鋤かずに藁をかき回すだけになる。ただし、畔近くの藁は除いておく。来年の畔塗りのときに、まだ腐り切っていない藁が泥に混じると塗りにくいからである。

ぼく草集めるの大好き!
先週、一緒に畑に来た息子を、藁集めをするから田圃に行かないか、と誘ったところ、声を弾ませて、行く、と答えた。「ぼく草[藁のこと]を集めるの大好き!」昨冬はじめて藁集めに連れて行った。集めた藁をフォークを使って一輪車に乗せ、田圃の隅に運んで、うずたかく積むのが楽しいらしい。「藁の上に乗ってみようっと!」昨冬は、一段高くなっている農道から、積んだ藁に飛び乗って喜んでいた。
稲刈りが終わり、藁が田の表面を覆っている田圃には、どこか晴々として穏やかな雰囲気がある。春から夏にかけては、田圃は勢いよく生育する稲の生命力にあふれている。草取りのため青く繁る稲の中に入ると、その勢いに気押されそうになる。秋は、色づいた稲穂がぎっしりと充実した命の重みを感じさせる。しかし、晩秋から初冬にかけて、とくに晴れた日などは、まだ秋耕、冬耕されていない田圃には解放された明るさがある。稲作のサイクルに訪れるひとときの安堵の時節であり、時間がたゆたっているような気もする。
だから、藁集めをしていると、いつもとは違うリズムを感じる。しかし、残念ながら、その雰囲気に浸り、そのリズムに体を乗せきることはできない。すでにサイクルの先を考えるからである。
我が家の田圃で一番上にある7畝ほどの田圃では、オモダカやクログワイが目立ち始めだした。夏にヒエ刈りに田圃の中に入ったとき、オモダカが思いのほか繁っていたのに驚いた。これらは塊茎によって増殖するので、稲刈り後、春まで耕さないでおくと、来年さらに増える。だから、秋耕して塊茎の成長を押さえ、さらに冬耕して寒気に晒して発芽能力を奪う、ということを数年繰り返して駆除しなければならない。今年はいつもと違い、田の藁の整理に早めに手をつけたのは、雑草駆除のため、なんとか秋耕・冬耕を行おうと考えたからである。
しかし、そんなことは考えもしない子どもは、広々とした空間とゆったりした時間を精一杯楽しむ。心を急かせたところで、藁の整理が早まるわけではないし、また整理が終わらなければ、田圃は耕せない。とすれば、いまを存分に楽しんで進む方がいいのではないか。サラリーマンであれば、いつも時間に追われて生きている。追われる、という表現は後ろからせき立てられる、というイメージがあるが、じつは、授業の時間だとか、書類の提出期限だとか、まだ来ぬ未来の時点に心を奪われて、心ここに非ず、といった仕方で生きている。いまを生き急いでいる。せわしく生きたとしても、それだけ早く目的が達せられるというわけではない。ならば、心を転回させて、いまに心を据えて未来に向かった方が楽しい。はしゃぐ子どもを見ながら、そう考えた。何とかというドイツの哲学者が、己の終端(死)に先駆けて生きるのが人間の本来的な有り様である、と言っていたが、じつは彼の言わんとするところは、いまを生き尽くせ、ということではないのか。死は生の強烈な意識であるから。
子どもは先週に続き、今週土曜日(11月23日、勤労感謝の日 ?!)も田圃について来て、藁集めと藁運びを楽しんだ。土曜日で休耕予定の田圃での作業は終わった。
(ここまで11月29日掲載)

 
先頭に戻る
 
2002-11-22 ☆ ゆるやかに燃える山

先週土曜日(11月16日)、講座の親睦旅行に行った。講座といっても、わたしが所属する総合科学部の場合、研究組織(講座)と教育組織(プログラム)は分離しているので、教職員だけの旅行である。大講座制なので、所属する教員は30名もいる。しかし、参加したのはその3分の1。例年に比べて参加率はよくない。目的地が、たいていの人が行ったことのある松山の道後温泉であるうえに、日帰りという制約から、道後での滞在時間は3時間ほどに限られているためなのかもしれない。中型の観光バスでも余裕たっぷりの、こじんまりとした旅行であった。

山を下る紅葉
出発地は、大学の所在地である東広島市のJR西条駅前。出発してからバスは、四国に渡るフェリーに乗るため竹原を目指して国道2号線を下っていった。国道2号線は、竹原までおおむね山間を走る。だから、山々の紅葉を眺めながらの行程であった。西条あたりでは紅葉はもう盛りを過ぎて、枯れ葉が舞い始めていた。しかし、海に向けて下るにつれて、紅葉は鮮やかさを増してきた。さらに、フェリーから見る海岸の紅葉はまさに盛りであった。
色の変化を眺めながら、2、3日前に見た中國新聞(広島県を販売エリアとする新聞)夕刊一面の記事を思い出した。そして思い出しながら、あらためて色を見た。その記事の見出しは「紅が山麓を下る」といったものであり、紅葉の十方山(広島県北県、山県−ヤマガタ−郡にある標高1319mの山)がカラー写真で紹介されていた。記事が記憶に残ったのは、紅葉が山を下る、という表現に意表をつかれたからである。たしかに考えてみれば、その表現におかしいところはない。温度の降下につれて紅葉する木の生理にかなっている。また、それは新奇なものでもない。その類の表現はほかにもみられる。しかし、「山を下る」は私自身の経験の節理にはうまくそぐわなかったのである。
わたしが車窓から、そして船窓から見た紅葉は、まさしく「山を下っ」ていた。色づいた木々の波が高い山々から海辺へと下り、高い峰には波の名残が枯れ葉色として残り、海辺には赤や黄に燃える波頭が押し寄せている。200mほどの標高差を車で駆け降りたときの印象は、そのようなものであった。

目まぐるしく色を変える春の山、全体として緩慢に変化する秋色
農耕生活をしていると、春の山の彩りの変化にはいつも目を奪われる。3月終わりから4月始めにかけて、村から灰ヶ峰山頂への標高差400m余りの山麓を、こぶしの白い花と山桜が相前後して駆け上る。冬の間湿って重かった田土が、温度の上昇につれて少しは軽くなる。田植えに向けた春耕の時節である。野には花が咲く。花は植物が地面から伸びようとする勢いである。中空には、地面から発散した水が靄となって漂う。そして、わたしは心も体も高揚していく。春には何もかもが急ぎ足で上昇して行き、山の彩りがそれを象徴しているように見える。
しかし、秋の山の彩りには注意したことはなかった。村での紅葉は10月の終わりから目につき始める。稲刈りは遅い田圃でも終わっているころである。我が家の田圃は村の中央部にあるので、稲刈りの手をふと休めて山を見上げれば山頂あたりに紅葉をみとめる、ということはありそうなことだが、わたしの農耕経験は短く、またいまは機械で稲刈りをするためであろうか、そうした経験をした記憶がない。そもそも、もし紅葉の山下りが目を引くのであれば、初春の頃のように、機会あるごとに山を見上げるであろう。しかし、春の色の変化の激しさに比べて、秋の葉の色の変化は緩慢である。ふと気がつくと山が赤や黄色に染まり、日々の暮らしに紛れているうちに枯れ葉色にくすみ、そしていつのまにか裸の冬色に変わってしまう。そんな具合に山は秋から冬に沈んでいく。だから、秋色の変化は全体として進行するといった具合に、わたしの経験の節理には刻まれてきたのだろう。

下から上へ、上から下への循環
もしかすると、さらに、秋色の意識はわたしたちの秋のありようにかかわるのかもしれない。
稲刈りが終わり、脱穀も済む(機械を使うと、ふたつを同時に行うことができる)。その頃には、畑の秋の農繁期も峠を過ぎる。日も短くなり、気温も下がる。春にはあれほど高揚していた心と体が、それにあわせるかのように、衰え沈む。朝冷えると野良に出るのが億劫になる。外で動きだせば寒さはすぐに飛んでしまうのだが、体がはずまない。春から夏にかけて地面から空に向かって見えないベクトルが動き、それが体をも上昇させていたのに、秋から冬になると、今度は逆のベクトルが働いて、地面にわたしの存在を沈ませようとする。そんな具合にも表現できる体感と気持ちである。
わたしだけではない。あらゆるものが下向きのベクトルに支配されている。草は枯れて崩れ、実は地上に落ちる。夏には天空一杯に発散していた水が地上近くに凝集し、地中に浸透する。雪、霜、氷は水のそのような動きの具現である。夏には水のため気苦労が絶えなかった田圃では、土が水を吸い込んで、いつも湿るようになる。
すべてとともに土へと沈み込む、わたしたちの秋のありようが、視線さえも下向きにしてしまうのかもしれない。高い山の緩慢な色の変化に無関心にしてしまうのかもしれない。

自然のリズム
古代ギリシアの最初の哲学者たちが、万物の根源(アルケー)を水や空気の名前で示し、そして、アルケーが濃縮すると水や土になり、希薄になると空気や火(光と熱)になる、と考えたのが体験として分かるような気がする。彼らにとって自然(プュシス)は単なる物体ではなく、生きていた。そのプュシスのなかに人間も組み入れられていた。
上昇と下降、発散と凝集。その循環がプュシスである。プュシスである生命の鼓動と息づかいが、わたしたちの呼吸の仕方であり、生きるリズムである。たぶん、そのように生きることができれば・・・自然であろう。

山が最後の輝きを紅葉として燃焼しおわれば、きっぱりと冬である。冬の体、沈潜する心、プュシスの冬。あらたまる経験がまた巡ってくる。

 
先頭に戻る
 
     
記事一覧

2002-12-21
いっそ冬眠してしまうのが・・・
 
2002-11-23/24
稲刈り後の田圃での作業
 
2002-11-22
ゆるやかに燃える山
 

前の5記事

 
てつがく村」についての感想や意見をお聞かせください
 
書き込み板(BBS)

e-mail


てつがく村
depuis le 1er avril 2000