てつがく村コラム

     
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2001-05-04 ☆ レンゲの天ぷら

昨夜、家族が食事の準備をしているのを見ると、茎が3、4cm程ついたレンゲの花が小さな皿に盛ってあった。
田圃では、レンゲはもう実をつけだしている。ところが、畑では、今が花盛りである。昨秋、田圃にレンゲを蒔いたのを知った子どもが、レンゲの花は食べられるから畑にも蒔こう、と言ったので、隅で陰になりがちな畝に蒔いておいた。その畝で、日当たりのいい田圃に遅れ今頃になって、レンゲが咲き乱れている。昨日は家族全員で畑に行ったので、どうも子どもがレンゲの花を摘んだようである。
レンゲに薄く衣をつけて揚げる。すると、花の紫と茎の緑のコントラストがきれいである。口に入れると、ふわっとした触感はあるが、特に味はない。塩でもふらなければ、頼りない感じがする。じつは、私はレンゲを食べたのは初めてである。季節の色彩を食べるものとして、おもしろいメニューではある。

春は、採集の季節である。「君がため、春の野に出でて若菜摘む、我が衣手に雪はふりつつ。」春になると、この歌をよく思い出す。雪の降り残る早春の蕗の薹から始まり、土筆、芹、筍、蕨、伸びはじめた蕗など、花や新芽を食べる。
畑も採集の場となる。3月になるとアブラナ科の野菜が花をつける。その花を手折っては、おひたしにしたり炒めたりして食べる。野菜によって味が違うので、結構楽しめる。
井戸の近くで、カッポン(いたどり)が大きくなっている。今度はカッポンでコラムを書いてみましょうか・・・

 
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2001-03-26 ☆ 安芸灘地震

3月24日午後3時半ごろ。私は農作業を一休みし、軽トラックの運転席で、喉の渇きを癒すため、お茶を飲んでいた。晴れて暖かい日だった。
突然、車が揺れ始めた。強い地震である。周りを見ると、作業小屋が揺すぶられ、庭木がザワザワと枝を揺らし、コンクリート製の電柱がゆらゆらと揺れている。文字通り地面が震動していた。さすがに、怖くなり始めた。今の揺れに対する恐怖感というより、経験したことのない今の揺れが、さらに強まることに対する不安である。さいわい、揺れはしばらくするとおさまった。すると、近所から驚きを交わす声が上がり、「震度5」という言葉も耳に入った。
近くの家では瓦の葺き替えため、朝から作業員が屋根にのぼり、瓦を外していた。見ると、作業員の一人が屋根にへばりついている。年配の人がその若い男に向かって、「おまえ、顔が青うなっとるど。」いつもは高所で軽々と作業をする人でも、ほとんど手がかりのない屋根で揺すぶられた日には、生きた心地はしなかったろう。
私は高鳴る胸を鎮めて、また農作業を続けた。唐辛子を蒔いているところに、隣のおばあさんがやってきた。おばあさんは畑にいたそうである。「わしゃ、よう立っとられんようになって、座り込んだよ。90年生きて、こがいに大けえ地震は始めてじゃ。」
自分自身と見える範囲では、これという被害はなかったので、いつものように、夕暮れ近くまで畑仕事をして、広島に帰った。その頃になると、ぼつりぼつりと情報が入ってきて、大きな地震であったことが分かってきた。
実家では窓ガラスが一枚割れ、自宅では食器棚の戸が一枚外れ落ちていた程度だった。しかし、翌日、研究室に行って地震の大きさを実感した。研究室は、8階建ての6階にある。書架から本が飛び出して床に散乱し、壁に固定していなかった鉄庫とかテーブルとかは、思いっきり動いていた。
翌日の新聞では、地震は「安芸灘地震」という名で報道されていた(注)。新聞によれば、ここ100年の記録では、広島県南部は50年周期で大きな地震に襲われている。この前は、1949年に大地震があった。その前は1905年である。迂闊なことに、私は、広島県あたりは地震の少ない地方だと思っていた。
天災は突如として襲ってくる。地震、台風、洪水・・・ほとんど回避のしようがない。できるのは、せいぜい、被害を最小限に留め、生き延びるための備えだけである。身一つで野良に立つと、自然の恵みと脅威を肌で感じる一匹の生き物に戻る。

(注) 気象庁は3月26日に、今回の地震を「平成13年芸予地震」と正式に命名した、と27日の新聞は報じている。

 
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2001-03-17 ☆ 沢庵

昨日、リール(フランス)から受け取ったメールに、「ホームページを読んでいて、沢庵があまりにおいしそうでよだれがでそうになりました」と書いてありました。去年12月終わりに漬けた沢庵のことをコラムにしよう思っていたこともあり、早速、沢庵の出来具合について書くことにしました。
沢庵が美味しくなるのは、漬けてから2カ月ぐらいしてから。でも、いつものように、1カ月もたたないうちに、味見を始めました。最初のうちは、沢庵の素に含まれている様々な味が互いに孤立しています。今年は、まず、塩味が強く感じられました。この味は、素に、今までより塩を多めに入れたので、予想通りでした。でも、少々塩が過ぎるかな、ともう今年暮れの沢庵漬けの塩梅を計算し始めました。何回か味見を重ねていくうちに、今度は、砂糖の甘味が気になりだしました。砂糖は、塩と反対に、減量しましたが、食事の調味料としての砂糖は、どうも私の口にあわないようです。(市販の沢庵は、ひと齧りすると、もう沢山、とそれからは箸をつけたくありません。)だから、今年は、塩を減量し、その代わり、砂糖なしで漬けてみようか、と思っています。
2カ月もすると、味同士がなじみ渾然一体となった味を醸しだします。すると、それまで個々の味に抱いていた不満もどこへやら、ポリポリと食べながらご飯をかき込むようになりました。・・・と聞くと、Mademoiselle Y、本当によだれが出てきたでしょう。
「沢庵漬け師」としての私のつぎなる興味は、今年はいつごろ酸っぱくなり始めるか、ということです。酸っぱくなればなったで、細かく刻んでご飯に混ぜて食べると、これがまた絶品なのです!

 
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2001-03-10 ☆ ソバ

ふれあい茶屋」の記事を掲載したら、去年、「こんちゃん農園」で作ったソバはどうなったのか、とのメールをもらいました。
休耕田に蒔いたソバ(信州大ソバ)は無事、収穫でき、四倍体の大粒ソバのせいか、思ったより収量がありました。
冬になり、農作業が〈ゆうになって〉(暇になり、余裕ができる)から、物置で埃をかぶっていた石臼を取り出しました。ソバは手回しの石臼でひこうと思っていたからです。石臼でひくと、ソバの香りが飛ばないそうです。小さいころ、祖母が石臼をゴーロン、ゴーロンと回していたのをかすかに覚えていますが、自分で使ったことはありません。幸い、「ふれあい茶屋」で触れた「道の駅 豊平どんぐり村」に行った時、展示してあった石臼を観察したり、動かしたりして、使い方や、必要な部品を確かめることができました。
我が家の石臼に働いてもらうには、上下の臼を繋ぐ芯棒(木製)を新たに作らなくてはいけません。昔の心棒は、腐っていました。しかも、臼の溝が長年使ったせいで、浅くなっています。隣のおばあさんは、十分使える、と言うのですが、私は溝の浅さが気になります。それでも、心棒ができれば、ソバを試しにひいてみよう、と思っていたのですが、寒くなるとからだを動かすのがおっくうになり、心棒ができないまま、春になりました。ソバは今、蔵の中に眠ったままになっています。
手回しの石臼でひいた香り高いソバを自分で打って食べる・・・なかなか、そんなリズムの生活はできませんね。

 
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2001-03-06 ☆  「コラム」開設の挨拶

「コラム」を始めました。言わば息抜きコーナーです。
ここ以外のコーナーは、記事の性格が決まっています。だから、「てつがく村」の裏話を明かしたり、ふとした気づきや思いつき、印象深い出来事を、取捨選択せずに、そのまま書いたりするわけにはいきません。そこで、テーマを問わず、思った時にすぐに書ける小コーナーを作ることにしました。まあ、「村の世話人」のたわい無いお喋りといったところです。でも、余りお喋りがすぎないように、一話600字程度までにします。
ご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

 
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