てつがく村の入り口に戻る
  日  々  想  々 2001年  次の記事
記事一覧
前の記事
> 農耕の合間に >
 
ふれあい茶屋 2001-02-25

昨日、賀茂郡河内町宇山にある「ふれあい茶屋」というところに行った。廃校になった小学校を利用し、地元のおばさんたちで経営している蕎麦屋である。むろん、ソバは地元産。

廃校を利用した村おこしとしては、先月、広島県と島根県の県境あたりを雪見ドライブした際、立ち寄った田原温泉(山県郡大朝町)が思い出される。また、ソバによる村おこしで有名なところに、山県郡豊平町がある。「道の駅 豊平どんぐり村」が、村おこしの中心地のようである。

田原温泉にせよ、豊平町にせよ、資金を投入しての大々的な村おこしであることは、施設などにはっきりと見て取れる。ところが、「ふれあい茶屋」は、旧施設を最大限利用した手作り村おこし(むしろ里おこし)、といった風情。小学校は8年前に廃校になったそうだが、外の蛇口の傍には、「音楽室」と書いてある金バケツが伏せてあった。使えるものは極力再利用するという気持ちがうかがえる。ところが、校舎の入り口の壁高くにはめ込んある時計は、止まったまま。8年前に止めたかどうかは知らないが、時計を見て時間を確かめる子どもたちがいない今では、動く必要はないということだろう。「ふれあい茶屋」では、廃校と里おこしが、あらわに共存している。だからこそ、いっそう手作りを感じさせる。

調理場と食堂は、建物の構造から判断して、昔の職員室が使われている。ダルマストーブの入った部屋で待つこと小一時間、やっと注文したソバがやってきた。「ふれあい茶屋」を紹介していた新聞記事には、出汁は「昔の田舎の味」と書いてあったが、意外に甘味が強い。「昔」なら、こんなに甘くはなかったのでは、と思いながらも、町の食堂では味わえないような、フレッシュなソバの香りがする麺に舌鼓を打った。レジの横にあった、12色入り色鉛筆の、使い込んだ箱が、また時代を感じさせた。「コーリン鉛筆」製。懐かしい会社名だが、現在でもこの会社は存在するのだろうか。箱には名前が書いてあった。「○○実○」。一昔、二昔前にはよくあった男性の名前である。

幹線道から分かれた細い道を上った高いところに「ふれあい茶屋」はある。校庭の標柱によると、標高350m。山肌に沿って曲がる道の上下には棚田がある。しかし、例に洩れず、耕作放棄田が目立った。道路網が整備され、自家用車が普及したからこそ、私のように、広島から高速道を利用して、1時間程度で、「ふれあい茶屋」に来ることができる。こういう時勢だから、里おこしも可能になる。しかし、だからこそ、他方で、耕作放棄田が増える。里おこしでも考えなくてはならなくなる。表裏一体の二つの因果の結び目に「ふれあい茶屋」が成り立っている。

棚田を見やりながら、ふと思った。因果の結び目がほころびて、また棚田で汗する農人を見ることになるのではないか、と。その農人は、むろん、このごろよく話題にされる、棚田を守るため都会からやって来るボランティアではない。また、帰農を政治的に強制された都会人でもない。棚田に再び立つ農人の光景は、棚田を開き維持した人たちの労苦にとっては、快哉であるかもしれない。そして、安逸に浸りきっている我々にとっては、多分、悪夢であろう・・・

関連サイト

(1項目につき複数のサイトがある場合には、情報量の多いサイトを1つ選びました。)
「ふれあい茶屋」
□□http://www.chugoku-np.co.jp/Kanko/H408_99073101.html
「田原温泉500年風呂」
□□http://www.kyosai.or.jp/~onsen/ie3.0/guide/onsenguide/hiroshima/tahara
「道の駅 豊平どんぐり村」
□□http://www.cisnet.or.jp/~fujicre/mitieki/donguri.html
「道の駅」
□□http://www.moc.go.jp/road/road/station/station.html

[先頭に戻る]


てつがく村
depuis le 1er avril 2000