てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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村便り:2008-01-26(土) (ダブの排水)
投稿日:2008-01-28(月)

 一月は一年で一番農作業をしない月かもしれない。一月の最初の週末と次の週末に、各1日野良に出ただけなので、今日で三日目。最初の週末は...

 一月は一年で一番農作業をしない月かもしれない。一月の最初の週末と次の週末に、各1日野良に出ただけなので、今日で三日目。最初の週末は、タマネギの第一回目の追肥がメイン作業。二回目の週末は、田んぼでの作業だったが、藁カッターのエンジンが不調で予定の作業はできなかった。そして今日はダブ[湿田]の排水作業。

ダブの横手浚い
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 画面右上から下辺の中央に伸びる横手を境に、左側がわが家の田んぼ。右側(斜面の高い方にある)は他家の休耕(なかば耕作放棄)田。
 中央部分、二本の横手に囲まれた紡錘形の部分は「底無し沼」。代掻きすると脚は膝まで浸かり、荒起こしのトラクターは沈む。だから、いまはその部分は作らない。
 水は横手を画面上から下に向かって流れる。横手の水位が田の表面より低くならないと田んぼから水が引かない。つまり、横手の水は地表下の水位計。
 ダブは横手を浚って水の通りをよくしておかないと水が引かない。昨秋、脱穀が済んでから一度も横手を浚ってやらなかったので、ウワコウダ[斜面にある田んぼの上側の部分]は水が浮いている状態になっていた。これでは耕耘できない。気にはなっていたが、やっと重い腰をあげたのは今日。午後になって作業を始めた。

 久しぶりに田靴をはいてぬかるみに入り、鍬を使いながら服に泥を散らした。17時すぎの夕暮れまでになんとか作業を完了。

 小農だが、田んぼの区画が小さく、また条件がよくないので、効率が悪い。しかし、個性ある土とつき合っている、という感覚はある。田んぼは工場ではない。土質、水利など田んぼごとに違う。それらは田んぼ固有の性質である。だから、田んぼの個性に応じて作業を按配する。せざるをえない。また、泥を浚うとイモリやドジョウが一緒に出てくることもある。土は、だから、生きてもいる。

 久しぶりに身体を動かしたためか、作業量が適度であったためか、一日の終わりは爽快だった。
村便り:2008-01-04(金) (雪見ドライブ)
投稿日:2008-01-05(土)

 恒例の雪見ドライブに行った。昨夜ガイドブックとインターネットで調べて、今回は島根県仁多郡奥出雲町(旧 仁多町?)亀嵩[カメダケ]に...

 恒例の雪見ドライブに行った。昨夜ガイドブックとインターネットで調べて、今回は島根県仁多郡奥出雲町(旧 仁多町?)亀嵩[カメダケ]にある亀嵩温泉を目指した。瀬戸内海沿岸にある自宅周辺では雪のかけらもなかったが、中国道を庄原I.C.で降り、一般道を走って中国山地の奥深くに入っていくと、さすがに雪が深くなった。

 広島県と島根県との県境には変わった橋がある。深い谷間をまたぐようにループ状の橋が広島県側から島根県側へと下っていくのである。名付けて「おろちループ」。おそらくは伝説の八岐大蛇からつけた名前だろう。

亀嵩温泉
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亀嵩温泉の施設「玉峰山荘」のレストランから見た風景。
ねじり鎌
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ねじり鎌。
 草取り用の鎌である。私はいつも小鎌を腰にさして農作業をする。ねじり鎌は、ホームセンターで買ったものをすでにもっている。刃が柄に対して同じ平面にないのが特徴で、草取りに使いやすい。ちょっとした草刈りにも使う。また、小振りなので腰にさしても邪魔にならない。普通のサイズだと作業をするさいに腕に引っかかったりする。
 最近の鎌は機械打ち(という表現があるかどうかしらないが)のため研いでもすぐ切れなくなる、と聞いたことがある。切れ味のいい(?!)本物の手打ち鎌が欲しかった。普通サイズの鎌も買いたかったが、今回はこれだけにした。
 温泉は、予想した通り、村おこし目的で建設したと思われる新しい温泉施設だった。その施設にあるレストランで遅い昼食。私は仁多牛を使ったすき焼き定食。米は、この地方でとれる仁多米が使ってあった。おいしい! とうたってはあったが、わが家の米の方が美味か(← 「手前味噌」 笑)。

 帰り際、施設内にある売店に入った。地域の特産品などが並べてあるなかで、ケースに入った刃物類が私の目を引いた。包丁と鎌である。この温泉を目的地に選んだときは、仁多牛も仁多米も知識になかになかったが、さらに、この地方が古代から製鉄で有名であることは知識にあったとはいえ、念頭にはまったくなかった。ケースに貼ってある説明を読むと、川島忠善という人の手打ち刃物とのこと。眺めているうちに欲しくなった。菜切り包丁とねじり鎌を購入した。ねじり鎌はむろん私が百姓に使うものである。

 帰り道、近くにある酒蔵に併設された道の駅に立ち寄った。ここで私を惹きつけたのは酒。この地方産の酒米で醸した酒を二本買った。純米酒と本醸造酒である。日本酒度が6(純米酒)と10(本醸造)の辛口(超辛口)。

 去年の雪見ドライブの収穫は秘湯だったが、今年の収穫は刃物と酒か。交通量の少ない山深い道を、沈みかける太陽を追いかけるようにして、家路についた。
村便り:2007-12-27(木) (白菜漬用の白菜を調製し干す)
投稿日:2007-12-28(金)

 漬け物にするため白菜を収穫。 今年の白菜は大きく育たなかった。理由は追肥不足。白菜は2、3回追肥して、葉数をかせぎ、葉っぱを大きくし...

 漬け物にするため白菜を収穫。

 今年の白菜は大きく育たなかった。理由は追肥不足。白菜は2、3回追肥して、葉数をかせぎ、葉っぱを大きくしてやる。寒くなると生育が止まり、肥料不足のものは小さい葉のまま結球しない。白菜は肥料食いなのである(しかも食い残しが多いので、まるで飽食肥満のわれわれ現代日本人のようである)。

 大根も大きくならなかった。間引きも追肥もできなかったからである。大根は肥料食いではないが、追肥は一度はしてやらないと太らない。また間引きしないと、お互いに肥料を奪い合いながら掣肘し合うので、これまた肥大の妨げとなる。

 白菜にしろ大根にしろ、追肥や間引の時期は、畑の農繁期と稲の収穫とが一時重なり合いながら続く頃なので、通いの一人兼業農家という私の境遇ではしかるべき世話をきちんと施すのはなかなか難しい。そのうえ、生育の状況は把握しながらも必要な手が出せないのは辛い。

白菜
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とろ箱に並べて干している白菜。順調に育った白菜の場合、とろ箱には二つ割りにした白菜は6片しか並ばない。しかし、今年は小さいので、8片も並んだ。結球が半ばまでしか進んでいないのは、画像で分かっていただけると思う。
 毎年年末の恒例になっている沢庵漬は今年は断念した。でも白菜漬は曲がりなりにもやることにした。

 白菜は二種類栽培している。ひとつは、普通の、すわなち砲弾型の白菜。もうひとつは、長円筒形の白菜(紹菜、たけのこ白菜)(*)。白菜漬にするのは前者。
この白菜は、普通の白菜と同じ施肥量でも結球した。もしかすると、長円筒形の白菜は普通の白菜よりも肥料が少なくても育つのかもしれない。また、体験からすると、こちらの方が圃場での貯蔵性に優れる。

 結球しているのは少なかったが、多くは半結球のものを都合30個ほど収穫した。重量にして23kg。

 白菜は軽く洗った(*)あとで一日(といっても正午から5時過ぎの日没までであるが)干して(*)暗くなってから小屋に納めた。明日は雨の予報だから、荒漬は明後日の予定。
(*)白菜を洗う理由と、それにまつわる思い出話については、「村便り:2007-01-28(二回目の白菜漬の準備)」に書いてあります。
 また、干すことに関しては「村便り:2006-12-25(白菜の荒漬け)」を参照してください。
 さらに、白菜漬全般(塩加減やつけ方)については「天地人籟: 2003-01-05  白菜漬け」を参照してください。

村便り:2007-12-23(日) (蕎麦を碾く)
投稿日:2007-12-25(火)

 昼前から蕎麦の製粉。電動製粉機を使う。製粉作業は、粉が埃のように周囲に舞うので、村まで行って小屋でやろうかとも思ったが、自宅のベ...

 昼前から蕎麦の製粉。電動製粉機を使う。製粉作業は、粉が埃のように周囲に舞うので、村まで行って小屋でやろうかとも思ったが、自宅のベランダですることにした。さいわい、暖かくて風のない日なので屋外での作業も苦にならなかった。

 製粉機は四年前に買ったもので、今までに三回しか使っていない。だから製粉の工程はまだ確立していない。三回目に使った二年前を思い出しながら、作業を進めた。

剥き実
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 殻をとった蕎麦の実。
 新しい蕎麦は甘皮が緑である。古くなるにつれて、褐変する。甘皮が緑なのは??が含まれているからであり、それが蕎麦のかおりの素になる。
製粉
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 製粉に使う道具。
 一番奥が電動製粉機。上皿から穀類を入れて、手前の口から受け皿に製粉されたものが出る。
 手前に、ストレーナー、篩、粉受け容器が積み重ねてある。一番上のストレーナーで皮を除く(工程(1))。その下の60メッシュの篩で粉を取る(工程(2)と(5))。
分離した粉と殻
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 篩分けた粉と殻。
 左上が(2)の工程で出たそば粉Ⅰ。そば粉Ⅱも見た目には同じ。右上は(2)の工程で篩に通らなかった殻まじりの粉。手前は(1)の工程で分離した蕎麦殼。
製粉工程
(1)殻を外しながら製粉。製粉機から出てきた粉を、まず、台所用品のストレーナーに通して、大きな殻を除く。

(2)殻を除いた粉を60メッシュの篩に通して、粉(そば粉Ⅰ)を取る。

(3)前の工程で篩を通らなかった、小さな殻まじりの粉を、再度、製粉機にかける。ただし、製粉機は(1)の工程より細かく碾けるように調整する。

(4)製粉機から出た粉を(1)で使ったストレーナーよりも細かい目の篩にかける。この工程で篩に通らなかった殻まじりの粉を、クズ粉とする。

(5)クズ粉を除いたものを60メッシュの篩に通して、粉(そば粉Ⅱ)を取る。篩に通らなかった粉を、そば粉Ⅲとする。

 以上の工程で玄蕎麦3kgから取れた粉は
そば粉Ⅰ - 900グラム
そば粉Ⅱ - 550グラム
そば粉Ⅲ - 550グラム
クズ粉 - 150グラム
になった。

 蕎麦打ちに使えるのはそば粉Ⅰとそば粉Ⅱであるから、重量比で玄蕎麦の半分ということになる。しかし、完全に機械化された工程で効率よく碾くと、おそらく、重量比で玄蕎麦の三分の二が利用できる粉になるのではないだろうか。

 そば粉Ⅰとそば粉Ⅱを使って蕎麦打ちし、夜、同僚家族と一緒に食べた。粉は、そば粉8と小麦粉(中力粉)2の割合で混ぜたものを900グラム使った。人数は6名(うち二人は「中人」)。

蕎麦のかおり
 新蕎麦のかおり、という固定観念がある。しかし、製粉しているときはふとかおりが立つことがあったが、食べるときはなかった。食感はなめらかだった(私は通ではないので、大雑把な感想である)。

 かおりはほとんどないものだろうか、それとも、製粉の過程で飛んでしまったのだろうか。使った製粉機は小径の石臼が高速回転するもの。回転数の調整はできない。製粉が終わって石臼を触ってみると、かなり熱かった。昔ながらの手回しの石臼がいいのは、製粉時に熱が出ないのでかおりが飛ばないからだ、と言われている。電動でも、本格的なものは、低速回転もできるようだ。しかし、そんな製粉機は家庭用としては高額すぎる。暇になったら、今は使わないまま小屋の隅に重ねてある手回し石臼を使って蕎麦を碾いてみたいものである。
村便り:2007-12-20(木) (水選/洗した蕎麦を乾かす。 製粉機はどこ?)
投稿日:2007-12-21(金)

 12月23日(日)に同僚家族と蕎麦打ちして食べる予定である。そのため、先日から玄蕎麦の調整を行なっている。いままで行なった調整は、 (1)脱...

 12月23日(日)に同僚家族と蕎麦打ちして食べる予定である。そのため、先日から玄蕎麦の調整を行なっている。いままで行なった調整は、

 (1)脱穀した蕎麦を篩(目は、蕎麦の実が通る大きさ)を通して大きいゴミを除く。
 (2)箕で風選する。
 (3)再度、篩(目は、蕎麦の実が通らない大きさ)でゴミを除く。
 (4)玄蕎麦を真水につけて精選し、洗う。

である。(詳しくは「村便り:2007-12-16(日) (蕎麦の実の「磨き」)」を参照。)

洗った蕎麦を乾かす
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 洗った蕎麦をざるで乾かしているところ。
 ざるは、梅干し用の梅を乾かすときに使う、丸い竹ざるを使った。ざるの目から蕎麦が落ちてしまうので、布を敷いた上に蕎麦を広げた。
乾いた蕎麦
(クリックで画像の拡大)
 乾いた蕎麦。
 蕎麦を乾かすとき、ときどき蕎麦の位置を変えてやると乾きがはやい。位置の変え方に関して、籾を干す際のやり方を思い出した。何らかの理由で十分に乾燥していない籾は筵に広げて干す。籾の位置を変えるには、筵の両端を上げて籾を筵の中央部に集める。それから、道具(籾さがし)を使って、籾を再度、筵に広げる。(道具と、蕎麦を筵に広げた画像は「村便り:2007-11-24(土) (タマネギ定植)」にあります。)
 手前のざるを見ていただきたい。下敷きの左右の端を持ち上げて、蕎麦が中央に寄せてある。その蕎麦を再度、手でざる全体に広げる。このようにして位置変えをする。
調整した蕎麦
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水選/洗して調整が終わった蕎麦。
 (3)の工程を終えた玄蕎麦はいったん保存し、製粉するときその都度、必要量だけを(4)の工程を通すことにする。
 (3)の時点で1.1kg(一升枡、1杯)あった重量は(4)の工程を終了すると、1kg弱になっていた。(4)で、おおよそ10%のゴミや未熟蕎麦が除去されたことになる。

 製粉は蕎麦打ち当日の午前中に行なうつもりだが、2年間使っていない製粉機を点検しておかなければならない。ma femme の記憶では、小屋に納めてあるはずであった。しかし、小屋のどこにも見当たらなかった。そこで、蔵に入れたのだろう、ということになった。蔵は晴れた昼間しか開けない。湿気の侵入を防ぐためである。日程と天気予報を考えれば、今日しか開ける日はなかった。そこで、午後一コマ目の授業が終わると、車で40分離れた[蔵と小屋しか建っていない]屋敷に急いだ。

 蔵の中を探したが製粉機はなかった。いったいどこに? 私にはまったく見当がつかなかった。

 夜帰宅して、ma femme と一緒に記憶の中を探し回ったが、在り処に関する情報は見つからなかった。仕方ない。そこで、家の隅に以前おいてあった製粉機の記憶から辿りなおすことにした。小屋にもっていく前は、ここにあった…すると ma femme は何か閃いたようだった。そして、その横の押し入れを探すと…一番奥に製粉機が「隠れ」ていたではないか!なんともあっけない幕切れである。奥に押し込んだのは間違いなく ma femme であるが、おそらくは、それはあまりに普通の行動なので記憶にあとを残さず、邪魔だから小屋にでももっていけばいいのに、という思いが代わりに記憶になりすましたのだろう。

 せっかく玄蕎麦を3kgも洗って乾かしたのに、という徒労感の混じった苛立ちが、一転して安堵になった。

 残るは製粉と蕎麦打ち。請うご期待。
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