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天地人籟

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☆ 2018-01-06(土) ☆ 明けましておめでとうございます。
[本文] まず、わが《林住期》のニュース二件。 昨年四月から、非常勤講師として、25年余りの空白のあと、フランス語教師に復帰。若い刺激...



[本文]

 まず、わが《林住期》のニュース二件。
 昨年四月から、非常勤講師として、25年余りの空白のあと、フランス語教師に復帰。若い刺激と小遣い銭を求め、週に一回《林住》を出る。
 同じ四月から農園に《作男》が登場。エダマメ好きの元同僚を、彼の定年を機に、誘い込んだ。百姓はずぶの素人。野菜と雑草の区別がつかない。蚊がいると、叫ぶ。きつい、汚い、危険な作業にはそっぽを向く。九カ月経ってもまだ異星人状態ではあるが、戦力にはなっている。

 定年時から始まった《林住》は、家(族)を離れ、自給自足を理念として独り野に暮らすこと、そして、考えること。しかし、生活は定年直後の混乱と遅れから相変わらず抜け出せていない。今年は、野暮らし三年目の去年も追いつけなかった農耕生活を、軌道にのせたい。《林住》のスタートラインに立つため。
(と一応まじめ顔で新年の抱負を綴ってみました 笑)

☆ 2017-10-06(金) ☆ カボチャは保存して食べる野菜(笑)
今は野菜の端境期。夏野菜が勢いを失い、9月から播き始めた野菜はまだ食べられるほどには大きくなっていない。終わりかけながらも細々となり...

今は野菜の端境期。夏野菜が勢いを失い、9月から播き始めた野菜はまだ食べられるほどには大きくなっていない。終わりかけながらも細々となり続けるピーマン、ナス、ニガウリなどの夏野菜や、ニンジン、保存してあるジャガイモやタマネギを食べながら、秋野菜が大きくなるのを待つ。


(クリックで画像の拡大)
瓢箪に似た形のものがバターナッツ。俵状のものはソウメンウリ。イノシシの襲撃から生き残った小さなスイカもある。
ふとカボチャが目についた。今夏、カボチャはイノシシが餌食としたが、食べ残したものもある。カボチャでも姿形が変わったバターナッツはイノシシはほとんど食べなかった。そんなカボチャやソーメンウリ(ソーメンウリは、そのままでは美味しくないからか、イノシシは好まない)を、一部は食べて残りを、トロ箱に入れたままにしていた。

概して、季節の野菜は季節の身体の食欲をそそる。夏であれば、キュウリとかトマトとかスイカは暑さで減退した食欲を刺激する。ところで、カボチャは夏野菜ではあるが、少なくとも私は夏の暑いときにはあまり食べたいとは思わない。甘く粉質の味(それが今のカボチャの主流である)は口の中でまとわりつくような食感があり、食欲をむしろ減退させる。

いまは野菜が少ないので、野菜飢餓の状態にある。それで、小屋の隅に転がっているカボチャが目をひいた。それに、秋になったいまなら、あのカボチャの食感には抵抗がない。そこでバターナッツを食べてみようという気になった。(ちなみに、バターナッツは粉質は強くない。カボチャスープにすると美味しい。)

水分の多い夏野菜は保存がきかないものが多い。しかし、カボチャは初冬くらいまでは保存できる。(4月から5月に種蒔きする場合、冬至まではなかなか保存しがたい。7月終わりに種蒔きして抑制栽培でつくれば、冬至のカボチャになるだろうが。)

ここで気がついた。カボチャは、収穫してすぐ、というより、保存して食べる野菜なんだ! それに、あの味、あの食感は、むしろ秋から冬の身体の食欲にあっている。長い間、百姓をやってきて、いまごろ気づくなんて、まったくボケとしか言いようがない。(夏に作るトウガンも冬瓜と書くように、当然保存できる。ことしは、苗を作ったものの畝が作れず、苗はほかしてしまった。)来年からは、夏野菜としてではなく、秋から冬のために保存する野菜として、意識改革して作るか。
☆ 2017-09-30(土) ☆ イノシシが走る里
畑の周りには、イノシシの侵入を防ぐために電柵を張りめぐらせている。ただ、近年は通電はしていない。イノシシは高い学習能力をもっていて...

畑の周りには、イノシシの侵入を防ぐために電柵を張りめぐらせている。ただ、近年は通電はしていない。イノシシは高い学習能力をもっていて、通電している電柵で痛い目にあうと、以後、電柵に警戒心を抱くようになる。すると、通電していなくても、電柵は効果を発揮する。近所の、山に近い畑で常時通電している電柵があるので、そのようなイノシシの習性に期待して、通電はしていなかった。


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電柵(電気柵)。
向こうの電柵とこちらの電柵を地下に埋めるパイプの中に電線を通してつなぐ。電源は向こうの電柵の方にある。
ところが、最近、ダミーの電柵が効かなくなった。先日も長い間イノシシの侵入がなかった畑でサツマイモが二日連続して荒らされた。そこで、電柵の通電を再開することにした。しかし、長い間通電していなかったので、電柵はすぐに使える状態にはない。そこで、まず、電柵自体の整備をする必要がある。昨日から始めて今日の午後は、二つの畑の電柵をつなぐ作業をしていた。二つの畑の間には、他家の人も利用する通路があり、そのため電線を地下のパイプに通して二つの電柵をつないでいる。

作業をしていると近所の人がやってきた。彼は「Tさん」と私の名前で呼びかけてきた。(「てつ人さん」ではありません 笑)「あんたがたの田んぼにどうもイノシシが入っとるみたいなんじゃけどね。」彼は我が家の田んぼの近くに住んでいて、その田んぼの向いに、休耕しているが田んぼをもっている。でも、一部を畑にしていて、時々やってくるので、我が家の田んぼの状態をよく見ている。

その人は地面に田んぼあたりの地図を描きながら説明した。どうも、農道を挟んだ隣の田んぼからイノシシが侵入してきて、田んぼの中を走ったようだった。隣の田んぼは今年は休耕していて、草が高く繁っている。イノシシは、そこで《遊び》、その勢いでわが家の田んぼに侵入してきた、と思われる。

もう夕方だったが、彼の説明を聞いたあと、畑の電柵整備は中断し、道具類を荷台にのせて、軽トラで田んぼに向かった。


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隣の休耕田。イノシシに掘り返された跡がある。
 

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稲がかき分けられたところが、イノシシが侵入した跡。撮影したのは、次の日。
 

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イノシシが田んぼから飛び出た跡。右側の田んぼから、用水路を飛び越して、農道に飛び出ている。農道に泥の跡が残っている。足跡からすると、向こうに向かっている。向こうは、イノシシが出てきた休耕田。
イノシシは隣の休耕田を掘り返していた。ミミズなどの餌を探すためである。高く繁った草の中が、あちこち掘り返されていた。その田んぼの向こうは耕作放棄田が広がっている。イノシシの遊び場、餌場、身の隠し所である。今年は、その田んぼもイノシシの領分になってしまった。その田んぼとわが家の田んぼは農道を挟んで接している。だから、イノシシは抵抗感なく侵入してきたのだろう。わが家のその田んぼがイノシシに入られたのは、今回が始めてである。

稲がかき分けられた跡から推測すると、イノシシは、侵入した田んぼから、順番に並んでいる三枚の田んぼを駆け上り、三枚目の田んぼの端で高ゲシ[「ゲシ]とは傾斜地にある田んぼで、上の田んぼと下の田んぼとの段差部分をいう。「高ゲシ」とは、大きい段差のこと。]に行く手を阻まれて、引き返したものと思われる。途中で、たぶん転げ回ったと思われる場所がある。田んぼから農道に飛び出たと思われるところには、泥のしぶきと足跡が残っていた。

私は田んぼに侵入しそうなところの草を刈り、そこにダミーの電柵を張った。直ぐ近くの休耕田で野菜を栽培していて、そこが、通電している電柵で囲まれているので、侵入したイノシシはきっと学習していると判断したからである。ダミー電柵で効果がなければ、代りに、太い針金の格子でできた柵を設置しようかとも思っている。

休耕田・耕作放棄田が増えると、イノシシはそこを利用して、耕作している田んぼに侵入する。イノシシの前線がどんどん里の内部に入ってくる。田畑に侵入して味をしめたイノシシは繰り返しやってくる。村の労働力は減少し、老齢化する。弱体化した里を野の獣は我が物顔に荒らす。


作業が終わったときにはすっかり暗くなっていた。田んぼから屋敷に戻る途中、今年の秋祭に囃子を出す家の前を通ると、庭が煌々と照らされていた。蔵と作業小屋しか残っていない屋敷に帰ると、すぐ近くのその家で囃子の練習がはじまり、笛と太鼓の音が聞こえてきた。多…神社(「てつがく村」には多…と竹…の二つの神社がある)の氏子の集落は五つの地区に分かれていて、年ごと順番に秋祭の囃子を担当する。だから、五年に一回、地区に担当が回ってくる。地区では担当の家が決められる。

わが家は、私の祖父の時代に囃子を出した。父は家庭の事情で、やむなく竹…神社の集落に住むようになったので、父の時代には囃子を出すことはなかった。しかし、父は死ぬ間際まで、自分が生まれ育ったこの屋敷に戻りたがっていた。そして、屋敷に戻って囃子を出したい、と元気なころに言っていた。私自身は、この屋敷に小さいころ一年ほど住んだだけなので、屋敷と屋敷の地区に執着はない。しかし、病床にあって闇雲に屋敷に帰りたがっていた父を間近で見ていたので、また、山を手放さざるをえなくなった代償にある程度の金が手にはいったので、それを元手に父の、果たせなかった願望を実現したい、と思っていた。その思いは、しかし、時とともに、そして私の気づかぬうちに、むし食まれていた…

そのことを思い返す度に宿命めいたものを感じる。父が屋敷を出たとき、それはかりそめのことではなく、喪失の長い長い旅のはじまりだったのではないだろうか。私は屋敷に家を建てることはもうないだろう。そもそも自分の家をもつこともないだろうとも思う。

祭り囃子の練習の明かりを再度近くに見やってから、私は暗い屋敷で車のエンジンを始動した。暗闇の、私の、借家に帰るため。
☆ 2017-04-16(日) ☆ 今晩の食材
夕方、夕食の食材を採りに畑に行く。野菜の端境期の今は、終わりつつある冬野菜とまだ若い野菜が採れる。(クリックで画像の拡大)左の画像で、...

夕方、夕食の食材を採りに畑に行く。野菜の端境期の今は、終わりつつある冬野菜とまだ若い野菜が採れる。


(クリックで画像の拡大)
左の画像で、トロ箱に入ったイモのようなものはヤーコン。冬のはじめから、使う度に畑から掘り出している。あと2株残っている。朝、果物代りにシャリシャリと食べる。地中の果物と言えるかもしれない。もしかしたら拍子木切りにして肉野菜炒めに使えるかもしれない。今度ためして見ようか。

真ん中、まっすぐな茎の2本は葉ニンニク。今の時期、去年6月に収穫したものはスカスカになった状態で、使えない。葉ニンニクはニンニク球の代りになる。白い茎を小口切りして炒めものに入れる。葉っぱもついでに刻んで入れる。その右隣は極早生タマネギ。葉っぱともども利用する。さらにその右隣には間引いた大根。当然葉っぱも利用する。ついで、菜の花。のらぼう菜、ビタミン菜、白菜の菜の花が混じっている。手箕の下の方に水平方向におかれているのはアサツキ。

手箕の中の野菜が今晩の食材。さてメニューは?
☆ 2017-04-06(木) ☆ モクレン
畑と屋敷の境にあるモクレンが満開になった。モクレンの白い花は寒さに弱い。開花してから霜が降りると茶色くしおれてしまう。そして、開花...

畑と屋敷の境にあるモクレンが満開になった。モクレンの白い花は寒さに弱い。開花してから霜が降りると茶色くしおれてしまう。そして、開花後の降霜は珍しいことではない。


(クリックで画像の拡大)
満開のモクレン。
 モクレンのすぐ後ろは月桂樹、その後ろに見えている枝は山桜。
3月31日(金)は季節外れの雪が降った。雪が舞う、といった程度ではなく、村では夕方には雪が積もった。その時はモクレンは蕾か咲きはじめたばかりの状態であった。モクレンの花がやられるかと思っていたが、蕾は強いようである。何の被害も受けなかった。そしていま満開。

このモクレン、正確な記憶はないが20年近く前に母が苗木を植えたものである。正確には、母に依頼されて妹が植えたものである。私には事前に何の相談もなく、植えられたあとに、気づいた。妹に詰問すると「おばあちゃん[母]が、どこでもええけん、植えといてくれ。あとから植え替えることができる、と言ったから」と母に責任を転嫁して、かわした。野菜苗を移植するならともかく、木の移植は簡単にはできない。私はむかついた。

それからモクレンは植え替えられることもなく、隣の月桂樹と競り合いながら大きくなった。最近は、月桂樹の丈をつづめて、モクレンに枝を伸ばす空間を広げてやろうか、と思っている。

モクレンのことを書き始めたのは、それがここで生育し始めた経緯の記憶を綴りたかったからではない。つい綴ってしまったのは、モクレンを見るとよくそのことを思い出すからである。

閑話休題。私にとってモクレンは、とくに開花の頃は、目につく。それゆえ、季節の進行の指標みたいに見ているところがある。

「暑さ寒さも彼岸まで」と直前の「天地人籟」に書いたが、春の彼岸は暦上で固定している。しかし、寒暖は年によって早まったり遅まったりする。自然は暦ではなく実際の寒暖に反応する。だから、暦上の日にちよりも、春なら開花が寒暖の変化をより正確に示す。その意味で、モクレンは「季節の進行の指標」なのである。(むろん、モクレンの開花ではなく、ソメイヨシノの開花でもいい。)

モクレンの開花は今年は少し遅いのかもしれない。モクレンが咲くころになるといよいよ春の暖かさが始まる、という気がしないでもない。その満開をめどに、私は、温床の苗に夜のあいだ防寒のために莚をかぶせてやるのをやめる。気温が明け方に氷点下になると発芽したばかりのトマトとかナスとかがしおれてしまう。モクレンの開花はそのような寒さが遠のいたことを示すように思える。
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