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> 農耕の合間に >
 
 
2004-08-01  ポット育苗
《 自然畑には虫が多い。野菜は「害虫」と隣り合わせ。だから、直播きすると、「少年期」にまで育たないで消えてしまうことがよくある。さあ、どうすればいいか。》

−自然畝は害虫が減る?−全滅した二十日大根−ウリハムシ−野菜も共存共食の生態系の一部−苗半作−ポット育苗

自然畝は害虫が減る?
自然農法の畑(以後、「自然畑」ないし「自然畝」と呼ぶ)では生物相が豊かになり、「害」虫が減る、と言われている。

野菜しか育っていない畑では、その野菜を食「害」する虫しかやってこない。しかし、自然畑では、野菜だけでなく雑草も生い茂っている。だから、「害」虫だけでなくいろいろな虫が棲息している。虫だけでなく、蛙やモグラもいる。さらには、鳥もやってくる。(我が農園は、野良猫の狩場にもなっている。)植物や動物の種類が多くなり、しかも、それらの間には食物連鎖の関係があるので、自然畑がバランスのとれた小さな生態系になるのである。その結果、野菜の「害」虫はいるにはいるが、大発生することはなく、野菜はたいした被害を受けない。

自然農法を始めたようとしたときには、私はこのようなユートピアが少しずつ実現されると期待していた。


全滅した二十日大根
自然農法を始めた一年目の春、草はまだ疎らにしか生えない畑に二十日大根を蒔いた。二十日大根はきわめて作りやすい野菜である。春から秋までいつでも蒔け、しかも「二十日」の名称通り、収穫もはやい。慣行農法で作っていたときには、病害虫にやられた経験はなかった。だから、二十日大根なら、少々の悪条件でも育ってしまうだろう、と思い、まだまだ未熟な自然畝に種蒔きをしたのである。

種をばら蒔きにして、その上から枯れ草をかぶせた。期待に違わず、慣行畝でと同じくらいの発芽率で芽を出した。自然農法で最初に収穫する野菜になる、と期待していたところ、双葉は次々と食害され、ついにはことごとく消えてしまった。畝の生態系が自然農法で栽培するにしては未熟だったのか、枯れ野に二十日大根の双葉だけが目立つという季節が悪かったのか、慣行農法では経験しなかった虫害には驚いた。(二、三年後、秋が深まったころ同じような仕方で二十日大根を蒔いたところ、この時は順調に育ち、収穫できた。二十日大根は他の緑に紛れ、虫の集中攻撃を受けなかったのかもしれない。)


ウリハムシ
ある夏、草が繁茂するようになった畝にキュウリを蒔いた。キュウリは発芽率が高い。一カ所に四粒蒔いたので、十数カ所蒔いたが株の欠けるところはなかった。支柱を立てるほどに成長した。(支柱は茎が伸びすぎて倒れるまでに立てる。)ところが、ウリハムシがやってきた。ウリハムシは橙色の、1cmにもみたない細長い甲虫である。ウリ科植物、とりわけキュウリの葉を好んで食害し、食害されたところは円形の跡がついて枯色になる。ウリハムシにたかられたキュウリは花をつけるまで成長しはしたが、勢いがなく、結局、収穫はなかった。

この時は、キュウリはヨーロッパから輸入した、ピクルス用の品種だったので、気候風土にあわなかったのだろうと考えた。それまではウリハムシのせいでキュウリが収穫できなかった経験がなかったからである。実際、手元にある野菜の病害虫についての本を繙いても、ウリハムシによる被害はさほど大きくない、と書いてある。

今年、ウリハムシの別の経験をした。初夏、育苗したウリ類(カボチャ、ソウメンウリ、トウガン、マクワウリ)を自然畝に定植した。カボチャとソウメンウリは、少し寒かったが遅霜の心配はなかったので、保温のためのホットキャップはかぶせなかった。(ホットキャップとは、作物に個別的にビニールなどで覆いをかけたもの。)ところがカボチャがウリハムシに食害されだしたのである。食害の勢いはカボチャの順調な生育を危ぶませるほどであった。そこで慌てて、ウリハムシを防ぐために、ホットキャップをかぶせた。ウリ類は本葉が四枚のころ定植する。経験からすると、幼い葉の方が食害されやすい。そして、食害されると、葉数が少ないだけに、のちの成長に対する影響も大きい。カボチャは大人の丈夫な葉がついてからキャップを外してやった。すると、今度はウリハムシにかまわず成長をはじめた。

一般的な印象としては、慣行畑よりは自然畑の方が、野菜は害虫にやられやすく、とくに若い野菜がやられやすい。様々な生物がもちつもたれつで共栄するユートピアを自然畑に思い描いていた私には、皮肉な現実である。


野菜も共存共食の生態系の一部
しかし、自然畑がバランスのとれた小さな生態系であるとすれば、若い野菜が虫の餌食になるのは理の当然である。人間にとって野菜は特別な存在であるので、生態系とは別個に考えてしまいがちだが、野菜にしても生態系の一部である。蜘蛛やカマキリの幼虫が膨大な数で一斉に発生する様は感動的である。しかし、成虫になり次世代を残すものはその幼虫たちのごく一部である。これがバランスのとれた生態系の正常な姿である。野菜にしても自然畑にそのまま種が蒔かれると、蜘蛛やカマキリと同じ運命をたどる。自然畑では無数の生物たちが糧を求めて活動している。自然畑の野菜は「害」虫と隣り合わせである。直播きされた種は種のうちに食害されることがあろうし、運良く発芽したものも双葉のうちに食害されてしまうものがある。食害する青虫は見落としてしまうくらい小さいが、双葉も小さいのですぐに食べ尽くされ、成長が止まる。大豆のように、豆が二つに割れた形で地上に姿を現わすものは、鳥についばまれてしまう。少し大きくなっても茎が細くて軟らかいうちは、ネキリムシ(蛾の幼虫で地中浅くに潜んでいる)に茎を切断される。こうして蒔かれた種は、その一部だけが言わば「少年」にまで育つ。ここまでくれば、少々の虫害も跳ね返す体力がつき、次世代を準備する成人期に向かうことができる。


苗半作
自然農法は、生態系のミニチュアを作って楽しむ方法ではない。我々人間の糧を効率的に生産する目的をもって食用植物を栽培する、ひとつの方法である。種蒔きから収穫まで目的に沿って統御できなければ、自然放任であっても農法ではない。いま説明したことから分かるように、自然農法での栽培のポイントのひとつは、いかに丈夫な「少年」として成長をはじめさせるか、である。苗半作とは稲作の言葉だが、苗を、「少年」期の植物体と理解すると、野菜にも当てはまる。


ポット育苗
直播きしてもなかなか思うような収穫を得られない経験を繰り返したのち、できれば育苗して定植する方法をとることにした。根菜類は移植に向かない。葉菜類でも、レタスとかサラダ菜といった広い株間をとって栽培するものを除いては、移植に向かない。他方、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー(以上三品種はアブラナ科)、ナス科植物(ナス、トマト、ピーマン、シシトウ、トウガラシ)、レタスなどの葉菜類はもともと移植栽培をしていた。(なお、白菜も移植栽培であるが、白菜は自然畝で育てるのは難しいと思われるので、とりあげない。)それらに、今年はウリ類(年によっては移植栽培をしていた)、スイートコーン、オクラ(これら二品種は直播きしていた)を移植栽培に加えた。

また育苗方法も変えた。アブラナ科は、畑で育苗し一回の仮植を経て定植していた。葉菜類は、畑か紙ポットで育苗していた。ナス科は、畑かポリポットで育苗していた。しかし、今春からはすべてポリポットでの育苗にした。その訳は、活着がはやいからである。紙ポットで育苗しても、定植のさい根鉢が壊れやすいし、畑での育苗の場合はなおさらである。根鉢が崩れると活着に時間がかかる。慣行畝の場合、それでも、肥料は十分にあり、「害虫」が少ないなど比較的条件がいいので、時間と体力のロスを取り戻すことができる。しかし、「過酷な」条件が待つ自然畝では、ロスはできる限り少なくしたい。ポリポットの場合、扱いに注意すればロスはほとんどない(ように見える)。さらに、アブラナ科は手間を考え、仮植はやめた。(ちなみに、仮植を省いた方が収量が上がるそうである。)

このようにポリポット育苗栽培に変えて、自然農法の難点のひとつを解決することができた。


この文章を書きながら、自然農法家、川口由一の稲栽培法を思い出していた。彼は、自然農法を始めて二年間は福岡正信の不耕起直播栽培に沿って稲作をやった。しかし、うまくいかないので三年目に「苗を育ててから、少年時代ぐらいまで見守ってあげてから一本一本独立させる移植の方法、むかしながらの田植えの方法」に変える。「目的とするお米かほかの生命に負けないように、あるいは育ちやすいような環境にしてあげ」ると「お米はそれ以後はずっと育ってくれますし、いろんな野菜やなんかもそれぞれの作物に応じて、してあげなきゃならんことだけはしてあげて、あとはもうお米にあるいはキャベツに任せる、大根に任せる、そして大自然に任せる、そんなあり方にだんだん気づいてきたんです。」(1)

種を蒔けばあとは何もしないでも収穫できるのが自然農法なら、これほど容易な農法はない。しかし「人間はなにもしなくていい」という思想を実践する福岡正信の農法(2)にしても、何も用いず「本然の生命」が育つがままにしようとする川口由一の農法(3)せよ、自然農法は農法上の経験の積み重ねと注意深い観察をまってはじめて実践可能になる。自然農法の「自然」は、人為の対極にあるものではなく、人為を究め尽くしたところにあらわれる自然なのである。福岡は自分の自然農法を「大乗的自然農法」と名づけているが(4)、大乗仏教は釈迦以来の長い仏教の歴史のうえにはじめて成り立ったように、自然農法も、それが否定する近代農法のうえにはじめて成り立つのではないか、と思う。



(1)川口由一・烏山敏子『自然農−川口由一の世界−』晩成書房
(2)福岡正信『自然農法 わら一本の革命』春秋社
(3)川口由一『妙なる畑に立ちて』野草社
(4)福岡正信『無V 自然農法』春秋社

 
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