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> 農耕の合間に >
 
 
2003-06-02  不施肥が原則の自然農法なのに施肥?

今春の自然畝
自然農法は3年目に入り、今年の春は、自然畝自然農法を行うにはウリ科、ナス科、豆科の作物を作付けした。作付けした作物のリストを挙げると、

キュウリカボチャソーメンウリスイカマクワウリトウガンニガウリ(以上、ウリ科
蔓ありインゲン(収穫期から「つゆ豆」とも称されている)、三尺ササゲ(以上、マメ科
トマトナス唐辛子(以上、ナス科
オクラアオイ科
である。これからも、ピーマンシシトウ(いずれも、ナス科)を定植する予定である。
自然畝の作物としてウリ科や豆科を選ぶのは、あまり肥料を要求しないからである。実際、昨秋末、自然畝に蒔いたエンドウがいま収穫期を迎えているが、慣行畝のものと比べてほぼ遜色のないほどである。(ただし、我が家ではエンドウは自然畝にしか作っていないので、慣行畝とは他家の畑のことである。)

施肥
ただ、ウリ科や豆科であればすべてよくできるというわけではない。おそらくは畝の肥沃度が原因だと思うが、カボチャを自然畝に植えたところ、草勢が弱くほとんど収穫のなかった場合もあった。したがって、今春からは無肥料原則を曲げて、作物の肥料要求度と畝の肥沃度とに応じて施肥することにした。
上に挙げた作物は、直に種を蒔くインゲン、ササゲ、オクラを除いて、踏み込み温床を利用してポットで育苗したのちに定植した。施肥する場合は、種を蒔いたり、定植したりする場所を、20-30p四方くらいの広さにざっと除草して、発酵鶏糞をシャベル1すくいほど撒く。酸性度を矯正するのが必要な作物の場合、牡蠣殻肥料も使う。施肥したあとで、手鍬で土の表面を打つ。手鍬を使うといっても、肥料を土と混ぜるのが目的であるので、深くは掘り返さないようにする。こうして「畑作り」をしたところに、定植したり播種したりする。
使う肥料は、むろん、有機肥料である。発酵鶏糞を使うのは、肥料分のバランスがよく、速効性があり、未熟肥料の害のないからである。米糠や台所残さも使うが、主として、空いている畝に撒いて地力を養う、といった具合に利用している。酸性度矯正のためには草木灰も利用できるが、いつもあるわけではないので、牡蠣殻を細かく粉砕したものを購入して利用している。牡蠣殻は速効性に欠けるかと思われるが、他にいいものが思い浮かばない。
さて、こうして施肥しておくと、元肥風に効くのではないかとイメージしている。土の表層部に肥料が混ざっている。雨が降ると、肥料は下層部に滲み降りる。速効性があるといっても有機肥料なので、化学肥料のように一気に浸透することはない。だから、根が伸びるにしたがって、少しずつ肥料が届いていくことになる。(このイメージが当たっているかどうかは、これからの作物の成長が答えてくれるでしょう。)
ナス、トマト、オクラは追肥もかならず必要になるが、その際も発酵鶏糞を使うつもりである。米糠や台所残さを発酵させた、いわゆるぼかし肥も利用するかもしれない。米糠のぼかし肥はトマトに使ったことがあるが、発酵鶏糞や化学肥料に負けないくらいの肥効があった。

柔軟な態度で自然畝を作っていく
自然農法は不施肥、不除草、不耕起が原則である。しかし、ここ2年の経験から、原則を杓子定規に守っていたのでは、単なる実験ではなく身を養なうことが目的の農耕では、現実的ではない、ということが分かった。そこで、柔軟な態度で臨むことにした。前にも書いたことがあるが、自然農法といえど、また、たとえ「法」を外して「自然農」と称したとしても、結局は人為である。私の考えでは、慣行農法が、とりわけ近代農法が、自然を更地にして零からの加算で耕作する農法であるに対し、自然農法は、自然の中から、自然のその都度の過不足に手を貸しながら、耕作する農法である。手を貸す以上、やはり人為である。また、手を貸さないかぎり、農耕は成りたたない(このことについて、別稿で触れるつもりである)。施肥もそういう考えに従っている。畑が肥えていないところでは、不足する肥沃度を自然に親和的な肥料(有機肥料)で補うのである。
柔軟な態度で臨むにしても、原則は大きく外れないつもりである。そのため、現状では自然畝で作る作物を限っている。肥沃度だけに焦点を絞って言えば、多肥栽培が普通のものは作らない。白菜がその例である。9月半ばに定植する白菜は寒くならないうちに葉数を確保してやらなければ、結球しない。そのためには、十分に施肥して成長を促進させなければならないのである。(自然畝に育てて白菜が「白菜になる」ようであれば、その畝は自然畝として熟した畝である、と言えるのではないだろうか。)したがって、いま自然畝で作る野菜は、最初にも例を挙げたような、比較的肥料を要求しないもとか(二十日大根もこの類に入る)、ゆっくり成長してもなんとかその野菜らしくなるもの(たとえは、キャベツ)とかに限っている。すると、肥料を控えめに投入しても、食べられるものができる。

これからも、この「自然農法爾」では、自然農法礼賛ではなく、現実的な自然農法のやり方を考えていく。私は自給的農家として、米と野菜は完全自給を目指しており(実際、おおむね自給している)、そうした立場から「現実的」であるような農法でなければ、私にとっては持続可能な農法ではないからである。

 
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