てつがく村 はこんな ところ です
(2016年1月現在)
 
村の歴史と世話人
農園
   ○場所   ○耕作者   ○畑作   ○稲作
連絡先(e-mail)
 

 
村の歴史と世話人
   
「てつがく村」は、2000年4月1日に開設された。村の世話人(サイトの管理者)は、当時、国立大学に専任教員(ヨーロッパ哲学担当)として勤務しており、「てつがく村」は大学のサーバーを利用していた。(大学のサーバーを利用していた時を、"旧「てつがく村」"とする。)

「てつがく村」の開設目的は、ひとつは、世話人の授業を受講する学生に対して授業に関する情報を提供し、また、掲示板を介して受講生の質問などを受け付けること、またひとつは、農耕について世話人が書いたエッセーを掲載すること、にあった。世話人は、大学に勤務するかたわら、週末や休日を利用して自給的農耕を営んでいた。エッセーは、その農耕的実践の中から生まれたものである。さらに、受講生には限定しない掲示板を設け、そこで、様々な話題についての会話を楽しんだ。旧「てつがく村」のトップページでは次のように「てつがく村」を紹介した。

通いで週末農耕するサラリーマン哲学者が、二足草鞋の坐りの悪さをバネに、農耕を通して、生を味わい、生を見つめなおすエッセーを紡ぎだす。自家農園の農事録、自然農法の実践ノート、季節季節の村の写真も掲載する。
さらに、おまけで(?)、「てつがくの教場」についての情報、「哲学A/B」と「実存の探究」の受講生のための書き込み板も提供する。

村の世話人は2015年3月をもって大学を定年退職した。そして同年12月に「てつがく村」は、大学のサーバーから現在のサイトに移設された。「てつがく村」ルネッサンスである。現在、サイトのコンテンツは旧「てつがく村」から受講生向けの情報を除いたものになっている。
 

 
農園
   
安芸國南部 標高300m(「安芸國」は広島県西部の旧国名)
    農園(水田と畑)は、四方を低い山で囲まれた山間地にある。「てつがく村」の、リアルな意味での「村」は、この山間地を指す。
村の一番高い山が、南側にそびえる標高737mの灰ヶ峰。山頂に立つと、北は、はるか中国山地に山々が連なり、南は、眼下に瀬戸内海が広がる。
南西方向に峠(標高380m)を一つ越えると、すり鉢の底のような港町、呉市街に下る。瀬戸内海まで直線距離にして約6km。
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耕作者
    旧「てつがく村」では、次のように紹介していた。

 「村の世話人」が実質的な働き手。通いの一人兼業農家。
 平日は専任の大学教員をやるかたわら、週末と休日に農耕を営む。平日でもしばしば朝晩、簡単な作業をする。住んでいるのは、村にある実家ではなく、広島市内のアパートである。すなわち、自宅(広島市)・大学(東広島市)・農地(呉市)を結ぶ三角形を日常的に行き来しながら生活をしている、通いの兼業農家である。
 作付け計画からはじめて、畝作り、種蒔き、苗作り、移植定植など、収穫を除く作業のほとんどを一人でこなす。ただ、通いの兼業農夫のため、なかなかスケジュール通りに作業を行うことができず、周囲の畑に較べて、作付け時期が遅れることがよくある。また、ときどき、予定していた作物の栽培を断念せざるを得ないこともある。

 現在の耕作スタイルは、「兼業」ではもはやなく、「通いの一人自給的農家」である。
 自宅と農地の距離は、車では6、7分、歩くと、早足で20分程度である。職住隣接が原則の農業であれば、やはり「通い」といえるだろう。(自宅はいまは山間の団地内にある。標高は200m。したがって、農園との標高差は100m。)
 「自給的」とは、米と野菜を完全自給している、という意味である。

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畑作
    旧「てつがく村」では次のように紹介していた。

 普通八百屋さんに見られるような野菜はたいてい作っている。ただし、露地栽培なので、季節外れの野菜はできない。肥料は慣行農法では、有機肥料と化学肥料の両方を使っている。標準より少なく施肥する。無農薬栽培。商品性にこだわらなければ、野菜は無農薬栽培でよい。無農薬少肥栽培で十分に立派な野菜ができる。
 「自然農法」も実践(実験)中。
少し変わった野菜としては、ビート(bette-rave)、セロリアク(céleri-rave)、西洋ねぎ(リーキ、poireau)、チコリ(endive)、エシャロット(échalotte)、アーティチョーク(artichaut)、マーシュ(mâche)などを作っている。

自然農法は、現在は実践していない。
肥料は、有機肥料が基本。まれに化学肥料を使う。

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稲作
    旧「てつがく村」では、次のように紹介していた。

 稲作は、田植と収穫を人手に頼っている。乗用田植え機とコンバイン(刈り取りと脱穀と藁の裁断・散布を同時に行う機械)と籾乾燥機の大型機械をもっている人に委託する。ただ、今まで委託していた人が病気で倒れたため、来年(2006年度)からは、すべての作業を自分でしなければならなくなるかもしれない。
 作付け品種は、ヒノヒカリともち米。うるち米としては、長い間、中生新千本を作付けしていたが、稲の苗を購入している農協の育苗センターがヒノヒカリしか扱わなくなったので、2000年の作付けから品種変更をした。
 低農薬、化学肥料。農薬は、田植え後の除草剤を1回撒布する。農薬は使いたくはないが、除草剤は、使わなければ、週末農夫一人が切り盛りしている状態では、稲作は難しい。「てつがく村」農園は、ここ数年の管理の甘さがたたって、ヒエが多いので、なおさらである。田圃によっては、草取りをしないと、まるで米とヒエを混作しているような状態になる。

 現在は、機械は、乗用田植機、バインダー[刈り取り結束機]、ハーベスター[脱穀機]を所有し、収穫までの作業すべてを村の世話人が行っている。
 乾燥機はないので、刈り取り後は稲架で天日干しをする。
 貯蔵は、籾のまま蔵(土蔵)で保管している。必要な時に、JAの精米所で籾摺りと精米をする。
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連絡先
   
村の世話人(サイトの管理者)への連絡はe-mailでお願いします。

アドレスは、

tetsujin@ドメイン名

です。
ドメイン名は、

village-philo.sakura.ne.jp

です。アドレスの ドメイン名 を上記文字列と置き換えると、正しいメールアドレスになります。
なお"tetsujin"は、村の世話人の「てつがく村」での通称、「てつ人」(「てつがく村の住人」の意)をローマ字化したものです。


てつがく村
depuis le 1er avril 2000