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ひろば(BBS)

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2003-01-04 ☆ 新年を迎え、「天地人籟」をはじめるにあたって
(旧暦 122日)

−「天地人籟」新設−念頭所感

「天地人籟」新設
新コーナー「天地人籟」をはじめます。新コーナーといっても、まったく新しい構想によるコーナーではなく、従来の「日々想々」と「コラム」を統合したものです。
「日々想々」は、半農半サラ[リーマン]生活をしながら折にふれて浮かぶ想いを綴ることを目的にしてはじめました。しかし、記事は次第に長文化していき、エッセー集といったコーナーになってしまいました。日々の想いをすばやく書きとめるには少々重いコーナーになってしまったわけです。そこで2年目に「コラム」を開設し、日々の想いや出来事を手軽に綴った記事を載せることにしました。しかし、「コラム」も開設2年目になると、長文の記事も目立つようになり、「日々想々」に載せてもいいような文章も混じるようになりました。「コラム」が「日々想々」を蚕食しはじめたのです。その結果、「日々想々」は2002年4月以来、新しい記事がなくなりました。そこで、いっそうのこと二つのコーナーを一つに統合したらどうだろう、と考えるようになりました。

新コーナーを新設するにあたって頭を悩ませたのは、コーナーの名前でした。従来の2コーナーのひとつの名前を新コーナーにつけようとも考えました。しかし、「日々想々」は、「想」という言葉から、単に事実を綴るというよりも、それに加えて思想を語る、という趣があります。すると、「コラム」で綴っていた「農耕日誌」などは「日々想々」からは外れてしまいます。しかし、「コラム」の方は、タイトルは文章の入れ物を指すだけなので、何でも綴る事はできますが、どうしても短文という意味合いが含まれてしまいます。
そこで、文章の形式、長短、内容を問わず何でも入れることのできるコーナーの名前として思いついたのが、「天地人籟」です。この言葉は、『荘子』に出てくる「天籟」、「地籟」、「人籟」という言葉がもとになっています。「籟」は、笛、ないし笛の音を意味します。だから、「人籟」とは人の吹き鳴らす笛の音、「地籟」とは風が地上の様々な物にあたって出す音のことです。さらに、「天籟」はすべての存在物が出す音であるが、尋常の耳では聞き分けられぬ音を意味します。坐忘の境地になってはじめて聞くことのできる音です。ただ、わたしは『荘子』の思想は捨象して言葉だけをとり、自分なりに造語して、違う意味を盛りました。わたしたちの生活空間は、大気と大地が触れ合うところに開けます。だから、「天地人」と表現できます。「天地人」とは、わたしたちが生きる世界全体、森羅万象です。そして、経験される森羅万象を言葉という、人が出す「音声」で表現する、という意味をこめて、「天地人」に「人籟」という言葉をつけ加えました。つまり、「天地人籟」とは、様々な経験を言葉にして記す、という意味です。

 「日々想々」は1ページ1記事、「コラム」は1ページ5記事で構成していました。「天地人籟」は1ページ1記事にします。1ページに5記事を入れると、文章だけならファイルサイズは小さくてすみますが、画像が多くなるとファイルサイズが大きくなり、読み込む時間が長くなります。画像はできれば入れるつもりなので、読み込み時間のことを考え、1記事1ページにすることにしました。ただ、ページの体裁は「コラム」を踏襲しています。

「日々想々」と「コラム」同様、「天地人籟」もご贔屓にしてくださるようお願いします。

念頭所感
ついでに、「てつがく村」の念頭所感を少々。

「てつがく村」は今春で4年目を迎えます。開村当時は、村の世話人たるわたしにも漠然としたイメージしかなかった村は、この3年で次第に具体的な形をとってきました。村は日々変化していきますが、このあたりで「てつがく村」を暫定的であるにしても、或るまとまった形にまとめてみたい、と思っています。「てつがく村」の、いわば一里塚を築いておこう、ということです。一里塚が実際にはどういう形をとるか、また、いつ姿をあらわすか、はたまた、本当に姿をあらわすのか、どれもはっきりと申し上げることはできませんが、ともかくこの一年の目標のひとつにしたいと考えています。

1年あまり前の2001年の秋にはじめた「自然農法爾」は現在、休止状態です。
自然農法ははじめて3年目ぐらいにならないと満足できる結果はでない、と言われています。わたしの農園では、畑作の自然農法を試みており、現在、おおよそ畑の半分程度を自然農法畝にしています。そのうち古い畝は今春で3年目になりますから(新しい畝は、2年目です)、そろそろ自然農法向きに熟してくるのではないか、と期待しています。
また、自然農法をはじめて2年経ち、自然農法の「夢と現実」といった実情も経験してきました。「夢と現実」との落差が、まだ畑が熟していないために生じたのか、自然農法のそもそもの限界なのか、いまははっきりとは言える状態にありません。ところで、自然農法を賛美する本はあるにしても、その現実を直視させてくれるものは、寡聞にして知りません。自然農法については、どうも賛美者と批判者(ないしは関心をもたない者)とにはっきりと分かれている、との印象をもっています。そこで、わたしは当分、慣行農法と自然農法を平行して行いながら、自然農法の(夢でなく)現実を直視してみたいと思っています。さいわい、狭いながらも、自給的農耕であるかぎり、畑を二つの農法に分割しても、日々の野菜に困ることはないぐらいの面積は栽培していますので、自給を犠牲にすることなく、比較実験を行いながら、自然農法について現実を語り、考えていくことはできます。そして、畝の成熟度から考えても、その企図が可能な時期になったと判断していいでしょう。
そこで、現在休止状態の「自然農法爾」を春ごろから再開して、自然農法を考察していく予定です。これが、今年のもう一つの目標です。

ほかにもぼんやりと考えているテーマはありますが、ここでは実現の可能性の高い目標を二つあげておくことにしておきます。

では、今年も「てつがく村」をご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。

 
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てつがく村
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