てつがく村の入り口に戻る
  日  々  想  々 2000年  次の記事
記事一覧
前の記事
> 農耕の合間に >
 
蒔きサゴ2001-12-14

畑の隣のおばあさんがよく「蒔きサゴ」という言葉を使う。播種適期といった意味である。
露地栽培だけの私の畑では、農耕の一年は、3月半ばのジャガイモの植え付けから始まって、11月3日頃のそら豆と豌豆の播種に終わる。その間にいくつもの「蒔きサゴ」がある。大体この頃というものもあれば、かなり厳密に何月何日と決まっているのもある。ジャガイモは3月15日をめどに伏せる[芽出し育苗する]。秋ジャガは8月15日である。ダイコンは9月10日、タマネギは9月20日から秋分の日までに播く、といった具合である。
隣のおばあさんはこの村に嫁いでから60年もの間、百姓をやってきたので、蒔きサゴは自分の体の一部のように心得ている。しかし、私のように歳をとってから百姓をはじめた者は、農事歴のようなものを作っておかなければ、蒔きサゴを逸してしまう。6年前、週末農耕をはじめた時には、父が残した数年分の農事メモを整理して、いつどんな野菜が蒔かれたかをノートに書き出した。そのノートをもとに作付け暦を作った。
これまで私は、蒔きサゴの記憶は播種適期を逃さないためのものだ、と思ってきた。「農事録」を見ていただければお分かりのように、私はかなり多くの品種を作っている。週末農耕としては、しかも、稲作もやっている農耕としては、畑作は過密とも言えるスケジュールになっている。しかし、多くの品種を作れば、いろいろな野菜を食べることができるので楽しい。最近よく言われるように、この野菜は体にこんな効き目がある、などとは考えない。たしかに医食は同源だろうが、医は食に結果としてついてくる、バラエティにとんだ季節野菜を楽しんで食べていればいいのだ、と考えている。それにしても、のべつ幕なしに蒔きサゴがやって来るのはたしかに忙しい。

蒔きサゴがたんに播種適期の備忘録という以上の意味をもっているのではないか、と気づいたのは、最近、中尾佐助『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)を読んだときである。この本によれば、農耕文化複合のなかで、栽培に関する部分を農耕文化基本複合と呼べば、その基本複合は農耕が始まって以来、現在まで四系統しかない。四系統とは、東南アジアに起源をもつ根栽農耕文化、アジアからアフリカのサバンナに起源をもつサバンナ農耕文化、地中海農耕文化、新大陸農耕文化である。農耕文化基本複合は、その農耕文化で栽培される作物、栽培技術、作物の加工方法の基本的な組み合わせをさす。サバンナ農耕文化を例にとれば、まず作物は、雑穀、マメ類、果菜類、油料作物が基本である。耕作技術としては、鍬を利用して条播栽培を行う。収穫した穀物類は杵と臼を使って籾摺りと精白をする。

農耕は、私たちの命を養う糧を自然から直接得る営みである。気候や地勢・地質を考えれば栽培可能な植物がいくつもある。だからといって、栽培できれば何でも彼でも栽培する、栽培できる、というわけではない。農耕・加工技術に応じて選択される作物の範囲は限定される。また、栄養バランス、一年を通じた食料補給の確保、栽培の手回しを考えれば、作物の組み合わせはおのずと決まってくる。日本の農耕文化基本複合は、根栽農耕文化の下地にサバンナ農耕文化が入り、最後に地中海農耕文化がつけ加わる、といった過程を経てできあがったそうであるが、さらに、私たちの祖先たちは長い年月の農耕経験を通じて、その土地土地にあった作物の組み合わせを作ってきた。だから、蒔きサゴとは、土地固有の作物体系ということになろう。

農耕とは、言うまでもなく、作物を栽培することである。しかし、栽培とは、けっして私たちから能動的に働きかけることではない。作物の組み合わせを選択するといっても、それは、すでに存在する植物群から選択することであり、己の望む植物体を無から作り出すことではない。また、栽培するといっても、たとえば車を製造するように、自分が作り上げたプランに従って作るわけではない。作物は風土のなかで己のリズムに従って自ら生育する。私たちはせいぜい、おのずから成育する命を組み合わせる自由をもつだけである。そういう具合にして、私たちは農耕を生きる。
すると蒔きサゴとは、農耕する私たちの生きるリズムということにもなるのである。イキることが、イキすることと語源的に同根であれば、息づかいのリズムと言うこともできる。私たちの息づかいは、播きサゴの体系によって組み合わされた作物の息づかいと絡み合いながら作られる。田植えや稲刈りとか、春秋の種蒔きのときは、多くの息づかいとともに生きる私たちの息づかいは速く激しくなる。息つく間もないほどであるが、息づまるまでには至らない。ともかくも息することができるように、蒔きサゴが組み上げられてきたからである。
私の作付け暦では、のべつ幕なしに蒔きサゴがやってくる。しかし、蒔きサゴを息することのできる息づかいのリズムだとすれば、のべつ幕なしは蒔きサゴではない。すると、私の作付け暦には、ある別のリズムが影を落としているのではあるまいか。
もし農耕の時間という表現を使うとすれば、播きサゴに仕組まれた私たちの息づかいのリズムこそが、その時間である。私たちの息づかいが作物の息づかいと絡み合いながら、いわば近景の時間が綯い出される。さらに、近景の時間は、日月や季節のめぐりといった遠景の時間を縦糸として、編み出される。農耕の時間においては、近景の時間という緯糸は、縦糸に寄りかかっているにしても、いまだ縦糸の流れに埋没してはいない。こうしてその土地土地の時間の流れ方ができあがってくる。むろん、最近景の時間として個々人の時間もある。家族といった集団は、手を相携えて農耕に関わるにしても、各々の力量に応じて関わり方は異なる。それに応じて個々人の時間も異なる。しかし、農耕の時間においては、個々人の時間はいまだ孤立したものにはなっていない。言ってみれば、近景・遠景の時間の織物の裏側に目立つ、けば立ちのようなものとしてある。
すると、私は作付け暦を作るとき、どうも農耕の時間とは別の時間を下敷きにしまったようである。それは、時計に象徴される時間である。この時間には近景とか遠景はない。時計の時間といえども、もともとは農耕の時間の遠景から抽象されたものだ、と言うこともできよう。しかし、作物と私たちの息づかいの大枠を作ってきた遠景の時間には、人それぞれの息づかいを許容するような間がある。ところが、時計の時間の方は、細かく刻まれた単位からなっており、また、その単位は、ひとそれぞれの息づかいができないように整然と並んでいる。このようにして時計の時間は、農耕の時間のように近景の時間は含まず、むしろ含みえず、個人の時間に直結することになる。その結果、個人の時間は孤立する。人と人とを有機的に結びつけていた近景の時間が欠落してしまったからである。私の作付け暦を流れる時間は、どうもこのような時計の時間であるような気がする。時計の時間とは、私の「二足草鞋」の一方の草鞋の時間である。その結果、息づかいの次元を捨象した作付け体系ができてしまったというわけである。だから、私は、ときに息づまる思いをしながら、農耕しなければならなくなる。

播種体系としての播きサゴは、同時に、収穫期の体系でもあり、したがって、食の体系でもある。折々の収穫物で、折々の身を養う。息づき、あるいは、息を潜めている他なる命で、息づかいの源である己の〈イのチ〉を養う。だからこそ、己のは、折々の息づかいを可能にしてくれるのである。いわゆる身土不二、四里四方の野菜は、このような命の循環のことである。
息づまらない息づかいを崩さず、作物とか他者とかの他の息づかいと相寄り合いながら、命を養う。「蒔きサゴ」は、このような生き方を象徴しているように思われるのである。

[先頭に戻る]


てつがく村
depuis le 1er avril 2000