日 々 想 々 | 2001年 |
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花のしたにて春死なむ 2001-04-13
□新学期が始まった。今年は、入学式がこれまでより早くなり、4月3日であった。満開の桜の下を希望に溢れたフレッシュマンたちが学生生活を始める、というのが、入学式の図式的なイメージだが、大学のある西条盆地では、4月の始めは、まだ桜が咲き始めたばかりであった。授業の開始は、4月10日である。1週間も経つと、桜は満開になった。 □私にとっての最初の授業は、授業開始日の2コマ目である。授業科目名は、「実存の探究」(パッケージ別科目)となっているが、クラシックな名前で言えば、「哲学」である。受講生の大部分は今年入学した1年生である、その授業を、私は花にちなんだ話から始めた。
□今年は学年歴が早まったせいで、満開の桜のもとでの入学式にはなりませんでした。でも、気づいた人はどれだけいるか知りませんが、入学式の頃は、西条の山はこぶしの花盛りでした。
□「田打ち桜」という言葉があります。「打つ」とは、鍬で耕すことです。「田打ち桜」とは、春、田を耕す頃に咲く花、という意味です。田打ち桜にあてられるのは、地方によって違いますが、こぶしも田打ち桜のひとつです。だから、植栽された染井吉野といった桜ではありませんが、皆さんの入学式の頃には、やはり「桜」が咲き乱れていたわけです。
□山の斜面によっては、遠望すると、こぶしで一面飾られているようなところがあります。高い山であれば、こぶしの花は、麓から山頂に向かって、数日かけて斜面を駆け上ります。こぶしが終わると、今度は、追いかけるように、山桜がかすむような淡い桃色の花を開きます。山桜が散ると、山は新緑の季節になります。
□春まだ浅い3月始めは、花といえば梅ぐらいですが、暖かくなるに従って、色々な花が咲き始めます。そして、今が花の盛り、春の盛り。花が咲くとは、生命が燃えはじめる、ということですね。実りに向けて生命がスタートする、ということです。数日前の新聞に、入学式の時期についてのコラムがありました。アメリカに留学したことのある女性が書いていました。アメリカも含め多くの国では入学式が秋なのに、なぜ日本は4月なのか、4月には深い理由があるのだろうか、と疑問をもち、調べたところ、日本でも秋が入学式のこともあったが、徴兵検査が4月になったのに伴い、入学式も4月になった、ということが分かった。だから、入学式が4月というのは、深い理由などないのだ、といった内容でした。入学式の時期についての歴史的経緯について私は何も知りません。しかし、4月が花の季節、生命の動きはじめる季節だとすれば、新たな学生生活を始める時期として、日本のような気候風土では、4月は似合っていますよね。皆さんも希望と命に溢れ、学生生活の実りに向けて、今出発したわけです。
□花すなわち命、と考えると、奇妙な歌が思い起こされます。有名な歌なので皆さんも知っているかもしれません。西行の次の歌です。
□ところで、「きさらぎの望月」とは、1年のうちの或る時期を指定しているだけなのでしょうか。さらに、1日のうちの或る時間を指しているのではないでしょうか。そうだとすると、西行は、満月に照らされた桜のもとで死にたい、と歌ったということになるでしょう。
□昼間の桜とは異なり、夜の闇から浮かび上がる桜には、何かおどろおどろしいものが感じられませんか。しかも、薄暗がりの中では、人間の色彩感覚は弱まります。まあ、灰色の世界です。花すなわち命、と単純に言い切れないような光景です。関連して、梶井基次郎が書いたと記憶していますが、桜の下には死体が埋まっている、という言葉を思い出します。このように、華やかな桜には、どこか死の雰囲気が漂っています。
□西行の歌を思い出したのは、ごく最近です。思い出すようになったのは、最近、ある思いを抱いていたからです。皆さんは、若くて命に溢れています。私も、皆さんと同じ年齢の頃は、からだから命が溢れだし、抑えようのなかったことを思い出します。しかし、その記憶も遠い過去に沈んでしまうような年齢になると、時折、意欲が萎えるような感じがすることがあります。生命力が減退するのでしょうね。そんなときは、自分の命の終わりを、生々しい現実として想像したりします。そして、春の花の季節になった最近、意欲が萎えたとき、周りの華やかさを感じながら、ふと、こんな時に命を終えるのも悪くないな、と思ったことがありました。
□それは、こういうことです。生命力が減退し、からだから余計な力が抜けてくると、咲き乱れる花に感じられる生命の奔流に、自分の中の命が抽き出されていくような感覚を覚えることがあります。その感覚は、むしろ快感です。このようにしながら自分のからだから命がすべて流れ出してしまえば、死です。誰もがいずれ死を迎えなくてはいけません。もし死に方が選べるなら、西行が「願はくは」の歌の通りに「きさらぎの望月のころ」に死んだように、死に方が選べるなら、こんな死に方もいいのではないでしょうか。
□もしかすると、死とは、生とは、そんなものかもしれません。生死は、截然と区別されたものではなく、華やかさとおどおどろしさが渾然と一体になった夜桜のようなものではないでしょうか。死とは、それまで一つのまとまりをもっていた命が、生命の五大に分散し、他の命たちの流れに合流していくことかもしれません。とすれば、死の時節があるとすれば、生命が実りを目指して勢いよく流れはじめる春こそ、そのときでしょう。
□西行のあの歌を思い起こしたとき、自分の感覚に照らしながら、歌は生死の実相を覚悟した心から生まれたのではあるまいか、考えました。
□翌朝である。母から電話がかかってきた。飼っている猫の様子がおかしい。嘔吐したりして元気がなく、横になったままである。母は、そのように説明して、病院に連れて行ってもらえないか、と言った。猫は、最近、喧嘩で怪我をして2度、獣医に連れていった。私はその類の問題だと思い、今日は授業が2コマあるので連れて行けない、と返事をした。母は私に電話する前に、私の妹に電話したらしい。妹は午前中なら予定がないかそうである。だから、彼女に頼む、と言って母は電話を切った。 □その日はまず、午前の2コマ目に授業がある。授業までのあいだ研究室で仕事をしていると、妹が電話をかけてきた。今、実家に着いたが、猫はもう手足が痙攣して、息も絶え絶えの状態。病院に連れて行っても駄目と思うが、どうしようか、と言う。母からの朝の電話はさほど緊迫感がなかったので、意外な展開にびっくりした。ともかく病院に連れて行ってみるように、と妹に伝えた。 □2コマ目の授業が終わって研究室に帰ると、また妹から電話が入った。彼女は次のように説明した。 □病院に着いたときには、もう息が切れていた。それでも、獣医さんは猫を診てくれた。獣医さんの言うには、症状や病状の急展開から考えて、毒物を食べたのだろう。毒物を直接食べないにしても、猫はからだを舐める。だから、手足についた毒物を舐めた可能性もある。 □私は奇跡的に一命を取り留めることを願っていたが、駄目だった。妹は、猫は病院から連れて帰り、仏壇の前に寝かせておいた、と言った。猫はまだ若い。1歳と8カ月である。乳離れしてしばらくして実家にもらわれて来た。短い間であったが、実家の一員であった。せめて別れを惜しんでやりたい、という思いで、妹は猫を仏壇の前に寝かせた。受話器をおいてからは、いろいろな思いが頭を駆けめぐったが、結果が出てからでは、益のないことである。 □次の日の夕方、妹と一緒に、猫を畑の隅に埋めてやった。そこには、色々な境遇の猫たちが眠っている。中には、遺毛しか残さなかった猫もいる。穴に横たえた猫の顔にまだ小さな蕗の葉を置き、最後に猫の名前を呼んでから、遺骸に土を被せた。そして、畑にある石からそれらしいものを選んで墓標を立てた。 □妹は水仙を供えた。私は、散り始めた庭の桜を手折って、供えた。満開の桜の時節、「そのきさらぎの望月のころ」、猫は逝った。最初の講義での話が、図らずも、彼への手向けの言葉となった。田舎で自由に歩き回る猫はなかなか天寿を全うしがたい。死ぬのは避けえない。ただ、もがき苦しみながら、五大に還っていったのが、悲しい。1年8カ月が彼のジャータカの一齣であることを念じながら、猫の眠る、夕暮れの墓標に手を合わせた。
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「梶井基次郎『桜の樹の下には』」
□□http://webshincho.com/lemon/html/kazy1101.html