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時の色 2000-12-18

今年は、秋から冬にかけて、例年になく暖かい。暖かいと、人間には過ごしやすいが、野菜にとっては、必ずしも過ごしやすいとは言いがたい。

8月後半に種蒔きするキャベツは、普通なら、蝶除けに寒冷紗を掛けなくとも、虫に目立って食害されることなく大きくなり、冬の始めになると食卓にのぼる。ところが、今年は「暖秋」のせいで、虫はいつまでも姿を消さず、外葉のみならず、中の玉まで食い荒してしまった。成長が阻害されたキャベツは、今、冬空のもとで、無残な姿を晒している。ブロッコリーやカリフラワーも同じ運命。ブロッコリーは、葉はぼろぼろに食われてはいるが、それなりに立派な花蕾をつけた。期待して収穫してみると、花蕾を支えている枝の隙間には虫が詰まっている。キャベツとかブロッコリーは蝶の幼虫がつきやすい作物だが、今秋は蝶の飼育場のようになってしまった。

タマネギは9月下旬に種蒔きをして育苗し、11月下旬に定植する。物の本には、25cm程度の苗(茎の太さは、6-7mmぐらいになろうか)を定植する、と書いてあるが、私の農園では、通常は、それ以下の苗しかできない。2、3枚の葉が伸びた小苗を定植する。小さな苗は、さらに冬の寒さにやられて、葉の先が枯れ、貧弱な姿になるが、それでも6月の始めには、ちゃんとタマネギになる。大苗は、春に薹が立ちやすいので、望ましくない。ところが、今年は、種苗店に並んでいる苗に負けず劣らずの大柄な苗ができてしまった。苗によっては、茎の太さが1cmをこえるものもある。こんな苗は薹立ちの有力候補である。苗の成長が進みすぎたので、早めに定植してしまいたかったが、結局、例年並みに、11月23日(木曜日)の勤労感謝の日になってしまった。苗は800本ほどを定植した。しかし、薹立ちが不安で、三日後の26日(日曜日)、残っていた苗から100本ほど選んで、余分に定植した。

土曜日と日曜日はたいていは終日、野良にいる。しかし、勤労感謝の日から、年休をとった金曜日、土曜日と三日連続して野良仕事をしたので、次の週の授業の準備など仕事が溜まってしまった。そこで、定植が終わった日曜日の午後、学校に行って、仕事を少しでも捌くことにした。

タマネギを定植する頃は、例年なら大分寒くなっている。苗を植えていると、軽作業なので、体が冷えてくる。ところが、今年は、逆に汗ばんできて、上着を脱いでしまうくらいであった。こんな気候だから、紅葉もじんわりと始まり、普通なら枯れ葉が舞う11月終わりになっても、まだ紅葉を楽しむことができた。むしろ、まだ紅葉の盛りにある、と言った方がいいくらいで、葉の色は例年よりも鮮やかにさえ感じられた。

学校には、畑から車で40分である。学校に着くと仕事が待ってはいる。しかし、その日はそれでも、学校に向かう車の中で、体と心が開放されたようにリラックスした気分だった。農作業としてはタマネギの定植しか予定していなかったため、いつになく、ゆったりとした気分で畑で時間を過ごせたし、また、不安な薹立ちへの保険として余分のタマネギを定植し終わり、安堵感があったからである。村の外れの人家を過ぎると、車は熊野町に通じる谷間に差しかかり、道は左右にくねりながら、ゆるやかに下っていく。私は運転しながら、午後の光と織りなす、近景や遠景の落葉樹の色に視線を走らせた。右手の山塊の斜面は西向きである。以前は赤松主体の樹相であったが、今では、その松は、松枯れ病のため、白骨のような姿を晒している。松に代わって、落葉樹が増えてきた。その落葉樹が、午後の日を受けて、黄色や茶色に映えていた。山塊の麓の小川沿いには、同じような高さの落葉樹が並んでいるところがある。そんな木の葉は、日没がすっかり早くなった時節、反対側の山塊のせいで多少陰ったりしてはいるが、車から近い分、やはり目に明らかだった。

晩秋の色に染まる落葉樹は、車の動きと眼の動きにつれて、色合いや明るさや鮮やかさを変えながら、前から後へと様々な速さで退いていく。動きながら、体全体を刺激し包んでくるようだった。すると、ふと、色づいている木々の葉の中から、時間が立ちのぼってくるような感覚を覚えた。「時間に色がついている!」

しかし、「時間」とはっきりと名付けてしまうと、その時の感覚を言い誤ってしまうかもしれない。むしろ、私は「時間」を放念した状態にあった。そして、畑の作業を中心とした一日の営みの余韻を体に残しながら、景色とともに運動し変化していた。私が感じたのは、だから、色の変化であり、それとともに変化する私の感覚の、ゆったりとした心地よさである。その感覚を、その時の私は、時間に色がついている、といった表現で差し当たり受けとめていたのである。

「家庭菜園」という言葉には、忙しい日常の中に穿たれた、解放と安らぎの時空といった響きがある。私も、農作業をしながら、そうした時空を感じてみたい、と思うことがある。しかし、現実は、自給のみの農耕とはいえ、作業量は多く、週末は、野良で働ける時間は目一杯働く、という状態である。

他方、1週間のうち5日は、大学人というサラリーマンとして生きている。大学人としてやるべきことは、研究活動、授業などの教育活動、会議などの庶務(教育・研究以外の業務をかりに「庶務」とする)である。教育と庶務に関しては、与えられたスケジュールに従って勤務しなければならない。研究の方は、自分のペースで行うことができる。個人が研究単位であるような領域の場合は、特にそうである。しかし、自分のペースといっても、飽くまでも原則である。実際には、研究以外の業務が与えられたスケジュールに従い、しかも、それが夏季休暇以外の時期では、主たる仕事になっている状況にあっては、研究も、自分の意のままにならぬスケジュールで刻まれることになる。さらに、定期的に研究業績をチェックされる。サラリーマンであるとは、つまり、与えられた作業予定表に従って生活することである。

しかも、その予定表は、順序と内容において、個人レヴェルの事情は捨象される。自分の事情によって随意に、授業の時間割を変更したり、会議の日時を変更したりすることはできない。また、たとえば1授業単位は、(教員や学生)個人のペースに応じて伸縮自在という訳にはいかない。どの教員に対しても、1授業単位は、時計の進行を尺度として、同じ長さに設定されている。サラリーマンの従う予定表は、組織全体の目的を達成するため、平均的な作業速度をもとに、様々な作業を効率的に組み合わせたものである。そして、サラリーマンは予定表を、確実に、できればより効率的に、実行する役割を担っている。

サラリーマンが大多数を占める現代の時間意識の起源は、おそらくは、現代人が今述べたような作業予定表に従って生活を組織している、組織せざるを得ない、という事情にある。生きられる時間は、さらに、時計を介して、表象されて意識される。作業の進行そのものは、体験することはできるにしても、対象化して見たり触ったりはできない。ところが、時計はその進行を、時間として、〈見せ〉てくれる。倦まず弛まず規則的に回転する針や、10個の数字が狂うことのない順番で次々と表示される文字盤が、時間とは何であるかを、直観的に示してくれる。時間は、時計という物に憑き現れる。私の外に、私とは無関係に存在する。しかも、私は、時間の先を越すことも、時間を先に行かせることもできない。焦ろうがゆったりと構えようが、気分の上っ面の変動にはお構いなしに、私の生は、無表情で着実に前進する時間と、正確に歩調を合わせている。私だけではない。およそ存在するものは、時間とともに生成消滅していく。じつは、「合わせている」とか「とともに」とかの表現は正確ではない。時間が森羅万象の進行役であり、いかなる存在者も時間に抗うことはできない。このように、私たち現代人の、生きていくことは、ついには、「時計に立ち現れる時間」として実体化され、「時計の時間」が現代の時間意識を形作る。

サラリーマンといえど、決して時計の時間だけを生きている訳ではない。一日のうちでも、家では家族の一員であり、週末には自分だけの趣味にふける。家族の時間や趣味の時間は、サラリーマンの時間とは違う流れ方をする。私たち一人一人は、ひとつの時間ではなく、様々な型の時間を生きている。多型的な時間を生きているのである。それでも、各人には主要な型の時間がある。大学人の研究が個人のペースで行われように見えて、実際には、サラリーマンの時間で刻まれているように、サラリーマンは、多様な時間を生きているが、それらの時間はサラリーマンの時間に巻き込まれ、その時間によって染色−汚染という言葉が言いすぎならば−されている。一般に、現代人は、時計の時間を主要な時間として生きている。

私の週末農耕にしても、事情は異なることはない。種には蒔き時があり、苗には定植時がある。農耕は、そうした時機に合わせて、リズムを刻む。農耕人は、自分の生のリズムを、自分を包み込む風土のリズムに合わせながら、刻む。しかし、私のようにサラリーマンであると、そのような農耕のリズムに、自分の生活のリズムを同調させることはできない。逆に、サラリーマンのリズムに、農耕のリズムを無理矢理、従わせてしまわなければならない。農耕の時機にかかわらず、週末に作業を集中する。時間に追われるように、予定した作業をこなしていく。農耕の時は歪み変質する。

タマネギを余分に定植した日は、珍しく、サラリーマンの時間がゆるみ、時計の時間が退いた日だった。週末農耕のせわしいスケジュールはなかった。安堵感もあった。それに、11月の終わりにしては暖かい陽射しが、時間の弛みを助長した。すると、春の陽射しに氷と雪が融け、黒い土があらわれはじめるように、時間が素顔をかいま見せた。時間に色がついている、と感じたのは、そのときである。

だが、その素顔は、「時間」と明示して実体化し、「時間」を主語として語ってしまうと、また覆われてしまう。時間には、過去、現在、未来の、三つの契機がある。たとえ生々しく生きることのできるのは現在だけだとしても、私に未来と過去の意識がなければ、時間は存在しない。サラリーマンとしての私には、たしかに、時間がある。作業予定表に従って、今の作業を行いながら、その作業を、未来の予想される結果に配慮して、調整する。私の意識の中では、これまでの作業、今の作業、これからの作業が、等間隔で位置が印された、時間である直線上に配置されている。

ところが、「時間に色がついている」と心の中で叫んだときには、時間の意識は私にはなかった。たしかに、農作業の余韻は、リラックスし開放された体の感覚として残っていた。学校を目指して車を運転している以上、学校でやるはずの仕事は、意識の地平の向こうにはあった。しかし、それらの「過去」や「未来」は、感覚とか運動とかにとどまっており、意識されて、時間位置をもつには至っていなかった。「意識」されていたのは、私を取り巻く落葉樹であり、その色の変化であった。「過去」と「未来」は、「意識」の、言わば基底音として、感じられていただけなのである。だから、時間という言葉に固執するとすれば、生身全体で感じられる色が時間である、と表現すべきだろう。

古めかしい言葉を使えば、色は、時間の一属性ではない。時間が色の属性なのである。時間であるのは、色だけではない。においであり、音であり、肌触りであってもいい。時間は五感なのである。とすれば、時間は私である、と言いたい思いに駆られるが、しかし、私と言い切るとまた、経験を裏切ってしまう。私が感じるためには、私の感覚に変化が生じなければならない。私が、私以外の存在者たちとともに、現実に生成しなければならない。だから、生身のまま、ともに現成することが、時間である。時間とは、生きられる共成の、共振のリズムである。私の意のままにならないにしても、私の外にあって私を強制する存在ではない。

近現代哲学において時間が次第に重要なテーマになっていくのは、むろん知識史的な事情はあるのだが、生活者の実感からすれば、時間が、生活を規制し多忙にする何か実体的なものとして、意識される現代に、照応しているように思われる。時間とは、もともと、私たちの生そのものである。共現成する生身である。晩秋の時の色は、平生は研究室や教室や会議室という空間で時間に追われながら生きている私に、時とは何か、を思い起こさせてくれた。

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