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重重無尽の命の海 2000-08-17

先々週末、家族で畑に行った。この日は、しばらく草の生えるがままにしていた畑を、8月終りから本格的に始まる秋冬野菜の種蒔きに備えて、耕耘機で耕転する予定であった。耕転するところは、春から夏にかけて収穫した野菜の跡地である。

畝に入るとバッタや蛙が出てくる。母親にまとわりつきながらトマトを採っていた息子に声をかけると、やって来て大きなバッタを見て追いかける。蛙は、畑では、アマガエルが野菜の葉にとまっているのはよく見るが、畝に繁った草の中からは、トノサマガエルといった、むしろ田圃にいるようなカエルも出てくる。カエルを追ってヘビでも出て来そうな気配である。草を揺さぶると、小さな虫が、粉が飛び散るように飛び出す。地面の中では、ミミズが土を消化し、そのミミズを狙ってモグラがトンネルを掘る。遠目には雑草の繁茂にすぎないが、近づくと色々な生き物で溢れていた。

普通は、草がこんなに繁るまでは放っておかない。老母が、作物が植わっていようが植わっていまいが、草は生える端からせっせと取り除くからである。しかし、ここのところ、口を酸っぱくして、草を取らないように、と言っていたので、暑さと年齢のせいで体力の衰えている母は、あえて草に手を伸ばさないでいた。はびこっては困ると思われる一部の草は抜き取って焼却したが、それ以外は放っておいた。すると、草は伸び、その草をめがけて他の生き物たちも集まってきたのである。「雑」草同様、畑にやってくる生き物たちも、あまり歓迎されない。今時分であれば、カメムシが、膨らみかけた枝豆や熟したトマトの汁を吸い上げる。カナブンは、トマトの裂け目から果汁を吸い取る。野菜につく虫は概して「害」虫である。

隣に従姉が作っている畑(転作田)がある。彼女は、空いている畝があると、草が生える前に小型耕耘機で鋤く。草は生やしてはならぬ、これが〈真っ当な〉百姓の考えである。先日、隣のおばあさんが、通りがけに、私の畑と彼女の畑を見比べてのことか、彼女の畑を見て、「○○さんは、よお鋤くけん、草が生えとらん」と私に褒めた。「ほうじゃの。」畑を草だらけにしていたのは、それなりの考えがあってのことだが、弁解はしなかった。たしかに、夏の光を受けて、その畑は、細かく砕かれた土が灰色に乾き、いつでも種蒔きができそうな状態である。「雑」草もなければ、「害」虫も見えない。

私とて、草が繁るのを見て、平然としていたわけではない。いずれ鋤き込んで畑の有機質の足しにしようと思ってはいたが、草は野菜とは違い、すぐに種をつける。鋤き込むのはいいが、種がたくさん落ちて、来年は雑草がびっしりと生えるのではないか、という不安が時おり心をよぎった。10年ほど前、母が長期入院をしていたとき、畑の一部が草だらけになったことがあった。これほど草が生えるのはそのとき以来であろう。

不安に揺れながらも、草の成長をじっと見ていた。そして、いよいよ鋤き込む時が来たのである。ところが、頭をめぐらせば容易に想像がつく生命の横溢ではあるが、それを目の当たりにすると、草を鋤き込むのがためらわれた。鋤き込めば、むき出しになった土の表面は、炎天下に焼け、畑は、たちまち赤味がかった土色一色の無毛地帯になってしまうだろう。むろん、住処を失った生き物たちは、また別の草むらを見つけるだろし、8月の終わりから9月にかけて、種の蒔き時が来れば、適度の雨が降って、土は湿り気を含み、蒔かれた種を発芽させるだろう。ためらわれたのは、小さな生命たちへの思いだけからではなく、また、畑の乾燥のためではない。すこし大げさに言えば、人の命のあり様に思い至ったからである。

私たちの命は、他の命の摂取により成り立っている。身体は、他の動植物の身体が元になっている。或る野菜を食べるとする。その野菜は、地中からは養分や水分を吸い上げ、空中からは二酸化炭素を固定し、その都度の気候のなかで、自分の命を形作っていく。野菜は、その時々の風土から身体を作るのである。そして、風土の個性と状態を凝縮した身体であるからこそ、風土とバランスを保ちながら、生きることができる。ところが、その野菜が吸い上げる養分は、もとをたどれば他の様々な生命であった。同じ風土を生きていた動植物の腐植や、動植物を分解させる微生物の遺骸が、養分として吸収されたのである。だから、私たちは、或る野菜を食べれば、その野菜に凝集された様々な生命を摂取することになる。私たちが生きることができるのは、つまり、或る風土で一つのシステム(生態系)をなしいてる生命全体を摂取するからである。

畑に生い茂った草を鋤き込もうとしてためらわれたのは、このような直観が、蝟集する命の光景に触発されたからである。

なるほど、植物は、鋤き込まれれば、腐植として、土壌の有機質を増やし、分解してやがて野菜に吸収されるだろう。足りない肥料分は、元肥とか追肥として補うことができる。しかし、このようなやり方は「零からの足し算」農法である(「生草マルチ (2000-07-07) 」参照)。この農法では、生態系の中に空白地帯を穿ち、その空白地帯に、目標とする作物を生育させると思われる諸条件を投入する。そこでは、作物が風土の生命全体を植物体として凝集する、命のつながりが断たれている。あるのは、命のシステムではなく、作物という孤立した命の点だけである。その極端な例が、「野菜工場」である。テレビで見た工場では、空調された室内で人工的な照明に照らされて、野菜が水耕栽培されていた。その野菜は、調製に手間がかからず、計画出荷が可能な野菜として、食堂チェーンに供給される。いかにも現代的・都会的な農業であるが、現代都市と同様、生態系から孤立した人工的な営みである。

農耕は、むろん、どんなものであれ、人工的である。自然な生態系に手を加え、作物が生育しやすく、作物を栽培しやすい、人工的な場を作り出す。木を伐採し、石を掘り除き、耕して畑にする。斜面を平らに切り崩し、底を赤土で固め、周囲に堤防を築いて、水田を開く。農地はもはや自然のままではない。また、農法も人為である。どんな農法であれ、食料を作り出すという目的に貫かれた工夫である。

しかし、農耕には、自然な生態系に準じた生態系(農的生態系)の中で営まれるものもあろう。自然農法とか有機農法とか呼ばれる農耕が、それである。機械と化学肥料・農薬を使って生産効率を高める近代農業と違い、こうした農法では、多少の違いはあれ、農的生態系に従いながら、また、生態系のもつ力を利用しながら、農耕が営まれる。それぞれの風土や季節には、それにふさわしい作物がある。その作物が、その都度の風土に応じて他の生命を取り込む。大根の本来的な作期は、秋から冬にかけてである。大根は、春に較べて冬の方が甘い。寒さに耐えるため、根に糖分が蓄積されるからである。また、作物は、他の生命と共棲することで、風土をよく生きる。東北地方で数年続きの冷害があったとき、有機栽培されている稲はそれに打ち克った、という話を本で読んだことがある。地温を計ってみると、慣行農法の田圃と有機農法の田圃とは3度の差があった。本の筆者は、農薬を使わない田圃では、水中や土中で様々な生命活動が営まれており、その生命エネルギーが地温を3度も押し上げたのだ、と分析している(星寛治『有機農業の力』創森社、2000)。農的生態系とは、農耕という、自然な生態系からの人為的乖離を、自然な生態系のまねびとして行おうとする努力だと言えよう。そして、そうすることにより、風土を生きる私たちの命の糧としての作物を育てようとする努力だと言えよう。私たちは、生命系全体を摂取することで、生命系の一部として生かされていく存在だからである。

「害」虫は何ものも害することなく、「雑」草はけっして邪魔ものではなく、無数の生命が互いに嵌入し重なり合って共棲する命の海。草の生い茂った畑の片隅に見えたのは、そのような重々無尽の曼荼羅であった。

その日の午後、焼けつくような陽射しを受けて、耕耘機で、その「曼荼羅」を崩して行った。夕方、溝を上げ終わった幾条かの畝には、青い草の残骸が、半ば土に埋もれながら、ここ彼処に散らばっていた。そこを、作物がまだ植わっている畝へと、何匹か小さなカエルが横切った。耕耘機で土を撥ね飛ばせば、子どもはそれを面白がって、後をついてくる。すっかりきれいになった畑の溝を走り抜けたり、畝に転がったりして楽しむ。鍬を休め、子どもの駆け回るのを見ながら、しかし、私は、まだ道遠しの思いを抱き、汗をぬぐった。

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