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鴨と豌豆の煮込み(Canard aux petits-pois) 2000-06-17

エンドウの季節になると思い出す料理がある。

2年前の3月、6年ぶりにフランスに行った時、留学生時代からの友人の家に招かれた。友人は私と同年代の夫婦である。彼らはパリの郊外のこじんまりとした一戸建てに住んでいる。夕方、郊外高速電車の終点の地下駅を降りて、地上にあるバスセンター近くで待っていると、フランソワーズが車で迎えに来てくれた。以前はスウェーデン製の車だったが、今度は日本製のジープ型ワゴン車に乗っている。話好きの彼女は、私が乗り込むと、日本から来た友人をもてなす最初の話題として格好のものだと思ったのか、早速その車のことを喋りはじめた。家に着くと、ジェラールと、今は老犬になったコカが出迎えてくれた。

こうなると、一挙に15年前の私たちに戻る。彼らとは私が論文を準備していたときに知り合った。論文は自分でタイプするつもりでいたが、締め切りが迫ってくると、それだけの余裕がなくなり、清書してくれる人を探していた。そのとき、フランソワーズと知り合ったのである。彼女は自宅で、電動タイプライターで論文などを清書する仕事をしていた。今でこそコンピュータがあるが、当時はわずかながらもメモリがついた電動タイプライターは最先端の文具だった(ちなみに私は手動タイプライターを使っていた)。当時私はパリの17区、テルヌ広場からさほど遠くない屋根裏部屋に住んでいた。論文の最終原稿のまとまった部分できれば、それをもっては、地下鉄と郊外高速電車を乗り継ぎ、さらに、20分あまり歩いて、彼らの家に通った。あるいは、ジェラールが仕事で私の住んでいる近くに来たときには、彼が原稿と完成論文の受け渡しを受け持ってくれた。彼らの家に行くと、人好きな彼らは、私に飲み物はむろんのこと、食事もすすめた。論文が合格し、いよいよ帰国というときになると、家の小さな庭でパーティをしてくれた。彼らの友人が経営していたクレープ屋を借り切り、クレープ料理のフルコースを腹の張り裂けるくらい食べたことも、彼らとの楽しい思い出のひとつである。

だから、ひとしきり思い出や近況を語り合ったあとは、酒と食べ物が仲間に加わってくる。Kondoは酒が好きだから、と言いながら、apéritif(食前酒)に何を飲むか、と、まるで子ども向けの海賊のお話に出てきそうな宝物の箱を開けて、一杯につまった酒瓶を1本1本引き出しては、好みを訊く。色々な酒がある。フランソワーズの作った果実酒も、製造年と果実名が記されたラベルつきで、何本かある。やがて食事が運ばれてきた。フランソワーズは、今日はいかにもフランス的な家庭料理を作った、といって厚手鍋をテーブルに置く。Canard aux petits-pois(鴨と豌豆の煮込み)である。petits-pois(「小さい豆」、豌豆)の季節ではないが、Kondoが来るので、冷凍の豌豆を買って作った、と説明する。異国の友人のためわざわざ食材を探してきてフランス的なものを作ろう、という心遣いが嬉しい。しかも、旬の感覚が働くうえで、そうしてくれるのが奥ゆかしい。

旬の感覚は、「身土不二」とか「四里四方の作物」といった考えに通じる。現在では物流機構の発達、貯蔵技術の開発、施設野菜の栽培により、さまざまな野菜が旬とは無関係に市場に出回るようになった。他方、消費する側の方でも、旬の感覚は薄れてきた。すると、時ならぬ野菜を食べたくなる。サラダを作るからといって、冬なのにキュウリを買い求めたりする。しかも、野菜本来の味に対する感覚が鈍ってきているものだから、冬のキュウリを食べても美味しいと感じる。しかし、どう頑張ってみても、人間は生き物である。特定の風土から生まれ、特定の風土の中で、その風土とのバランスをとり、風土に養われながら、生きていく。生きていくためには、当然、身体自体の状態の、バランスと恒常性を保ち、エネルギーを補給しなければならない。つまり、食べなければならない。ところが、季節季節の身体を養うための糧は、同じ風土の中で、その時々に産出されるものが一番である。暑ければ、体を冷やさなければならない。夏には茄子や瓜類を食べると体が爽やかである。寒ければ、体を温めなければならない。冬には根菜類がことのほか美味しい。同じ風土でその季節に育つものの生命力を体の中に取り込むのが一番なのである。このような「身土不二」は、言い換えれば、日々の行動圏である「四里四方の作物」で生きることである。山ひとつ越えれば風土は変わり、人は変わるからである。古来人間は「身土不二」の仕方で生き、「四里四方の作物」を口にして生きてきた。だから、旬の感覚は私たちの体の根本から湧き出てくる べ き 感覚なのである。

閑話休題。

フランソワーズは、相手の好みを聞いて、豆やソースの量を調節し、肉の部分を選びながら、「鴨と豌豆の煮込み」を皿に盛る。この煮込みは料理した当日より、翌日の方が、さらにその翌日の方が、味がよく染みて美味しくなるそうである。ラードを使っているせいか、かなり脂っこかったが、それでもお代わりするほどであった。これで終わらないのが、フルコースのフランス料理である。煮込みのあとは、デザートに手焼きのパイが出る。大ぶりに切り分けられたパイを食べ終えると、コーヒー。それと、digestif(食後酒)である。強いアルコール度のdigestif(「消化を助ける」という意味)を飲むと、重く張ったお腹にスーと穴が開くような気がするから不思議である。その日は、カルヴァドス(リンゴ酒を蒸留した酒)を腹に流し込んだ。 それからは、エンドウの季節が来るたびに、フランソワーズの煮込みを思い出す。いや、前年11月に種を蒔く時すでに、来年5月の豆の煮込みを想像してしまう。そして、実際に自分でも作ってみる。ただ日本では鴨は手に入りにくいので、鶏を使って。

では、皆さんも作ってみてください。「てつがく村」の菜園では、エンドウはもうあがってしまいました。皆さんの地方でもそうかも知れませんが、少々旬とずれても「四里四方」の外からやってくるエンドウがあるでしょう。ルセット(recette レシピ)を紹介します。鴨にしろ鶏にしろ骨つきを使ってください。味に深みが出ます。

【材料(4人分)】
エンドウ1kg。バター50g。小タマネギ50g。塩。
鴨1羽。バター40g。ブイヨン2dl。

写真の拡大は、ここをクリックしてください 【調理法】
バターを溶かして、エンドウと水少々を加え、蓋をして20分間弱火で蒸し煮する。タマネギ、塩を加える。また蓋をして、十分柔らかくなるまで煮る。(焦がさないようにしてくだい!)
鍋にバターを溶かし、紐で縛った鴨を入れて、全面こんがりと焼く。ブイヨンを加え、しっかりと蓋をして弱火で蒸し煮したあと、鴨を解体して、エンドウを加える。

【フランソワーズ風にするには】
バターの代わりにラードを使う。鴨を焼くときニンニクも使う。煮込むとき香草と白ワインを入れる。ミニ人参も加える。

【写真の説明】
材料は少し変えてある。肉は、ハンバーグを豚の薄切りで包んだもの。白い野菜はジャガイモ。パンは自家製田舎パン(pain de campagne)。フランソワーズ風はエンドウの量がもっと多く、ソースも入っている。

(写真提供、およびルセット監修は、「てつがく村」内のrestaurant "NY" 。)

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てつがく村
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