てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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村便り

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村便り:2006-10-14(絶品の枝豆)
投稿日:2006-10-16(月)

大豆は田植えが終わってから蒔く。かつては畦にも作っていた。その大豆が秋祭りや稲刈りのころ枝豆として食卓に楽しみを加える。

 今週末の稲刈りを中止したので、田んぼに残っているヒエを刈り取ることにした。
 田植え後10日たって除草剤を撒く。我が家の場合、ヒエ退治が主目的であるが、完璧には除草できない。残ったヒエは、できればまだ小さいうちに抜き取って除草することにしているが、今年は穂が出るまで手を打つことができなかった。ヒエは、稲より早く穂を出し、背丈は稲より高くなる。すると稲の生育を阻害し、強風にあおられると茎が弱いので倒伏し、稲まで倒してしまう。稲刈りの時には邪魔になるし、一緒に束ねてしまえば実が米に混じる。
 だから稲刈り前に残ったヒエも除く。ヒエは穂を出すまで成長すると根が張っているので、刈り取るしかない。
 黄色の穂が垂れる稲の中を歩きながらヒエを刈った。時々、稲の穂を手にして熟れ具合を確かめると、心なしか、昨日より熟しているように見えた。9月後半からは晴天続きなので、いつまでも青かった稲もいったん熟し始めると熟れ切るまで早いのかもしれない。昼間の陽光を浴びながらザワザワザワと稲穂をかき分けながら進むと、月並みな表現ではあるが、《実りの秋》が身体に押し寄せた。

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(クリックで画像の拡大)
 今日はもうひとつの実りの秋を実感しようと思っていた。枝豆である。7月始めに種蒔きした黒豆はいまの時期に枝豆として食べることができる。今年は120株ほど作っている。枝豆として存分に食べたあとは、熟させて11月に収穫する。
 品種は丹波黒豆。大粒の品種で、熟すと表面にロウを塗ったような光沢がでる。枝豆として絶品だと個人的には思っている。これを食べると、飲み屋で出てくる枝豆は食べられなくなる。
 品種はなんであれ、枝豆はとってすぐが一番おいしい。時間が経つにつれてどんどん甘みが減少する。また、枝から切り外してしまうと甘みの減少が加速する。だから、抜き取ると葉っぱだけを切り取って、枝ごと家にもって帰る。豆は茹でる直前に枝から外す。(だから、「枝豆」という?!)
 豆は充実していた。去年は一回目の収穫時はまだ甘みが少なかったが、今年は…持ち帰った枝豆を早速茹でて夕食に食べると、絶品の、秋の味になっていた。これからしばらくは、枝豆が夕食のアントレ(かつビールのつまみ)である。
村便り:2006-10-13(稲はまだ青い…)
投稿日:2006-10-13(金)

今日からうるち米の稲刈りを始める予定だった。しかし、稲はまだ青い。刈ろうか、刈るまいか、と考え込んでしまった。

 今日はうるち米の稲刈りを始めるつもりで、昨日、一日の有給休暇を届けておいた。予定の面積は、先週のもち米の時とほぼ同じである。しかし、今日は月明かりの助けは得られない。作業が可能な最終時間を夕方6時として逆算し、午前9時に刈り取りを始めることにした。

 朝5時半に起床。身支度をしてから、その間に炊きあがっていたご飯をむすびにした。それを弁当箱に夕飯のおかずの残りと一緒につめた。

 田んぼに到着したのは8時。稲穂は朝露にぐっしょりと濡れていた。熟れ具合を最終確認する。が、思ったほどには熟れていなかった。亡き父から教えてもらった刈り取り適期は、穂の軸が先から1/3から1/2黄変した時(インターネット上の情報には、2/3としているものがあった)。まだ先端しか黄変していない。よく熟れたものでも1/3に達していなかった。うるち米を栽培している4枚の田んぼを全部確認するが、いずれも同じ状態。1/3程度黄変なら刈るつもりだったが、青い穂軸を見てはたと考え込んでしまった。
 隣の、他家の田んぼの熟れ具合も同じ程度であった。同じ品種で田植え日も同じであったから当然であろう。ところが、バインダーの入り口になるところが一部、手刈りしてある。今日刈るんじゃろうか、といぶかしく思い、その家に行って確かめることにした。
 主人は出かけており、10時前に帰ってくる、とのこと。その時間まで畑で簡単な作業をしてから、また訪ねた。私より10歳年上の彼もやはり稲刈りをためらっていた。結局、今度の日曜日にある祭りが終わってから始めることにした、と言う。
 「マスヤに訊いたら、熟れそうでいつまでも熟れん年がある、ゆう[言う]わい。熟れるごろになって雨が降ったけぇかのぉ。」と彼は説明した。稲の登熟は積算日照時間の影響が強い。今年は稲の生育期間に雨が多かった。夏に一度も溜め池の水を抜かなかったが、そんな年は珍しい。稲はもう少し日光を浴びたいのかもしれない。
 彼の家を再度訪ねる前に、今日の稲刈りはやめることに決めていた。彼と話をして、その決心を固めた。あと一日二日で一挙に熟すことはないから、稲刈りはそっくり一週間後に日延べせざるをえない。稲刈りは今週末と来週末との二回に分けてすることしていたから、来週は今週分も含めて、かなりきつい仕事量になるだろう。

 玄関の上がり口に坐ってコーヒー一杯をいただいたあと、休暇をとったはずの職場に向かった。
村便り:2006-10-07(月明かりの稲架掛け)
投稿日:2006-10-11(水)

もち米の稲刈りをした。作業は日没までに終わらず、満月に照らされて稲架掛けをした。

 昨日は仲秋の名月。今夜は満月である。しかし都会に住んでいると月を意識することはほとんどない。

 今日はもち米の稲刈りをした。もち米はうるち米に比べると熟すのが少し早い。いずれも八月半ばを過ぎると出穂するが、もち米のほうが三、四日早い。そのぶん登熟も早いというわけである。もう少し熟させてもいいかな、という熟れ具合だったが、刈り取り後すぐに乾燥機にかけるコンバインでの稲刈りではなく、後熟が期待できる稲架掛けをするバインダーでの稲刈りなので、予定通り実行することにした。

 もち米は3畝(300m2)作っている。その面積であれば、刈り取りから稲架掛けまで二人でやれば、去年の経験によると、四時間ほどである。今年は一人での作業だから、まる一日かかると計算した。
 日没までに仕事をおえようとすれば、朝の8時から刈り取りを始めなければならない。しかし、一人なので好きな時間に始めることができる。また、百姓仕事は息の合う相棒とやると、心も軽くなるし能率も上がるものであるが、一人だとついつい億劫な気分が足を引っ張る。そんな心理から、家を出るのが遅れ、稲刈りを始めたのは11時半だった。

 村に着くまでは気乗りしないままだったが、いざ仕事を始めれば嫌気は吹っ飛んでしまうものである。2時間で刈り終え、昼食後、稲架を組み立てた。そして、その周囲に刈り取った稲束を集めると、稲架掛けの準備完了。稲を掛け始めたのは17時半ごろ、日没直後であった。

のぼり始めた満月
(クリックで画像の拡大)
のぼり始めた満月(18時20分)。写真では月は輪郭がぼけているが、実際には夜空にくっきりと浮かんでいた。
もち米の稲架
(クリックで画像の拡大)
前日掛け終わった稲架を翌日に写した。
 今日中に全部掛けてしまいたい。でも日が暮れてしまう。しかし、私は焦らなかった。作業工程に今夜の満月が織り込まれていたからである。
 満月は日没しばらくして、東の空からのぼる。雲のない日なら、太陽に代わって月が野良を照らしてくれる。コンバインなどの機械操作は無理だとしても、稲架掛け程度になら十分な明るさである。
 夜になるとさすがに気温が下がり、寒いほどであった。日本の米は秋の収穫期に夜寒にあうのでおいしくなる、と本で読んだことがある。その話が事実かどうかは知らぬが、感覚的には肯ける。野良にいると薄暗い冷気に身震いをする。稲もまた実を引き締めてキラリと結晶するのだろう。
 満月に照らされながら作業を進めている最中、ふと暗くなる。反射的に空を見上げると月が雲に隠れている。月夜では、日中と違い、まわりのわずかの変化でも体が反応する。稲束をひとつひとつ摑み上げてはナルに掛けながら、従姉の昔語りを思い出した。「近代化」以前には、農家は月齢をも勘定にいれながら働いていたのである。

 稲架掛けを完了したのは夜8時前であった。
村便り:2006-10-04(広島菜)
投稿日:2006-10-06(金)

久しぶりに広島菜を蒔いた。広島菜は《広島菜漬》の原料である。

 昨夜テレビのローカルニュースを眺めていると、「…広島菜を植えました」というアナウンサーの説明が耳に入った。「広島菜」という言葉にひかれて画面を見ると、幼稚園児たちが映されていた。「植える?苗を定植したのだろうか?」と気になり、画面を追っていると、種が蒔かれたポットが映し出された。「…苗を定植して、来年2月に収穫して漬けます」と説明が流れた。
 広島菜は百姓を始めた当初は蒔いたが、もう長いこと作っていない。しかし、漬け物にするかどうかは別にして、あの、緑の濃く、歯ごたえのある広島菜をまた作ってみたい、と思って種は買っておいた。ところが作ることが習慣になっていないので、すっかり種のことを忘れていた。ニュースは、その種を思い出させてくれたのである。

 夕方、帰宅途中に畑に寄り、広島菜を蒔いた。日没は日に日に早くなり、夕方の作業はやりづらくなった。小さな種が夕闇に紛れてしまわないうちに、なんとか種蒔きをおえることができた。それからついでに、暗がりの中、すでに野菜が生育している畝での中打ち[「なかうち」。普通、「中耕」と言われる作業で、株間の土を鍬で軽く掻くようにして耕し、水をしみこみやすくしたり、除草をしたりする]少々と、白菜の追肥をしてから帰宅した。

 広島菜漬はやったことがない。私が手がけている漬け物は、沢庵漬と白菜漬である。白菜漬けは春先まで、12月に漬ける沢庵漬は5月まで食べる。広島菜漬に関しては、漬ける時期とか保存できる期間とかは知らない。しかし、テレビのニュースから推測するとおそらくこうである。
 秋蒔きで春先まで育てる。大株になったところで、薹立ちの始まる前に漬け込み、おそらくは春から初夏にかけて食べる。夏越しできる、という話も聞いたことがあるので、塩加減を調節すれば古漬けとしても利用できるのかもしれない(*)。
 ともあれ、これから久しぶりの広島菜が生育するのが楽しみである。
(*)【追記-記事を書いてから調べてみました-】
『日本の食風土記』と題する本をめくってみると広島菜漬についての簡単な紹介が載っていた。11月末に漬けて6月まで食べる、とある。
 インターネット上には、広島菜の産地、広島市安佐南区川内では、9月25日ごろ種蒔きし、12月初旬から収穫する、との情報があった。テレビで紹介された幼稚園児や私のように10月始めに種蒔きすると、おそらく収穫できる大きさになるのは2月になるだろう。
村便り:2006-10-02(レンゲ)
投稿日:2006-10-04(水)

久しぶりにレンゲの種蒔きをした。来年の晩春から初夏にかけて、休耕田はレンゲの花盛りになるはずである。

 私が小さいころは、レンゲの咲く田んぼは普通の風景であった。しかし今では珍しい。
 稲作の近代化により、田植えは手植えから機械植えになった。すると、機械植えでは幼苗を使うので、少なくとも20日田植えが早まる。実際には1カ月は早くなっている。だから、たとえレンゲが育っていたとしても、花が咲く前に荒起こしで鋤きこんでしまわねばならぬ。
 また、牛耕から機械耕になると、稲刈り後、年内に一回耕起するのが普通になった。冬の間また耕起する人もいる。すると、たとえレンゲが発芽していても育たない。
 それにそもそもレンゲのように、扱いに手間がかかる緑肥を使わなくても、肥料は、有機肥料でも化学肥料でも簡単に買える。
 そのような理由でレンゲの風景は珍しくなった。

レンゲの種
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レンゲの種。レンゲの種は硬くて小さい。
稲刈り前の田んぼ
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早朝、空にはまだ昨日の雨の名残があった。
 今年は田んぼにレンゲの種を蒔いた。一日雨の降り続いた日曜日の翌日である今朝である。
 レンゲは何年かぶりである。以前は、翌年休耕する予定の田んぼに花を楽しもうと蒔いた。稲刈りは委託していた。コンバインでの稲刈りなので、同時に切り藁が田んぼ全面に散布される。すると稲刈り前に蒔いておいたレンゲは、藁に邪魔されて発芽が悪くなる。このことを知らず、失敗したことがあった。発芽率を高めるためには、わざわざ藁を取り除いてやらない。だから、レンゲを二、三回蒔いた後やめた。しかし、今年からは自分でバインダーを使って稲刈りをする。藁は脱穀した後、カッターで切る。だから、田んぼに切り藁を撒かないこともできる。そこでレンゲを蒔こうと思い立った。
 レンゲは田んぼの水を落とした後、稲がまだ立っているところに蒔く。朝はまだ前日の雨のため、稲は濡れていた。そこで下半身にカッパをつけて田んぼに入り、稲の上にふりまいた。こうすれば、種が落ちた地面は湿り気が保たれているので、稲刈りのころにはもう発芽が始まっている。

 今回は2枚の田んぼに蒔いた。1枚は、レンゲを緑肥として使う実験のため、来年休耕予定のもう1枚は、花を咲かせて楽しむため。田んぼの広さは共に3畝(300m2)で、種は各々1kg使った。

 緑肥にするとは、すなわち、有機的栽培の試みである(有機《的》とニュアンスをつけて書いたのは、穂肥[出穂約二週間前に施す追肥]には化学肥料を使うため)。ところが、レンゲの種の生産地は中国。私の考える有機栽培の意義によれば、、輸入種は矛盾である。皮肉の種を蒔き終わると、職場に向かった。
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