てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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村便り:2007-03-11(日) (スナップエンドウのウロ立て)
投稿日:2007-03-14(水)

 昼前に畑に到着。早く到着すれば、畑仕事のほかに、田んぼでも仕事をするつもりであったが、この時間に到着では、畑仕事だけで日が暮れそ...

 昼前に畑に到着。早く到着すれば、畑仕事のほかに、田んぼでも仕事をするつもりであったが、この時間に到着では、畑仕事だけで日が暮れそう。

 畑仕事としては、スナップエンドウのウロ[支柱]立てを予定していた。エンドウは、実エンドウとスナップエンドウを作っている。普通、実エンドウの方が生育がいい。今年も実エンドウのウロを先に(二週間前に)立てた。エンドウは、それぞれ40個所に種蒔きをしている(一ヶ所に4粒)。これだけの作付け数だとウロ立ては、それぞれ、たっぷり半日はかかる。

 ここ一週間は寒い。今日も気温が低いうえに風が強い。ウロ立てを始めると、畑の隣に住む従姉が家から出てきた。エンドウは自然畝に作っている。スナップエンドウは彼女の目につく畝に作っていたが、草が生えているため、気づかなかったらしい。「そこに植えとったんね。うちの(エンドウ)はまばらにしか発芽しとらん。」と彼女。「うちのは、ええがいに[いい具合に]芽が出とるで。草と一緒じゃけん、寒さにやられんかったんじゃろう。」と私。彼女は「うちも昼からウロを立てようかの」と言ってまた家に入った。

 一ヶ所に4粒蒔いたエンドウは、ウロ立ての時に間引いて2本にする。暖冬だったせいか、実エンドウもスナップエンドウも発芽率と冬の間の生育がよかった。今までだと、株の欠けるところもあったが、今年は、全個所、2本立てにできた。

 昼から作業を続けていると、隣のおばあさんが畑に出てきた。しばらく作業をしていたが「今日はさぶい[寒い]。昼からはどうかの思うて出てきたが、いぬる[帰る]。」と私に言って家に帰っていった。結局、従姉も、寒いからだろう、畑に出てこなかった。時間的な余裕があれば、私もウロ立てを中断して帰りたかったが、震えながら作業を続け、夕方、ウロを完成。

(スナップエンドウのウロの写真はありませんが、実エンドウのと基本的には同じ作りです。実エンドウのウロの画像は「村便り:2007-02-25(エンドウのウロ立て)」にあります。)
村便り:2007-03-10(土) (温床育苗の開始)
投稿日:2007-03-12(月)

 朝、確認したところによると、雨が降るのは夜になってから、との天気予報だったので、午前中は雑用をして、午後、農作業をすることにした...

 朝、確認したところによると、雨が降るのは夜になってから、との天気予報だったので、午前中は雑用をして、午後、農作業をすることにした。ところが、昼頃から雨が落ちだした。作業はポットへの種蒔きなので小屋でもできる。そこで、予定通り、畑に行った。

藁を踏み込んだ温床
(クリックで画像の拡大)
藁を踏み込み終わった温床。
 藁は200束、乾燥鶏糞は13kg、米ぬかは鶏糞とほぼ同じ容量(重量ではない)を使った。藁の厚さは40cmほどになった。温床の底面積は、240cm×85cmである。温床には、右の畝のように、ビニールで被覆する。(ただし右の畝は、ビニールで保温しているだけの普通の畝。)
温床に入れたポット
(クリックで画像の拡大)
温床に入れたポット。
 写真に見えているポットは、ナス科の種を蒔いたもの。ナス科は好暗性の発芽をするので、保温目的で発芽までカマス[藁むしろで作った袋]を被せてある。写真は、カマスを半分開いた状態。
 写真は、種蒔きの翌日に撮った。藁を踏み込んでちょうど三日目。藁は発酵を始めていた。地温計ではかると藁の中は40℃まで上昇。
 3月7日午後と8日午前を使って、温床に稲藁を踏み込んだ。踏み込んで三日ほどすると藁の発熱(発酵)が始まる。週末に種蒔きをするつもりで、週半ばに踏み込んだのである。

 踏み込む材料は藁や雑草で、主体は藁。雑草は春になって畑に生えてきたものを抜いて使うが、今年は、抜く暇がなかったので、藁だけを使った。それに《発火剤》として、乾燥鶏糞と米ぬかを混ぜる。材料が乾燥していれば灌水する。《発火剤》は窒素を含んでいれば、他のものでも利用できる。化学肥料でもいい。水代わりをかねて、下肥を注いでもいい。

 去年までは、藁は押し切りで裁断していた。押し切りを使うと労力と時間がかかるので、時間に追われる私の場合、踏み込み量が少なくなる。その分、発熱量が少ない(はずである)。しかし、今年は《新兵器》の藁切り機がある。そのおかげでたっぷりと藁を踏み込むことができた。だから、今年は発熱量が増え、発熱期間が長くなるだろうと期待している。

 今日はまだ発熱は始まっていなかった。しかし、まもなく始まるはずだから、種蒔きしたポットを温床に入れることにした。育苗の第一弾は、ナス、甘トウガラシ類(伏見甘長トウガラシ、万願寺トウガラシ、ヒモトウガラシ)、ピーマン、パプリカ(カラーピーマン)、ブロッコリー。これから四月始めまで、温床で育苗する野菜の種蒔きが続く。

【踏み込み温床に関する今年の記事】
「村便り:2007-02-20/21(温床の準備/エシャロット)」
「村便り:2007-02-24(温床の《壁》を藁で編む)」
村便り:2007-03-04(日) (荒起こし)
投稿日:2007-03-10(土)

昨秋の稲こぎ以来はじめての荒起こし

 午前中は、昨日もって帰った自転車と子ども用の自転車で、子どもと一緒に《サイクリング》。もって帰った自転車は私が二十年近く前に買ったマウンテンバイクである。子どもが乗れるようになってからは、村の屋敷に置いて子どもに使わせていた。そして、四月から子どもが通学に使いたい、というので、再び街中の自宅にもって帰ったのである。《サイクリング》は通学路の試走。子どもはマウンテンバイク、私は窮屈な子ども用自転車で自宅と学校の間を往復した。時間的に、また疲労度からして、通学できない行程ではなかった。あとは学校側の指示(たとえば通行禁止道路)を考えて、自転車通学の件を最終判断することした。

 午後は家族で畑に行った。私は田んぼで荒起こし。今夜は雨が降る予報なので、今日中に昨日までに藁を散布した田んぼを耕起しなければならない。さもなければ、今でも時期をはるかに逸している荒起こしが、さらに遅れてしまう。できれば、去年は稲を休んだが今年は作る田んぼも耕起したいが、朝から仕事を始めていればまだしも、午後だけでは時間的には無理。

荒起こし
(クリックで画像の拡大)
大町を荒起こしするトラクター
 ダブの大町から始めた。最近一週間は晴れの日が続いているが、ダブはウワコウダ[斜面にある田んぼに関して、その田の上側を言う]は土が、いつも上から流れ込む水のせいで軟らかい。だから、トラクターを入れるのは神経を使う。下手をするとスタックしてしまうからである。耕耘機のスタックなら一人でも対処できるが、トラクターになると、少なくとも他のトラクターの助けが必要になる。

 最初はウワコウダを《攻め》た。危ない、と思われる個所は、後退で入ってから鋤き始める。前進で入るとトラクターが埋まりこみだしたときには逃げようがない。後退で入れば後輪(前輪より後輪の方が大きい)の沈み具合でスタックの危険を判断できる。三年前の冬に初めてトラクターを使った時に比べれば、判断がかなり確実になった。最初の頃はタブ気たところに入ると、まるで薄氷の上にいるような気分になり、過度に緊張していたが、今は自分の判断を信頼できる。

 五時までには、藁を撒いた三枚の田んぼを起こし終えた。田んぼから出るときは、ロータリーの泥よけにへばりついた泥と車輪の凹部分に挟まった土を落とす。作業を終わるとすぐにトラクターを田んぼから上げ、農道に泥をまき散らしながら帰る人もいるが、私にはそれができない。もう亡くなった私の遠縁で、泥をまき散らすのを嫌う人がいた。道(舗装路)に泥を落とすとそこに草が生える、というのが、几帳面な性格の、その人の言い分だったように思う。むろんまき散らされた泥は《美しく》はない。それ以上に、私は、土あっての田んぼであり畑である、と考えているので、土を粗末にしたくない。隣のおばあさんが、自分が土を片づけていたら、おじいさん(おばあささんの主人で今は故人)が「そんなケチなことはするな、土が惜しいように見える」と言った、と恨めしげな口調で私に言ったことがあるが、私は土に関してはケチであることを憚らない。トラクターの泥を落とすと、私は屋敷に急いだ。

 トラクターにしろ鍬にしろ農機具は使った日に洗うことにしているが、今日は田んぼから直接、農機小屋にトラクターを入れた。畑で待っていた子どもとの約束を果たすためである。
村便り:2007-03-03(土) (今日も藁切り・藁撒き)
投稿日:2007-03-07(水)

 木曜日に田んぼで藁切りを行なったが、まだ藁を全部は撒いていないし、またダブ[湿田]の大町[普通、各家で一番広い田んぼをこう呼ぶ]...

 木曜日に田んぼで藁切りを行なったが、まだ藁を全部は撒いていないし、またダブ[湿田]の大町[普通、各家で一番広い田んぼをこう呼ぶ]では藁を切ってさえないので、今日は木曜日からの作業を続けた。

 午前中はダブの大町で藁切りと散布。今日は子どもがついてきた。母親が所用で一日中家にいないからである。子どもだけを屋敷に残して、私だけが田んぼで作業することもできたが、子どもを誘った。藁切り機で藁を切る作業はきっと子どもが面白がるだろうし、フォークを使って藁を散布する作業も、いままで何度か経験があり、それなりに楽しむだろう、と考えたからである。子どもは自転車、私は藁切り機を積んだ軽トラックで田んぼに向かった。

 私が藁束を再配置し終えるまで、子どもには草焼きの番をさせた。田んぼの隅には、稲刈りの時に刈り除けたヒエが重ねたままにしてあった。それに火を放ち、あとは子どもに任せたのである。再配置すると、子どもと一緒に藁切り。切り終えると、子どもと私は各々フォークを一本もって、藁撒き。

藁を撒く
(クリックで画像の拡大)
大町での藁撒き。
 切った藁を田んぼ全体に広げると、藁がまだ生の状態であることがよく分かる。藁は腐熟してくると白っぽくなる。束のまま積み重ねていた藁は、表層の藁こそ白っぽくなっているが、下に重なっていた藁は生の、黄色っぽい色をしている。
 作業をしながら、私より年長の人が言っていたことを思い出していた。おそらくは戦後しばらくまでのことであろう。子どもは農作業の手伝いをするのが普通のことだった。だから、遊んでいると「ふう[体裁]が悪りいけん、手伝いしよる真似でもしてくれ」と言われたそうである。私が子どもの頃は、もうそんな時代は過ぎ去りつつあった。今は農作業の手伝いをする子どもはまずいない。私も子どもに手伝わせるのは、子どもが楽しむような作業だけである。

 13時を過ぎてやっと作業を終えた。村の食堂で昼食。

 午後は、木曜日に藁切りをした大町で藁を広げる。午前中、手伝いをした子どもはさすがに疲れた(嫌になった?)らしく、一人で屋敷に残った。一人で作業をするとやはり時間がかかった。作業時間からすると、午前中、子どもは半人前以上の仕事をしてくれたことになる。それだけの助けができれば立派な働き手である。

 17時ころ仕事仕舞い。明日のため、軽トラックに自転車を積んで帰宅。
村便り:2007-03-01(藁の切断)
投稿日:2007-03-06(火)

 今日は一日休暇を取って農作業。 昨秋、稲の脱穀が済んだあと、田んぼでの作業は一度もしなかった。田んぼには藁が脱穀時のまま放置して...

 今日は一日休暇を取って農作業。

 昨秋、稲の脱穀が済んだあと、田んぼでの作業は一度もしなかった。田んぼには藁が脱穀時のまま放置してあった。踏むべき手順に従えば、藁は切断して、年内に浅く鋤きこむ。すると翌春の荒起こしまでには藁は腐熟して、その年の稲作のための肥料になる。しかし、その手順を踏めなかった。理由は、藁を切断して田んぼ全面に撒くのが遅れたからである。

藁切り機-後ろから
(クリックで画像の拡大)
藁切り機。
 藁は一束ずつ投入する。機械の馬力が小さいので、束の尻を押す様にして勢いをつけてやらないと、束が途中で詰まり、機械が止まることがある。投入された束は、切断されて、向こう側の口から排出される。
藁切り機-前から
(クリックで画像の拡大)
藁切り機を前から見たところ。
 最初は作業の要領が分からなかったので、脱穀したところに置いてあった藁束をその場所で切断した。しかし、切断して溜まった藁は、今度はフォークなど使って全面に散布しなければならない。その手間を考えれば、藁束は、切る前に田んぼのあちこちに運んでおいた方がいい。藁切り機の背後に二列に藁束の塊が並んでいるのは、そのように考えて運んだからである。藁は、藁切り機を後退させながら、切断していく。
 機械の左右に藁を二列に並べたのは理由がある。身体の左右を偏りなく使うためである。
 最近、太極拳のお師匠さんが書いた短い論文を読んだ。論文は、太極思想が太極拳の動作にどのように反映しているかを「雲手」という型を素材に検討したものである。その論文で、右手と左手、右足と左足という二対の身体部分が陰・陽に配されている、と指摘してあった。そのくだりを私は勝手に解釈して、要するに左右バランスよく使えば、身体の力を有効に使え、かつ身体に負担をかけない、と読み、藁切り作業に《活用》した。
 藁切り機の投入口に向かって足を広げて立つ。足の位置は動かさず、たとえば右側の藁束をとるときには、右足を曲げ(左足を伸ばし)、右手で掴む。掴むと今度は左足を曲げ(右足を伸ばし)ながら、身体を投入口の位置にもっていき、右手で藁を投入し、さらに左足を曲げながら、今度は左側の藁束を左手で掴む。このように、身体を左右左右とリズミカルに動かして作業を進める。
 農作業では、偏った動きが多いため、しばしば身体の片側を痛める。しかし左右偏らずに使った今回の藁切り作業では、心地よい体操をしているかのような感覚を覚えさえした。「よし、今度お師匠さんにあったら、この話をしよう!」なんて思いながら、「右左、右左。陰陽、陰陽。」と頭で唱えて作業をした。(お師匠さま、太極拳の低レベルな《活用》で申し訳ありません m(_ _)m)
 昨秋の「村便り」にも書いた様に、去年から稲作は完全自立した。収穫は、コンバインで稲刈りし、天日干ししてから脱穀する、という伝統的な手順で行なった。ハーベスター(脱穀機)は、脱穀と同時に藁を切断する機能をもっているものもある。しかし、我が家のハーベスターは旧式の貰い物なので、藁切り機能はついていない。その代わり、ハーベスターと一緒に、単体の藁切り機を貰った。ハーベスターも藁切り機も、ある農家で放置してあったのを見つけて貰って来てくれたFさんの家の小屋に置いてあった。ハーベスターは脱穀期に引き取った。だが、藁切り機の方は、同時には引き取らなかった。脱穀が終わると、稲作に向けられていた気が緩んだ一方で、別の農作業に追いかけられ、それに、藁切り機が手元にないことも手伝って、藁切り作業は、気にはなっても絶えず先送りしていた。そして、とうとう春になったのである。

 藁を焼却しようかとも考えた。春に鋤きこんでも、田植え時期までには腐りきらず、水を張った田んぼの中でなおも腐熟が進行するため、稲の幼少期にガスを発生させる。ガスは稲の生育のためにはよくない、と言われている。しかし去年は四月になって初めて田起こしして藁を鋤きこんだため、ガスが発生したが、そのために稲の生育がとくに悪かった、ということはなかった。今年は去年に比べればまだ一カ月早い。そこで、意を決して、藁切りをし、さらに週末に鋤きこむことにした。

 午前中、Fさんの小屋から藁切り機を引き取り、作業を始めた。機械は、操作が簡単なので、すぐに慣れた。二区画の田んぼで藁切りを行い、夕方、そのうちの狭い方の田んぼで藁を全面に散布した。

 散布作業をしているとNさんが農道を通りかかった。彼は毎日この時間に犬の散歩をして、途中で自分の田んぼの様子を見る。彼の家の田んぼは私の家の田んぼと農道を挟んで隣である。Nさんと私は、私のやっている作業について短い会話を交わした。Nさんは「今から鋤いても[田植えまでに]腐るかのぉ」と心配そうに言った。「ガスが出るかもしれんの。去年もガスが出たけん。」と私。Nさんは、不安を煽りすぎたかもしれないと考えたのか、「まあ、ひとりじゃけん、やれん(*)よのぉ。ゆっくりやりんさいよ」と私の事情を気づかうような言葉を残して去っていった。
(*)「やれん」は、文字通りには「できない」という意味だが、「できないほど大変である」という意味で用いる。

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