てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2007-03-03(土) (今日も藁切り・藁撒き)
投稿日:2007-03-07(水)
 木曜日に田んぼで藁切りを行なったが、まだ藁を全部は撒いていないし、またダブ[湿田]の大町[普通、各家で一番広い田んぼをこう呼ぶ]...

 木曜日に田んぼで藁切りを行なったが、まだ藁を全部は撒いていないし、またダブ[湿田]の大町[普通、各家で一番広い田んぼをこう呼ぶ]では藁を切ってさえないので、今日は木曜日からの作業を続けた。

 午前中はダブの大町で藁切りと散布。今日は子どもがついてきた。母親が所用で一日中家にいないからである。子どもだけを屋敷に残して、私だけが田んぼで作業することもできたが、子どもを誘った。藁切り機で藁を切る作業はきっと子どもが面白がるだろうし、フォークを使って藁を散布する作業も、いままで何度か経験があり、それなりに楽しむだろう、と考えたからである。子どもは自転車、私は藁切り機を積んだ軽トラックで田んぼに向かった。

 私が藁束を再配置し終えるまで、子どもには草焼きの番をさせた。田んぼの隅には、稲刈りの時に刈り除けたヒエが重ねたままにしてあった。それに火を放ち、あとは子どもに任せたのである。再配置すると、子どもと一緒に藁切り。切り終えると、子どもと私は各々フォークを一本もって、藁撒き。

藁を撒く
(クリックで画像の拡大)
大町での藁撒き。
 切った藁を田んぼ全体に広げると、藁がまだ生の状態であることがよく分かる。藁は腐熟してくると白っぽくなる。束のまま積み重ねていた藁は、表層の藁こそ白っぽくなっているが、下に重なっていた藁は生の、黄色っぽい色をしている。
 作業をしながら、私より年長の人が言っていたことを思い出していた。おそらくは戦後しばらくまでのことであろう。子どもは農作業の手伝いをするのが普通のことだった。だから、遊んでいると「ふう[体裁]が悪りいけん、手伝いしよる真似でもしてくれ」と言われたそうである。私が子どもの頃は、もうそんな時代は過ぎ去りつつあった。今は農作業の手伝いをする子どもはまずいない。私も子どもに手伝わせるのは、子どもが楽しむような作業だけである。

 13時を過ぎてやっと作業を終えた。村の食堂で昼食。

 午後は、木曜日に藁切りをした大町で藁を広げる。午前中、手伝いをした子どもはさすがに疲れた(嫌になった?)らしく、一人で屋敷に残った。一人で作業をするとやはり時間がかかった。作業時間からすると、午前中、子どもは半人前以上の仕事をしてくれたことになる。それだけの助けができれば立派な働き手である。

 17時ころ仕事仕舞い。明日のため、軽トラックに自転車を積んで帰宅。
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