てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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村便り:2007-12-16(日) (蕎麦の実の「磨き」)
投稿日:2007-12-17(月)

一日人間ドック 昨日、12月15日は一日人間ドック入り(実質は、半日ドック)。三年前から、職場の健診の代わりに、人間ドックでの健診を受け...

一日人間ドック
 昨日、12月15日は一日人間ドック入り(実質は、半日ドック)。三年前から、職場の健診の代わりに、人間ドックでの健診を受けるようになった。それまでも一年置きに人間ドック入りしていたが、一年置きを毎年に変えたのは、家族の健診を促すためがあった。ma femme は専業主婦的状況にあるので、定期健診は強制されない。しかし年齢から考えれば、定期的な身体のチェックは望ましい。腰の重い彼女を自分が受診することで動かそうと考えたのだ。

 例年、8月終わりにドック健診を受けていたのだが、今年は申し込みが遅れたため、この時期になった。今まで通り、結果は、問題なし、だったが、8月と12月の時期の差は体重差にあらわれた。8月は農耕のシーズンの只中で、暑さの中で長時間農作業することが多い。栄養摂取量より消耗量が多いので、結果として、体重が減少する。冬は作業量が減るし、食欲も旺盛になる。夏冬の体重差は3kgほどになる。冬の体重増は脂肪分が寄与しているので、体脂肪率も増加していた(私は体脂肪率は低い)。

 昼は、健診施設でもらった食事券を使って ma femme と一緒に食事。午後は、農作業には行かないことにして、一人で本屋廻りをしてから帰宅した。夜、ma femme がぽつり。「久しぶりに一日中家にいたね。」家にいた、ではなく、ma femme と一緒にいた、と言う方が正確である。週日サラリーマン、週末百姓の二重生活者にとって、たしかに滅多にないこと。のんびりした一日であった。

 さて、日曜日の今日。私は、昨日と性格が一変し、苛々こせこせ動き回る週末農夫に戻った。

 メインの作業は蕎麦の「磨き」作業。「磨き」という言葉は、インターネット上の知友人(知人のようであり、友人のようでもあり…)、ムーさんのブログで知った。蕎麦は脱穀して篩や実でゴミを除いたあと、「石抜き」と「磨き」の工程を経て、粉にする。

「石抜き」

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本文にある(3)の工程。脱穀した蕎麦からゴミを除く最後の工程。
 作業しているところは自然畝。

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(3)の工程で10kgの玄蕎麦からでたゴミ。

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水選/洗の工程。ゴミと未熟蕎麦が浮かんでいる。

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水に沈んだ実を洗って篩に移し、水切り。
 「石抜き」とは、実に混入している石や泥を除く工程。機械化された工程では専用の機械はあるようだが、すべて手作業の私は、その工程を特別には設けない。脱穀した実を、
(1)まず目の粗い篩で大きなゴミ(蕎麦の葉や枝)を除き、
(2)ついで箕を使って、残ったゴミを除く。
(3)最後に、目が、蕎麦の実より小さい篩を使って、小さなゴミ(葉っぱが微塵になったものとか、雑草の実とか、昆虫や昆虫の幼虫が残した糞とか)を振るい落とす、
という三工程の(2)と(3)で「石抜き」ができてしまう。とくに(3)のときに、篩に入れる蕎麦の量を少なくすれば、石や泥は発見しやすい。

私流「磨き」すなわち水選/洗
 ムーさんのブログで初めて知った「磨き」はどうやら「蕎麦の実についている汚れや泥を磨き落とす」工程のようである。これにも専用の機械があるようである。
 私は「磨き」という言葉と工程を知る以前に、今年は製粉する前に蕎麦の実を洗ってみようと考えていた。そう考えるきっかけになったのは、種蒔き前に、種を塩水で選別した経験である。塩水(塩10%)の場合、目視によると半分ほどの実が水面に浮かんだ。そこで真水だと、未熟な実と細かなゴミが浮かぶはずである、と考えた。去年の種を使って実験したところ、予測した通りになった。粉にして茹でると、汚れや泥が微量混入していたとしても健康には関係ないとは思ったが、今年は、昨今の食品偽装事件に触発されて、製粉工程を衛生的に管理しようと考えた(なんてことは、嘘! で、動機はたんなる好奇心)。
 ということで、今日は「磨き」目的で、蕎麦の水選/洗をしてみた。

今年の収量
 まず、脱穀しておいた実を全部、(1)から(3)の工程を通して、ゴミ除けと石抜きをした。今年の収量をはかると、10kgだった。一升枡一杯の実が1.1kgで、全部で1斗あったので、こういう計算になった。播種量は1kgだから、10倍に増えたことになる。今までで一番収量が多いが、栽培の仕方次第ではまだ伸びるかもしれない。

「磨き」は成功!?
 ついで水選/洗。水が八分目まで入ったバケツに一升枡一杯の実を入れた。そして浮かんだ未熟実とゴミをすくい取り、沈んだ実を軽く洗った。それを目が一番小さい篩に流し込んだ。水を切った蕎麦は、自宅に帰って、梅干しを干す竹製のざるに広げて乾かした。
 竹ざるの蕎麦を確認したところ十分に「磨か」れている様子。作業は手早くやったので、水がなかまでしみ通ってはいないと思われる。したがって、私流の「磨き」は成功、と言えそうである。

 さあ、どうでしょう、ムーさん。
村便り:2007-12-09(日) (田んぼで冬支度 - 里芋類と大豆)
投稿日:2007-12-10(月)

 昨日に続き冬支度。大豆を叩き、赤タマネギを定植する予定。それが予定ではあるが、赤タマネギの方は来年の二月に定植しようか、という気...

 昨日に続き冬支度。大豆を叩き、赤タマネギを定植する予定。それが予定ではあるが、赤タマネギの方は来年の二月に定植しようか、という気持ちが最初から動いた。

里芋類の防寒
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 里芋類の防寒。
 里芋は寒さに弱いので、掘りあげて室に入れるか、圃場で対策を講じるかしないと、冬のあいだ保存できない(*)。父は畑に穴を掘って、株ごと逆さにして入れていた(室での保存)が、晩年は圃場で株にスクモをかけていた。わたしは、父の晩年の方法を継承している。
 写真でスクモがかかっているのは、左側は子芋の種芋株、右側は八つ頭の種芋株。右側の畝の中程に、京芋の種芋株があるが、スクモが足りなかったため、藁束で覆った。
 三月半ばに種芋株を掘りあげるまでに食べる株は、当面は雑草に「防寒」してもらうことにする。

(*)ある人から、大量のスクモの中で株を保存する、という話を聞いたことがある。昔は、床下に作った室にスクモを入れて、サツマイモを保存していたから、類似の方法で里芋を保存できて不思議はない。
里芋類の防寒
 道具を荷台に積み、軽トラックで田んぼに向かった。大豆を叩く前に、里芋類を防寒した。里芋類は、今年は、子芋(子芋と孫芋を食用にする里芋)、八つ頭、京芋を作った。防寒するには、畝にスクモ[もみ殻]を被せるのだが、畝全体を覆うほどスクモのストックがない。そこで種芋にする株だけを防寒することにした。残りは、近いうちに新米を精米するので、そのときに出たスクモを被せてやるつもり。

大豆を叩く
 ついで大豆を叩く(*)。
(*)大豆を叩いて莢からマメを出す作業をしていると「こなす」という言葉が頭に浮かぶ。このような作業をすることを「こなす」、今の場合では「大豆をこなす」とこの辺りでは言うのではないかと思うが、自信がない。

 今年作った黒豆、青大豆、鞍かけ豆のうち、青大豆は抜く前に鞘が弾けてしまった。いままで経験しなかったその出来事のゆえに、稲架に干したまま三週間が経過した黒豆と鞍かけ豆が気になっていた。干してからは遠望することはあっても近くから様子を確かめたことがなかったので、もしかすると豆が弾け散っているのではあるまいか、と想像したりもした。

 大豆は案じた状態にはなっていなかった。すると、青大豆は鞘が弾けやすいのだろうか? 抜かないと弾けやすく、抜いて干すと弾けにくいのか? それとも、今年の偶然の条件ために弾けたのだろうか? …よく分からない。

 稲架がたててある田んぼにビニールシートを敷いて作業をはじめた。今日は晴れて暖かい。しかも、広々と開けたところで作業をすると心まで広がり、明るい気分になった。昨日感じた心の萎えはどこへやら。

 まず鞍かけ豆を叩いた。この豆は弾けやすい。ついで、黒豆。鞍かけ豆に比べ、株は大きく(大きくなりすぎると葉が繁るだけで、豆がつきにくいので、主枝の芯止めはしたが)、鞘もかたい。叩く道具は木槌と、仕上げに、まとりを使うが、木槌は重量がある。右腕が疲れ、痛くなった。

 叩いた大豆はゴミが混じっている。今日は風がないので、ゴミを飛ばすのに箕は使いにくい。そこで篩を使った。まず大きい目の篩で、大きなゴミを除き(篩を通過するのは豆で、ゴミは篩に残る)、ついでやや細かい目の篩で、小さなゴミを除いた(篩を通過するのはゴミで、豆が篩に残る。)あとから選別する(*)大豆は、大まかにゴミを取り除くだけでいいので、ゴミ除きはこれで完了。
(*)むろん手作業である。農作業から完全にリタイアした老母に、これだけは頼む。

 日没直後に叩き終わった。稲架を解体して、稲架杭[稲架の支柱]や豆や道具を軽トラックで運び帰り、ナル[稲架の横木]を担ぎ帰ったころには薄暗くなっていた。

赤タマネギは来年二月に定植するつもり
 赤タマネギは、結局、普通タマネギの小苗と一緒に、来年二月に定植することにした。これから定植するとすると、一週間後になるが、それでは活着する前に寒さにやられてしまうかもしれない。二月に定植すると、大きな球はできないかもしれない。しかし、赤タマネギは多くは利用しないし、普通タマネギは十分な数の苗は定植したので、焦って無理をすることはやめた。

 従姉がやってきて、タマネギの苗は残っていないか、と訊いた。購入苗の多くが枯れてしまったので補植したい、と言うのである。そこで、来年二月に定植する心づもりを説明し、その時に分ける、と約束。
村便り:2007-12-08(土) (冬枯れの冬支度 - 支柱を片づける)
投稿日:2007-12-09(日)

 午前中は街で買い物。 週末は百姓の「草鞋」を履くので、街中に出て、食事や買い物をすることは滅多にない。今日は自分が着るものを買う...

 午前中は街で買い物。

 週末は百姓の「草鞋」を履くので、街中に出て、食事や買い物をすることは滅多にない。今日は自分が着るものを買うので、当人が(も)出かけるしかない。服装にとくに興味があるわけでもないし、したがって、服選びも得意ではない。今まで着ていたものが駄目になって初めて重い腰をあげる。

 買い物を済ませると、家族で食事をして、そのあと私だけが農作業に向かった。


 村に着いたのは午後2時。4時半には日没だから、作業時間は3時間しかない。豆などの支柱を片づけることにした。

豆の支柱
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自然畝に突っ立ったままの、インゲンの支柱。左の畝には、ピーマンの支柱が見える。
縛った支柱
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支柱は、藁紐で縛る。藁紐は5本ほどの藁を使い、ひねって止める。
シカクマメの根塊
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 シカクマメの根塊。
 シカクマメの根塊は食べられるそうだが、あまりおいしそうではない。根塊が曲がっているのは、ポット育苗したので、ポットの中で根が巻いたためだと思われる。
 今年畑に作った豆類は、つる性のものは、初夏収穫のインゲン(梅雨豆)、モロッコ豆、秋収穫のインゲン、およびシカクマメ。つるなしのものは、金時豆と小豆(この二つは、金時豆を若莢のとき食しただけで、完熟豆は収穫できなかった、しなかった)。つる性の豆のために立てた支柱は、つるが枯れた今も畝に突っ立っている。それをまず片づけた。ついで、ピーマンと甘トウガラシの支柱を引き抜いた。いずれの作物も自然畝で栽培したので、枯れたつるや株は、抜いたりせず畝にそのままにしておく。いずれ朽ちて土に戻る。

 ニガウリと最後のキュウリの支柱も残っていた。それらとナスの支柱を片づけると、日没。

 冬になってやっと始める遅すぎる冬支度である。…すぐに日暮れてしまう午後、ひとり作業をしていると、なにとはなしに心が萎える。冬枯れのなかでも春に向かってじっと命を燃やしているものもあるのに。

 夕暮れに、近くのお姉さんが散歩で通りかかり「長ごう見んかったね。二週間ぶりじゃない」と声をかけてきた。毎週末には、しかも夏には平日の朝晩にも見える私の姿なので、ずいぶん久しぶりのような口調だった。

 今度は従姉がやってきて「長ごう来んかったけん、病気かと思おうて昼に電話したが、誰も出んかった」。「昼は、みんなで街に出とった」と私。

 明日は、田んぼで干したままにしている大豆を叩き、赤タマネギの定植をする予定。でも赤タマネギまでは手が回らないかもしれない…
村便り:2007-11-30(金) (ソラマメとタマネギの定植)
投稿日:2007-12-06(木)

 週末は学会出張で農作業ができない。しかし、ソラマメとタマネギが定植を待っている。 ソラマメは、アパートの南向きのベランダで育苗し...

 週末は学会出張で農作業ができない。しかし、ソラマメとタマネギが定植を待っている。

 ソラマメは、アパートの南向きのベランダで育苗しているので生育が速い。早く定植して定植ショックと村の寒気で生育を抑えないと、厳冬の時期に寒害、とりわけ霜害に遭ってしまう。寒害に遭ったとしても枯れてしまうわけではないが、春の生育に影響する。

 畑で育苗しているタマネギの方は生育が進みすぎるということはないにせよ、定植が遅すぎると活着するのに手間取り、これまた寒さにやられる可能性が高くなる。

 ふたつの苗が気になっていたところ、金曜日が丸一日空くことになった。業務で拘束されると思っていたが、実際は木曜日一日拘束されただけで、金曜日は自由になった。

ソラマメの定植
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自然畝に定植したソラマメ。
 ソラマメは枯れ草のなかに定植する。すると、枯れ草がマメを寒さから守ってくれる。霜害をシャットアウトしようとすれば、防虫用のネットをかぶせてやる。ネットのトンネルが雪でつぶれないよう、トンネルを支えるポールの数を増やしておく。今年は苗が生育しすぎたのでネットをかぶせてやるのがいいのだが、この日はその時間がなかった。おそらくはこのまま冬を過ごさせることになるのではないかと思う。
 計画したのは、普通タマネギ、赤タマネギ、ソラマメ(一寸ソラマメと赤ソラマメ)の定植。優先順位を考えて、ソラマメ、普通タマネギ、赤タマネギの順に定植することにした。最初から、赤タマネギの定植は無理だろう、と予測していた。赤タマネギの場合、定植する畝がまだできていなかったからである。草を大雑把に除き、施肥して耕耘し、畝立てするとすれば、日の短くなったこの時期では、赤タマネギだけで一日仕事になるからである。

 まずは自然畝に定植するソラマメからとりかかった。赤ソラマメを定植する予定の畝は今シーズンはトマトを栽培したところ。30株ほどあるトマトを片づけてから定植した。定植した株数は46。ついで、別の自然畝に一寸ソラマメを定植。50株。手慣れた作業ではあったが、途中で、畝に穴をあけるシャベルの柄があたる手のひらの皮膚が破れた。全部で100近くの穴を、何年も耕耘していない畝にあけるのだから、普段は強い力のかからない皮膚ゆえ破れても不思議はない。

 ソラマメの定植が終わった時点の日の傾き具合から、つぎに普通タマネギを定植すると日が落ちることが予想できた。急いで苗を掘りあげ、70株定植。一週間前に定植した分と一緒にすれば、合計450株ほど定植したことになる(蒔いた種は8ml)。今年の苗は順調に育ったので、これだけの株数あれば、来年の6月には十分な量のタマネギが収穫できるはずである。定植するには小さい苗は苗床に密植で残した。来年2月に定植予定。
村便り:2007-11-24(土) (タマネギ定植)
投稿日:2007-11-25(日)

 朝なかなか寝床から起き上がれない。昨夜、学生+元学生たちと飲み、街の中心部から歩いて帰宅したのは朝2時。就寝時間のせいではなく、飲...

 朝なかなか寝床から起き上がれない。昨夜、学生+元学生たちと飲み、街の中心部から歩いて帰宅したのは朝2時。就寝時間のせいではなく、飲んだ酒を消化しきれないために、身体が起きたがらない。うとうとした頭のなかでタマネギの定植のことが時折《発火》して身体を鞭打つ。意を決して起き上がったのは10時だった。

蕎麦を干す
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 タマネギを定植しているあいだ、先日脱穀して箕でゴミを飛ばした蕎麦を筵で干した。脱穀した時の状況から干すまでもないとも思ったが、仕上げのつもりで天日にあてた。(まだゴミを飛ばしていない蕎麦が約同量ある。)
 筵の向こうの端に置いてある農具は、穀類を筵に広げるために使う。先端の板の下辺が、歯が一本おきに抜けたような凸凹になっている。広げた蕎麦についている筋は、その凸凹でできたもの。農具の名前は分からない。
タマネギ定植
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 タマネギの定植。定植の仕方の詳しい説明は、去年の定植の記事「村便り:2006-11-25(タマネギの定植)」につけた画像の説明にあります。
タマネギ苗
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 タマネギ苗は本葉3枚のものを使う。3枚目は小さくてもいい。2枚の苗は苗床に密集して植え、翌年2月に株間は狭めて定植する。すると小タマネギが収穫できる。2枚のものも定植は可能だが、単独で寒気にさらされるため、冬のあいだに消えてしまうことがある。逆に、4枚の苗は収穫前に薹が立つ。もっとも、4枚の苗は少ない。今回は数本しかなかった。
 9月22日に種蒔きしたタマネギ(黄と赤)が定植適期になっていた。種袋には55日間育苗して定植する、と書いてある。だから、大雑把に、種蒔き後2カ月と考えて、私は11月終わりまでに定植することにしている。

 極早生タマネギは草の中に埋もれて、ひょろ長く、ひ弱な苗にしか育たなかったが、赤タマネギと中晩生の黄タマネギは、これらもまた草のなかだが、その草丈が低かったのがさいわいして、しっかりした苗に育った。

 昼食までに、畝に発酵鶏糞を散布して耕耘機で混ぜ合わせ、再度畝立てした。昼食後は、苗を掘りあげて定植。黄タマネギを四分の三ほど掘りあげたところで、定植開始。時計を確認すると16時だった。18時に散髪の予約がしてあるので急がなくてはならない。掘りあげた分の定植が終わったのが17時半。370株を定植した。予約がなくてもすでに日は沈んでいたので、残りの黄タマネギと、赤タマネギは来週に回さざるをえなかった。急いで着替えをし、行きつけの散髪屋さんに着いたのは18時ちょうどだった。
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