てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳
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村便り:2012-01-22(日) (田んぼで藁を広げる)
投稿日:2012-01-27(金)

南天とヒヨ 南天の実がふと目を引いた。ありふれた木だが、冬枯れの季節、実のたわわについた房が陽光を受けて赤く輝くのは印象的である。(...

南天とヒヨ
 南天の実がふと目を引いた。ありふれた木だが、冬枯れの季節、実のたわわについた房が陽光を受けて赤く輝くのは印象的である。

南天の実
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南天の実
エンドウ
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実エンドウ。

 去年の11月1日に蒔いた。発芽してから藁を敷いた。藁は防寒と抑草のため。

 エンドウのこちら側、藁の間からわずかに顔を出しているのはソラマメ。また、手前にの枝は梅。蕾はまだまだ小さくてかたい。
 屋敷や、屋敷前の畑には南天が所々に生えている。わざわざ植えたものもあろうが、鳥が落とした種から生えたと思われるものもある。今年はまだ実がたくさんついている。年によっては春先までにすっかりなくなってしまうこともある。鳥が啄むからである。おそらくはヒヨである。啄む現場を目撃したことはないが、ヒヨが頻繁に飛来する年には南天の実がなくなる。南天の実はだから、ヒヨの飛来の指標となる。

 むろん何か指標がなければヒヨの飛来が分からないわけではない。彼らは夜陰に紛れたり、物陰に身を隠しながら、不意をついてやってくるわけではない。それどころか、ピー、ピーヨと寒気をつんざくように正々堂々《名のりをあげ》てやってくる。だから、南天の実は、飛来の指標にもなるが、むしろ彼らの飢えの指標であると言えるかもしれない。

 ヒヨの食欲はすさまじい。野菜をまたたくまに食べてしまう。いまは亡き隣のおばあさんが、その健啖ぶりを評して「あいつらは日にちじゃなあ、時間じゃ」と言ったが、まさにそのとおりである。しかも、食いっぷりが半端ではない。ホウレンソウの畝であれば、まるでバリカンで刈り払ったかのように食べ尽くす。

 今年はエンドウの生育がいい。二月になれば支柱をたててやろうか、と思っているほどである。そのエンドウもヒヨに狙われる。やっと伸び始めたツルの先っぽを啄む。それでもエンドウは、残った葉っぱの根元から新しいツルを伸ばして生長するが、収穫に影響する。昨秋は畑の植え付けが不調に終わったので、いまある野菜でヒヨの餌食になりそうなのはエンドウくらいである。

 南天の実を見て、その鮮やかな赤を愛でるよりは、エンドウが気になった。山が不作であれば、ヒヨは里に降りてくるだろう。


田んぼで藁を広げる
 今日は田んぼでの作業。脱穀機が切った藁を広げる作業である。


脱穀風景

脱穀。

 右側は、脱穀し終わった稲架。

 脱穀機はこちら側が前。右側の台に稲束を載せる。そこから、稲束をコンベアに載せて右から左に移動させる間に脱穀がおこなわる。ついで、稲束は、脱穀機の左側に付けてある藁切り機に送られて、カットされて左側に排出される。脱穀機の前側についている筒は、脱穀中のゴミを吹き出すためのもの。

 背後にも藁がたまったところが二カ所あるが、そこの横に稲架が立っていた。
藁を広げる
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藁を広げる。
 脱穀機には藁切り機が付けてある。脱穀の際には普通、それを使って、同時に藁を切る。切った藁は稲架の周りに排出されて溜まる。藁を切るのは、田んぼに有機質肥料として鋤きこむためである。だから、鋤きこむ前に、藁の塊を田んぼ全体に均等に広げる必要がある。「藁を広げる」とはそういう作業である。

 作業は手作業。フォークを使ってふり撒いたり、一輪車に載せて運んでから手で撒いたりする。ともかく時間のかかる単調作業である。

 コンバイン[刈取りと脱穀を同時にこなす機械]で稲刈りをすれば、作業はだいぶ楽になる。コンバインは刈取りのために田んぼ全面を走り回り、走り回りながら切った藁を背後に排出するからである。しかし私は百姓にできるだけ金をかけない主義。それに金をかけるほど収入があるわけではない。機械がなければ今の時代、稲作はできないから、バインダー[刈取りして、稲束を結束する機械]と脱穀機[ハーベスターとも呼ぶ]はもっている。《コンバイン+天日干しのための稲架+脱穀機》の収穫システムは、《コンバイン+乾燥機》のシステムよりははっきりと安くつく。しかし、金をかけなければ、手間と時間がかかる。販売して利益を上げようととすると、その分、米の価格を高く設定しなければならない。すると、競争力が弱くなる。競争力が弱いと淘汰される。…などと考えていたら私のような小農・貧農はやっていけない。資本主義の論理を無視しなければ、やっていけいない。あるいは、その論理とは違う次元にあるのかもしれない。

 《妄想》休題。早く藁を広げおえ、寒の内に田んぼ(の土)をひっくり返しておきたい。土に混じった藁は冬の間に腐り、ひっくり返された土は、凍みたり融けたりしながら、春までにぼろぼろになる。
村便り:2012-01-14(土)/01-15(日) (センター試験業務から外れて畑仕事)
投稿日:2012-01-20(金)

センター試験の業務から外れる! ラッキー! この週末は大学入試センター試験。私の所属する部局は受け入れる受験生の数が多く、教職員は...

センター試験の業務から外れる! ラッキー!
 この週末は大学入試センター試験。私の所属する部局は受け入れる受験生の数が多く、教職員は基本的に全員、試験関係の業務につかなくてはいけない(と私は思い込んでいた)。ところが今年は私はその業務から外れた! おそらく大学に就職してからはじめてのことだと思う。受験生が減少してきている、という話は聞いたことがあるが、そのせいで(おかげで?)業務から外れる人が出てきた(私はこれまで、そのことに注意をはらっていなかったが、たしかにそんな話を、教授会であろう、耳にしたことはある)。その幸運な人に今年、私もなった!

 センター試験のある前の週にはいつも、教授会で入試委員から、事前に配布済みの監督要領にしたがって、監督業務の説明が行われる。いままでは、毎年ほぼ同じ内容だったので、退屈して聞いていたが、今年はなにか様子が違う。幸運な人になった私はなかば居眠りしながら聞いていたが、社会科の説明になると委員の不安げな口調と場内のざわつきで目が覚めた。全部聞いていたわけではないので、詳らかには理解できなったが、場内の雰囲気から試験当日、トラブルが発生するかもしれない、と感じた。今回、当事者から外れたのは、本当にラッキーなのかもしれない。

 (後日談:私の部局では、深刻な混乱は生じなかったが、大きく報道されたように、全国的には、センター試験始まって以来の最悪の混乱が発生した。)


マーシュ
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マーシュ。
 アスパラガスの畝を整えるため、枯れたアスパラガスを取り除いたら、マーシュがあちこちに生えていた。マーシュはサラダに入れる野菜。日本では普通は流通していない。初夏に種のつくまでおくと、次の秋から冬に生えてくる。雑草のように繁殖力が強い。しかし、体は華奢なので、邪魔にはならない。
 後ろの雑草のなかに見える赤い小さな粒は、アスパラガスの実。
 そんなわけで、センター試験の二日間は、緊張と興奮の大学構内を離れて、畑で過ごした。やったことは先週と同様の野菜の管理。具体的には一日中、せっせと草取り。追肥、中打ち、株間への藁敷き。先週に続いてかつお菜の畝。さらに、アサツキブロッコリーの畝。


ダイコンサルハムシ
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ダイコンサルハムシ。
 除草すると、よく目につくのがてんとう虫。ダイコンサルハムシもいる。てんとう虫は《益虫》であるが、ダイコンサルハムシは《害虫》。ともに越冬中。てんとう虫は青い草のなか、ダイコンサルハムシは枯れ草のなか、といった棲み分けがあるように思える。
 画像の真ん中の黒光りしている小さな甲虫がダイコンサルハムシ。ここはアサツキの畝。サルハムシの右側、枯れたネギのように見えるのがアサツキ。その右側の、土のついた金属板は、平鍬。
小鳥のように体をふくらませて
 この時期、朝晩は寒いが、昼間は晴れていればあまり寒さは感じない。むろん、寒さに対してそれなりの防備はしている。小鳥は、冬にはふくれている。あれは羽の間に空気を入れ、幾層もの空気で寒さを防いでいるからだそうだ。それと同様に、私も、厚い衣服ではなく、薄い下着やシャツを着がさね、一番上には、薄いが保温性・撥水性・透湿性・防風性のあるジャケットを着て、下に着た衣服を包んでいる。衣類とともに空気の層を何《枚》も着ているというわけである。


百姓をやっても体を傷めるだけ
 昼前、小屋に戻ろうとすると、向うから着ぶくれしたおばさんがやってくるのが見えた。私に用がありそうな様子だった。よく見ると、近所のおばさん(年齢は70半ばはいっていると思う)。近所といっても、小屋がたっている、旧来の屋敷の近所ではなく、小学校に上がる少し前から住んでいた、別の場所にある家(同じ「てつがく村」ではあるが)の近所である。その家にはいまは誰も住んでおらず、行くことは滅多にないので、そのおばさんには平生はたまにしか会わない。

 「Mさん(旧来屋敷のすぐ隣の人)のところに来たら、車が見えたんで、お兄ちゃん(と、そのおばさんは私を呼ぶ)がおるかの、思おて、来てみたんよ」とおばさん。おばさんは夫と二年ほど前に死別し、いまは大きな家で一人暮らしをしている。長男は私より一回り、あるいはそれよりも年下であろうか(その長男を基準にして、私を「お兄ちゃん」と呼ぶ)、同じ市内の市街地に住んでいる。おばさんの家は、わが家の田んぼの隣近所にも田んぼをもっている。長男はその田んぼで稲を作っている。といっても、田植えまでの作業と収穫作業が主たる仕事であり、田植えから稲刈りまでの水の世話はおばさんが受けもっている。市街地に住むサラリーマンであれば、毎日田んぼの水を見にわざわざやってくるわけにはいかない。だから、長男とおばさんが、ともに不可欠な人手として、稲を作っている、と言えよう。

 雑談から始まり、その長男とおばさんの家の百姓の行方とについての話になった。「H(長男の名前)は若いけど、腰が悪いんよ」とおばさん。H君は見た目には線が細い。おばさんは華奢だから(おばさんの夫は大柄な人だった)、母親似かもしれない。それにしても腰が悪いとは知らなかった。おばさんの話からすると、ぎっくり腰になったことがあるようである。「無理ができんのじゃが、井手堰きにいくと他の人は、若いけん期待するじゃろう。本人も頑張る。ほいじゃが、家に帰るとぐったりしてしまうほど疲れてしまうんよ。稲刈りのときは、重い籾袋(籾袋は20kgあまりである)を運ばにゃいけんけん、つらそうなんよ。この前は、来年からは米を作るのをやめようか、と言ようった。」

 この村の農業の経営規模は小さい。人並みに物質的な豊かな生活をしようとすれば、兼業農家をやらなければ、しかも農業以外の収入が主でなければ、生活はなりたたない。農業からの収入はほとんどない。いや、農機具の購入費などを考えれば、赤字経営とも言えよう。百姓をすると損をする。それがこの村では大部分の農家の実情だと思う。「百姓をしても何の甲斐もなあんじゃけん。からだを痛めるだけじゃ。Hを見ようると、かわいい[かわいそう]よの。」

 そんな村だから、今の経営者が年老いてリタイアすると、それからは、たとえ次の若い世代が同居していても、その家の田んぼと畑が荒れてしまう。おばさんは、自分が死んだあと、子どもが百姓を続けることは期待していないようである。じっさい、二人三脚でやっている稲作は一人が欠けると続けられなくなる。私としても、よそ事ではない。私が百姓をできなくなったとき、おそらく百姓としてのわが家は終わると思う。子どもに、百姓をやれ、とはとても言えない。村での百姓の実情を身にしみて分かっているからである。生身を傷め、サラリーマンとしての《身》を削るだけの《甲斐》だからである。

 ひとしきり立ち話をあとで、おばさんは立ち去った。おばさんは屋敷を出る前に、こちらを向いて身をかがめた。おばさんは屋敷から井手をまたいで狭い道に出たときまた、こちらを向いて身をかがめた。田んぼが隣の、したがって、同じ井手から取水している、私に、息子と仲良くしてくれ、と言うようにも思えたし、またしばらく会えないので名残を惜しんでいるようにも思えた。私は、おばさんがわが家の庭木(たんなる雑木も生えているが)の陰に隠れてしまうまで見送った。

芽キャベツ
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芽キャベツ。
 定植してから一度も追肥をしてやらなかったので、生育が悪い。芽が小さいし、葉っぱも寒さに負けて色が悪い。追肥したが、ここのところ雨が降らず乾燥しているので、効かない。雨待ち。雨が降って肥料を吸収しても、どこまでもちなおすだろうか。
冬の準備が肝要
 百姓の《甲斐》を考え、行く末を思うと明るい気持ちにはなれないが、心機一転、昼飯のあとは、また農作業に戻った。越年してから収穫する野菜の管理は、アスパラガスの畝を残して、除草、中打ち、追肥、藁敷きを終えた。雪遊びにも行きたいが、春からの農作業を順調に進めるには(もっとも、今まで一度も「順調に進ん」だことはないが)、冬の準備が肝要。つぎは空いている畝の耕耘と、田んぼの耕耘とを、できれば一月中にやっておきたい。
村便り:2012-01-07(土)/01-09(月) (越年してから収穫する野菜の世話)
投稿日:2012-01-12(木)

 今年初めての農作業、百姓の《仕事始め》である。1月9日(月)は成人の日だから7日(土)から三連休日での三連働になった。この冬枯れの時期に何...

 今年初めての農作業、百姓の《仕事始め》である。1月9日(月)は成人の日だから7日(土)から三連休日での三連働になった。この冬枯れの時期に何をするのか、と不思議がられそうだが、私の農園では、冬になるまでに、あるいは年末までにやってしまうべき仕事が、畑にも田んぼにも残っている。

 畑では、春から夏にかけて収穫する野菜の管理。いま畑にある野菜のうちでは、春菊(収穫は、冬から初春)、搾菜(晩冬から初春)、かつお菜(初春)、ふだん草(初春)、ワケギ(初春)、アサツキ(初春)、ニンニク(初夏)、エシャロット(初夏)、アスパラガス(初春および夏)、ラッキョウ(夏)がそのような類。

春菊
 春菊は9月始めに種まきして、霜が降りるまで間引き収穫するが、寒さに弱いのでそれからは防寒してやる。昨秋は種まきが遅れて9月終わり(9月26日)になった。だから、小さいうちに霜の時期になった。除草をする間がなかったので、追肥もしていない。とりあえず霜対策として不織布をべた掛けにしておいた。裸のままだと、寒さにやられて葉っぱが黒くしおれてしまうからである。


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シュンギク。
 不織布をべた掛けにして、そのうえにビニールでトンネルを作っている。
 その春菊の畝を除草し、追肥・中打ちをした。冬野菜は寒さに耐える体にするため、必要に応じて追肥する。秋にたくさん食べ、脂肪をたくわえて冬に備える動物と同じ道理である。春菊は、さらに防寒してやる必要がある。春菊の場合、不織布だけでは防寒対策は十分ではない。そこで、くわえてビニールトンネルで被覆してやった。希望的観測ではあるが、これで冬の間でも成長し収穫できる大きさになるかと思う。暖かくなれば勢いを取り戻すが、まもなく薹立ちしてしまう。それまでに収穫したい。


ザーサイ
 搾菜は昨シーズンから栽培を試みている。漬け物が好きだが、漬けるのは手間と時間がかかるらしい。そこで野菜として食べてみることにした。独特の辛味がある、とのこと。

搾菜
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搾菜。
 主茎にできるこぶを食するようである。画像の茎はふくらみかけているように見える。
搾菜
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防霜のためネットで覆った搾菜。
 ところが、野菜としては私には(というか、日本では、といってもいいのではないだろうか)なじみがないので、栽培方法が分からない。種袋によれば、温暖な土地を好むが寒いところでも栽培できる、とある。しかし、寒さに強いわけではないようである。昨シーズンは、10月5日にボットに播種し11月11日に定植したが、寒さにやられて駄目になった。今年は9月27日に直播きし寒さに耐えるくらいに生長した。しかし、これでも遅いようである。寒さが厳しくなると、大きい葉っぱは外縁がしおれてしまった。来シーズンは、9月あたまにボット育苗をはじめて10月初旬に定植するスケジュールを考えている。寒さがくる前にある程度の大きさにしておきたいが、9月前半に直播きすると虫に食べられてしまう(わずかな経験から言うと、搾菜は虫が好むようである)。虫が多い9月を避け、かつ生育を早めようとすると、上のような方法とスケジュールになる。

 さて、今年はともかく、少量であっても味見できる大きさにしたい。12月24日に除草、追肥、中打ちをして株間には藁を敷いた。藁は抑草と防寒のためである。しかし、年末年始の寒さを経過して、藁マルチだけでは防寒には十分ではないのが分かったので、さらにネットでトンネル状に被覆した。ネットは霜除けのためである。


かつお菜
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かつお菜。
 葉っぱの様子から高菜の類だとお分かりだと思う。北九州ではこれを雑煮に入れるとのことである。
かつお菜、ふだん草
 いずれも年内と春先の利用を考えている。春は野菜の端境期である。かつお菜とふだん草は薹立ちが遅いので、春の野菜の端境期を少しでも埋めるために、春先の利用を考えている。ふだん草は蒔くのが遅かったので年内利用はできなかった。かつお菜の方は少しは利用できた。かつお菜は高菜と同類なので(ちなみに搾菜も高菜と同類であり、「筍たかな」との別名がある)寒さに強いというわけではない。だから、早めに蒔いてまずは年内に収穫し、ついで越冬させて、春に生育を再開するのをまた収穫する、という利用方法がいいと思われる。高菜は比較的虫がつきにくい(辛味成分のせいだろうか)が、搾菜と同じような方法とスケジュールがいいと思われる。いずれも、除草、追肥、中打ち、藁敷きをした。

ワケギ、ニンニク、エシャロット、ラッキョウ
 ユリ科一族、というべきか。いずれも晩夏から秋にかけて植え付け、越年して翌春ないし翌夏に収穫する。植えつけると年内に分球する。収穫が一番早いのは葉を食用にするワケギ。あとは初夏に葉茎が黄変してから掘りあげる。

 いずれの畝も草が生え(植えつけてから一度は中打ちして除草したかもしれないが)、放っておくと冬の間にユリ科一族は草に埋もれてしまう気配。このままにしておくと収量にも影響する。また草が繁茂していると追肥もできない。いやできないこともないが、追肥の効果が減ずる。だから、まずは除草した。根を張っている種類もあるので力と時間がいる。単純作業だが根気がいる。座り込んだり中腰だったりの姿勢なので腰にくる。立ち上がろうとするとすぐには腰が伸びないほどである。

使い痛み
 余談だが、歳のせいか、体に使い痛みを感じるようになった。

 一時的な関節の違和感とか筋肉の張りには自己整体・ストレッチ(すなわち yoga のasana)で対処する。これはよく効く。それでも左膝にときどき感じる違和感は、根深く、その対処法では解消できない器質的変化のように感じられる。

 また、指の関節、とりわけ両手の親指の付け根の痛みも直らない。yogaのasana(体位法)は主として体幹に関わり、四肢については、中心的にかかわるものは少なく、また補助的であったりする。指にいたってはasanaはない。(asanaの原意が「坐法」であるから、なくても不思議はないが。)だから、指については無関心だった。ところが稲刈りころからだったと思うが、親指を動かすとき痛みを感じるようなった。確かめてみると、付け根の関節が痛みの源だった。稲束を稲架掛けするときは、束を二つに分けて竿に掛ける。そのとき、親指を使うからであろう。痛みは軽減したものの、いまも退かない。このままでは慢性化しそうな気配もある。ときどき自己流に関節をケアしながら、来シーズンが本格的に始まるまでに、直ればいいが、と思っているが不安でもある。

ニンニク畝
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ニンニク畝。
 抜いた草を敷き藁の上に載せている様子。
 ニンニクは4種類作っている。長い間、父が近所でもらったニンニクを作っていたが、それが絶えてしまった。いま作っているものの種は全部購入した。4種類とは、スワンミャオ(葉ニンニク)、嘉定(葉ニンニク)、田子在来ニンニク、平戸ニンニク。
 葉ニンニクといっても球は普通に使える。田子ニンニクは寒地系のニンニクだから、西日本のこの地では育たないかと思ったが、はじめて導入した昨シーズンはうまくできた。平戸ニンニクは暖地系だから「てつがく村」はいずれの系統でも栽培できる気候ということであろうか。
草も畑のうち
 閑話休題。除草が終わると、追肥と中打ち。中打ちは、肥料を土と混ぜるためと除草を仕上げるため。感覚的には、土に《空気を入れる》ため、と表現しようか。そして藁を敷く。抜いた草はその藁の上に重ねる。草は根についた土を落とすと、ふたたび根付くことは少ない。藁の上におけば、根が土に触れないのでまず根付くことはない。

 草も畝の《うち》である。畝が《分身》したものである。同じ畝で枯れてしまえば、畝の《うち》に再吸収される。草を畝からできるだけ出さないようにするのは、そのような考えから。
村便り:2011-12-21(水) (わらぐろ)
投稿日:2011-12-23(金)

 脱穀時、藁切り機に通さなかった稲束がある。春の踏み込み温床や野菜の敷き藁に使うためである。縛ったりするために使う藁は、モチ米のも...

 脱穀時、藁切り機に通さなかった稲束がある。春の踏み込み温床や野菜の敷き藁に使うためである。縛ったりするために使う藁は、モチ米のものを200束ほどすでに小屋に納めてある。ウルチ米のに比べモチ米の藁はねばいので、使い藁にはこちらにする。それ以外の用途には、ウルチ米のものでもかまわない。週末は天気が崩れるという予報なので、稲束を、濡れてしまう前に、積むことにした。


わらぐろ
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今年のワラグロ。
 積んだ藁束は400あまり。この田んぼは3畝(300㎡)ほど。ちなみに、この広さからは600束あまりの藁が手に入る。ここは、来年1年は休耕して畑に転換する。
わらぐろの積み始め
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わらぐろの積み始め。
 藁は4束をくくって1単位にした。それを田んぼに垂直にたてた中心棒のまわりに並べる。12単位でひとつの層を作る。
 去年はバインダーが括った小さな束をそのまま並べた。隙間なく積むことができるが、通気性が悪くなる。そこで、今年は大束を積むことにした。
積み終わったわらぐろ
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積み終わったわらぐろ。
 緩い傾斜の三角錐になっている。写真で見た、三角錐の帽子を被ったわらぐろは、もっと傾斜が強く、また帽子に当たる部分は特殊な積み方がしてあった。
 小さい頃のかすかな記憶によると、脱穀がすんだ田んぼには、円筒形に藁が積んであるところがあった。藁屋根の葺きかえなどに使ったそうである。いまは、その姿は見えない。藁を使うことがほとんどなくなったからである。私は見かけた記憶が残るだけで、その名称さえ知らなかった。従姉(私より15歳年長)によると「わらぐろ」と呼ぶそうである。

 使うのは早くても来春の3月。小屋には納めるスペースがない。屋外で保存するとなると、雨などによる濡れを防ぐ工夫が必要である。去年、はじめてワラグロを作った。しかし、雨対策をしなかったので、藁が湿って発酵した。春にはなんとか使えたが、次第に腐っていき、最後には黒く変色して、くたくたになった。

 今年は去年の反省を踏まえて、積み方を工夫し、また、シートを帽子のように被せた。積んだ藁の形を本で確かめると、シートを被せているものもあるが、上部を三角錐の形に傾斜をつけているものもある。藁全体の積み方からして、そうしているものもある。もしかすると傾斜が、雨対策には有効なのかもしれない。降った雨が藁に滞留せず、流れ落ちるだろうからである。しかし、三角錐に形を整える自信がなかったので、また、うまく形を整えられたとしても、雨にどのくらい有効かわからなかったので、安全策をとってシートを被せることにした。


去年のわらぐろ
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去年のわらぐろ。
 藁の量からすれば、こんな手間をかける必要はない。ホームセンターに行けば、広いシートも手に入るので、それを使えばなんとかなる。実際、そうしたこともあった。しかし、ワラグロは作ること自体がおもしろい(まだ経験が少なく、新鮮だからかもしれないが)。おそらく近所には、存在のはっきりとした記憶はあっても、作り方(複雑なものではないが)を知っている人はもういないと思う。だから、本の写真などから推測して積み方を工夫する。すると、過去を再構成しているようなわくわく感もある。

 2時間ほどかけて2年目の《作品》が完成! 田んぼの一角に過去との連続性が出現した。
村便り:2011-12-05(月) (脱穀終了)
投稿日:2011-12-19(月)

(クリックで画像の拡大)今年の田植えは、6月4日と6日にした。例年通りである。例年、5月終わりか6月始めの週末に行う。近所では、いつも田植え...

田植え
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今年の田植えは、6月4日と6日にした。例年通りである。例年、5月終わりか6月始めの週末に行う。近所では、いつも田植えのしんがり。
 やっと一年が終わった。稲の脱穀作業が完了すると、そう思う。農耕の一年は、稲作を太い縦糸にして、それに畑作が絡みつくようにして経過する。一年が終わると、これであと一年は生きられる、と安堵の気持ちになる。あと一年生きられる、とは、百姓を始めたころ、いまは亡き近所のおばあさんから聞いた言葉。この言葉は歳を重ねるにしたがい、深い感慨となった。命の糧を保証された一年を辛苦して、また次の一年の糧を得る。この繰り返しが、稲作地帯の農耕だろう。


稲刈り
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11月4日。今年最後の稲刈りは、耕作放棄田に囲まれたダブ[湿田]。毎年、この順序になる。ここはウワコウダ[傾斜地の田んぼの、上の部分]の水はけが悪いので、バインダーが泥に埋まってしまう。だから、鎌で手刈りしなければならず、ついつい後回しになる。
 ひとりで刈り取り、ひとりで稲架掛けし、ひとりで脱穀する。中山間地の、ほんとうに小さな農家だが、ひとりでの作業はやはり時間がかかる。しかも通いの兼業である。稲刈りは10月16日に始めたから、稲刈り、天日干し、脱穀の収穫作業に8週間がかかったことになる。周りの田んぼも昔ながらの天日干しが多いので、私が刈り取りを始めてから一カ月ほどは、他家の田んぼにも稲架がたっている。


稲架掛け
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11月14日。稲刈りの画像と同じ田んぼ。稲架三つのうち、両端の二つは11月4日の稲刈り当日に稲架掛けした。真ん中のひとつは、この日、稲刈りして掛けた。稲は稲架に沿って並べてある。日没後に稲架掛けをした。
 11月の初旬ころまでは、気温もさほど下がらず、晴天の日も多い。稲架にかかった稲も乾燥しやすい。だから、その頃までに一気に脱穀までおえてしまうのがいい。しかし、11月の半ばにもなると、気温も下がる。数日毎に雨があったりすると、籾はなかなかかわいてくれない。しかも、サラリーマンなので、ここぞという日に脱穀ができるとは限らない。11月半ば他家の田んぼから稲架の姿がほとんど消えてしまっても、わが家の稲架は大半が残っている。さらに一カ月、脱穀の最後には、わが家の田んぼの一部だけに、ぽつんと稲架が、寒気にさらされて、残る。



 昔は(機械植え以前の時代は)10月半ばから稲刈りをしていたらしい。従姉の昔話では、10月半ばに秋祭りがあり、それから稲刈りが始まった。昔は子どもも働き手だったので、稲の収穫作業を手伝わされた。だから、祭りがくるのが嫌でたまらなかった、と昔を語った。

 いまは刈り取りと結束を機械(バインダー)がやってくれが、昔は鎌で刈取り、稲束をわら紐でくくった。労力と時間はバインダーよりもはるかにかかる。作付け面積にもよるが、家族総出の作業でも、稲刈りと平行しておこなう稲架掛けが終わるのは、10月の終わりだったろうか。すると、稲の乾燥は、かわきにくい11月にまで及ぶことになる。

 昔は、稲束をかわききるまで稲架に下げてはおかなかったそうである。ある程度までかわくと、順次、家にもって帰り、縁側に積み、脱穀した。(脱穀が終わるまで、縁側の稲束に光を遮られて、家のなかは暗かったそうである。)そのあとで、もういちど籾をむしろに広げて乾燥をしあげた。そのやり方の訳を聞いたわけではないので、推測だが、かわきにくいその時期の天候にもよるのではなかろうか。田んぼにかわき切るまで干しておくよりは、むしろでもう一度かわかした方が、手間はかかるにしても、農耕暦の円滑な進行のためにはよかったのかもしれない。昔の農耕暦では、ついで、麦の播種がある。麦は稲の裏作なので、稲を刈り終わった田んぼを鋤で起こしから、麦播きをした。稲架がたっていたのでは、作付け作業ができない。麦播き作業は11月に入るとじきに始めたそうである。

 いつまでも片づかない収穫作業の合間に、昔のことを考えてみたりした。


脱穀
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11月27日。脱穀機には藁切り機がつけてある。普通は、脱穀した藁を切って排出する。藁が必要なときは、藁切り機を止める。
 11月終わりから12月の始めになると、いよいよ本格的な冬である。気圧配置も西高東低になる。すると強い風が吹き、籾の水分が一気にとぶ。籾の水分は、出荷するためには14.5%から15.5%の間に調整しなければいけないそうである。出荷農家規模になると、刈り取り脱穀機(コンバイン)で稲刈りをし、籾を乾燥機で強制乾燥する。要求される水分に調整するのも容易である。自然任せの乾燥をする私は、16%を切れば脱穀することにしている。(ちなみに、16.5%ほどの水分が米が一番おいしい、という記事を販売業者のサイトでみたことがある。)

 強風に後押しされて、やっと脱穀が終わった、というわけである。


 今年は「村便り」は書かなかった。3月半ばから夏野菜(トマト、ナス、ピーマンなど)の温床育苗を始めたが、イノシシに温床を二度襲われて、夏野菜は主力の栽培ができなかった。それ以外のこともあり、気力が落ち込んだまま、回復しなかった。とはいっても、稲は田植えをやれば、最後まで面倒をみなければならない。だから、今年は、農耕の縦糸こそはなんとか通したが、畑作の横糸はまばら、「村便り」は休載、という結果になった。これからは? 半農半サラの二足の草鞋は、来年3月で丸17年になる。そして残りは3年。有終の美とはいかないにせよ、精一杯やりたい。ウェブ・サイト「てつがく村」は来年3月で丸12年になる。最後まで続けようか… マンネリ化してはきたが。

投稿日:2011-12-19(月)

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