てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2018-01-28(日) (凍える日は草焼き。)
投稿日:2018-01-28(日)
精米午前中は精米。昨日、予定していたが、寒いのでやめた。今日は午後から朔夫氏がやってくるが、それに重い腰をあげてもらった。精米所は...

精米
午前中は精米。昨日、予定していたが、寒いのでやめた。今日は午後から朔夫氏がやってくるが、それに重い腰をあげてもらった。精米所は、この時期、午前中だけの営業なので、朝の家事を片づけると、蔵のある屋敷に行き、籾袋を蔵の中の収納庫から出して軽トラに積み、精米所に急いだ。籾は1袋で大体30kg。それを精米すると20kgほどの白米になる。(1斗≒15kg。)精米は1カ月に1回ほどする。1回で精米するのは、籾袋で3から4袋。むろん全量を自分で食べるわけではなく、大部分を親戚や知人に分ける。自画自賛(むしろ自米自賛と言うべきか)になるが、天日干し・籾保存の「てつがく村」米は好評。

昼の気温は5度。(車載温度計による。)

午後は約束の14時に朔夫氏がやってきた。彼は時間には正確。


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トラクターのバッテリーを充電しているところ。
トラクターのバッテリー
それまでに私はトラクターのバッテリーをいじっていた。バッテリーの能力が低下してトラクターが始動できない。充電器で充電してみたが、充電がいつまでたっても終わらず、十分な能力は回復できなかった。バッテリーをよく調べてみると、バッテリー液が規定量より減っている。バッテリーは15年間使っているので、バッテリー自体が衰えているのかもしれないが、ともかくバッテリー液を補充してみた。そして再度、充電を試みる。(結局、2時間半後に充電は無事完了した。)

朔夫氏は奥さんから大根をもらってくるように、と指示されたそうである。そこでまず野菜の収穫から始めることにする。


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掘り上げた子芋。2株分。
里芋
休耕田に行き、そこで栽培している里芋を掘る。里芋は、スクモ[もみ殻]を被せて防寒してある。原産地が熱帯なので寒さに弱い。今年は2回籾を被せた。

採り始め(昨年の10月)の頃は芋は、皮をむくと真っ白で食味がいい。そのころ里芋を掘りに休耕田に行ったとき、朔夫氏が、いつまで収穫できるのか、と尋ねた。私は「来春4月には芽出し[暖かいところに芋を仮植えして、発芽するまで育苗すること]を始めるが、その頃までは食べられる。ただ冬が寒い年だと、寒害を受けて腐ったり、品質が落ちたりする。だからスクモを被せて寒さを防ぐ」と答えた。すると朔夫氏は、もっとスクモを被せよう、と提案した。わが家で掘り出した里芋が気に入ったようだった。夕方だったが精米所をのぞいてみると、スクモが残っていた。そこで、スクモを大きなビニール袋に詰めて田んぼにもっていき、二度目の被覆を行った。その時は今冬、強烈な寒波が到来することは予想としていなかったので結果論であるが、厚く被せたのは正解だった。


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ヤーコン。1株分。
 ヤーコンは株の直ぐ下に、サツマイモのような形の芋が複数できる。画像では丸いヤーコンが目立つ。おそらくは栽培した畑の耕土が浅かったのだと思う。芋はかたい層に突き当たると、伸びることができないので、横に太る。サツマイモではよく起きる現象。
ヤーコンなど
畑に帰って、ヤーコン、大根、人参を収穫。朔夫氏は、ヤーコンは知っていたが(テレビで見た、と言っていた)本物は初めて。ネットで詳しいことは調べて、と簡単に説明して、渡す。



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草焼き。
 

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灰のなかにはまだ火が残っている。そのままにしておくのは不用心である。そこで、灰を中心に寄せ集めて、重い蓋をする。土を被せてもいい。一晩すれば、灰は燃え尽きて、嵩も減る。
屋敷で草焼き
その後は作業。仕事終了まで2時間ほどしかない。(通常は17時に仕事を終了する。)屋敷で草焼きをすることする。この時期、草取りのような運動量のすくない作業をしていたのでは凍結人間なってしまう。そこで(快適環境での都市生活者である朔夫氏のためも考えて)草焼き、となったわけである。

草焼きは簡単だと私は思っていたが、未経験の人には火のつけ方から説明しないといけなかった。私はマッチで火をつけるが、朔夫氏は何本マッチを使っても火がつかないので、よくライターを使っていた。ライターは邪道だ、と私は勝手に思っているが、黙って彼がするままにしている。この1年で何度か朔夫氏には草焼きをやってもらっているが、まだ、彼に完全にまかせるのは不安な気がする。私は横で別の作業をしながら、彼の草焼きにつきあった。

コメント
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てつ人 ( 2018/02/01 06:16 PM )
 
そうですね。松は油分が多いぶん、煙も立ちやすいのでしょうね。
風呂を焚くと、けむいだけでなく、前髪とか眉毛が焦げたりしたこともありました。

煙突からの煙、田舎でももう見かけなくなりました。人の生活のしるしだったのですが。でも、田舎では野焼きをやりますから、火と生活とのかかわりの痕跡は残っています。
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ダダさん ( 2018/02/01 10:58 AM )
 
そうです、また思い出しました。出雲地方では防風林を「築地松」と呼びますが、家の周囲には松の木が十数本、多い家では数十本も植えられています。
その、落ちた葉や小枝を燃やし、余りの煙の多さに涙が止まらず、焚口から逃げ出したこともありました。
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てつ人 ( 2018/02/01 10:06 AM )
 
風呂はよく焚かされました。子供の仕事だったような気がします。

焚き火は、点火がポイントのひとつですね。焚きつけ用にモク(枯れ落ちた松の葉)を山にとりに行きました。油分が多いのでよく燃えます。(地面に落ちたモクを熊手で集めますが、それを「モクをサデる」、と言ったような記憶があります。そんな言葉は今は聞くことはありません。)モクの上に枝をのせて点火する。火がつくと次第に太い木をのせていく。

それが基本なのですが、いつもモクや、乾いた薪があるわけではなく、うまく火がつくとは限りませんね。薪をくべたあと、家の中に帰って風呂が沸くのを待つのですが、沸かないので見に行くと、消えていた、ということもありました。

夕焼けの、あるいは暗くなった空を見あげながら風呂焚きをしたのを思い出します。
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ダダさん ( 2018/02/01 08:56 AM )
 
かつて、半世紀以上も前、母親の里にあった五右衛門風呂の焚き付けを思い出しました。冬場は薪そのものが湿気ているので、新聞紙を何枚も丸めてマッチで火を付けようとするのですが、もうもうと煙が出るばかりで、なかなか燃え上がらなかったものでした。
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