てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2009-12-04(金)~12-08(火) (やっと稲こぎが終わった!)
投稿日:2009-12-12(土)
 今年は稲刈りが遅くなった(10月29日、10月30日、10月31日、11月2日、11月5日)が、扱[こ]ぐのはもっと遅くなった。 「はぜはつか(稲架、二...

 今年は稲刈りが遅くなった(10月29日、10月30日、10月31日、11月2日、11月5日)が、扱[こ]ぐのはもっと遅くなった。

 「はぜはつか(稲架、二十日)」と言うから、稲刈りから、目安としては、三週間ほどすると、籾は保存に適する程度に乾燥する。14.5%から15%くらいが適度な水分である。その位に乾けば、噛むとかりっといった硬質の歯ごたえを残して割れる。昔は水分計なぞなかったので、噛む感覚などで水分を判断していたのだろう。

 ところで、今年は乾いてきたかと思うと雨が降るし、さらに、稲架に稲をかけた頃はすでに晩秋ないし初冬であり気温が低くなったので、籾はなかなか乾かなかった。話によると、水分が多いくらいが米はおいしいが、16%を切らないと梅雨までの保存しかできないとのこと。また、水分が多すぎると籾摺りがうまくできない。そこで16%を切るのを待った。11月の半ば頃からは、わが家の田んぼ以外では稲架が立っているところはなくなった。寒々とひとり立ち並ぶ稲架を見ては心が急いた。

 籾が乾ききるかどうか分からなかったが、12月4日(金)と12月7日(月)は休暇をとり、稲こぎにそなえた。12月4日(金)、モチ米は水分が18%だったが、後日、筵に広げて乾すことにして、ともかく脱穀してしまうことにした。しかし稲架のほとんどはウルチである。わるくすると稲は稲架にかかったまま年越しするのでは、と不安にもなった。(ちなみに、モチ米の方が乾きにくいような気がする。)

脱穀開始
(クリックで画像の拡大)
12月6日。ウルチの脱穀開始。
 
脱穀終了
(クリックで画像の拡大)
12月9日。脱穀終了。
 12月5日(土)は昼頃から小雨がときおり降った。天気予報からそれを見越し、その日は最初から農作業はとりやめ。次の12月6日(日)、とうとう水分が15%半ばにまで落ちた。前日の小雨にもかかわらず、前日からその日にかけて風が強く、一気に乾燥したのである。気温が下がっても風さえあれば乾燥は進む。日曜日と月曜日の二日かけてほとんど脱穀。しかし、稲架3つが残った。12月9日(水)からはまた雨の予報。するとチャンスは12月8日(火)しかない。その日は朝1コマ目と夜1コマ目が授業。二つの授業の合間の午後、時間からすれば脱穀はできなくない。夜の授業への、あるかもしれぬ影響を考えて躊躇したが、結局、脱穀を敢行した。

 昔は(おそらくは戦後、麦の裏作をしなくなったころまでは)稲は稲架である程度まで干したあと家にもちかえり脱穀した。脱穀した籾は、さらに、筵に広げて乾燥を仕上げた。私もモチ米を筵で干したことがある。木製の熊手様の道具で籾を広げると、最初はざわざわといった音がするが、乾燥してくると、硬い音がしてくる。記事の最初では、歯ごたえで乾燥具合を判断する、と書いたが、音も判断の手がかりになったにちがいない。ところで、なぜ稲架で干し、筵で干す、という手間のかかることをしたのだろうか。いつまで稲架を田んぼに立てておくと、麦を作るのに邪魔になる、というのが理由(のひとつ)かもしれない。麦は11月になると蒔いたようであるから、田んぼを鋤き返し畝を作る、という手順を考えれば、10月終わりには稲架を撤収しておかなければならなかった、と思われる。

 ともあれ、これで、また一年いのちを長らえる糧を得たことになる。
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