てつがく村の入口 | てつ人の雑記帳


村便り

村便り:2008-04-06(日) (横手とムナクト)
投稿日:2008-04-09(水)
 今日も一日中、昨日と同様、田んぼで畦際の土をかく作業。(クリックで画像の拡大)横手の際の土を掘る。 畦際を掘る作業の画像を使って、田...

 今日も一日中、昨日と同様、田んぼで畦際の土をかく作業。

横手・排水
(クリックで画像の拡大)
横手の際の土を掘る。
 畦際を掘る作業の画像を使って、田んぼの構造について説明することにする。
 横手は、排水や送水のために、田んぼ内部の周辺に作られる水路である。傾斜地の田んぼのウワコウダはしばしばダブ[湿田]けている。そのため、排水路として横手をつけることがある。
 画像の田んぼには、上の田んぼとの間に鍬の幅程度の水路がある。水は手前から向こうに流れ、田んぼの端で右に折れて井手に通じている。この横手は上の、他家の田んぼ(画像には見えていない)から流れてくる水を入れる口に通じている。水が不要な場合は口を閉じて、この横手を通して井手に排水する。だから排水路として機能している。
横手・送水
(クリックで画像の拡大)
 この横手でも、水は手前から向こうに流れ田んぼの端で右に折れている。こちら側は井手に通じ、井手から水をひく役割をしている。この田んぼより下の田んぼ三枚に水をひく。うち二枚は、井手からの取水口がない。
横手・送排水
(クリックで画像の拡大)
 左側のわが家の田んぼと、右側の他家の田んぼとの間に横手が通っている。前の画像での横手の向こう側の端が、この画像での横手の向こう側の端になる。したがって、水は向こう側からこちら側に向かって流れる。この横手は前の画像の横手の続きであるから送水路である。同時に、右の田んぼの排水路の役割も担っている。その排水はわが家の田んぼに入れることもある。最初の画像の横手同様、所有者が違う二つの田んぼを結びつけている。水は上から下に流れつつ、すべてを結びつける。
ムナクト
(クリックで画像の拡大)
 ムナクト。
 畦のこちら側、プラスチック製の手箕の位置に下の田んぼに向かって開いている口がムナクト。上の田んぼの排水口であると同時に、上の田んぼから下の田んぼに水を落とす(入れる)役割も果たす。ムナクトは水田にするときには、細工をして塞ぐ。
  今年は六枚の田んぼで稲を作る予定であるが、それだけの数の田んぼで広さは二反五畝にしかならない。言い換えれば、耕地整理をして一枚を広い区画にした田んぼに比べて、畦の長さが増えるので、畦際の作業量も増える。ところが、畦の面積が増えるだけ、同じ耕地面積でも本田面積が減る。そんなことを考えれば、圃場整備をしていない昔ながらの区画は効率が悪い。

 3月の終わりの日曜日に、の一日親睦旅行があった。昼食時、田んぼが隣り合わせのお兄さんが話しかけてきた。周りに広がる耕作放棄田を憂えながら「わしゃ、なんぼか余所を見にいったんじゃがの。田んぼを広ろうして、やる気のある若いもんにやらせんにゃ、わからん[駄目]で。まあ、それにゃ、金がいるがの。」と言った。その人が付け加えて言うには、「今ごろの若あもんは、スポーツカーを運転するようにトラクターでやれんにゃ、百姓はせん。泥なんかがついたんじゃ、やらん。」つまり、圃場整備をし、気力と体力のある者を中心とした集落営農をしなければ、村の農業は衰退するだけだ、ということである。

 そうなのかもしれない。私としても村の農業をこのまま衰退させたくはない。しかし圃場整備にかけた金がはたして回収できるのだろうか。また、圃場整備をして集落営農を企画したとしても本当に人が集まるのだろうか。後ろ向きの疑念が浮かぶばかりである。

 二足の草鞋を履いているかぎりは、私は大きくは動けない。わが家の農地を維持するのがせいぜいである。ともかく今は自分の立つこの地点をしっかりと守ること。そして順風の吹くのを待つしかない。

 昨日と今日で三枚の田んぼで作業を終えた。あと三枚の田んぼが残っている。
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